2022年に書いたもの

カチャカチャとキーボードを打つ音がする。その夜私は上司と共に残業を抱えていた。
「すみません青葉さん……アイドル業でも忙しいっていうのに残業させてしまって……」
「あはは、大丈夫ですよ〜。一応こういうことにも慣れてますし……それに、あなたを一人で残すのは少し気になってしまって」
「すみません、私が新人なせいで」
「あぁ、気にしないでくださいね!?すみません、言い方が悪かったですかね」
飲み物でもいれてきます、と言って彼──上司でこのニューディメンションの副所長でもある、アイドルの青葉つむぎさん──が立ち上がる。それに慌てて私がやります、と椅子から勢いよく立てば、彼は申し訳なさそうに笑う。
「ここには俺たちしかいませんし、大丈夫ですよ」
「……でも」
「二人きりじゃなければ頼んでましたから」
ああ、全部お見通しだ。青葉さんが戻ってきて、マグカップに入っていたのは。
「……?あれ、それってコーヒーじゃないんですか?」
「これですか?夏目くんにもらったんですよね〜働きすぎだから、少しは体をいたわれってことで」

ハーブティーらしい。ふわりと香るハーブの匂いになんとなく緊張が解れてくすりと笑ってしまう。

「ふふ、愛されてますね」
「そうですね、俺にはもったいないくらい」
ふ、と優しく笑みを返してくれた青葉さん。彼が動いたことで空気が変わって、すん、と鼻を鳴らす。今まで嗅いだことの無い香りの気配がした。

▷▷

「……センパイ」

不機嫌そうな声が静かな夜に波紋を広げる。ば、と振り向けば、廊下に立って室内をうかがっていたらしい金の瞳。
「あれ、夏目くん?どうしたんですか、こんな夜更けに」
「センパイが帰ってこないかラ……女の人と2人きりでなにしてるのサ」
「ええっ!?浮気とかじゃないですよ?!これは仕事で……」
「わかってるヨ、まったくもウ……センパイにその気がなくても危ないって話なんだけどナァ」
逆先さんだ、と闇から出てくるようにデスクライトのみの灯りにともされた室内へ入り込んだ彼。逆先夏目さん。青葉さんの所属するユニットのリーダー。私は彼のことを話を聞く程度にしか知らない。初めてこうして顔を合わせたぐらいには、私のような下っ端と彼らアイドルには壁がある。
「す、すみません!!私の不手際でこんな……」
「君には怒っていないから謝らないで欲しいんだけド」
「あ、すみません……っ!!」
「……」
ひぇ、と内心ではダラダラと汗をかく。ただでさえアイドルと話す機会なんてないのに、こんな私だけアウェイみたいな状況は、正直心臓に悪い。頭をひたすら下げて私はどうしようか、と焦っていた。

「……?あれ」
逆先さんが私の横を通って、青葉さんのもとへ足を向ける。すれ違った時に鼻腔に届いた香り。それが嗅いだことのあるような気がして、小さく声がでる。
焦っていた。焦っていたのだ。だから、きっと、気づけなかった。
青葉さんは気づいてない様子で、私は逆先さんと青葉さんをただ見ていた。ふたりは話を始めていて、私は邪魔にならないように身を縮めて。
逆先さんが、ちらりと話の合間にこちらを見ていた。

なんだろう、と首を傾げる。
「センパイはいい加減、仕事人間を辞めたラ?」
「ええ!?そんなに仕事してますか俺!」
「……」
逆先さんが視線を向けたのは一瞬。見間違えかな、とハテナを飛ばしていると、逆先さんが青葉さんを引っ張った。
「少しでいいから仮眠を取レ、まったク……二徹はさすがにまずいでショ」
「あ、おじさん扱いですか!?」
「そうじゃないヨ……ああもウ、黙ってついてこイ」
逆先さんは、二徹になりかけの青葉さんの腕を掴んで仮眠室へと引きずっていく。彼らが私の横を通った時、また香りがした。
一瞬だけ重なった影。逆先さんの不思議な声が私の耳に届いた。

──センパイはボクのものだから、貸すのは今回だけだよ。

「…………えっ」
逆先さんと青葉さんが防音のされている仮眠室へ入ったのを確認してから、私は大慌てで仕事を片付けにかかった。
青葉さんから漂っていた、不思議な香り。嗅ぎなれないそれは、嗅ぎなれていないことなんて当たり前だった。きっと、ハーブティーに何かの細工(というとあまり心象は良くないが)がされていたのだろう。気づいてしまってから、私はもしかしてとんでもないことをしたんじゃないかと、青ざめる。PCに向かって、最大速度でミスをしたところを直しだす。それしか私にはできないから。

(ど、どういうこと……)

逆先さんの香りが、青葉さんからして。やけに仲の良さそうなふたりに、逆先さんの牽制。

そこに私は踏み入ってはいけないだろう。
だって、それらが意味するのは、きっとひとつだから。
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