かむあぶ

これは喜ぶべきなのだろうかと、持て余した手で宙を掻きながら考えてしまった。

「……阿伏兎……何してるの?」
「見て分かりませんかねぇ。あんたに抱きついているんですが?」

それは分かる、けれど何かがおかしい。
こんな事は普段ではありえない。
別段喜ばれるような事をしたわけでもなく、仕事や面倒ごとを押し付け、まだ言ってはいないが他師団の団員を少し殺してしまった。
この状況は、都合のいい夢でも見ているのかと思い頬を抓れば、痛かった。

「団長、自分の頬を抓ってどうしたんですか?」
「……何でもないよ、阿伏兎。少し、現実かどうか確かめただけだから」
「変な事を言うもんですねぇ」

未だに夢ではないかと言うものが付き纏うが、それでも今の状況は嬉しかった。
常日頃、素っ気無い阿伏兎が自分から抱きついている事が、怖いほどに嬉しい。
(身長差があるため、どちらかと言えば抱きしめられていると表現した方が早いかもしれないが)

天変地異の前触れではないかと本気で考えてしまった。
夢ではないだろうかと、もう一度考えれば、先程の痛さは本物だったと思い出し、やはり現実だと思った。

宙を掻いていた手で抱きしめ返せば、擦り寄ってくる。
本当にどうしたのだろうかと思うほど素直すぎて逆に怖い。

けれど、いつもと違い阿伏兎が不機嫌そうではなかった。
眉間のしわが刻まれていない。
いつも可愛いが、今は特に、押し倒したくなるほどに可愛らしかった。

理性を試しているのかと思うほどに……

むしろ、理性と言う薄っぺらなものなど今にも失いそうだった。
遠くから聞こえる足音を無視して襲ってもいいのかと思った。


「団長! 第八師団より呼び出しがありました!!」


大音量で叫ばれた声は、阿伏兎のものではなく、部下のものだった。

大音量の声が叫ばれる前に、阿伏兎はスッと腕からすり抜け、書類の積まれた机へと足を向けていた。
そして、部屋に入ってきた部下に平然と一瞥をし、何事もなかったかの様にカリカリと書類にペンを走らせている。
呆気にとられ、やっぱり今までのは夢だったのだろうかと思っていると、大音量で叫んだ部下が今度はオズオズと訊ねてきた。

「あのッ……団「今行く」

抱きしめていた腕にはまだ温もりがあったが、普段と変わらない阿伏兎を見ていると狐につままれた気分だった。

「行ってくるね、阿伏兎」
「はいはい、お気をつけて」


返事はしてくれるが顔は向けてこない。
先程までの様子は何処へ行ったのかと思うほど普段通りだった。
ため息をつきながら立ち上がり、くだらない用件だったら半殺しにしようかなと思いつつ部屋を出た。


後ろで阿伏兎が苦笑していたのを知らずに。



たまには良い
「たまにはいいもんだねぇ。団長に甘えるってのも」


end
(2010/06/13)
矢吹様リク『かむあぶ、珍しくデレデレの阿伏兎』
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