2022年に書いたもの

「夏目くん、キスをさせてください」

「────ハ?」
空が分厚い灰色の雲におおわれた土曜の朝。恋人が徹夜で仕事をしていると聞いた夏目はニューディの事務室に来ていた。
「センパイ、徹夜しすぎてとうとうおかしくなったんだネ……」
「おかしくありませんよ、真面目に言ってます」
哀れみを含んで鼻で笑う。しかしつむぎは捨てられる直前の子犬みたいな顔をしているくせ瞳は強く、引く気がないなと察した。
「ハァ。キスがどうのって言うより先に仕事を終わらせれバ?」
「大丈夫ですよ〜仕事はもう終わりました。あとは帰るだけです」
「……」
帰るだけ、と強調された気がするのは気のせいだろうか。ふん、と顔を背けてもじいっと視線が突き刺さる。期待されている瞳だ。疲れきった様子の、頑張りすぎてしまう彼にご褒美をあげたくないわけではない。けれど、夏目は大人しくつむぎの思う通りになる気になれるほど素直ではなかった。
「……じゃあ、土下座したらしてあげよウ…♪」
「ええ……恋人同士なのにキスに土下座が必要なんですか」
舌打ちをして、腕を振り上げ殴る初動。つむぎはわっ、と驚いた声をあげ、目を閉じて衝撃にそなえた。
その反応が正解だ。夏目は得意げに口角を上げ、隙だらけの頬に軽くキスをする。殴る手はもちろん下ろしてから。
「……どウ?満足しタ?」
「えっ……?」
「キスされたかったんでショ。してあげたのに感想も感謝もないノ?」
「ええと……どうせなら口がよかったです……」
「……」

しょんぼりと肩を落としたつむぎ。それを無視して夏目はハーブティーをいれるからと彼を誘導してソファに座らせた。

▷▷

「ほラ、疲労回復のお茶」
「わぁ〜ありがとうございます!」
数分後、お茶を渡せばつむぎは嬉しそうにゆっくりと飲み干した。喉仏が動いたのを見てしまい、なんとなく居心地が悪くなる。まるで、この後を期待してるような感覚だ。
最悪、と内心で毒づいて夏目はつむぎの傍に寄る。あたりに人がいないことをわかっていても、周囲を見回してしまう。そんな夏目の様子につむぎは首をかしげて。
「夏目くん?どうしまし───」
「……キス、すれば?」
「えっ?」
「はやくしテ。のろのろしてるうちにボクの気が変わってもしらないヨ」

ぶっきらぼうに、やけくそ気味に吐き出した言葉に、つむぎは処理が落ちたのか呆然としている。
はやく、ともういちど急かせば、ゆっくりとまばたきをして動き出した。瞳を伏せれば、すぐにくちびるにかさついた感触。

「…夏目くん」

甘くかすれた声が耳をくすぐる。
瞳を薄く開けば、すぐ目の前につむぎの視線が。
その瞳の奥に、ゆらりと滾っているのは、熱くどろりとした劣情。
まるでケモノだ。
獲物を前にした、大きな肉食獣みたいだ。疲労がたまってるくせに、夏目を抱きたいと思ってるなんて、馬鹿じゃないのか。休め、と言えればよかった。
でも、喰われたいと思ってしまう。
思ってしまったんだ。
離れていくつむぎの服の裾をつかむ。こくりと唾を飲み込み、夏目が乾いた唇をふるわせて、小さく呟いた。

「ねぇ、センパイ。……キス、1回だけなノ?」

ひゅ、と息を飲んだ音。彼を見ていられない。自分の言葉で一度だけと自制していた理性がぶち破られる瞬間は、今の夏目にとってはあまりにも刺激がつよい。つむぎの瞳を見たら、呑まれてしまう気がした。

「別に、1回だけしかしてあげない、とは…言ってないから、だから────」

もういっかい、と続く言葉は口から出ることはなかった。くちびるを塞がれて、舌が口腔内へ入り込む。
しばらく深くキスを交わして、くちびるが離れていって。二人の間をつなぐ銀糸がプツリと切れた。
夏目がつむぎにようやく視線を向ける。弱気だった心を隠して、主導権はあくまでこちらだと示すように。
「……仕事が終わったなラ、これからはボクのために時間を使っテ」
「……いい、んですか?」
「……いちいち聞くナ」

満足できてなかったのは、お互い様なのだと絡んだ視線の熱でわかってしまった。
朝からホテルかどこか借りて行為に耽けるなんて、背徳感。それすらもスパイスになってしまうのだろう。
空は曇天。天気予報では昼頃から雨が降るらしい。好都合だ。室内に入ってから雨が降り出せば、外へ出られない理由になるから。
不埒な妄想の照れ隠しにはやく行くヨ、と鋭く言えば、柔らかな声と手にするりと絡んだつむぎの指。そこだけがやけに熱くて、火傷しそうだと思った。
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