断片話

◆知らない日常 


「じゃあ、前の俺なら名前を呼んでもよかったの?」
「ああ、前のあんたにならな」

諦めの混じった口調で、相手は視線を外しながら言ってきた。
何も知らない此方が悪いとでも言いたげに投げられた言葉が、不愉快だった。

「今の俺じゃ嫌?」
「さっさと春雨に戻れ、団長様」

取り付く島もないほど淡々と言い放った相手は、傘で視界を遮ってきた。
そのまま歩き出す相手を、名前を呼んで呼び止めたかったのに、言葉が出なかった。

「俺は戻れと言ったはずだが?」
「硬いこと言うなよ」
「いや、まったく硬くないからね、割と重要な事だからね」

聞いてんのかコンチクショーと愚痴る相手の横を陣取り。
暫く歩けば、眼前に今まで求めてやまない光景が広がってきた。

「……あんた、今戦いたいとか思ってないか?」
「何か悪い事でもある?」

ニコニコと笑いながら相手を見れば、苦虫を噛み潰したような顔をされた。

「これは俺の仕事だ」
「仕事は早く終わらせても困らないだろ。邪魔するなら、殺しちゃうぞ」
「あーあ、また始まっちゃったよ、団長の悪い癖」
「心配しなくても早めに終わらせるよ」
「いや、今回は出来るだけ隠密に終わらせたいんですがねぇ」
「じゃあ、隠密にするよ」
「いやいや、あんたの顔を相手に見られるだけで十分に大事になる」
「それって、この距離で言ってもしかたがない事だと思わない、阿伏兎?」

顔に手を当て一頻り嘆いていた阿伏兎は、いつもの様に呆れ混じりの苦笑を浮かべた。
ただ、次の瞬間には、顔を歪め口元をきつく結んでいた。

「阿伏兎?」
「名前で呼ぶな、団長様」

軽口を叩けたのは一時だけ。
記憶にないくせにいつも通りだと思った会話は、目の前の相手からの拒絶で終わった。


(2013/09/02)
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