2025~

 きらきら、輝くきれいなものたちの中で息をする。
「……」
 それらは瞬き、通り過ぎて、俺の傍には留まってくれない。当たり前だった。輝きを抱きしめるには俺の体は小さすぎる。
 そんな、取りこぼしていく中で。たったひとつ、胸の中心に落ちてきた星。
 あまりにもきれいで。その輝きを見失わないよう抱きしめ、目を凝らしたら、淡い光の輪郭が君だと知った。

 さくり、さくり、足を踏み出すと下敷きになった草が音を立てる。頬を撫でる風は心地好く、遠くでまたたく星々が、夜の闇を彩っていた。
 辺りを見回し、つむぎはそっと息をつく。
 ここは夢の中だ。いつも見ている夢の、変わらない風景だ。
 見下ろす自分の姿は、稚拙でみすぼらしかった昔のもので。小さな手のひらを開いてじっと見つめる。
 どこからか落ちてくる砂の粒は、それぞれがキラキラと明るく光っていて。『これを取りこぼしてはいけない』と、そう思って必死に手をにぎりしめる。
 けれど、幼く狭い手のひらでは、どうしたって容量が足りない。
 俺の両手で持てるものは、多分きっと、他の人よりずっと少ない。
 その眩い光を落として見失って。心の中になにか、恐ろしく冷たい空洞が広がっていく気がして身をふるわせる。
「……さむい、ですね」
 こぼれていく光を見つめ、冷えていく心に、いつもそうだったな、と思う。
 昔から不器用で、どんくさくて、要領も悪かった俺は、誰かを喜ばせることも、愛されることも、うまくできなかった。
 せっかく見つけた「大切なもの」も、いつのまにか失くしてしまうし、壊してしまう。手に落ちてきた大切な光でさえ、こうして取りこぼしてしまう。
 大切に守ってきた、『夏目ちゃん』との約束だって。母から守りきることは叶わなかった。母に髪を切られた時の絶望感は、きっと一生忘れることはないだろう。
 消えていく光を目で追って。孤独感に心細くなって。俯いていたつむぎの視界に、小さなローファーが映りこんだ。
「……つむぎにいさん?」
 舌っ足らずで甘い声。高く、澄んだ声だ。寒さが掻き消え、代わりに暖かなものが胸を占める。これの名前はまだ知らない。つむぎが顔を上げてそちらを向けば、思っていた通りの姿があった。
 金色で、猫みたいなつり目がじっ、とつむぎを見つめている。何度見ても君は可愛い。ふにゃりと相好を崩して彼女の方へ駆け寄った。
「夏目ちゃん! 今日も会えて嬉しいです〜」
 夢の中でなら。俺は幸福な子供でいられる。不幸も、不運も、敵意も害意も何も無い、ただ幸せな世界で息をすることが許される。
 夏目ちゃんとただ、二人きりの世界の中で、代償を払わず、壊されることの無い幸福を感じていられる。
「手を握りしめてどうしたの?なにか捕まえたの?」
「ああ、これですか?捕まえた、というより、こぼさないようにしてた、って感じですね」
「……なにを?」
 不思議そうな顔の君に、ふっと笑いかけて黙り込む。小指に繋がれた赤い糸は、きちんとこの手の中にあったから。
「ねえ、夏目ちゃん。今日は何をしましょうか」
「ん〜?夏目はにいさんといられたらそれでいいよ!」
 ああ、うれしい。うれしいなあ。こんな時間が永遠に続けばいいのに。幸せな俺と、大好きな君が、こうしてふたりきりで。
 満天の星を見上げて。君の小さく柔らかい手を握って。君の全てを見逃さないように、静かに視線を注いだ。
「夏目ちゃん」
 くるりと瞬く星みたいな瞳。
「今日は、おはなし、しましょうか」
 俺だけを見つめてくれる、俺の神さま。暗闇を照らす希望の光。ほんのちょっとでいいから、どうか、君の存在を忘れないため、声を聞かせて。
 そうしたらまた、俺は歩いていけるから。
 嬉しそうに破顔した君を、ただ俺は見つめていた。

 ▷

 目を覚まして、懐かしい胸の痛みに、おぼろげによみがえる夏目ちゃんの声に、『久しぶりにあの夢を見た』と思った。
 夏目くんと再会してから、見なくなって久しい記憶だ。持てるものが極端に少ない俺は、彼女さえも取りこぼしてしまわぬようにこうして度々反芻していた。
 もう一度出会った時のため。君をすぐに見つけるため。俺は運命とか、神さまの奇跡とか、そういうことが欺瞞で詭弁でしかないって知っていた。それを信じた母が救われていないのを見ていたから。
 スマホを手繰り寄せ、画面を開く。眼鏡がないと世界はあやふやだ。目を凝らして画面を見つめる。
 眠っていた間にメッセージは特に入っていない。トーク画面を選んで、夏目くんを見つけ出す。
 ──ねえ、夏目くん。君は覚えてますか?
 俺たちが再会した、あの秘密の部屋のこと。
 君は怪しげな実験を魔法だって言い張ってて、俺は書架整理でたまたまその場所を訪れて。
 あの時、俺の中で擦り切れて、色褪せそうになっていた君の声が、温度が、匂いが、一気に蘇った。
 あんなに必死で忘れまいと願っても消えていく、君の記憶は、思い出すことが驚くほど簡単で、拍子抜けしてしまった。君と別れてから、なんだか現実味がなくて、涙があふれそうで。理由も分からなくて混乱してしまっていたけど。
 今ならあれは、痛みと、熱が蘇ったからだとわかる。俺にとっての灯火はね。君だけだったから。
 失った光を見つけた。友と呼べるひとたちと青春を駆け抜けた。その先で、もう一度君の隣に並び立つことが出来た。
 これが運命じゃなきゃ、世界に運命なんてものはない。でしょう?
 夏目にメッセージを送って、ベッドから起き上がる。さあ、今日も仕事に行こう。


 ▷▷

『センパイ』
『どこにいるの』
『心配かけさせないで』
 トーク画面に並んだ、夏目くんからの分刻みのメッセージ。それを見返しては、失踪してしまって心配をかけてしまったという申し訳なさと、ここまで心配してくれる喜びに胸が締め付けられる。
 ──副所長を解任されてから。
 時間だけは無意味なほどに目の前に横たわっていて、社会的な役目の喪失のせいで、有り余る時間をまるでかなわない敵のように感じてしまっている。
 鳥に餌をやったり、レッスンを詰め込んだりしてもどこか心を苛む痛みは癒えてくれない。あんまりにもやることがないから、ふと思い出してしまう。
 あの廃墟で気づいた、君への気持ちを。

 空中庭園では、光を浴びた緑が色鮮やかに初夏の景色を飾っている。つむぎがベンチに腰掛ければ、すぐに餌を待つ鳥たちが群がってきて。本当は餌付けするのはあまり良いことでは無いだろうけど、退屈に付き合ってくれる相手をつい甘やかしてしまう。
 餌をやりながら、ぼんやりと浮かぶのは廃墟と化した二人の始まりの場所。
 何か、迷ったり悩んだりすると自然と足が向かっていた、つむぎの人生のスタート地点。夏目ちゃんと約束をしたから、つむぎは今ここにこうして立っている。
 夏目ちゃんは、とびきり可愛らしい子だった。初めて彼女がやってきて、衝撃で転げ落ちてしまうぐらいには。転げ落ちた床の上で呆然と、ただ見惚れながら思った。闇の中にいるような日々の中で、落ちてきた君という光はまるで煌めく星のようだと。
 その時感じた衝撃に、この歳になってようやく名前をつけられた。気づいたのはたまたまだった。
 なにか上手じゃない心に振り回されて、その度足を運んでいた廃墟の中。ある夕暮れに、昔を思い出して、君の面影を辿って。昔の自分を思い出していたときだ。俺が、君を見つめていた自分の感情の熱さが。心を甘く苛んでいた感覚が。まるで──
 強く弾ける光のような一閃が心を貫いた。
 すとん、と。
 欠けていたパズルのピースが、自然とハマるように。忘れていた記憶が、胸の奥で満ちていくように。
 ああ、あれは一目惚れだ、なんて。気づいたんだ。
 ぼうっとベンチの上で、明るい日差しの向こうを見る。この時間帯は学生は授業で、そうじゃない子は仕事だったりレッスンだったり、サークル活動だったり。みんなそれぞれやることがある。
 やりたいことを探せばいい。時間は膨大なのだから。でも、今の自分の中に残ってるのは、夏目くんへの強い感情だけだった。
 何をしてもいい、らしい。休息を取れということらしいから。つむぎデーなんて言って、珍しい面子で博物館に行ったのも、ジオラマを作ったのもいい思い出だ。
 夏目くんが顔を覗かせてくれたの、嬉しかったなあ。
 夏目くんが、そうして俺を昔からずっと引き留めてくれるから。
 君が俺の目を見て、つむぎにいさんと、そう呼んでくれるから。
 俺は救われてきたんだ。
 その声に、何度も引き留められて、俺はようやく「生きていたい」と思えるようになったんだ。
 ぱちぱちと弾けるような、明るくて、優しくて、奇跡のような光。
 気まぐれで、自由で、でもいつだって俺を包み込んでくれる光。
 ──君がいてくれるなら、俺はこの人生を、もう少しだけ頑張ってみたいと思える。
「……」
 なんだか感傷に浸ってしまった。苦笑して、餌をやっていた鳥が羽ばたくのを見届ける。
 ぐ、と伸びをして。よっこいしょ、なんて呟いて立ち上がる。
 夏目くんのことばかり考えてたら、なんだか顔を見たくなってきた。今ごろはきっと大道具部屋にでもいるだろうから、探しに行こう。

 ▷

 また、夢を見ていた。それが夢だと気づいたのは、夏目くんが俺に向ける視線に、見たこともない熱がこもっていたから。
 ざあ、と草原を風が吹き抜ける。花の香りを巻き込んで夜空に舞いあがった。星空は今日も快晴で、あざやかな光が瞬いている。
「……」
 俺は、隣に座ってる夏目くんをチラッと見て。そのあまりにも綺麗な横顔に、胸がきゅうと締め付けられる。
 君はこちらを見ると、視線があったことに驚いて、そうして微笑みかけてきてくれて。許される気がして、俺はそっと君の手に手を重ねた。細い手のひらを握りしめ、視線を絡め合う。
「……、夏目、くん」
 鼓動の音が聞こえてしまうんじゃないかってぐらい大きく速くなっていた。
 俺が身を寄せると、君はそっとまつ毛を震わせて瞳を伏せる。
 だから俺は君に顔を近づけ、そっと──
「──うわああっ!?」
 飛び起きて、視界に飛び込んだのがいつもと変わらぬ星奏館の景色であることに、落胆と安堵がぐちゃぐちゃになって襲い来る。
 部屋の中には誰もいない。だってそうだ、夏目くんを見つけて、お茶をして。まだ昼間だというのに、星奏館へ帰ってきた俺は昼寝をしたんだから。
 バクバクと鳴り響く鼓動がうるさい。夏目くんとキスをしてしまった。あれは夢だ。でも、夢は願望の現れとも言う。ああ、だったら。そうしたら。つまりそういうこと?
 嫌悪感は不思議となかった。むしろ高揚感が胸を占めていて。震える手で顔を覆った。ああ、そんな。まさか。
 夏目くん。俺、──君に恋をしてたんだ。

 気づいてしまっても世界は変わらずまわり続ける。朝が来て、夜が来て、日常は変わらず営まれていく。仕事だって変わらずにあるし、夏目くんとも顔を合わせて話をしなきゃいけない。
 この恋心を伝える予定はなくても、バレてはいけないことぐらいわかっていた。
「──えっ!部屋が二部屋しかない!?」
 Switchでのロケ先。取っていたはずの三部屋はひとつ減っていた。話し合わずとも結果はわかりきっていて、宙に一部屋をあげることが満場一致(つむぎと夏目だが)で決まった。
「ハァ……どうしてセンパイとお泊まりしなきゃいけないのサ……」
「いやいや言っても現実は変わりませんよ〜?それに夏目くんだってこの結果でいいって頷いたじゃないですか。今更文句を言っても仕方ありません」
 まさか本当に嫌がられてるなんて思いはしない。夏目くんは嘘つきだから、そういう態度を作ってるんだろう。でも、それでも、好きな子からこういう態度を取られるのは、かなり堪える。
 ベッドに腰掛け、つむぎは窓の外を見た。郊外の町とはいえ、地上は明るすぎて星なんて見えやしない。
 ぼんやりと、何を考えるでもなくただ景色を見ていると、不意にベッドがたゆむ。隣に目を向ければ、夏目がこちらを鉱石のような瞳でじっと見つめていた。
「……」
 何を言うでもない沈黙に、なんとなく居心地が良くて、つむぎは彼の方へ体を傾ける。
 きゅっと肩を寄せて、嫌がられてないからと夏目の手を取り、握りしめる。
 温かい。生きてる人の温度だ。
「……夏目くん」
 返事は無い。視線はそらされていない。
「ね、君の声が聞きたいです」
「……何、急にそんなこと言っテ」
「ふふっ……いえ、夏目くんの声を聞かせてほしいなって」
 流し目で隣を見る。淡い、消えてしまいそうなのに、力強い星色の瞳だ。不思議そうな顔で、くすっと笑った夏目くんは、君もきっと何かに呑まれていたのだろう。
「……今日のセンパイはなんだかセンチメンタルだネ?どうしたっていうのサ」
 手を握りあって。体温を感じて、身を寄せあって、光の散りばめられた空を見上げて。
 子供の頃に戻ったみたいだ。まるでどんな、高く厳しい困難さえ、笑って受け入れて、許してしまえるような心地がした。
「仕方ないナァ……星の話でもしてあげル。あそこに見える星をあっちの星と繋いデ──」
 夏目くんが、あまりにも柔く、澄んだ雰囲気をまとっているから。優しい声で、星座をつないでる君の横顔は、一枚の絵画みたいに綺麗だと思った。
 君の細く白い指先が、やけに眩しい。目眩がしてしまいそうだった。
 ここがホテルじゃなくて、ベッドの上じゃなくて。ふたりきりの夜空の中みたいに。星々の中を泳いでるみたいな。そんな気がして。
 一等輝くつむぎだけの星。
 もう二度と離れたくなくて、君と、ひとつになりたくて。だからだろうか。言うつもりもない言葉が喉につっかえた。ムズムズとして、はやく君に伝えたいと、この愛おしく、狂おしい、穏やかで激しい愛を、君に伝えたくて。
 じっと見つめれば、夏目くんが言葉を止めた。俺を見上げる。
「……センパイ?」
 この距離に緊張したのか、かすかに指先が震えているのが見えた。何かを口ごもるような姿。俺が何も言わないから、うろうろと視線を彷徨わせ、そして恥ずかしそうに目を伏せる。
 君の視線がこちらに向いていないことがいやだった。
 その顔に、手を添えて。肌を撫で、滑らかな感触に息をつく。何かを期待しているかのような、揺れる瞳。
「……夏目くん」
「……何」
 君の声はひどく震えていた。これから何を言われるか、知っているみたいだ。対する俺もまた、指先の戦慄きが止まらなかった。泣きそうなぐらい、君という奇跡に胸を詰まらせて。
 星座になれたら。ふたりで、決して離されることのない、空に浮かぶ絶対になれたら。
 声は、なぜだかするりと、呆気なく出ていった。
「……俺、君のことが──」
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