死に損ないの献身
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時は遡り、女がグランドに所属する数日前。
ほぐし快館を閉め、道に出た李の前に女が徐に立ち塞がる。
「お、」
まっすぐこちらを見る女と目が合う。意志の強そうな眼差しがこちらを射返す。往来の真ん中で目線を交わす男女が一組。世界から切り離されたように一瞬二人だけの空気になる。
「李さん、だよね」
「……なんやお前」
知らない女に名前を呼ばれた事に訝しむ。店にこんな客がいたか脳内で探すが、もしかすると自分の客ではないのかもしれない。
「流石に覚えてないか……あの時は解放してくれてありがとう、李さん」
解放、の言葉にふとマコトに手を握られたあの場所が浮かぶ。
「……お前、あん時逃げてった女か」
「そう、あの子は今どこ?」
早急に切り出す女に李は言葉を返す。
「今更何のようや?」
女の表情は先程より眉が下がり強気な態度はなりを潜めた。
「今更なのは分かってる、けど私は———」
「悪いけど、あんまりマコトの近く彷徨くなや。思い出させたないねん」
言葉を遮り拒絶の意を表す。が、女の顔は想像よりも明るかった。
「そう、あの子マコトって言うのね……」
女の溢した一言に顔が引き攣るのを感じる。
「また来るわ…あの時は本当にありがとう、李さん!」
そう言い残し振り返り走り去っていく女。止める間もなく去っていく背中に自分の失態を悔いる李であった。
その後、女は現れた。営業中のほぐし快館に堂々と入ってくる女。偶々李とマコトだけが揃っている今日を目掛けてやってきたようだ。マコトの前で声を荒げるわけにもいかず李がまごまごしていると、
「安心して、ただの客よ」
女はそう言い、受付の前で受付表を書き終えマコトを指名する。
「店長の方が上手いと思いますが…私でよければ」
白杖を手に、目が見えないながらも目線を合わせようとこちらを向くマコトに女は答える。
「寧ろ貴方がいいんです、お願いします」
前のあの態度は何だったのかと言わんばかりの顔をする李を尻目に、体ごとマコトの方を向き全身全霊でマコトに対し感情を露わにする女。
「……」
どこか上の空になるマコトに違和感を覚え、何かあったのか李が尋ねる。
「……いえ、何処かで聞いたような声をしている方なので……あ、すみません!ぼーっとしちゃって!すぐに施術に入りますね!」
そう言い女をベッドへ案内し、タオルなど準備を手探りでし始めるマコト。二人きりにするわけにはいかずついてきた李と女がそんなマコトの言葉に思わず顔を見合わせる。
「お前、あんま余計な事喋んなや」
「まだ何も言ってないでしょ」
なんて言い合いをしているうちに準備が終わったのかマコトが声をかける。
「あの、女性は着衣を着替えて貰うので店長、すみませんが……」
「おお、分かっとる」
ベット側に女を一人残しマコトがカーテンを閉めそのまま出ていく二人。カーテン越しに二人が受付へ戻って行ったのを感じ、ベッドに置かれた服に着替え始める女。
一方受付では二人が会話を交わしていた。
「あの方、店長のお知り合いの方ですか?なんだか親しげでしたね」
「あ、やぁ……別に知り合いちゃうわ」
そうなんですか?そんな風には聞こえませんでしたけど、と微笑ましげに李がいるであろう方向に顔を向けるマコト。何か物言いたげな顔をしている李はしかし、目の見えないマコトには通じず、一人落ち着かない気持ちになるのだった。
暫く経ち女の様子を伺いにカーテンに仕切られた空間に向かうマコト。
「どうですか?着替え終わりましたか?」
「はい、どうぞ入ってください」
客の承諾を貰い、開けますね、の一言をつけカーテンを開け中に入るマコト。様子を見に李も後を追ってきた。
「あの、整体初めてで…どうしたらいいですか?」
ではまず、背中から解しましょう、とうつ伏せで寝る事を勧める。女がうつ伏せになり、
「なりました」
と声をかけると、その背中にタオルがかけられゆっくりと背中を摩る感触がする。
「このまま施術に入りますねー」
と、マコトの声を聞きはーい、なんて軽々しく返事を返す女。
「痛かったりしたら言ってくださいね」
その言葉の後、背中を全体的に摩り温めた後背筋の圧迫に移る、その後背骨から筋肉を引き剥がす為親指で外に向かって剥がす動きを腰骨まで左右どちらも進めていると徐にマコトが口を開く。
「店長と仲がいいんですね、もしかしてお知り合いですか?」
先程受付で話した内容だった。李が否定したのを本人に確認するとは。部屋の隅に座って聞いていたが、呆れた顔をした李が再度否定しようとすると、
「ええ、過去の恩人なんです!」
そうなんですか!どんな事があったんですか?なんて会話が繋がってしまった。李が止める間もなく女は喋り続ける。
「私、誘拐された事があるんです。それで暗い汚い部屋に閉じ込められて……でもその部屋の鍵を開けてくれたのが李さんだったんです。私はそれで救われたんです。けど……」
言葉に詰まる女。突然のカミングアウトにマコトも話始める。
「……偶然ですね、私も同じ様な経験があります。私はその場から動けなくて、李さんに助けてもらってそのままお世話になって……」
マッサージを続けながら次第に空気が重くなっていく。女が、
「ごめんなさいね、こんな重い話なんかして。……でも貴方に聞いてもらいたいの」
女が何を言おうとしているかを察し、思わず座っていた丸椅子から立ち上がり咄嗟に止めに入ろうとする李。
「おい、お前———」
「李さん」
マコトが遮る。大丈夫ですから、と続ける。
「私、貴女の声どこかで聞いた事あると思っていたんです。私の思った通りなら、あの場所で貴女は私にずっと話しかけてくれてましたか……?」
思わず体を捩りマコトの顔を窺ってしまう女。体制が変わったのが手で伝わったのか、マッサージを一旦やめるマコト。中途半端な中腰で固まる李。二人の様子を見えないマコトはそのまま話を続ける。
「私は泣いてばかりで……返事も出来ませんでした、でも今なら返せる。その言葉遣い、その声、暗闇の中で何度も話しかけてくる声に似ているんです」
女は思わず下を向く。目に光るものを隠す様に。マコトは優しくその背中を撫でる。今までの重みを溶かす様に、凝りをほぐす様に。
「私はその時にはもう目が見えなくなってたけど、貴女には感謝しています。あの暗闇で、小さな希望でした」
マコトの声があの暗闇の日々に重なる。冷たい床、鼻をつく黴の匂い、隣で震えていた肩。よく泣くマコトの肩を抱いて寄り合って寝た事もある。その日、ドアが開けられ明るく差し込む光に私は一目散に飛びついてしまった。その娘は目が見えないことを知っているのに。李が動かないマコトに手を握られていたのも知ってる。出た後に気になって振り返ったから。李のマコトを助ける役割を本当は私がするべきだったのに———本当に、今更ごめんね。溢れる思いに胸が詰まって肝心な言葉が出てこない。女はついにベッドに顔を埋めてさめざめと泣き出した。マコトは女の背中を慰めるように撫で女が泣き止むまで側に居続けた。時が過ぎ、温かい手の温もりと泣き疲れたのか、いつの間にか寝ていた女は飛び起きる。側には誰もおらずカーテンが閉められている。
「ごめんなさい!時間過ぎちゃって……」
女は着替えて受付に戻ると李とマコトがいた。
「よっぽど疲れてたんですね、ぐっすり寝てたので店長がそのままにしとけって」
「よお寝れたか」
「はい、マッサージありがとう……それと、ごめんね」
え?と溢すマコト。李が顰めっ面をする。
「ううん、なんでもない。気にしないで」
お会計を済ませ少し軽くなった心と身体で店を出るのだった。
ほぐし快館を閉め、道に出た李の前に女が徐に立ち塞がる。
「お、」
まっすぐこちらを見る女と目が合う。意志の強そうな眼差しがこちらを射返す。往来の真ん中で目線を交わす男女が一組。世界から切り離されたように一瞬二人だけの空気になる。
「李さん、だよね」
「……なんやお前」
知らない女に名前を呼ばれた事に訝しむ。店にこんな客がいたか脳内で探すが、もしかすると自分の客ではないのかもしれない。
「流石に覚えてないか……あの時は解放してくれてありがとう、李さん」
解放、の言葉にふとマコトに手を握られたあの場所が浮かぶ。
「……お前、あん時逃げてった女か」
「そう、あの子は今どこ?」
早急に切り出す女に李は言葉を返す。
「今更何のようや?」
女の表情は先程より眉が下がり強気な態度はなりを潜めた。
「今更なのは分かってる、けど私は———」
「悪いけど、あんまりマコトの近く彷徨くなや。思い出させたないねん」
言葉を遮り拒絶の意を表す。が、女の顔は想像よりも明るかった。
「そう、あの子マコトって言うのね……」
女の溢した一言に顔が引き攣るのを感じる。
「また来るわ…あの時は本当にありがとう、李さん!」
そう言い残し振り返り走り去っていく女。止める間もなく去っていく背中に自分の失態を悔いる李であった。
その後、女は現れた。営業中のほぐし快館に堂々と入ってくる女。偶々李とマコトだけが揃っている今日を目掛けてやってきたようだ。マコトの前で声を荒げるわけにもいかず李がまごまごしていると、
「安心して、ただの客よ」
女はそう言い、受付の前で受付表を書き終えマコトを指名する。
「店長の方が上手いと思いますが…私でよければ」
白杖を手に、目が見えないながらも目線を合わせようとこちらを向くマコトに女は答える。
「寧ろ貴方がいいんです、お願いします」
前のあの態度は何だったのかと言わんばかりの顔をする李を尻目に、体ごとマコトの方を向き全身全霊でマコトに対し感情を露わにする女。
「……」
どこか上の空になるマコトに違和感を覚え、何かあったのか李が尋ねる。
「……いえ、何処かで聞いたような声をしている方なので……あ、すみません!ぼーっとしちゃって!すぐに施術に入りますね!」
そう言い女をベッドへ案内し、タオルなど準備を手探りでし始めるマコト。二人きりにするわけにはいかずついてきた李と女がそんなマコトの言葉に思わず顔を見合わせる。
「お前、あんま余計な事喋んなや」
「まだ何も言ってないでしょ」
なんて言い合いをしているうちに準備が終わったのかマコトが声をかける。
「あの、女性は着衣を着替えて貰うので店長、すみませんが……」
「おお、分かっとる」
ベット側に女を一人残しマコトがカーテンを閉めそのまま出ていく二人。カーテン越しに二人が受付へ戻って行ったのを感じ、ベッドに置かれた服に着替え始める女。
一方受付では二人が会話を交わしていた。
「あの方、店長のお知り合いの方ですか?なんだか親しげでしたね」
「あ、やぁ……別に知り合いちゃうわ」
そうなんですか?そんな風には聞こえませんでしたけど、と微笑ましげに李がいるであろう方向に顔を向けるマコト。何か物言いたげな顔をしている李はしかし、目の見えないマコトには通じず、一人落ち着かない気持ちになるのだった。
暫く経ち女の様子を伺いにカーテンに仕切られた空間に向かうマコト。
「どうですか?着替え終わりましたか?」
「はい、どうぞ入ってください」
客の承諾を貰い、開けますね、の一言をつけカーテンを開け中に入るマコト。様子を見に李も後を追ってきた。
「あの、整体初めてで…どうしたらいいですか?」
ではまず、背中から解しましょう、とうつ伏せで寝る事を勧める。女がうつ伏せになり、
「なりました」
と声をかけると、その背中にタオルがかけられゆっくりと背中を摩る感触がする。
「このまま施術に入りますねー」
と、マコトの声を聞きはーい、なんて軽々しく返事を返す女。
「痛かったりしたら言ってくださいね」
その言葉の後、背中を全体的に摩り温めた後背筋の圧迫に移る、その後背骨から筋肉を引き剥がす為親指で外に向かって剥がす動きを腰骨まで左右どちらも進めていると徐にマコトが口を開く。
「店長と仲がいいんですね、もしかしてお知り合いですか?」
先程受付で話した内容だった。李が否定したのを本人に確認するとは。部屋の隅に座って聞いていたが、呆れた顔をした李が再度否定しようとすると、
「ええ、過去の恩人なんです!」
そうなんですか!どんな事があったんですか?なんて会話が繋がってしまった。李が止める間もなく女は喋り続ける。
「私、誘拐された事があるんです。それで暗い汚い部屋に閉じ込められて……でもその部屋の鍵を開けてくれたのが李さんだったんです。私はそれで救われたんです。けど……」
言葉に詰まる女。突然のカミングアウトにマコトも話始める。
「……偶然ですね、私も同じ様な経験があります。私はその場から動けなくて、李さんに助けてもらってそのままお世話になって……」
マッサージを続けながら次第に空気が重くなっていく。女が、
「ごめんなさいね、こんな重い話なんかして。……でも貴方に聞いてもらいたいの」
女が何を言おうとしているかを察し、思わず座っていた丸椅子から立ち上がり咄嗟に止めに入ろうとする李。
「おい、お前———」
「李さん」
マコトが遮る。大丈夫ですから、と続ける。
「私、貴女の声どこかで聞いた事あると思っていたんです。私の思った通りなら、あの場所で貴女は私にずっと話しかけてくれてましたか……?」
思わず体を捩りマコトの顔を窺ってしまう女。体制が変わったのが手で伝わったのか、マッサージを一旦やめるマコト。中途半端な中腰で固まる李。二人の様子を見えないマコトはそのまま話を続ける。
「私は泣いてばかりで……返事も出来ませんでした、でも今なら返せる。その言葉遣い、その声、暗闇の中で何度も話しかけてくる声に似ているんです」
女は思わず下を向く。目に光るものを隠す様に。マコトは優しくその背中を撫でる。今までの重みを溶かす様に、凝りをほぐす様に。
「私はその時にはもう目が見えなくなってたけど、貴女には感謝しています。あの暗闇で、小さな希望でした」
マコトの声があの暗闇の日々に重なる。冷たい床、鼻をつく黴の匂い、隣で震えていた肩。よく泣くマコトの肩を抱いて寄り合って寝た事もある。その日、ドアが開けられ明るく差し込む光に私は一目散に飛びついてしまった。その娘は目が見えないことを知っているのに。李が動かないマコトに手を握られていたのも知ってる。出た後に気になって振り返ったから。李のマコトを助ける役割を本当は私がするべきだったのに———本当に、今更ごめんね。溢れる思いに胸が詰まって肝心な言葉が出てこない。女はついにベッドに顔を埋めてさめざめと泣き出した。マコトは女の背中を慰めるように撫で女が泣き止むまで側に居続けた。時が過ぎ、温かい手の温もりと泣き疲れたのか、いつの間にか寝ていた女は飛び起きる。側には誰もおらずカーテンが閉められている。
「ごめんなさい!時間過ぎちゃって……」
女は着替えて受付に戻ると李とマコトがいた。
「よっぽど疲れてたんですね、ぐっすり寝てたので店長がそのままにしとけって」
「よお寝れたか」
「はい、マッサージありがとう……それと、ごめんね」
え?と溢すマコト。李が顰めっ面をする。
「ううん、なんでもない。気にしないで」
お会計を済ませ少し軽くなった心と身体で店を出るのだった。