だから彼女はにゃーと鳴く。
「あーおかえり」
なんで君が先にいるの。
「今日も寒いねー」
冬だしね。しかもおかえりって、ここが私の在るべき場所だとでも? 本気でここが私の家だと思ってるの?
「シロ」
とりあえずいつもの隅っこにしゃがんで足元を歩く蟻を見ていたら、不意に名前を呼ばれて少しだけ君の声に集中する。君の方を向いたりはしないけど。
「シロって猫みたい。話しかけてもこっち向かないけど、ちょっと反応してるよね?」
「……してない」
「シロ」
「なに」
「こっち向いて」
「やだよ、めんどくさい。なんかあるなら言ってよ。聞いてるから」
「えー」
仕方のない人だ。だけど、とっても素直な君が私は時々羨ましい。私がそんな猫だったなら、今頃幸せだったのかな。
「……わっ」
「あはは、シロでも驚いたりするんだね。今日は特別寒いでしょ? だからプレゼント」
そんな言葉と共に頬にじんわりとしたあったかさが広がった。君がにっこり差し出すのは、私の好きなココアだ。
「……お金払う」
「いいよ」
「こんな風に奢ってもらうのはどうかと思う」
「シロを見てたらあったかいから、それがお金代わりってことで」
意味が分からない。
「シロはもっと甘えていいと思うよ? まあ今のままでも好きだけどね」
そんなの聞いてないし。
「あれ、文人? お前こんなとこでなにしてんの?」
急に足元に影ができた。
「おージュン」
どうやらご友人のようだ。そしてきみは文人っていうんだね。知らなかったな。
「お前寒いのにこんなとこで何してんの……って、え? 何、彼女? うそだろオイオイオイオイ……」
「いやちが……」
「お前……俺に黙ってチョメチョメかよ!? お母さんは許しませんよ!!」
「いや話聞けよ」
「この不良息子!」
「あー、もういいわ。シロも無視していいよ」
勿論そのつもりです。
「ちょっと待って、お前いま何て? シロ!?」
「そうだけど……何?」
「お前ぇええ……まさかの動物プレy(自重)……お母さんはあなたをそんな息子に育てた覚えはありませんよっ!!!」
本当に賑やかな人だ。この人が君の友達ってなんか意外だな。
「シロ、完全無視の方向で」
「言われなくても」
「いやいやいや。ちょっ、冗談だから無視しないで? 構ってよ! 寂しすぎるから! てかシロって本名?」
なんだか面倒なノリについてけないから頷いておこうと思う。
「まじで!?」
「ちがうちがう! 俺が付けたの! ニックネーム!」
もー、なんでシロは適当に返事するかなあ、と君は呆れたように笑う。だってめんどくさいじゃん。
「あ、そうなん? まあでもそれはそれでお前のネーミングセンスを疑うわ。なんでそんなペットみたいな」
「別にいいだろ」
「視力も大丈夫か?」
「何がだよ」
「いや……だってお前、この子のどこらへんがシロだよ?」
あ、それは私も思ってた。
「綺麗な黒髪だね」
ジュンとかいうその人は私に向かってそう言った。
別にそーでもないけど。てゆうか。
「触んないでよ」
首元にかかるくらいの私の髪を、勝手に手に取るから引っ張られてるようで気分悪い。私はその手を払いのける。
ずーっと前に私に触れたあの人の手はこんなじゃなかったもん。
「へー! シロちゃん気強いんだね」
「別に」
「ジュン、あんまシロに構うなよ」
「なんで? 俺クールな子好きだもん。文人も知ってるよな?」
「シロはクールなんかじゃないよ」
別に私はなんでもいいけど。
「てか文人お前さ、やっぱシロってのはどうかと思うよ俺」
「……ほっとけよ。シロはシロなんだよ」
「どんだけシロにこだわってんだよ。しかもなんでシロ? あえて色で呼ぶとしたらクロだろ」
失礼な。勝手に人を色で呼び合わないでよね。でも確かに、ジュンの言うことはごもっともだ。
「ねぇ、なんで? なんでシロ?」
「ええっ! シロまでそれ聞くの?」
「ほらみろ。言えよ」
「だって……」
「だって?」
「……だってシロ、超色白いじゃん!」
「……」
「だってよ、シロちゃん。どう?」
「……セクハラ」
「文人、言われてんぞ」
「ちがうって! 純粋な気持ちなんだって!」
ねぇ、君はなんでそんな照れてるの? なんでそんな顔赤いの?
風邪引くなって昨日私に忠告してたわりには、自分がひいちゃったんじゃないの? 熱、あるんじゃないの?
「あーもう! ジュンはさっさと帰れよ!」
「言われなくても帰るわ、ここ寒いし」
ジュンはにっと笑う。
「でも俺シロちゃんのこと気に入っちゃったかも」
「はあ!?」
「シロちゃん、また会いに来てもいい?」
「……どーぞ」
ご勝手に。
「ありがと」
謝らないんだ? お礼を言うんだ? ああそっか。この人は違うんだ。分かっていたけど、また思い知る。
***
「なんで、どーぞ、なんて言ったの?」
また二人きりになった公園で、君は不機嫌そうな声を出す。木の葉が、一枚目の前を落ちていった。今にも崩れてしまいそうなかさかさの茶色だった。
「別に。勝手にすればいいと思って」
「じゃあ俺は?」
「なに?」
「俺は明日から来なくていいの?」
「……」
「シロ」
「……いーよ」
「え?」
「来なくたって、別にいいよ。頼んでないよ」
こんなこと言ってごめんなさい。でも君は言われて仕方ないことしてるよ。だって君はこれから私を捨てる。——いや、捨てるなんてのは間違ってるか。そういえば君はまだ私を拾いもしてなかったね。餌をやって頭を撫でてそういう暖かさを記憶に植えつけるだけ植えつけて。君はこれから、私を見捨てる。
「……分かった。今までごめん。じゃあ」
ほらね。
「……」
君はそっと手を伸ばす。
触れないで。この期に及んでまだ私を苦しめるつもり? 君が私の髪に触れる。今にも泣き出しそうな顔で、それでも一生懸命微笑みかけてくれる。
君が今、最後に残していく暖かさのせいで、私はどんどん弱くなる。
そうして君は去っていく。君の背中はもう見えない。
私はやっぱり、捨てられた。