呪術廻戦
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
こんな素敵な夜には
「恵君はドライブ好き?」
運転席から問いかけられて、沈みかけた意識が再び水面へと浮き上がってくる。パッとミラーを見ると、微笑んだ顔と目が合った。
任務が終わり眠々子の運転する車に乗り込んでから、沈黙が続いたこの一時間。気を紛らわそうと高速道路の照明灯を無心で数えていたらいつのまにか眠りに落ちそうになっていた自分に気付く。
普段はポーカーフェイスな伏黒も、この時ばかりは予期せぬ問いかけに表情管理が追い付かなかった。驚く伏黒を見て、眠々子は申し訳なさそうに眉を下げた。
「もしかして寝てた?」
「いえ……」
咄嗟に否定をしたものの、眠々子の表情をみる限り伏黒の些細な嘘はばればれのようだった。
伏黒と眠々子。滅多にない——というか多分初めての組み合わせに、ほんの少し居心地の悪さを感じていたのは確かだ。そんな空気を察して眠々子は気を遣って話しかけてくれたのだろう。
「ごめんね、疲れてるのにどうでもいい質問しちゃって」
時刻は午前一時。首都高は昼間と比べ静かなもので、時折追い越し車線を走り抜けていく車のライトが普段以上に眩しく感じられた。
眠々子は先ほどからずっと六十キロをキープして車を走らせている。確かにそれが法定速度だ。しかし周りの流れをみる限り、もう少しくらい出しても良さそうなものだが——慎重なタイプなのか、それとも運転が苦手なのか。特に急ぐ用事もないので伏黒はただシートに身を預けて車窓から東京の街を眺める。
「眠々子さんこそ、疲れてるんじゃないですか。つい先日まで海外にいたって聞きましたけど」
「……い、一応極秘任務だったんだけどなあ。それ誰に聞いたの?」
「五条先生です」
「だよねー……」
苦笑いをする眠々子の顔に疲れの色が滲んだ。名前だけで相手にダメージを与えるなんてやはり呪術界最強の男。後輩である眠々子に普段どういう風に接しているのかが容易に想像できて同情してしまう。
「だいたい、なんで眠々子さんが送迎を……」
そう言ってみれば「あー」という曖昧な反応が返ってきて、眠々子の目線が一度右上へと移る。
眠々子は、七海や京都校三年の東堂と同じ一級呪術師だ。一級といえば呪術界をけん引していく存在であり、高専生の任務の送迎だけに駆り出されていいような存在ではない。
「いやあ、なんか恵君が心配になって……」
「俺が? なんですかそれ」
「あ、いや、こっちの話」
呪術高専の後輩として、卒業後はいち呪術師として、長年五条と公私ともに関わってきたであろう眠々子。五条関係できっと何かトラウマがあるのだろうと考え、伏黒は一人納得した。例えば、呪霊の等級を偽って任務を任されて死にかけただとか、鍛錬に付き合わされて死にかけたりだとか。五条と言う男は最強であるが故に、他人に求めるもののレベルが若干ズレているところがある。自分を基準に考えるから、誰にでも無茶ぶりをする。呪霊との戦闘においても当然自分を基準に考えるので、こちらとしては手に余る任務を言い渡されることもある。もしかしてこのまま殺されるのではないか。そう思ったことは一度や二度ではない。
眠々子も同じようなことを思い出しているのか、五条の名前を口にしてから表情が死んでいる。本当にトラウマを刺激してしまったようで、悪いことをしてしまったと反省する。
再び訪れた沈黙。それを埋めるように、先刻の質問を繰り返す。
「ドライブ、ですか……」
話の戻し方が無理矢理すぎただろうか。きまずいと思っていることが伝わってしまったのでは、と眠々子の表情を盗み見る。伏黒の心配をよそに、眠々子は満足げに頷いた。伏黒はほっと胸を撫で下ろす。
「そうそう、真夜中のドライブ。好き?」
まだ免許は持っていない。だからドライブするとなると、必然的に誰かと一緒に車に乗ることになる。
「……人によりますかね」
今の伏黒が出来得る最善の答えだった。我ながら素っ気ないなとは思ったが、あいにく疲れた頭では瞬時に他の回答は浮かばなかった。
呪術師として色々な場所へ行く必要がある分、東京暮らしの高校生としては車に乗る機会は多いほうだと思う。
伊地知と一緒の時は仕事と言う感じがして気が引き締まるし、新田と一緒の時はポンポンと話を振ってくれるものだから、気負いすぎず楽だし賑やかな移動になる。……まあ、最近は虎杖や釘崎がいるのでどんなときでも騒がしいのだが。そうすると、今回一人でいく任務は久々だった。
伏黒の言わんとすることを察したのだろう。眠々子は軽く頷いた。
「そっか、確かに。じゃあ私とのドライブはどう?」
——予想外の質問だ。
悪戯っぽく笑っているのを見る限り、質問の答えなんてものはどうでもよくて、ただ伏黒の反応を見ているのかもしれないなんてことを考える。年上の人間はこういうところがあるから厄介だ。同級生なら軽くかわすか答えないという選択肢もあるのに。ぼろを出して突っ込まれないよう、一切の感情を心の奥にしまい込んで口を開く。
「悪くは……ないですね」
「あっ、答えてくれるんだ」
「……眠々子さん、呪術師のなかでは珍しくまともじゃないですか」
「なんか不本意なんだけど。でもありがとう」
冗談ぽく言って眠々子は笑った。
呪術界の御三家の一つ禅院家の血筋に生を受け、幼い頃から五条悟を筆頭に一癖も二癖もある大人たちと関わってきた伏黒にとって、眠々子は数少ないごく普通の大人だ。
五条の後輩である眠々子のことは、眠々子が高専生だった頃から知っている。とはいえ、頻繁に顔を合わせる機会あったわけではなく、たまに五条の代理だとかでアパートにやってきていた人というような感じだ。
当時まだ小学生だった伏黒が、あの頃の眠々子に対して持っていた印象として覚えていることはといえば、毎度毎度沢山の蠅頭を連れている人だな、とは思っていたことくらいか。初めて見たときはぎょっとしたものだ。「僕のパシ……後輩の眠々子。これからたまに来ると思うから仲良くしてね」そう言って五条に紹介されたとき、自分はいま何を紹介されているんだろう? と思うくらい蠅頭が視界を埋め尽くし、肝心の眠々子の姿は見えなかった。もしも姉の津美紀にも呪霊を視認する能力があったならば、気持ち悪いと泣き出してしまったかもしれない。蠅頭は大した呪霊ではないが、数いるのを見るのは決して気持ちのいいものではない。
あれから約十年経った今でもそれは変わらなくて、やはり眠々子には蠅頭がたくさん憑いている。それでもまだ数が少なく思えるのは、昼間に五条と会っていたからだろうか。五条ほどの呪力にあてられると蠅頭程度の低級呪霊は一溜りもないだろう。
呪いを集めやすい人間は一定数いる。一人の人間が複数の呪いに憑かれていることは特に珍しいことではない。まあそれも眠々子ほどの数になると、見える側の人間からすれば、かなりしんどいものではあるが。
呪術師として胸糞悪いものと出会う機会も多いだろう眠々子が、これだけの蠅頭を連れておきながら今でも悪意に取り込まれず普通に生活できているところが伏黒には不思議でならない。だからあの五条と長年付き合えるのかな、なんてことを考える。呪術師を職業として生きていくためには、繊細すぎるよりは少し鈍感くらいがちょうどいいのだろうか。
眠々子の目の下にはうっすらとくまがある。上司に気を遣ったり、他人の評価を気にしたり、お金のことを考えたり、そんなしがらみを全て捨てて生きていくなんてことは無理な話で。人としてこの世界で生活していく以上、何かに囚われなければ生きていけない。大人というものは大変なのだろうなと思うと、未来は暗いなと気分が沈む。
伏黒の瞳が眠々子ではなく別のものを捉えていることに気がついたのか、眠々子は視線を宙に泳がせた。蠅頭が独特の声で鳴く。正直かなり五月蠅い。伏黒は集中して眠々子の声を拾う。
「でも恵君にそう言われたらなんか安心するよ」
「何でですか?」
「恵君も、私が知ってる呪術関係の人たちの中では凄く常識的な人だから」
「はあ……」
あまり嬉しくないな、というのが正直な気持ちだ。比較対照の中に当然眠々子の先輩である五条も入っているだろうから、途端にその評価が正当なものではないような気になる。
「恵君ってモテるんじゃない?」
なるほど、と伏黒は心の中で思う。どうやら眠々子は伏黒が思っていたよりもコミュニケーションを取るタイプのようだ。
呪霊祓除という鬱屈とした仕事のせいで常に疲れて無表情に見えるが、本来はもっと明るい性格なのかもしれない。気乗りはしない話題だが、答えないのも可愛げがないだろうか。
「別に……普通ですよ」
「彼女は?」
「……いないです」
「そっかぁ、呪術師やってたら忙しいしなかなかそんな暇ないよねぇ」
それは眠々子自身のことなのだろうか。やけに大きなため息だ。もし虎杖ならばここで普通に「眠々子さんは彼氏とかいねーの?」と聞くのだろう。——まあ、俺は聞かないけど、と脳裏に浮かんだ虎杖の顔を隅に追いやった。代わりに以前から気になっていたことを口にする。
「眠々子さんって五条先生と付き合い長いですよね」
「あー、そうだね……。高専時代からだから、もう十年くらいになるかなあ……」
「平気なんですか?」
え? という反応が返ってきて、しまったと思う。出来るだけ自然な感じを装おうとするあまり、かなりざっくりした質問になってしまった。
「何が?」
当然の返しだ。自分から話を振った手前、この話題を続けるしかない。伏黒は頭の中で当たり障りのない言葉を組み立てる。あくまでも自然な感じに、だ。
「いえ、その……あの人、普通じゃないじゃないすか。眠々子さんよく絡まれてるからストレスとか溜まらないのかなと思って。今日もこの送迎、五条先生に押し付けられたんじゃないんですか」
任務に出発する直前、高専の廊下で五条と眠々子が何やら話していたのを見た。声までは聞こえなかったが、遠目でみても分かるほど眠々子は眉をしかめていたし、五条は楽しそうに笑っていた。
同じく五条の後輩である補助監督の伊地知も、いつも五条に無茶ぶりをされて「マジビンタ」だとか「マジしっぺ」だとかパワハラをされている。あの七海でさえ、五条に振り回されるほどだ。眠々子がそれを回避できるとは思えない。
きっと五条に無理やり送迎役を押し付けられてうんざりしているはずだ。移動中ずっとそれが気になっていた。別に伏黒が頼んだわけではないにしても、やはりなんとなく罪悪感があったものだから、眠々子が話しかけてくれたことは伏黒の心を幾分かは軽くしてくれた。
「そんなこと気にしてくれてたの」
ルームミラーに映る眠々子は目を見開いている。
「別に……ただ俺も五条先生にいつも振り回されてるんで、ちょっと気になったというか……まあ、そんな感じです」
少し気まずくなって窓の外へ視線を逃がした。
相変わらず一定の速度で走る車体。いくつもの照明灯が流れるように通りすぎていく。まるで、彗星のようだと思う。
「ドライブ好きかどうかは分からないですけど……綺麗だなとは思いますね」
思いがけず、ぽろりと零れ落ちた。今更ではあるが、ドライブが好きかという質問に対しての素直な返事だった。
「こうしてぼんやり景色を眺めていると、宇宙にいるみたいな気持ちになる時はあります」
以前、パンダの匂いを嗅いだときにおひさまの香りと発言してしまったことで、虎杖や釘崎からはもちろんのこと二年の先輩達からも散々弄られた苦い思い出がある。それからというもの伏黒は以前にもまして慎重に言葉を選ぶように心がけている。
そういうわけで、最初に頭に浮かんだ「空を飛んでいるみたい」という感想は飲み込むことができた。とはいえ、宇宙みたい、というのも詩的すぎただろうか。
「あはは、可愛い感想だね」
眠々子のあっさりとした反応にほっと胸を撫で下ろす。やはり同級生達とは違い大人だ。可愛いというのは解せないが、一つの言葉に対して必要以上に絡んでこないのは有難い。
五条の後輩。それ以外に眠々子のことをほとんど知らないし、特別知りたいと思ったこともない。正直言うと、今日久々に会うまでその存在を忘れていたくらいだ。
それでも何故か眠々子に懐かしさを覚えている自分がいる。この僅かなドライブの間、特別なことなど何も無かったはずなのに。
眠々子の指がハンドルを一定のリズムで叩く。頭の中で歌でも歌っているのか、それとも伏黒のように照明灯でも数えているのか。いずれにせよ心地よいリズムだ。
「……眠々子さんはどうなんですか?」
そんな眠々子の態度が、伏黒の心を、口を、少しだけ開かせた。
眠々子の瞳がルームミラー越しに伏黒を捉えて、直ぐに前方へと視線を戻す。
「私も好きだよ、ドライブ」
だから五条さんに無理やり任されたわけではないよ、と眠々子は続けた。安堵感が伏黒の胸に広がっていく。それを確認するように伏黒に目線を寄越した眠々子と、またミラー越しに目が合って。眠々子は伏黒に優しく笑いかけた。
「真夜中の道路って長距離トラックの電飾がすごく綺麗だし」
眠々子が言うのとほぼ同時に、綺麗を通り越していかついとも言える電飾を施した大型トラックがウインカーも出さずに伏黒と眠々子の乗る車を追い越していく。眠々子はちらりと右側を見遣っただけで、さして気に留める様子もなく言葉を続ける。
「同じ時間を共有して、皆で一緒にドライブしてるような気分になる。なんて言えばいいのかな、こう……心が繋がってるみたいな?」
想像を試みてはみたものの、伏黒にその感覚は理解できなかった。自分でハンドルを握ってみれば分かるものだろうか、と考える。
呪術師というものは普通は見えないものを見て、戦わなければならず、世間の感覚からどんどん離れていってしまう。しかしこうして灯りの中に混ざっていると、なにも知らなかった遠い日の自分を思い出せる気はする。世界の、人間の、明るい部分しか見えていなかった頃。眠々子にもそのような時代があったのだろうか。また右側を目映いライトが追い越していく。
「それに、空を飛んでるような気分にもなる」
街並みを縫うように走る首都高。その両側には高層ビルの灯りがキラキラと輝いていて、本当に星空の中を飛んでいるようだと思う。
都会の空は狭くて星が見えないとよく言うが、これが都会の星空だと言っても良いのではないだろうか。それほどに綺麗な景色だ。
この光の数だけ、呪いがあり、また守らなければならない命がある。無数の光は呪術師としての心の標のようなものなのかもしれない。
「今夜は星が綺麗だからねぇ……」
眠々子が呟く。
そこで伏黒はあることに気が付いた。それとほぼ同時に、また同じトラックが右側を走り抜けていった。
「眠々子さん……あの、」
「だから、私もドライブが好き」
伏黒の問い掛けを遮るような眠々子の声。普段はどちらかというと落ち着いた印象の眠々子の声が、今はやけに弾んでいる。なんだかおかしいな、とルームミラーを見ると、眠々子は真っすぐに前を見て、運転を続けている。スピードメーターの針は今も寸分違わずピタリと六十キロを指している。伏黒はごくりと息を呑む。
「特に、こんな素敵な夜にはね……」
なにかを確認しようと窓の外へ目をやった伏黒の視界の中。ふっと、流れ星が夜空を横切った。燃え尽きた星が、死んだ。
「死にたくなるから」
人間もいつかは同じようにその命の灯火を消す日が来る。伏黒も例外ではないだろう。しかしそれは今日ではない。呪術師として生きていくと決めたのならば、最後の時まで自分の命を諦めてはいけない。
それは眠々子も分かっているのだろう。ハンドルを握る手が僅かに震えていた。まるで、自身の中の暗い念慮を抑え込もうと葛藤しているようだった。
「眠々子さん」
掠れた声で、呼び掛ける。高専まではあとどれくらいだろうか。
眠々子は伏黒を見て微笑んだ。顔が引きつるのが自分でも分かった。
「大丈夫、帰ろうね」
それは「帰ろうね」の顔じゃないだろ——。
にっこり笑う眠々子に心の中でそう返し、ゆっくりと息を吐き出す。
通りで五条と長く付き合えるわけだ。一番まともだと思っていた眠々子は、もしかすると五条と張れるくらいのイカれ具合なのではないかということに気付いてしまった。出来れば知りたくなかった事実だ。
やっぱり呪術師にロクな大人はいない。そう再確認して、何とも言えない絶望感に襲われる。
「おやすみ恵君」
眠々子がそう言って、伏黒はシートに深く座り直し、目を閉じる。
これはもう、伏黒にどうこうできる問題ではない。
今はただ、眠々子の自制心に期待をするほかなかった。