黒子のバスケ
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話すことが煩わしいなら黙ってればいいよ。黙って、ここにいればいい。僕は君の邪魔をしないし、他に誰かが寄ってくることもない。ーーこれ以外に選択肢なんて存在しないだろう?
緩く微笑んだ彼にそう問われて、私は一度、小さく頷いた。
彼の自信に溢れたその言葉のせいで、本当にそれ以外の選択肢は全て私の頭から消え失せてしまって、ただその道しかないのだという気にさせた。
校舎の最上階。一番端の使われていない教室で。
あの時、私は初めて彼と目線を逸らさず会話をした。”した”というよりは”許された”と言ったほうがいいのかもしれない。
「僕と目線を変えずに話すことを許しているのは僕に従う者だけだ」
彼はいつもそう言っていた。
人見知りな私は従うも何も、まず目を合わせられないし……とか思ったけれど、怖いもの見たさにも似た感情で恐る恐る伺った彼の表情。一目見て、そのオッドアイが私の瞼の裏に焼き付いた。
人の目を見るのがすごく苦手だったけど、どういうわけか彼のことだけはじっと見据えることができた。見ていた、というよりは、逆らえない力で惹きつけられていたのかもしれない。
人に従うのは大嫌いな私は、別に彼に従ったという気持ちはなかったけれど、結果的にそういうことだったのだと思う。
「僕が好きだと言ってるんだ」
「……はあ」
「眠々子も僕を好きになるべきだろう?」
「……そういうもんなのかな?」
「当たり前だ」
彼の指先で将棋の歩がぱちん、と音を立てた。
肩膝を椅子の上に立てて、一人で将棋しているのを初めて見たときは思わずつっこみたくなった。しかしズケズケと、友達いないんですか? なんて聞けるはずもないし、だからといって私が相手しましょうか? なんて言うのも出すぎた真似だ、と。
でも一度だけ。一度だけ、彼が一人で将棋してるのがあまりにも不憫になって私で良ければ相手になりますよ、と彼の将棋のお相手として名乗りをあげてみたら、1分以内に終了。出しゃばった上に微塵も楽しませることができなかったなんて、もう打ち首くらいの罰でも下るんじゃないかと内心びくびくしていたら、思いがけず彼は柔らかく微笑んだ。
「弱すぎるな」
「……ご、ごめん」
「いや、いい。逆に楽しめたよ」
弱すぎて逆に楽しかったと。なんかもうほんとうにすみません。お詫びに何か暖かい物でも買ってきますんでどうぞパシって下さい、だなんて思ったけれど、彼が本当に満足そうに笑うから、まあ楽しんでもらえたならそれでいいかと私も何となくそれで納得した。
そんな彼のお気に入りは、紫の髪をしたとても大きい人。彼はその人を「敦」と呼んだ。
いつ見てもお菓子を食べていて、どんなに彼に駄々をこねても怒られない不思議な存在だった。
最初はよく食べるなあと思ってただ見ていただけだったのに、気付いたら何故かあだ名で呼び会うほどに仲良くなっていた。
——人は皆助け合って生きていく。
そんなことを言っていたのは、小学校の時の担任だったか。はたまたお涙頂戴のよくあるテレビドラマだったか。
そんなものは綺麗事だ。優しい人間は損をする。正直者が馬鹿を見る。ここはそんな世界だというのに。
私が彼の近くにいるのは、人付き合いとか助け合いとか、そういう煩わしい事が心底嫌になったからだ。
むっくんとは、これはおいしいとか、これはまずいとかしか喋ってなかった気がするけど、そのくらいの距離感が丁度居心地がよかった。私たちは、他人には心底興味がなかった。
しかし、そんなことを言って他人を突き放してはみても、人は一人では生きていけない。これもまた事実だった。だからこそ、私たちは空気のような存在感で一緒にいてくれる誰かを求めていたのだと思う。
「いい子だね。敦も、眠々子も」
「え?」
不意に彼がそう言った。
このお菓子の甘さがどうのこうのだなんて、他人からしてみたら超どうでもいい会話してた私とむっくん。(私たちにとってはかなり真剣な議題なんだけども)
振り返ると、穏やかな笑みを湛えて私たちを見下ろす彼の姿。いい子だね、なんて乙女ゲーか少女漫画にしか出てこない台詞だと思っていた。そりゃ萌えるかもしれないけど、現実世界でどこの誰がいうんだよってずっと思っていた。言う人いたよ目の前に。てか言われちゃったよ。でも妙な威圧感で実際全く萌えませんでした、と。そして急に何を言ってるんですか。
「赤ちん急になにー?」
私の思ったことそのまんま尋ねてくれたむっくんにナイスフォローのサインを送る。
「大したことじゃない。ただ二人が邪魔にならないから褒めただけだよ」
「邪魔したら怒るっていったの赤ちんじゃん」
「ああ、そうだったかな……」
「あのね、俺怒られるの嫌いだから怒られることはしないのー」
「いい心構えだね」
むっくんって何気にすごいよなあ……純粋だと怖いものなしなんだな、と思いながら私は黙って二人の会話を見守っていた。
そしたら彼は言ったんだ。
「馬鹿は嫌いなんだ」
氷のように冷たい声だった。
少し首を傾けたらさらりと流れる彼の赤い髪が、髪の隙間から覗く刃物のように鋭利な眼差しが、とても綺麗だと思った。左右の瞳を分かつ二つの色は、各々が別の感情を含んでいるように思えた。
そうして彼から離れた今でも、あの赤が、あの瞳が、呆れるほど鮮やかに見えるから。私は人と目を合わすのが、もっともっと苦手になってしまった。
***
「ネネコ?」
そう呼びかけられて、ぱちりと目を開ける。
次第に視界が鮮明になっていくと、隣で机に頭を乗せたまま、まいう棒食べてるむっくんと、私の前に立って顔を覗きこんでる氷室先輩がいた。
「……え、何で氷室先輩がここに?」
「アツシが部活に来ないからどうしてるのかと思って教室まで迎えに来たんだ」
「だって部活行こーって誘いに来たら眠々子ちんが寝てるからー」
「ご、ごめん……」
昨夜はなんだか眠れなくて、結局徹夜で朝を迎えた。気力で一日耐えたのは良かったが、HR終わって皆が出ていった教室で一瞬気抜いてぼーっとしたら、ものすごい睡魔が襲ってきて、そこから先の記憶はない。この状況を見るに、私は自席で爆睡していたようだ。
「二人共寝てるからびっくりしたよ」
いや……でもなぜ私を起こさずにむっくんまで寝る必要があったのか。
「眠々子ちん寝言でお菓子って言うからお腹空いたんだよね」
「ええ! 私、寝言言ってた!?」
「うん、色々言ってたー。で、俺もお腹すいたしー、今日寒いからめんどくさいしー、眠くなっちゃったんだよね~」
いつもの眠そうな顔でむっくんはそう言った。
「ねぇ室ちん、今から部活いくのー?」
「ああ、もちろん」
「はーっ。めんどー」
「こら、アツシ」
「でもほんとのことだし~」
「部室にお菓子がたくさんあるんだ。練習が終わったら敦にあげるよ。だから部活がんばろう、な?」
「しょうがないな~」
「よし、いい子だね」
よしよしとする氷室先輩の手を、振り払うむっくん。……ここにもいたよ、いい子だねって言っちゃう人。しかもこちらも美形ときた。
「やめてよ、室ちん。子供じゃないんだからさ~」
「アツシはまだまだ子供だよ」
「は? 子供じゃねーしっ! それに室ちんと一歳しか変わんないし」
ほら早く行こう、と立ち上がったむっくんの背を叩く氷室先輩。今だ席に座ったままその様子を眺めていたら、氷室先輩は不意に私の方を振り返る。
「ネネコもおいで。飴あるよ」
「……どうもです」
氷室先輩がカーディガンのポケットから取り出した赤い飴。一瞬、視線がそれに集中する。
「ああ、ネネコはチョコのがよかったかな?」
「眠々子ちんいらないなら俺にちょーだい」
「だめ。私がもらった。私が食べる」
「あらら、残念~」
即座に拒否したらむっくんはそれ程気にもしてない風で、自分のまいう棒をまた開けた。
「ネネコとアツシはほんとにお菓子が好きだな」
私とむっくんを見て、柔らかく笑う。先輩のこういう笑顔は、彼に酷似している、と私は思う。むっくんが覚えているかどうかは分からないけれど。
氷室先輩の後をむっくんと二人並んで歩いていたら、突然むっくんが私の服を引っ張った。
「ねぇ眠々子ちん、さっき赤ちんのこと思い出したでしょ~?」
「え、な、何で?」
「ん~、だって俺も思い出したから~。眠々子ちんもかなって」
「………」
「室ちんが赤い飴出したときだよ」
分かってるよね、とでもいう風にむっくんは私を見下ろす。誤魔化すことはできそうにもなくて、私もだよ、と笑った。
「いい子だね、ってさ」
え? と思って慌ててむっくんを見上げたけど、目は合わなくて。
「よく言われたよね~」
その言葉に私は、うん、と頷いた。やっぱりむっくんも覚えていたんだ。
「……懐かしいね」
「んー、そう?」
「だっていっつもあの場所でお菓子食べてたじゃん。お菓子食べてるだけなのに褒められてたよね私たち」
「俺らそんないい子じゃないのにね~」
むっくんの言う通りだ。私もむっくんも、お菓子がもらえるならまあいいか、くらいの気分であの場所にいたのだ。従順とかじゃなくて、人一倍面倒くさがりで、冷めていただけだ。
「それでも、いないと駄目なんだよね」
そういう私たちを気に掛けて、世話焼いてくれる人がいないと駄目なんだって嫌というほど分かっている。一人が好きな寂しがり屋。矛盾した思いを抱えた我儘な私たちは、彼の下に居場所を求めた。
「まあ、そーかもね~」
むっくんはのんびりとした口調で肯定した。そうして氷室先輩から貰った赤い飴を口に放り込むと、ガリっという音を立ててかみ砕く。私はその様子を見て、ふ、と笑った。
彼の吐く言葉は直接的であまりに鋭利だった。もう吞み込まれたと気付いたのはいつだっただろう。自分の言うことは絶対なのだと言い張る彼の笑顔全てが怖さに変わる前に、離れなければだめだと思った。
「二人共、何の話をしてるの?」
「室ちんには分からないお菓子の話だよ~」
「ええ? 俺に分からないお菓子? それって日本のお菓子なの?」
それでも私は彼のことが嫌いじゃなかった。
視界の端で彼が笑ったような気がしたから、私は赤い飴をぎゅっと握り締めたまま、ポケットの奥へ押し込んだ。
(直接的で鋭利な愛)
それは今でも私を支配する。
・2012年にforestpageで公開分
お題配布元「確かに恋だった」様