柳鏡

白一色の上に墨を置いていく。
筆と紙が擦れる音が耳に届く中、鏡斎はただ目の前の絵にだけ集中していた。
荒れた庭からする虫の音も、時折風に揺れる灯りも邪魔なものとさえ認識していなかった。

最後に書き入れた場所からそっと筆を離すと、絵は紙から抜け出してきた。


嫣然と微笑みかけてくる作品。
生を享けたばかりの作品はゆっくりと手を差し伸べてきた。

息がかかりそうなほどの距離まで近づき、頬へと触れてくる作品。
耳元で微かな鈴の音が聞こえてきたところで、鏡斎は無造作に筆を振るった。


べったりと紙一面に無粋に塗られた墨は、元の絵を壊した。


視線を戻せば、先ほどまで嫣然と微笑んでいた作品はもういない。


「随分と可愛いことをするね、鏡斎」
「……いたのかよ、柳田サン」
「酷い言い方だね」

何が可笑しいのかクスクスと笑いを零す柳田。
足を崩しながら柳田へと向き直る鏡斎は、露骨に嫌な顔をした。



「ボクの姿をした作品で、何をしようとしたの哉?」
「柳田サンの顔を忘れそうだったから思い出しついでに描いてただけだ」
「それにしては随分と元の絵が判別できない絵があるね」


出来がいまいちだった物が破棄されるのは珍しくない。
けれど、必要以上に故意に墨を塗られているものは珍しい。
目を細めながら口元に笑みを絶やさない柳田は、さも可笑しそうに訊いた。


「ボクがいなくて寂しかったの哉」
「あんたさぁ……自意識過剰すぎだろ」
「鏡斎がそう言うなら、そう言う事にしておくよ」


含むように言う柳田。
鏡斎は僅かに顔をしかめたが、それ以上は何も言おうとはしなかった。



手慰み
深い意味なんてなかった。


end
(2011/11/24)
2/11ページ