だから彼女はにゃーと鳴く。
「嘘つき」
サーサーと雨が降っている。在る色全部消していく。今日ならきっと、私もシロになれるかもね。今更なったところで、そう呼ぶ君はもういないけれど。
ジュンとかゆう人も。「また会いに来ていい?」だなんて。どの口がそう言ったんだ。
「みんな嘘つき。大嫌い」
こんな虚しい世界に精一杯反抗したつもりの声は思ったよりもずっとずっと小さくて、簡単に雨にかき消された。
期待なんて初めからしてなかったけれど、こんなに大きく心に穴が開いたのはあの日以来。無責任な君のせいで、私はまた孤独を植え付けられた。無責任な約束は今も私をここへ縛り付ける。
泣いてるんだよ。何かほしいわけじゃない。あえて言うなら、愛。でもいらない。ただ黙って抱きしめて。 私のこと嫌いにならないで。 泣きながら強がる私を止めにきて。
***
ずっと前に、君と初めて出会った。
——泣いてるの?
私は涙なんか出してなかったけど。ただ今と同じようにここに立ってただけだけど。君は心配そうに私の顔を覗き込んで、そう問いかけた。その日も、雨が降っていた。
——ひとりなの?
優しい声だった。
——悲しいの?
ううん、と私は首を振った。
——じゃあどこか痛い?
鼻の奥がつうんとした。頬が濡れてる感じがしてゆっくり手をやったら一筋雫が流れ落ちた。
——なんで泣くの?
困った顔をした君の震える声は、今にも泣き出しそうに聞こえた。
——ねえ、泣かないで。迷子なんだったら僕が一緒にいてあげるから。どこか痛いんだったら絆創膏あげるから。だから泣かないで。
私の頬を雫がいっぱい伝った。
痛いから? 悲しいから? 寂しいから? ——ううん、違う。
あれはきっと嬉し涙だった。君が私を見つけてくれた。柔らかく笑う君が、初めて私の泣き声に気づいてくれた。
——名前なんていうの?
咄嗟に言葉が出てこなかった。
——じゃあシロって呼ぶね。
ああそうだった。この名も、君がくれたんだ。君が一番にくれたんだ。
君が大好きだった。家族のいない私はいわば捨て猫みたいなもので。どこで生れたかも知らない。寂しくて雨の中でニャーニャー泣いていたら、私は初めて君という人間と出会った。
——シロ。
あるとき君は、いつも通りに名前を呼んで笑いながら目を伏せた。茶色い瞳が揺れていた。私はそれに、気づいてた。
——明日も会いに来るね。
それから君が戻ってくることはなかった。君の残した暖かさは確かに私を弱らせた。
***
「あ、猫だ」
柔らかさを含んだ声と共に、急に雨が止んだ。私の上だけ、止んだ。
「どうしたの?」
「……」
「泣いてるの?」
「……」
「どこか痛いの?」
「……うん」
「おいで」
「……」
「離さないから」
「……」
「大事にするから」
「……」
「もう強がらなくても、いいから」
優しい声が降ってきた。雨の代わりに。君の優しくて茶色い瞳が揺れた。
——僕は文人っていうんだ。シロのほんと名前も教えて?
君はあの日、そう言ったね。小さく呟いた私の声を、君は聞き取ってくれたの? だからあんなに優しく微笑んだの?
「音々子」
気づいてくれるのを待ってた。ちゃんと立ち止まって私の目をみて名前を呼んでくれる人。有り得ないって知りながらずっと。ずっとずっと、君を待ってた。君の手はあったかい。私のことを、白だと言う。
「迎えに来たよ、音々子」
その声で、その微笑みで、君が私を呼ぶから。だから彼女は、にゃーと鳴く。
「にゃー」
私は君が大好きだ。