断片話

◆知らない名前


頭を占めるのは白兵戦が出来ない不満。
それと同じぐらい思うのは、元副団長の事。
書類に追われる部下。山積みの書類がある机。
どこかが足りない気がする日常。
けれど、記憶にある限り何も変わっていないはずだった。

「こんな所で何してるの、元副団長さん」
「これはこれは、元上司様。何と言われましても見ての通りですよ」

荒地を一人歩いていた人物は、やっぱり始めに見た時と同じく冴えなくてくたびれたままだった。

「それで? 元上司様がこんな所にいる理由は何ですかねぇ」
「理由? ……ああ、何でだっけ?」

探るような視線を向け質問をしてくる相手を見返しながら、何で自分が此処に来たのか答えが出なかった。

「悪いが、いくら元上司様の気まぐれでも、こっちには用はないんでね」
「待ってよ、そんなに急いでこの先に何があるの?もしかして白兵戦?」
「此処から先は仕事でね。出来れば引っ掻き回してくれるな」
「ずるいなぁ、阿伏兎は。そうやって一人で楽しむ積り?」
「…………」
「あり?」

自分の口から出た名前に首を傾げる。
自然と出てきた名前はやけに言いなれた気がしたが、記憶にはない名前だった。
それでも、目の前に立っている人物は驚いたような顔をしていた。

「阿伏兎?」

問うようにもう一度言いなれた気がする名前を呼べば、相手は僅かに反応した。

「ふーん、元副団長さんは阿伏兎って名前だったんだ」

疑問が一つ解決したと笑えば、ギュッと眉間にシワを寄せて相手は背を向けて歩き始めた。

「待ってよ、阿伏兎。急に人を無視するなんて酷いだろ?」

知りたての名前で呼びかけながら後に続いた。
距離が開かないよう早歩きで進みながら呼びかけ続けても、相手が振り返ってはこなかった。

「ねー、阿伏「名前で呼ぶな」

何回目かの呼びかけでようやく立ち止まって振り返ってきた相手。
睨むような目のくせに、言葉だけは淡々と告げてきた。

「どうして?」

ようやく分かった名前なのに、と納得がいかないまま問い返すと、相手は少しだけ顔を歪ませて答えてきた。

「今のあんたには呼ばれたくないからだ」


(2011/07/17)
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