2025~
新年の祝賀会、といえば聞こえはいいが実際は祝い事に託けた飲酒の場所だ。
「……面白いものが何もないネ」
ふう、と息をついて夏目は視線を手元のグラスに落とす。あまりにも会場内の装飾と照明が眩しすぎて頭痛がしてきそうだった。
手に持っているのはノンアルコールの青いカクテル。パーティーへの同行者である男のイメージカラーに近い色を選んでしまったのは壁の花に徹していることへの不満からか、それとも夏目を放って見知らぬおじさんと談笑をしている楽しそうな顔への嫉妬からか。
まともに考えてしまうと惨めになりそうだった。ため息を深く吐き出してカクテルで口内を潤すと、改めて会場内をぼんやりと見渡す。
会場内はだだっ広い。そこかしこに花が飾られ、ぎらぎらと光っている下品な照明に反射して輝いているグラスの光。一流とされるであろう食事たちは立食のバイキング形式というせいで開始数時間経っても減っている様子が見られなかった。アルコールが入っているせいで人々は声が大きく騒がしい。無礼講をうたって、顔見知りの上役たちは呑気に朗らかに大口を開けてうるさい声で笑っていた。
そんな脂ぎった腹の黒そうなおじさんたちの中に混じりに行ってしまった男を夏目は探す。すぐに見つけられた。青いもじゃもじゃの髪を縛り、小奇麗にしてスリーピースを着こんだ四肢の長い均整の取れた体躯の青年。若干19歳にして芸能事務所の副所長になりその辣腕で弱小事務所を軌道に乗せたアイドル──青葉つむぎ、だ。
(なぁんか楽しそうじゃン)
手にはスパークリングワインのグラス。赤黒い色はきっと赤ワインなのだろう。二十歳を超えてから彼は酒の席に招かれることが多くなり、自然と飲み方を覚えたと言っていたのを思い出す。その顔が大人の男のモノに見えて、まるで夏目が知らない人になってしまったような気がして不安を覚えたのは今思い出しても面白くない。
彼が張り付けたような、外向きのアルカイックスマイルでおじさんの輪の中で何かを話している。夏目にできるのはニューディの不利益にならないように口を閉ざし、壁の花となって会場の様子を見ながら社会慣れすることだけだ。茨塾でこういった宴席の作法は教わっているが座学で理解するのと実際に体験するのとでは感覚が違う。どうにも人が多すぎて気持ち悪いし、アルコールの匂いが肺を満たして頭が痛い。こんな楽しくもなんともない場所で何故大人たちはこんなにも楽し気に笑えるのだろう。理解不能だ。
くるりとグラスを揺らす。少し前にクルーズ船で体験した記憶がよみがえる。あの時も小道具としてシャンパングラスを使ったな、と少し微笑みを顔に乗せて。グラスの中の水面が光を反射してきらりと光る。
視線を会場内に彷徨わせて、あてもなくきょろきょろ見回す。タキシード姿の男性や、ドレス姿の女性たちがやけにギラギラとした姿で笑い合っている。ああ、気味が悪い。息を引いて、もう一度慰めるように青いカクテルを飲み込む。
「──逆先くん、楽しんでる?」
「……エ、アァ……貴女は」
「ふふ、覚えてもらえていないみたいね?あなたのお母様と少し交流があるのよ」
声をかけてきた相手の方を見れば、そこにいたのは上品そうな二十代後半ぐらいの女性。夏目の母の知り合いとしては少し年齢が低そうだが、まあ、あの人なら年齢性別人種問わず気に入ったものにはアプローチをかけるから何の不思議もない。慌てた素振りを見せず、夏目は微笑みを浮かべた。ファンの子たちに向けるような蕩けたものではない、良識的な綺麗なものだ。
「母のお知り合いでしたカ?ボクとは面識がなかったと思いますガ……」
「ええ、そうよ。あなたのお母様に助けてもらってから、それなりにね。息子の夏目くんの話はすっごく聞かされているのよ。いい息子だって」
「……そうですカ。なんだか恥ずかしいですネ」
笑いながら話を続ける。彼女の名前は確かにマミィから聞いた覚えがあったものだ。商売相手……というかパトロンにはごまを擦った方がいいだろう。その気分で夏目は猫を被って笑っている。
「それにしても……普段のアイドル姿とはイメージが変わるわね?男前に見えるわよ」
「普段のボクは男前に見えませんカ?悲しいナァ」
「あら、普段の逆先夏目は男前というより妖艶なイメージを持たせているでしょ」
「よくご存じデ」
夏目が背を預けている壁の、その隣に同じようにもたれかかった貴婦人はいたずらっ子の顔をして隣の少年を覗き込む。
「そうしていると一人前の男性に見えるわね、お母様からは可愛い子、としか聞かされないから」
「……ハハ」
「スーツ、似合うじゃない。いいわね……今度、私の会社のモデルをしてみない?フォーマルなスーツなのだけど」
「仕事の話ならあっちで呑気に笑っている青葉にお願いしまス。うちとしても仕事をもらえるのは嬉しい話ですかラ」
視線を会場の奥に向ける。彼女もそちらを見て、あら、と声を出す。何かあったのか。いぶかしみつつ、おもてには出さず視線だけを彼女の方へ戻した。
「青葉くん、って逆先くんのパートナーとしてここへ来ていたわよね?」
「ボクが彼についてきた形ですけド、そうですネ」
「パートナーを務めているのなら相手のそばに居なきゃダメじゃない。大切な相棒を壁の花として萎れさせるなんて情けない男ね」
「……、アハハッ!そうなんですヨ。センパイ、本当にデリカシーもなければ気遣いもヘタクソなんでス」
「大切な相手ならなにを置いても大事にしなきゃねえ?花は愛情と手間暇をかけなければすぐに枯れてしまうってわからないのかしら」
「その言葉、彼にも言って欲しいくらいですヨ。それデ、なんでボクの大切な相手という話になっているんですカ?どこで聞いたか教えてもらってモ?」
「お母様はあなたのことをよく知っているみたいね。逆先くん」
黙り込む。これ以上この話を続けても藪蛇だと理解したからだ。曖昧に微笑んだ夏目に、もう一度彼女は笑いかけ背を壁から離す。近くのスタッフからグラスを受け取り、彼女は夏目に背を向けた。
「それじゃ、私はそろそろ行くわね。お仕事の話、いい返事をもらえると嬉しいわ」
「……そうですネ。母のことをよろしくお願いしまス。それではまタ」
楽しそうな彼女が笑みを浮かべ、夏目に不意に近寄ってきた。肩に手を置くと、少し低い位置から顔を近づける。避けなかったのは彼女の雰囲気が艶めいておらず、むしろ子供じみて悪い子供のようだったからだ。耳元に唇が寄せられ、彼女の少し低いハスキーな声が鼓膜を揺らす。
「……──」
じゃあね、と彼女はにやにやと楽しんでいるのがわかる顔で夏目に手を振り、すぐに社交の輪の中へ消えていってしまった。後姿を見送っていると、とん、と革靴が床を叩く音がかすかに耳に届く。振り返る前、夏目の腕を大きくて熱い何かが掴んだ。
「──夏目くん」
「……センパイ?どうしたノ。商談は終わったノ?途中で切り上げてきタ?何、体調でも悪ク……ッテ、なんで返事しないのサ。エ?本当にどうかしちゃっタ?」
振り向き、どうしたのかと尋ねても彼──つむぎ、は夏目の腕を掴んだまま動こうとしない。それどころか顔を上げることさえしない。かすかに香ったアルコールは、彼に染み付いた匂いだろうか。不愉快だった。いつもならば爽やかで硬い匂いがするつむぎが夏目の知らない匂いをまとって、知らない顔をして知らない空気を孕んでいる。不愉快でしかない。顔をぐしゃっと歪め、センパイ、と声をかける。
「仕事でここへ来たんでショ。それなのに肝心の仕事を放り投げてボクの方へ来るなんて副所長としてどうなノ?ほラ、はやくおじさんたちと楽しんできたラ?」
「俺が仕事の話をしている間、君は浮気ですか?」
「ハァ?何の話……ッテ、おイ、腕を引っ張るナ……!どこ行くつもりなノ……ッ」
何かいつもと雰囲気が異なるつむぎに腕を引かれ、連れていかれたのは会場の外。喧騒が少し遠くなっている。外は暗闇だ。冬の夜は寒くて静謐だった。
会場になっているホテル、庭園の片隅にあるベンチ。そこに腰かけ、二人で言葉を探って沈黙が落ちた。なんとなくいたたまれない。彼の真意もよくわからないし、手持ち無沙汰にすることもない。顔を上げ、夜空を見上げる。綺麗に晴れた三日月夜だ。星が輝いて夜空を彩っている。都会だからまあ、見える星は数えるほどしかないけれど。
彼と約束を交わした夜も、こんなきれいな紺青が広がっていた。つむぎにいさんと別れる前、夏目のわがままで彼と少し遠出をして。何も遮るものがない夜空を見上げて、都会の中よりは多く見える星たちの下で、世界の祝福を受けたかのような心地で将来を誓い合った。一番きれいな夜の話だ。
「……思い出しますね」
「……何の話?」
「ふふ、いいえ。今はまだ、答え合わせをするには早かったみたいですし、そうですね……この先はもっと俺と君が生きやすくなったら話しましょうか。思い浮かべているものは同じみたいですし」
わかりきってる、みたいな断定が気に食わない。鈍感の癖に。どうしてこんな時ばかりこの男は。
ため息を深くついて、視線を空から隣に向ける。思いの外熱を浮かべた強い視線が夏目を射抜いていた。どくりと心音が跳ねる。端正な顔立ちをしているせいで、表情を浮かべていないと冷たい印象さえ受けてしまう。真面目な顔をしているときは本当に格好いい。
「……何見てるノ」
「いえ、何を話していたのかなあって」
誰と、と言われずとも察した。先ほどの女性のことだ。母親の知人というだけで特に夏目には興味がなさそうというか、良い意味でどうでもよさそうな雰囲気だったが彼には伝わっていないらしい。
そもそもパーティーでパートナーに放置された夏目が誰と親しく会話をしようとその放置した本人が口を出せる問題ではないだろうに。自分本位だ。苛立ち紛れに息を吐く。どうせなら仕返しをしてやろうと思って。
「気になるノ?」
「えっ!いや、まあ、はい……」
「そウ。センパイには関係ないと思うけド。話してやる義理もないしネ」
睨みつけるように目を細めて冷たい声で突き放す。少しはこちらの気分も考慮してくれと思ってのことだ。悪いのは放置して楽しそうに自分だけ夏目の知らない人間たちと会話していたつむぎなのだから。
案の定苦々しい顔で息を呑んだ彼にわずかばかり溜飲が下がる。自分のことで彼を翻弄する瞬間というのは愉しくて仕方ない。夏目が内心にやついているとも知らず、つむぎの苦し気な声が続く。
「……あんなに親し気にしていたのに?彼女、君と面識がある人なんですか?どこで彼女と出会ったんです?どういう関係なんですか?」
「センパイには関係ないっていってル」
少し。ほんの少しムッとした。どうにもできない嫉妬心が湧き上がる。衝動のまま声を上げていた。
「センパイのためについてきてあげたっていうのにセンパイはボクをほったらかしておじさんたちのとこへ行っちゃうシ、あまつさえボクのことなんて忘れてお酒を飲んで尻尾を振って愛嬌を無駄に振りまいてるシ、なんのつもりなのサ。センパイには少しボクをエスコートするっていう役割の自覚が足りないんじゃなイ?」
黙り込んでしまった彼を気遣うこともなく、夏目は内心をひたすらに吐露していた。彼の方を見ることもしたくなかった。視線を俯け、自分の手に落とす。
「あ〜ァ、この間のドラマで王子様を演じたくせニ、叩き込まれたエスコートの作法はもう忘れちゃったんだネ。頭の中に脳みそじゃなくてモジャっ毛が詰まってる人間はさすが違うみたいダ」
「……どうしてそんな不機嫌なんですか〜?ついてきたいって言ったのは君でしょう?普段の君ならあんなに近くに女性を置くことなんてないのに、どうしたんですか?あんな場面、下手に写真にでも撮られたらどうするつもりだったんですか。少し不用心ですよ」
ひりだすように吐かれた声音は、弱くて掠れていた。ああ、これ、もしかして。思いついた彼の今のその感情は、きっと。浮かんできた答えを臆することなくぶつけるため、渇いた唇を舐め、もしかして、と。
「──そレ、嫉妬?」
息を呑む音。ビンゴ。正解みたいだ。気分がすぐに上がってしまう。心地いい。気分がいい。愉しくて仕方ない。にやけてしまうが抑え込んで、あくまで平常通りを装って彼を見る。
「え?……え、…………えっ?!」
薄暗闇の中でもわかるほど真っ赤な顔をして、つむぎは混乱していた。
「……あたりなんダ。ヘェ?ボクが女の人と仲良さそうに見えたからあわてて戻ってきて怒ってるんダ?」
責めるように言葉で追い詰める。彼は顔を覆って背を丸めた。わかりやすいひと。
「ううっ、そういわれるとなんだか俺が狭量な男に思えてきますよ~……」
「それならサァ」
うきうきとした声は隠せなかった。気づかれる前に畳みかける。
「嫉妬で束縛したお詫びとしテ、誠意を見せてくれなイ?」
交渉の術など使わずとも大手にたどり着いている。これからはただの楽しい狩りだろう。顔を上げたときに彼の表情を見るため、体ごと彼に向ける。背を起こした彼の顔は、残念なことに見えなかった。
「……そうですね、お詫びになるかはわかりませんが夏目くんのお願いをひとつ叶えてあげます。なんでもいいですよ?俺にしてほしいこととか、欲しいものとか、俺に叶えられることだったらなんでもしてあげます。これでも一応君の先輩ですからね~」
なるほど。対価はそれか。こちらに利がありすぎるとは思うが、据え膳を食べないほどヘタレではないのだ。
「……そウ」
「あれ?あ、あの〜?もしかしてあんまり乗り気じゃない…みたいですね?あっえっと、要らないのであれば無理強いはしませんよ……!?」
思っていたより冷たい声が出てしまって、つむぎが困惑してしまった。ふ、と息を笑うように吐いて彼を呼ぶ。こっち見て、とねだって。ようやく視線が合った。不安げに揺れるヘーゼルアイ。
「そレ、なんでもいいノ?」
「えっ?えっと……はい。俺にできることなら、ですけど」
「ふぅン……その言葉、忘れないでヨ」
「な、何を願うつもりですか?さすがに命の危険があることは俺でもちょっと躊躇っちゃいますよ……?」
にんまりと笑えばあからさまに怯えられてしまう。彼の方がいつもは夏目の体を蹂躙しているというのにこちらが少し牙を見せればすぐに弱々しくなる。
「ボクをなんだと思ってるノ……そうじゃないヨ、センパイ」
ため息をついて、手を伸ばす。
彼の首元を飾るネクタイを掴み、引き寄せその露出された耳元に熱い息を言葉と共に吐き出した。
「わひゃあっ!?」
「ネ、ボク、このパーティーあんまり楽しめてないんだけド、センパイはどウ?」
「仕事なので仕方ありませんよ〜」
あいにく誘惑はお手の物だ。
「そうじゃなくテ、センパイ?」
甘く濡れた声で愛撫してやる。
「退屈をしているかわいい恋人をさらえるぐらいの器量はあるのか、って聞いてるんダ」
「……え?」
くすりと笑ってつむぎの手を取る。冷え切った手だ。熱を分けるように、淫靡な夜を思い起こすように手の甲をするりと撫でる。そうして距離を離し、顔を見遣る。熱のこもった瞳が見えた。
至近距離でとろりととろけた瞳がこちらを真っ直ぐに見つめている。
視線を感じながらその手の甲にリップ音とともに口づける。
ねだるようなイタズラめいた輝きを浮かべ、妖しく笑って唇を開いた。低くしっとりとした熱のこもった声で。
「ネェ、ボクの魔法使いサマ?──お願いをひとつ叶えてほしいんだけド」
「……面白いものが何もないネ」
ふう、と息をついて夏目は視線を手元のグラスに落とす。あまりにも会場内の装飾と照明が眩しすぎて頭痛がしてきそうだった。
手に持っているのはノンアルコールの青いカクテル。パーティーへの同行者である男のイメージカラーに近い色を選んでしまったのは壁の花に徹していることへの不満からか、それとも夏目を放って見知らぬおじさんと談笑をしている楽しそうな顔への嫉妬からか。
まともに考えてしまうと惨めになりそうだった。ため息を深く吐き出してカクテルで口内を潤すと、改めて会場内をぼんやりと見渡す。
会場内はだだっ広い。そこかしこに花が飾られ、ぎらぎらと光っている下品な照明に反射して輝いているグラスの光。一流とされるであろう食事たちは立食のバイキング形式というせいで開始数時間経っても減っている様子が見られなかった。アルコールが入っているせいで人々は声が大きく騒がしい。無礼講をうたって、顔見知りの上役たちは呑気に朗らかに大口を開けてうるさい声で笑っていた。
そんな脂ぎった腹の黒そうなおじさんたちの中に混じりに行ってしまった男を夏目は探す。すぐに見つけられた。青いもじゃもじゃの髪を縛り、小奇麗にしてスリーピースを着こんだ四肢の長い均整の取れた体躯の青年。若干19歳にして芸能事務所の副所長になりその辣腕で弱小事務所を軌道に乗せたアイドル──青葉つむぎ、だ。
(なぁんか楽しそうじゃン)
手にはスパークリングワインのグラス。赤黒い色はきっと赤ワインなのだろう。二十歳を超えてから彼は酒の席に招かれることが多くなり、自然と飲み方を覚えたと言っていたのを思い出す。その顔が大人の男のモノに見えて、まるで夏目が知らない人になってしまったような気がして不安を覚えたのは今思い出しても面白くない。
彼が張り付けたような、外向きのアルカイックスマイルでおじさんの輪の中で何かを話している。夏目にできるのはニューディの不利益にならないように口を閉ざし、壁の花となって会場の様子を見ながら社会慣れすることだけだ。茨塾でこういった宴席の作法は教わっているが座学で理解するのと実際に体験するのとでは感覚が違う。どうにも人が多すぎて気持ち悪いし、アルコールの匂いが肺を満たして頭が痛い。こんな楽しくもなんともない場所で何故大人たちはこんなにも楽し気に笑えるのだろう。理解不能だ。
くるりとグラスを揺らす。少し前にクルーズ船で体験した記憶がよみがえる。あの時も小道具としてシャンパングラスを使ったな、と少し微笑みを顔に乗せて。グラスの中の水面が光を反射してきらりと光る。
視線を会場内に彷徨わせて、あてもなくきょろきょろ見回す。タキシード姿の男性や、ドレス姿の女性たちがやけにギラギラとした姿で笑い合っている。ああ、気味が悪い。息を引いて、もう一度慰めるように青いカクテルを飲み込む。
「──逆先くん、楽しんでる?」
「……エ、アァ……貴女は」
「ふふ、覚えてもらえていないみたいね?あなたのお母様と少し交流があるのよ」
声をかけてきた相手の方を見れば、そこにいたのは上品そうな二十代後半ぐらいの女性。夏目の母の知り合いとしては少し年齢が低そうだが、まあ、あの人なら年齢性別人種問わず気に入ったものにはアプローチをかけるから何の不思議もない。慌てた素振りを見せず、夏目は微笑みを浮かべた。ファンの子たちに向けるような蕩けたものではない、良識的な綺麗なものだ。
「母のお知り合いでしたカ?ボクとは面識がなかったと思いますガ……」
「ええ、そうよ。あなたのお母様に助けてもらってから、それなりにね。息子の夏目くんの話はすっごく聞かされているのよ。いい息子だって」
「……そうですカ。なんだか恥ずかしいですネ」
笑いながら話を続ける。彼女の名前は確かにマミィから聞いた覚えがあったものだ。商売相手……というかパトロンにはごまを擦った方がいいだろう。その気分で夏目は猫を被って笑っている。
「それにしても……普段のアイドル姿とはイメージが変わるわね?男前に見えるわよ」
「普段のボクは男前に見えませんカ?悲しいナァ」
「あら、普段の逆先夏目は男前というより妖艶なイメージを持たせているでしょ」
「よくご存じデ」
夏目が背を預けている壁の、その隣に同じようにもたれかかった貴婦人はいたずらっ子の顔をして隣の少年を覗き込む。
「そうしていると一人前の男性に見えるわね、お母様からは可愛い子、としか聞かされないから」
「……ハハ」
「スーツ、似合うじゃない。いいわね……今度、私の会社のモデルをしてみない?フォーマルなスーツなのだけど」
「仕事の話ならあっちで呑気に笑っている青葉にお願いしまス。うちとしても仕事をもらえるのは嬉しい話ですかラ」
視線を会場の奥に向ける。彼女もそちらを見て、あら、と声を出す。何かあったのか。いぶかしみつつ、おもてには出さず視線だけを彼女の方へ戻した。
「青葉くん、って逆先くんのパートナーとしてここへ来ていたわよね?」
「ボクが彼についてきた形ですけド、そうですネ」
「パートナーを務めているのなら相手のそばに居なきゃダメじゃない。大切な相棒を壁の花として萎れさせるなんて情けない男ね」
「……、アハハッ!そうなんですヨ。センパイ、本当にデリカシーもなければ気遣いもヘタクソなんでス」
「大切な相手ならなにを置いても大事にしなきゃねえ?花は愛情と手間暇をかけなければすぐに枯れてしまうってわからないのかしら」
「その言葉、彼にも言って欲しいくらいですヨ。それデ、なんでボクの大切な相手という話になっているんですカ?どこで聞いたか教えてもらってモ?」
「お母様はあなたのことをよく知っているみたいね。逆先くん」
黙り込む。これ以上この話を続けても藪蛇だと理解したからだ。曖昧に微笑んだ夏目に、もう一度彼女は笑いかけ背を壁から離す。近くのスタッフからグラスを受け取り、彼女は夏目に背を向けた。
「それじゃ、私はそろそろ行くわね。お仕事の話、いい返事をもらえると嬉しいわ」
「……そうですネ。母のことをよろしくお願いしまス。それではまタ」
楽しそうな彼女が笑みを浮かべ、夏目に不意に近寄ってきた。肩に手を置くと、少し低い位置から顔を近づける。避けなかったのは彼女の雰囲気が艶めいておらず、むしろ子供じみて悪い子供のようだったからだ。耳元に唇が寄せられ、彼女の少し低いハスキーな声が鼓膜を揺らす。
「……──」
じゃあね、と彼女はにやにやと楽しんでいるのがわかる顔で夏目に手を振り、すぐに社交の輪の中へ消えていってしまった。後姿を見送っていると、とん、と革靴が床を叩く音がかすかに耳に届く。振り返る前、夏目の腕を大きくて熱い何かが掴んだ。
「──夏目くん」
「……センパイ?どうしたノ。商談は終わったノ?途中で切り上げてきタ?何、体調でも悪ク……ッテ、なんで返事しないのサ。エ?本当にどうかしちゃっタ?」
振り向き、どうしたのかと尋ねても彼──つむぎ、は夏目の腕を掴んだまま動こうとしない。それどころか顔を上げることさえしない。かすかに香ったアルコールは、彼に染み付いた匂いだろうか。不愉快だった。いつもならば爽やかで硬い匂いがするつむぎが夏目の知らない匂いをまとって、知らない顔をして知らない空気を孕んでいる。不愉快でしかない。顔をぐしゃっと歪め、センパイ、と声をかける。
「仕事でここへ来たんでショ。それなのに肝心の仕事を放り投げてボクの方へ来るなんて副所長としてどうなノ?ほラ、はやくおじさんたちと楽しんできたラ?」
「俺が仕事の話をしている間、君は浮気ですか?」
「ハァ?何の話……ッテ、おイ、腕を引っ張るナ……!どこ行くつもりなノ……ッ」
何かいつもと雰囲気が異なるつむぎに腕を引かれ、連れていかれたのは会場の外。喧騒が少し遠くなっている。外は暗闇だ。冬の夜は寒くて静謐だった。
会場になっているホテル、庭園の片隅にあるベンチ。そこに腰かけ、二人で言葉を探って沈黙が落ちた。なんとなくいたたまれない。彼の真意もよくわからないし、手持ち無沙汰にすることもない。顔を上げ、夜空を見上げる。綺麗に晴れた三日月夜だ。星が輝いて夜空を彩っている。都会だからまあ、見える星は数えるほどしかないけれど。
彼と約束を交わした夜も、こんなきれいな紺青が広がっていた。つむぎにいさんと別れる前、夏目のわがままで彼と少し遠出をして。何も遮るものがない夜空を見上げて、都会の中よりは多く見える星たちの下で、世界の祝福を受けたかのような心地で将来を誓い合った。一番きれいな夜の話だ。
「……思い出しますね」
「……何の話?」
「ふふ、いいえ。今はまだ、答え合わせをするには早かったみたいですし、そうですね……この先はもっと俺と君が生きやすくなったら話しましょうか。思い浮かべているものは同じみたいですし」
わかりきってる、みたいな断定が気に食わない。鈍感の癖に。どうしてこんな時ばかりこの男は。
ため息を深くついて、視線を空から隣に向ける。思いの外熱を浮かべた強い視線が夏目を射抜いていた。どくりと心音が跳ねる。端正な顔立ちをしているせいで、表情を浮かべていないと冷たい印象さえ受けてしまう。真面目な顔をしているときは本当に格好いい。
「……何見てるノ」
「いえ、何を話していたのかなあって」
誰と、と言われずとも察した。先ほどの女性のことだ。母親の知人というだけで特に夏目には興味がなさそうというか、良い意味でどうでもよさそうな雰囲気だったが彼には伝わっていないらしい。
そもそもパーティーでパートナーに放置された夏目が誰と親しく会話をしようとその放置した本人が口を出せる問題ではないだろうに。自分本位だ。苛立ち紛れに息を吐く。どうせなら仕返しをしてやろうと思って。
「気になるノ?」
「えっ!いや、まあ、はい……」
「そウ。センパイには関係ないと思うけド。話してやる義理もないしネ」
睨みつけるように目を細めて冷たい声で突き放す。少しはこちらの気分も考慮してくれと思ってのことだ。悪いのは放置して楽しそうに自分だけ夏目の知らない人間たちと会話していたつむぎなのだから。
案の定苦々しい顔で息を呑んだ彼にわずかばかり溜飲が下がる。自分のことで彼を翻弄する瞬間というのは愉しくて仕方ない。夏目が内心にやついているとも知らず、つむぎの苦し気な声が続く。
「……あんなに親し気にしていたのに?彼女、君と面識がある人なんですか?どこで彼女と出会ったんです?どういう関係なんですか?」
「センパイには関係ないっていってル」
少し。ほんの少しムッとした。どうにもできない嫉妬心が湧き上がる。衝動のまま声を上げていた。
「センパイのためについてきてあげたっていうのにセンパイはボクをほったらかしておじさんたちのとこへ行っちゃうシ、あまつさえボクのことなんて忘れてお酒を飲んで尻尾を振って愛嬌を無駄に振りまいてるシ、なんのつもりなのサ。センパイには少しボクをエスコートするっていう役割の自覚が足りないんじゃなイ?」
黙り込んでしまった彼を気遣うこともなく、夏目は内心をひたすらに吐露していた。彼の方を見ることもしたくなかった。視線を俯け、自分の手に落とす。
「あ〜ァ、この間のドラマで王子様を演じたくせニ、叩き込まれたエスコートの作法はもう忘れちゃったんだネ。頭の中に脳みそじゃなくてモジャっ毛が詰まってる人間はさすが違うみたいダ」
「……どうしてそんな不機嫌なんですか〜?ついてきたいって言ったのは君でしょう?普段の君ならあんなに近くに女性を置くことなんてないのに、どうしたんですか?あんな場面、下手に写真にでも撮られたらどうするつもりだったんですか。少し不用心ですよ」
ひりだすように吐かれた声音は、弱くて掠れていた。ああ、これ、もしかして。思いついた彼の今のその感情は、きっと。浮かんできた答えを臆することなくぶつけるため、渇いた唇を舐め、もしかして、と。
「──そレ、嫉妬?」
息を呑む音。ビンゴ。正解みたいだ。気分がすぐに上がってしまう。心地いい。気分がいい。愉しくて仕方ない。にやけてしまうが抑え込んで、あくまで平常通りを装って彼を見る。
「え?……え、…………えっ?!」
薄暗闇の中でもわかるほど真っ赤な顔をして、つむぎは混乱していた。
「……あたりなんダ。ヘェ?ボクが女の人と仲良さそうに見えたからあわてて戻ってきて怒ってるんダ?」
責めるように言葉で追い詰める。彼は顔を覆って背を丸めた。わかりやすいひと。
「ううっ、そういわれるとなんだか俺が狭量な男に思えてきますよ~……」
「それならサァ」
うきうきとした声は隠せなかった。気づかれる前に畳みかける。
「嫉妬で束縛したお詫びとしテ、誠意を見せてくれなイ?」
交渉の術など使わずとも大手にたどり着いている。これからはただの楽しい狩りだろう。顔を上げたときに彼の表情を見るため、体ごと彼に向ける。背を起こした彼の顔は、残念なことに見えなかった。
「……そうですね、お詫びになるかはわかりませんが夏目くんのお願いをひとつ叶えてあげます。なんでもいいですよ?俺にしてほしいこととか、欲しいものとか、俺に叶えられることだったらなんでもしてあげます。これでも一応君の先輩ですからね~」
なるほど。対価はそれか。こちらに利がありすぎるとは思うが、据え膳を食べないほどヘタレではないのだ。
「……そウ」
「あれ?あ、あの〜?もしかしてあんまり乗り気じゃない…みたいですね?あっえっと、要らないのであれば無理強いはしませんよ……!?」
思っていたより冷たい声が出てしまって、つむぎが困惑してしまった。ふ、と息を笑うように吐いて彼を呼ぶ。こっち見て、とねだって。ようやく視線が合った。不安げに揺れるヘーゼルアイ。
「そレ、なんでもいいノ?」
「えっ?えっと……はい。俺にできることなら、ですけど」
「ふぅン……その言葉、忘れないでヨ」
「な、何を願うつもりですか?さすがに命の危険があることは俺でもちょっと躊躇っちゃいますよ……?」
にんまりと笑えばあからさまに怯えられてしまう。彼の方がいつもは夏目の体を蹂躙しているというのにこちらが少し牙を見せればすぐに弱々しくなる。
「ボクをなんだと思ってるノ……そうじゃないヨ、センパイ」
ため息をついて、手を伸ばす。
彼の首元を飾るネクタイを掴み、引き寄せその露出された耳元に熱い息を言葉と共に吐き出した。
「わひゃあっ!?」
「ネ、ボク、このパーティーあんまり楽しめてないんだけド、センパイはどウ?」
「仕事なので仕方ありませんよ〜」
あいにく誘惑はお手の物だ。
「そうじゃなくテ、センパイ?」
甘く濡れた声で愛撫してやる。
「退屈をしているかわいい恋人をさらえるぐらいの器量はあるのか、って聞いてるんダ」
「……え?」
くすりと笑ってつむぎの手を取る。冷え切った手だ。熱を分けるように、淫靡な夜を思い起こすように手の甲をするりと撫でる。そうして距離を離し、顔を見遣る。熱のこもった瞳が見えた。
至近距離でとろりととろけた瞳がこちらを真っ直ぐに見つめている。
視線を感じながらその手の甲にリップ音とともに口づける。
ねだるようなイタズラめいた輝きを浮かべ、妖しく笑って唇を開いた。低くしっとりとした熱のこもった声で。
「ネェ、ボクの魔法使いサマ?──お願いをひとつ叶えてほしいんだけド」
