圓鏡

「これはまた、見事な行き倒れだネェ?」


唯一まだ使えそうな筆を片手に畳に突っ伏す人物を眺め、圓潮は率直な感想を零した。

最後の一滴まで使い切った硯。
毛先が抜け落ちボロボロになった筆の山。
出来不出来の判別がつかないほどに散らばる和紙。

よくぞ此処まで、と言いたくなるほど人としての生活感が見当たらない作業部屋へと踏み入った。


「生きてるかい?鏡斎」

近付き、倒れている人物の肩を揺らせば、わずかだが反応があった。
暫く待てば意識はあったらしく、のろりと顔をあげてきた。



「……圓潮か」
「何か欲しいものはあるかい」
「新しい紙と墨くれ」
「その前に飯だろう」


己の腹の虫が鳴く音さえ気づかないのかと、一人暮らしがとことんできない人物の頭を扇で叩いた。



「まったく、今回はどれぐらいぶっ通しだったんだい?」
「覚えてねぇ」

溜まりに溜まった不足分を補うように店屋物を食べる鏡斎。
返答すら惜しむように食べ続けるさまを眺め、追加の出前も必要かと圓潮は考えた。


「食事ぐらい普通なら腹が空けば手を止めてとるものだろうに」

もっとも、その感覚も一端絵に集中してしまえば無意味かと呟いた。


「いっその事、食事も描いて出せば一石二鳥になるのにネェ」



止まりそうのない手に、ふと問いかけられた言葉。
息つく暇もなく食べ続けていた手を止め、鏡斎は圓潮を見た。


「――出来ると思うのか?」
「無理だろうネ。お前さんの能力は生きてないモノには向いてないよ」
「……知ってるなら初めから言うなよ」


また店屋物を掻っ込み始める鏡斎に、冗談だよと圓潮は笑った。



「何の用だったんだ?」

丼を重ねること五杯目、ようやく一息ついた後の言葉は単刀直入だった。
とりあえず、頬に米粒を付けたまま言われる言葉でない事だけは確かだった。


「口のまわりぐらい拭いなさい、鏡斎」


話は逃げないのだからと呆れながら圓潮は注意した。
手の甲でぞんざいに口を拭い、ついた米粒を始末するのを眺めてから話を切り出した。



「最近、と言ってもお前さんの感覚は怪しいからネェ……柳田が最後に来た時期は覚えてるかい?」
「……何日前だ?」
「数か月前だよ。まあ、柳田も噺集めに少し遠方に行って暫く経った後ぐらいだ、あたしも柳田も流してない怪談が流行り出してネェ」
「どんな怪談だ」
「お前さんには話してあった怪談で、ちょうど……」

視線を外し、畳にあった紙を一枚拾い上げて鏡斎に見せながら圓潮は続けた。


「ああ、ちょうどこの絵の妖怪だ」
「…………」
「この絵の妖怪の噺が流行り出した原因を探りたくてネ。お前さんの所に確認をしに来たんだよ」


紙を片手に相手の顔を正面から見る圓潮の目は笑ってはいなかった。


「……心配するな圓潮。それは完成してる絵だ」
「そうかい、それは良かったよ。お前さんの本意でないものが逃げ出したのかと思ってネェ。
 あたし達の噺か、自然の産物か、他の組のものか、随分と判断しかねてたよ。しかし、お前さんの所から逃げ出したのが合っていたのは確かだったから、今から捕まえないといけないね。
 流行り廃りも気を遣わないと人間てのはすぐに飽きちまうもんだ。舞台にいない役者ほど滑稽なものはないからネェ。今のところは噺を元にした場所に行ってるようだが、少しでも外れると華がなくなる。
 そうなる前に、きちんと噺を完成させないとネ」


ずっしりと空気を重くする言霊とひしひしと伝わってくる感情。

要約すると、産んだ妖怪を逃がして余計な手間をかけさせるなと説教しに来たらしい。
滾々と言葉が紡がれる中、居住まい正し、ただ聞き続けるしかなかった。


迷惑かけた
「……わるかった、圓潮」


end
(2013/04/01)
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