ハデ始

「ヘルメスよ。オレには現状一つ納得がいかない事がある」
「おや、どうかしましたか? アレスお兄様」

深刻な顔をしながら、お茶にすら手を付けずにいたアレスの言葉に。
納得がいかない事があるとは意外ですねと微笑みながらヘルメスが返せば。
そのとぼけた返しに、ギリシャの軍神たるアレスはブチッと堪忍袋の緒が切れ。
ギロリと窓辺へと視線を向けながら叫んだ。

「何故ッ……人間がこの部屋を待合室として使っている!!」

ビシッと指差す先、窓辺近くに配置された応接セットの長椅子にて。
日当たり良好さを堪能するように堂々とくつろいでいる人間。

いつの間にやらスルリと室内に入ってきたかと思えば。
ドカッと勢いよく長椅子に腰を下ろし、我が物顔で居座るはた迷惑な人の王。
ラグナロク七回戦における人類側代表闘士、自身を始まりの王と称する始皇帝。

その、何処かデジャブすら感じる唐突なる訪問の目的はと問えば。
冥界の王であるハデスを待つのに使わせろと不敬にものたまう始末。

ヘルメスが用意した茶菓子へと時折り手を伸ばしている姿すら腹立たしく。
我慢に我慢を重ねたが、自分の部屋を勝手に待合室にされた軍神の苛立ちはとどまる所を知らず。
そもそも茶菓子を用意するなという八つ当たりに近い感情すら湧き上がる。


「まあまあ。ハデス様もあと少しで到着なさるようですし」

そう怒らなくてもいいのでは、と含むようにヘルメスが言えば。
怒りの矛先をヘルメスへと変え、アレスは窓辺から視線を戻して睨みつけた。

「だいたい、お前も人間を甘やかすような真似をするなヘルメス!」
「先ほど連絡を入れた時に、ハデス様より丁重なもてなしをと言われたもので」
「いや、その前に色々と用意してただろ!」

前後関係を誤魔化すなとアレスはツッコミを入れ。
バレてましたかとばかりにヘルメスは笑顔でスルーした上で。
話題を変えるかのように、ふと言葉を口にした。

「しかし、人間がむやみに神の離宮を歩き回るよりは、ましだとは思いませんか?」
「うむ。その点は……同意はするが」

やろうと思えば天界の建造物の壁すらブチ破れる規格外。
自分が進む先が道だと豪語する、壮絶なる迷子の達人。

その被害を考えればとアレスの脳裏に多少の迷いがよぎったが。
だがしかし、と根本的な怒りの原因を思い出し、再び苛立ちをつのらせた。


「いや、そもそも! 冥界の王であるハデス様を何と思って――!!」
「我的愛人」
「……はぁ?」

再びつのらせたはずの苛立ちの霧散。
横入りをするかのように聞こえた言葉に、目が点になったアレスは素っ頓狂な声を出し。
声がしてきた窓辺へと神が顔を向ければ、人の子はくつろいだ状態のままに神の問いへと答えた。

「聞こえなかったか? 朕はハデスの事を『我的愛人』だと言った」

「あ、愛人?」

ぽかーん、という表現が似合いそうなほどの間抜け顔でアレスは始皇帝の言葉を断片的に拾うが。
脳内は大混乱の最中かつ、どことなく単語の発音が違っていることに気付かなかった。
その逆に、ヘルメスは暫し考え込むように黙ってから、始皇帝へと問いを口にした。

「『愛人』、ですか?」
「おお、ハデスは神ゆえ『愛神』の方が合っているか?」
「ええ、おそらくは」

何が面白いのか何を分かりあったのか、朗らかに笑い合う神と人。
一柱だけ全くもって意味が分からないアレスは、そんな二名の様子にドン引きし。
しかし、ドン引きしながらも流石に看過できない事態を前に思わずその場に立ち上がり。
怒りか恐怖か驚愕からか、わなわなと震える指を始皇帝へと向け、大声で叫んだ。


「お、お前、人間! ハデス様を愛人などと、不敬にもほどがッ……!」

「騒がしいぞ、愚か者」


室内の温度を根こそぎ奪うかのような冷たさの声が聞こえ。
ヒエッ、と肝が冷える思いでアレスは言葉をとぎらせ。
聞こえてきた声へと一番反応したのは始皇帝だった。


「好!! ようやく来たかハデス!」

歓喜の声と共に長椅子から一気に飛び上がるように移動し。
ハデスの前へと来た始皇帝は、随分と待たせてきた神を見上げた。
そのまま、他者の目もはばからずにイチャつこうとする空気を前に。
アレスは意を決してハデスへと進言をした。


「お待ちください、ハデス様! その人間は事もあろうにハデス様の事を――!!」
「不好。少し煩いぞデカイの」

元気なのは良い事だが、無作法にも甘い空気の邪魔をするとは何事か。
まったく何をそこまで騒ぐのかと言わんばかりに始皇帝は不思議そうにし。
だからこそ賑やかで退屈はしないのだがと神々に対して不敬にも思う。

人間に言葉を遮られたアレスは怒りのあまり二の句を継げられず。
一連の出来事を眺めていたヘルメスは密やかに噴き出して笑い。
身内ともいえるギリシャ神達の様子にハデスはため息を吐き。
諸悪の根源であろう始皇帝へと問いかけた。


「余が来るまでに、何をやらかした?」
「朕は問われたので教えてあげただけだぞ?」


常に飄々とした物言いは素か演技か。
全くもって何をやらかしたことかと冥界の王が思う中。
ニッと笑みを浮かべた始皇帝は神へと向かって答えた。



「其方の事を――『〈我が〉愛しき旦那様』だと」



難解言語
『愛人』は愛人ではない。


end
(2022/01/19)
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