萌語り

◆重ね書き
(切鏡)

消えかける作品、又は、一度消えた作品をもう一度甦らせる為に描く鏡斎とか。
そっくり同じで蘇るか、外見性格は前と同じでも記憶だけは引き継がない真新しい作品として生まれるのかでだいぶ違う結果になるが、仮にそっくり同じで蘇ったら。
何日も不眠不休の状態で元の状態に戻したのをおくびにも出さず。
消滅させるのが嫌だった、ただそれだけの理由で描き上げたとしても。
本人を前に若干突き放し気味に、まだ組に必要な妖怪だからと平然と言ったり。
助けられた作品にしてみれば、所詮は便利な駒として利用価値があったからかと擦れ気味に考え。
それでもまだ、必要とされて消されなかっただけましかと頭の片隅で思ったり。


そして、その後。
そこまでして世に残したかった作品の事を綺麗に忘れる鏡斎。
描きすぎて忘れた訳ではなく、鏖地蔵の洗脳で忘れさせられたり。
忘れさせられた原因、特別扱いをし過ぎたから。
思い入れが強すぎて消えかけでもかまわず直したのが不味かった。
畏れの奪い合いで敗れた噺の修復は不必要だと結論付けられて、二度とないようにと記憶ごと消される。

一方で切裂は、そんな事をしらずに前と違って細道の外に出れない事に違和感を覚えながら過ごす。
欠けた刃先は戻ることは無く。
前までは稀にでも会いに来た鏡斎は来ず、会いにも行けず。
細道に入ってきた娘の顔を狩りながら、何故かと疑問が募る。
作品の様子を見回りに来た柳田を捕まえて事情を聞くまで、鏡斎が自分の事を忘れてるとは考えた事もなかったり。
鏡斎の方は、圓潮が青蛙亭で切裂とおりゃんせの噺を語るのを聞き、その噺を気に入り。
描きたいと言うが、もういる妖怪の噺だと言われて描けずじまい。
引っかかるものがあるが、産むまでもなく自然に生まれた妖怪を組に取り込むこともあるので、そんな事もあるかと思う。
一生自分が描いた切裂の事を忘れているか、思い出すかでだいぶ違う話になる、そんな擦れ違い話が好きだ。


勿論、外見性格が同じで記憶がない真新しい作品として戻ってきてもいいと思う。
全く同じでも記憶のない相手を再度愛せるかの問題。
前の時もこうだったと重ねるか、性格は同じでも生きた歳月が形成したちょっとした違いに、あぁ、やっぱり違うなと思うか。
自分とは違う作品を重ねられる切裂としては不満しかない。
違う作品を思い出させる暇を与えてたまるかとばかりに余計に残虐になったり。
重ねられる作品は自分自身でも記憶がなければ他人も同然。
一度消される前の自分だったと知ってもどうしようもない、そんな擦れ違い。


(2013/01/14)
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