呪術廻戦
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被虐性愛
「ふぅん。で、誰がつけたのその傷」
ソファに深く腰掛けた全身黒ずくめの男は、長い足を優雅に組み替えるとこれまた長くて形の良い人差し指をぴっとこちらへ向けて、そんな質問を投げかけてきた。その言葉に、一瞬思考が停止する。
……あれ? つい先ほど交わした会話は夢だったのだろうか。やけに鮮明に思い出されるんだけど、これがデジャヴってやつ? 私パラレルワールド体験でもしてきた感じ?
開け放たれた窓からは、朝の訪れを伝える小鳥のさえずりが聞こえてくる。五条さんの背後の壁に掛けられた時計が、午前七時を指した。
棒のように突っ立ったまま、眠気と疲労で回らない頭を気力で動かして、もう一度記憶を辿る。
ーーそう、あれはちょうど七時間前のことだ。
***
午前零時。既に夢の中だった私は、五条さんからの鬼電で目を覚ました。『やっほー! 突然だけど今夜の任務、眠々子を僕の代理に任命するよ! なぁに、心配しなくても大丈夫、眠々子にぴったりの呪霊だから! シクヨロ~』と訳の分からぬテンションで申し伝えられ、電話は一方的に切れた。数秒後、誰かが自室のドアをノックする。訳も分からぬままのろのろと扉を開けるとそこには顔見知りの補助監督が立っていた。「出発の時間になってもいらっしゃらないので見に来たのですが……今日の任務の件、聞いておられませんでしたか?」「あ、はい……あのたった今、五条さんから電話がありましたけど……」補助監督と私の頭にはきっと同じものが浮かんでいたと思う。
メンゴメンゴ~! 私の頭の中の五条さんが、満面の笑顔でそう言った。
——□□県□□市の山奥にある工場跡地にて呪霊を確認。推定二級。
呪霊の正確な数が把握できていないこともあり、一級以上の術師を派遣予定だった。しかし「この任務は眠々子にぴったりだ!」という五条さんの一声で私に回ってきたのだと、現場へ向かう車の中で補助監督がそう教えてくれた。
呪術師業界は人手不足が常。五条さんレベルの術師に二級呪霊なんてあてがってる場合ではないのだから、準一級である自分に代役が回ってくることに対しての不満は全くない。だがもっと早く教えて欲しかった。出発時刻ちょうどに電話してくるって何なのほんと。電話越しの五条さんのテンションを思い出すとむかむかしてきて、サービスエリアで買ったおにぎりを夢中で頬張る。
呪霊についての詳細は補助監督も知らないようで「眠田さんには自分から伝えておく、と言っていたのですが……私の確認不足でした」と申し訳なさそうに眉を下げる。補助監督が謝る事なんて何一つないのに。だから私は「まあ行けば分かりますよね!」と明るく返した。
そうして真夜中のドライブすること約二時間。草木も眠る丑三つ時、私は見知らぬ土地の山奥に到着した。
私にぴったりの呪霊ってなんだ? と思いつつ、目の前の巨大な施設を見上げる。二級なら一人でも大丈夫です任せてください! と、忙しい補助監督を先に送り出し自ら帳を下ろして、さあいつでもかかってこいや! と意気込む私の目の前に現れたのが——
グァオオオオオオアアアアアアア
——超絶気合の入った雄たけびを上げる呪霊。推定準一級。
……お前一体何の呪いなの!? と思わず突っ込みたくなるほどワケが分からない色をしたぐちゃぐちゃのどろどろが物凄い異臭を発しながら私に向かって突っ込んでくる。「何が私にぴったりだ! ふざけんなあのクソ野郎……!」本人には絶対に聞かれたくない台詞を吐きながら全力で地面を蹴る。あかん、これ一歩まちがえたら死ぬやつ。直感し、ひとまず五条さんのことは忘れて敵に意識を集中させる。……そうして約二時間にも及ぶ死闘の末、私はなんとか勝利を収めたのだった。
その場で寝てしまいほどの疲労感に襲われたが、自分を奮い立たせ、他に呪霊がいないか工場跡地を確認して回る。覚束ない足取りで瓦礫の山を越え、ふと視線をやった先。錆びて崩れ落ちた看板が目に入った。
——■■チョコレート工場。
……いや、私にぴったりってそういうこと!? 確かに私はチョコレートが大好きだが、それは美味しくいただける商品のことであって、間違ってもこんな呪霊のことではないんですけど!? ……あの人まじで一体私のことを何だと思っているんだ。
それまで張り詰めていた緊張の糸がプツッと切れて、へたへたとその場に座り込む。見上げた空はうっすらと白み始めていて。朝霧立ち込める山奥の澄んだ空気が、呪霊の腐臭も自身の血の臭いも全て洗い流してくれるような気がした。
暫く空を見ていると、ポケットでスマホが振動する。メールだった。
『やっほ~、五条さんダヨ! 元気に祓ってる? 頑張る眠々子に新しい任務のご案内。今日の午後3時、場所は東京。早く今の任務終わらせて戻って来ないと寝る時間無くなっちゃうよ~』
大きく息を吸い込み、ゆっくりと吐き出す。
「……クソが」
これまで生きてきて、今日ほど心の底から糞だと思ったことがあっただろうか。いや、ない。
自分の仲間を育てるために教師になったんじゃなかったのか。これは確実に、後輩を潰しにしきてるとしか思えない。一体私が何をしたというのか。知らぬ間に五条さんの気に障る事でもしてしまったのだろうか。考えてみるけれど心当たりは全くなくて、なんだかもう怒りを通り越して笑えてしまった。
そうして傷の手当てもせぬまま始発の電車に乗りこみ、私を哀れんだ補助監督さんが「任務終わりにでも食べてください。ご武運を」と言って持たせてくれた美味しそうなお菓子を食べる元気もなく、ただただ爆睡し、ボロ雑巾みたいな体を引きずって高専へ帰ってきたというわけだ。
自室に直行して泥のように眠りたいところではあったが、呪霊の等級に相違があった件は早めに伝えておきたい。気掛かりなことを片付けてから眠るほうが、少しは気分も良いだろう。
近くに誰か報告できる人はいないかと高専内を探してみたのだが、補助監督はおろか、生徒一人見当たらなくて。
「あ、おっかえり~!」
適当な部屋の扉を開けると、そこにはひらひらと手を振るご機嫌な五条さんがいた。
補助監督はどこですか? 何で私をこき使うんですか? 私、五条さんに何かしましたっけ? と、聞きたいことは色々あったけれど、咄嗟に言葉が出てこない。代わりに、にこにこ笑顔の五条さんから「任務報告なら僕が代わりに聞いてあげよっか? また出直すの面倒でしょ」と思いがけない心遣いを賜り、お言葉に甘えることにしたのだった。
***
——カチッ。時計の針が午前七時五分を指した音を合図に、私の意識は再び現実へと戻ってくる。
事のあらましをもう一度思い返して、確信する。やはり私はつい先ほど、五条さんに報告し終えたはずだ。『任務報告~秋のほろ苦嫌み添え~』を、五条さんだって頷きながら聞いていたじゃないか。それなのに、全てを聞き終わった第一声が「誰がつけたのその傷」だって?
三百秒間の思考を終えて、私はようやく五条さんの質問への答えを口にした。
「誰って……呪霊しかいないでじゃないですか」
「なるほど。ソイツ殺そうか」
「いやだから、私がもう祓ってきました」
たった今その報告をしてたんですけど、聞いてました? あなたが私に差し向けたチョコレートの妖精さんでしたよね? それとも何だ、やっぱり私はパラレル……いや、もういい。もういいわ。このくだりはさっきやった。そもそも、こんなゴミみたいな状態で、五条さんと会話をしようということ自体間違っているのだ。最強と話すのならば、こちらも万全のコンディションでなければ。……きっと私をからかっているのだろう。弱っている人間を痛めつけて笑えちゃうような、五条さんってそういうところがある。だが残念ながら、今の私にはもういつものように噛み付く元気もなければ、冗談に付き合う気力さえも残ってはいない。ただただしんどい。寝たい。
「死ぬほど疲れているのでもう部屋に戻ってもいいですか」
そう告げて、返事を聞く前にくるりと背を向ける。しかし最強はそう簡単には許してくれなかった。
「だめだめ。傷そのままにしてたら跡が残っちゃうよ」
「もう半日ほったらかしてるので今更ですよ」
呪術師なんてやってたら傷の一つや二つ仕方のないことだ。この力を人の為に使うと決めた時から、自分の体に傷がつかないように、と気にかけたことなんて一度もない。
「それに、大した顔でもありませんから」
そう言って、五条さんの顔をちらりと見やる。彼の最大の特徴である、あの美しい瞳こそ隠れてはいるものの、他のパーツどれをとっても芸術作品のごとく整った顔がそこにあった。神様は美の配分を彼に全振りしすぎたと思う。五条さんと比べたら自分なんてそこら辺の石ころだ。いや、石ころの方がまだ綺麗だよな。磨けば宝石にだってなるんだし。そんなことを考えながら、自分の腕についた真新しい傷を眺める。
「……傷は勲章、と言うじゃないですか」
「何その兵士みたいな言葉ウケる。とても花の女子高生とは思えないね」
真っ黒の制服に身を包み、闇に紛れて呪霊を祓う。花なんて、一番縁の無いものだ。
——自分は普通の人間で、怖くて泣いてたら誰かが助けてくれるって、まだそう思ってんの?
あの時、私にそう言ったのは紛れもなく五条さん、貴方だったじゃないか。あれから五年が経って、私の体には沢山の傷が刻まれた。いつ、どの戦いで、なんて一々覚えていないけれど、今日もまだ自分の両足で立って、自分の両目で世界を見ている。それだけで奇跡みたいなものなのかもしれないなと思うし、明日も同じである保証はどこにもない。
ゆっくりと近づいてきた五条さんは、私の頬に触れた。最強と自分との距離感に疑問を感じ、のろのろと身を引きながら言う。
「……近いです」
「あーあー、綺麗な顔が台無し」
「五条さんに言われても、馬鹿にされているようにしか思えません」
五条さんは私にとってただの先輩で、それ以上でも以下でもない。
それでもやはり、顔面国宝の男から綺麗だなんて言われると返答に困ってしまい、照れ隠しに卑屈っぽく返事をしてしまってから後悔する。ここは素直に受け取るべきだっただろうか、余裕の笑みで応えれば良かっただろうか。……いや、相手は五条悟だ。どうせいつもの軽口に決まっているのに、慣れていないせいで若干照れてしまった自分が恥ずかしい。揶揄われるんだろうな、と身構えていたら、30センチ上から降って来たのは、耳を疑うような言葉だった。
「眠々子を傷つけていいのは僕だけなのに」
は? という顔をして、しかし声にはならないまま固まる。五条さんは当たり前のように「ね?」と言って、口を尖らせた。
その姿を見ている限り、これもまたいつもの冗談のように思えるが……私は何かを試されているのだろうかと深読みしてしまう。色んなパターンを考えた末、やっとの思いで言葉を絞り出した。
「今のってパワハラに入りますか? 録音して提出しようかな」
「やだなあ、眠々子も合意の上、でしょ」
「ええ……怖いこと言わないで下さい」
呪術師なんて職業は、普通の思考じゃやってられないとよく言うが、この人はほんと派手にイカレちまってんなあと改めて思う。
「なんてったって眠々子は僕のかわいい後輩だからね」
それと、さっきの発言とに何の関係があるというのか。
「加虐性愛と被虐性愛ってあるでしょ?」
「はあ……」
話の流れが全く読めず、生き生きと話す五条さんをただ見つめ返す。
「僕さ、呪術師はだいたいどちらかに分かれると思うんだよね」
「私はノーマルですけど」
「またまたぁ~。眠々子は傷つけられるの好きでしょ?」
「あんたほんとパワハラとセクハラで訴えますよ」
相手は先輩で上司、ということも忘れて、つい思ったことそのままを口走ってしまった。つまり五条さんは私をドMだと思っていらっしゃると。五条さんとはもう五年の付き合いになる。一体いつからそんな風に誤解されていたのかと思うと、思わず頭を抱えてしまう。
「ま、というのは冗談で」
ここへ来てようやく付け足された”冗談”という言葉に、ほっと胸を撫で下ろしたのも束の間で。
「可愛い後輩には、やっぱ強くなってもらいたいからさ。これも一種の愛情表現ってヤツ?」
重い、重すぎる。五条悟に愛されたら、ヤバい呪霊に立ち向かわされるとか、どんだけ拗らせた愛し方。もうそれってただの罰ゲームじゃないか。
五条さんが、自分と他の人間との力の差を、今一度認識してくれることを願うばかりだ。
「でもさ、その愛がいつ憎しみに変わるかは分かんないよね」
「……え? 冗談ですよね?」
「どうかなあ。ほら、僕呪術師じゃない? もう随分イカれちゃってるから間違えて特級呪霊の任務とか回しちゃったらごめんねー」
イカレてるのはもっと前からでは? と思ったが心の中だけに留める。今の発言も冗談であることを切実に願うが、この人は本当にやりかねないから恐ろしい。
「可愛さ余って憎さ百倍って言葉もあるからさ。愛ってのは一度逆方向へ向くと、怖いもんだよね」
と、軽々しくおっしゃいますけども、五条さんレベルの人に1ミリ憎まれたら、もう死ぬ未来しか想像できないんですが。反論するのも面倒になって、はあっと一つため息をはいた。
相も変わらず自信満々な笑みを浮かべて私を見下ろす五条さんを眺めながら、改めて先ほどの会話を頭の中で反芻すると、確かに五条さんの言うことも一理あるのかもしれないという思いが湧き上がる。
呪術師としてどれだけ多くの経験を積んだとしても、やはり私には素面で何かを殺めることなんて出来やしない。……もしかすると私は「傷は勲章」そう思うことで傷つける痛みから、傷つく痛みから自分の心を守っていたのかもしれない。
加虐嗜好と被虐嗜好。五条さんの言う通りもし本当に呪術師にはこの二種類しかいないのだとしたら、五条さんは間違いなく前者だろうな。ならば私はどっちだろう?
考えかけて、ハッとした。……危うく五条さんに乗せられるところだった。二つに分ける必要なんかないし、そもそもの選択肢がおかしいではないか。何が、確かに五条さんの言うことも一理ある、だ。しっかりしろ私。そんなこと一ミリもあるわけない。ふざけたことに時間を割いてしまったと酷く後悔し、五条さんを睨みつけようと顔を上げた。
それと同時に、背筋に冷たいものが走る感じがして思わずひゅっと息を呑む。
「五条さん……」
「ん? 何?」
「……今、すっごく怖い顔してます?」
どうしてそんなことを聞くのか、自分でもよく分からなかった。しかし得体の知れない恐怖が、私にその質問をさせた。
五条さんの目には、今日もしっかりと包帯が巻かれている。見えるはずはない。いくら五条さんでも在り得ない。そう分かっているはずなのに、あの怖いくらいに美々しい瞳の中に、いまこの瞬間も私が映っている気がした。研ぎ澄まされた殺気をはらんで。
「えー? ないない、ないよ」
「で、ですよね」
「そうそう。目隠しの下はいつでもグッドルッキングフェイスがあるだけさ。あ、もしかして僕の顔見たかった? だからそんなこと聞いて——」
「あ、じゃあ私は部屋に戻りますね」
「つれないねぇ」
いくらこの人が最強に頭のおかしい人だとしても、満身創痍の後輩に殺気を向けるなんてことがあるはずない。疲れすぎて探知能力鈍ってるんだな、と納得し今度こそ部屋を出るために入口へと向かった。
扉の前で立ち止まり、最後にもう一度、五条さんを振り返る。怖いもの見たさか、それとも別の感情か。それは分からないけれど。
「どうしたの?」
「いえ……」
「なに、まだGLGと居たいって?」
「それだけは無いですけど」
やっぱりいつもの五条さんだ。
五条さんは大きな手を適当にひらひらさせて、私を追い払うような仕草をした。
「ほら、早く行きなよ」
言われなくても。そもそも、引き留めていたのはそっちじゃないですか、と言おうとしてやめた。
「早く行きな、」
廊下へと足を踏み出した時、五条さんの声がもう一度、私の背中に届いた。
その後にも何か言葉が続いていたけれど、眠すぎてもう聞き取れなかった。大事なことならまた向こうから言ってくるだろう、そう思って構わず部屋を出る。五条さんはそれ以上何も言わなかった。後ろ手でドアを閉めながら「おやすみなさい」とだけ言い残して自室へと歩き始めた。
***
生きていく上で人は誰しも、多少のストレスを必要としているらしい。怖いのに何故かホラー映画を見てしまうというものがまさにそれで、代り映えの無い毎日のスパイスとして恐怖感を欲し、その負荷から解き放たれたときの安堵感に快感を得て楽しんでいるのだという。人間なんて所詮、皆ドMなのだ。
だが裏を返せばそれは、自分には決して害が及ばないと分かっていて、画面の中の登場人物が恐怖と痛みに泣き叫んでいるのを楽しんでいるという残虐性のようなものも持ち合わせているとも言える。
もしも実際にホラー映画——例えば意識のあるまま手足が一本ずつ千切られていくような、一室に閉じ込められて殺し合いをさせられるような、そんなことが現実に起こったならば。処理しきれないストレスを受けた人間はいとも簡単に精神崩壊を起こすだろう。
人間という生き物はなんと我儘で、矛盾していて、そして脆い生き物なのだろうと思う。
「加虐性愛と被虐性愛か……」
私にそんな嗜好はない。そう否定したけれど。やはり、五条さんの言っていたことは間違ってはいないのかもしれない。
さっき五条さんを振り返った時の私は、確かに怖いもの見たさという感情を抱えていた。
「私ってドMなのかな……」
疲労が限界を超えた私は、そんなことを思う。五条さんの何気ない言葉について真剣に考えている自分が馬鹿馬鹿しくなって、ふ、と鼻で笑った。
さっさと寝よう。次の任務の出発時間ギリギリまで寝ていよう。
そうしてまた、数時間後には、新たな傷を体に刻むのだ。