かむあぶ

「美味そうな匂いがするなぁ!」
「何か用ですかねぇ、勾狼の旦那?」
「いやぁ、あんたからやけに美味そうな匂いがするもんでな!」

馴れ馴れしく近づき、人の顔に鼻を近づけ匂いを嗅ぐ様は、失礼ながらその顔も相まって獣そのものだと思った。

「あー、うちの団長が食べてた物の匂いでも移ってましたかねぇ」
「あんたが、兎だからだと思うがねぇ?」
「部族のことを言われても困りますぜ、勾狼の旦那」
「いやいや、あんたが特別に美味そうな匂いを漂わせるもんで、こっちは刺激されっぱなしだ」
「それはそれは大変ですねぇ、発情期ですかい?」

冷静に対応しながら、鬱陶しい相手に捕まったものだと思った。
血走った片目で見られても、寒気しかしないと言うのに、相手はやけにしつこく鼻息荒く顔を近づけてくる。
はっきり言って、迷惑以外の何ものでもなかった。

さて、どうするかと考えていると、視界に見慣れたものをとらえ、どうやら考えなくても済みそうな展開になりそうだと、
盛っている獣の生臭い息に耐えながら思った。


「勾狼団長、やけに楽しそうだね?」
「ん……神威団長か! いやぁ、奇遇だなあ!」
「奇遇も何も、俺は阿伏兎を呼びに来たんだから、そっちが阿伏兎に近づいてる限り会うのは必然だろ?」

大声で取り繕う相手を、邪魔だとばかりに見据えた神威は、すぐに視線を外し阿伏兎を見た。

「行くよ、阿伏兎」
「なっ、おい神威団長よぉ! まだ俺はそこのに話がッ」
「勾狼団長、まだ何か用があったの?」

ニッコリと笑いかけながら、その目だけは鋭く相手をとらえた。

「いっ……いや、何でもない!」

さすがに勘だけは鋭い獣は、殺気を嗅ぎ取り、速やかに一歩退いた。
そんな相手を一瞥し、神威は阿伏兎を連れ歩き出した。


「阿伏兎、悪い虫は近づけないようにしようね。俺の気分が悪くなる」

だいぶ勾狼から離れた所で、隣を歩く阿伏兎へと神威は静かに言い放った。

「すみませんねぇ、まさか他師団長相手に、無礼を働く訳にもいきませんので」
「盛った獣相手に、気遣いなんていらないだろ」

怒気を籠めながら返す神威に、迷惑な獣のせいで、こっちまでとばっちりを食うのかと阿伏兎は顔を顰めた。

「此方の立場も考えて頂きたいものですねぇ。向こうさんは仮にも団長格、此方はしがない団員ですぜ?」
「へー、じゃあ俺が来なかったらどうするつもりだったの?」
「それは、丁重にお断りしましたよ」
「丁重に、ね……じゃあ次からは、あの獣がとち狂わないように印でも付けとこうか? 阿伏兎が俺のだって言うのを、あのバカな獣にわかるぐらい、たっぷりと」

物騒な目で見てくる神威に、口元を引きつらせながら阿伏兎は、その言葉ができれば冗談であってくれと願った。



鼻の利かない獣対策
……全部あのバカ犬のせいだ、コンチクショー


end
(2010/06/03)
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