2023年〜2024年に書いたもの

 君は、いつだって俺を愛してくれる。

「……、最後の朝が来たね。独身最後の朝」
 朝日が差し込む室内。ちょうどよい空調に比例して俺はだらだらと嫌な汗をかいていた。
「どうしたの?つむぎにいさん。ここはそんな死にそうな顔をするところじゃないよ。そんなに緊張して、冗談にも乗ってくれないの?」
「どうして君は緊張していないんですか~?!夏目ちゃん、俺なんて今にも倒れそうなんですよ~?!」
「あはは……!おかしな顔!」
 ひとしきり笑ってから仕方ないひと、みたいに俺を見て、俺の顔が酷かったのか苦笑に変える君。記憶の中の君より大きくなって美しく、可愛らしく成長していてなんだか色っぽくも見える。ああ、夏目ちゃんはやっぱり世界一の女の子だ。だってこんなに気高くていい子を俺はこの子以外に知らないのだから。
「もうっ!今日はちゃんとかっこよくしていてって言ったのに!もうだめそうじゃん、ダメなにいさんにならないでよ~?」
 腰に手を当て怒ったように頬を膨らませる君。慌ててご機嫌取りになだめすかして頑張りますから、と言えばちらりと琥珀色の瞳が俺を見上げた。
「……、頑張らなくてもいいのに」
「……へ?」
「もう!もうっ!言わせないでよね~!?なつめにとってのつむぎにいさんはその……なにもなくっても、かっこいい、から……、その、だから……、ああもう!こんなこと言わなきゃわかんないの?!」
「わっ、ええ?ちょ、言い出したのは君なのに怒りださないでくださいよ~」
 きれいな白いレース地の衣装が衣擦れの音を立てる。こんな日に怒らないでほしいのに。ああほら、癇癪なんて起こすとせっかくの衣装がよれちゃう。
「なつめちゃん、怒るのはあとで!ねっ?俺にならどれだけ八つ当たりしてもいいですから、そのウエディングドレスだけは破らないで」
「もうそんな子供じゃないもん!怒って衣装をめちゃくちゃになんてしないもん!」
「ああもう、止まって」
 振りかざした手を掴む。手首は細くて簡単に動きを封じられた。どくりと鼓動が騒ぐ。夏目ちゃんの甘い香りがした。ぐ、とその細腰を抱き寄せて腕の中に閉じ込める。いつもこんなに器用だったらどれほどいいか。
「っ、つむぎにいさん……」
「……もう、おてんばさん。ダメですよ。これから君の一生の大舞台なんですから。ね?怒らないで、俺だけ見ていて」
 俺が笑いかけると君はぐ、と言葉を飲み込んで真っ赤になって黙り込む。可愛らしすぎる仕草につい笑ってしまう。クスクスと笑っているとぶすくれた夏目ちゃんが俺を睨む。その目は真っ赤で涙が薄く張っていた。
「バカ!知らない!つむぎにいさんなんて知らないんだから!!」
「わっ、暴れないで、服が駄目になっちゃいます〜!それに控室で乱闘する新郎新婦だなんて知られたら君のお母さんとお父さんは驚いちゃいますよ〜!?」
「乱闘なんてしないもん!!」
 夏目ちゃんをぎゅうと抱きしめる。羽交い締めにはできないから、抵抗できないように強く。少し痛いのか夏目ちゃんがう、と声を漏らした。
「……つむぎにいさん」
「?はい」

「――この日を迎えるために、生きていてくれてありがとう」
 ぱちん。驚いて声が出ない。夏目ちゃんを見下ろした。こちらを真っ直ぐに見上げるひと対のまん丸の穢れのなにもない瞳。
「つむぎにいさん。この手はね、絶対離れないの。お伽噺のおうじ様とお姫さまが離れ離れにならないように、なつめたちも、絶対に離れたりしない。そうだったでしょ?なつめがいなくても、にいさんのそばにはなつめがいた。同じだよ。なつめのそばにもずうっと、大切なにいさんがいた」
 目を細めて愛おしいものを見つめる君。きれいだと、単純にそう思った。
 君は言葉を続ける。俺の体に腕を回して、ぎゅうと抱きしめて。
「だからたとえこの手が離れても、夏目はつむぎにいさんのことを思っているから。だから、おねがい、夏目が知らないとこで勝手にいなくなろうとしないで。そんなことしたらなつめ、怒っちゃうからね?」
 むう、とむくれた君が俺の頬を手で挟む。小さくて柔らかな手だ。いつの間にか離れていた君が、俺の唇にちゅっとキスを落とす。

 ――夢の中の君は、いつだって俺を愛してくれる。

 気がついたら、君は普段の夏目くんになっていた。夏目ちゃんはもういない。俺の幻想で、俺の都合のいい妄想の夏目ちゃんは、もういない。
 手に握りしめられたナイフがぬらりと光を反射する。夏目くんがそれを見て、苦しそうに顔を歪めた。でも君は俺を見捨てようとしない。俺だけを見て、俺の手にあるナイフを痛ましそうに見る。痛みを感じているのがまるで俺の方だと言うみたいな顔で。
「……っあ、ど……、ぅ、……して……?」
 この手に握ったナイフはきっと、君を、君の大事なものを、すべてぐちゃぐちゃにしてしまうから。だからどうか、最後に見る君が泣いていませんように。その涙を俺がぬぐってあげられたら。そんなあり得ないことを願って、こんなダメな俺を愛してくれた人のために、俺は世界で一番大事な君を、君を、この手で。……この手で。
「……ごめんなさい、ごめんなさい。ごめんなさいっ……なつめくん……俺、俺は……ダメで、だめな、さいていな、にいさんだ……」
「……そんなことないヨ。あのネ、つむぎにいさん。聞いテ。ボクにとってあなたはいつでも優しくテ、穏やかデ、まるでお伽噺の中の王子様みたいだったんダ。それだけじゃないって知ったのはあとからだけド……それでもボクはあなたが愛おしいと思ってル。
 ――つむぎにいさん、ボクはそんなあなただから好きになったんだよ」
「……」
 ぽとり。雫が落ちた。泣いてる。泣いている。どうして。
「……っ、ぁ、おねが、だ、から……泣かないで……なつめくん」
 ぽたぽたと透明な雫を落として君は泣きじゃくる。幼い頃の面影が重なった。君はいつでも感情の起伏が大きくて、それがすごく可愛らしくて。ねえ、泣かないで。泣かせたのは俺だけど、俺だけど、そんなことを言える資格がないのはわかってるけど、でも。
 ――どうして世界はこんなにひどいんだろう。
 泣かせたくなかった君を泣かせてしまうのが俺だなんて。優しいと言ってくれた、俺を頼りにしていてくれた、大切な子。そんな子を泣かせて傷つけて、ずたずたにする役目が俺にあるだなんて。ああ、どうして。
「だから、ね。つむぎにいさん」
 夏目くんがよろよろと近づいて、ナイフを握ったままの俺の身体を抱きしめる。女の子の身体はいつのまにか現実通りの男の子のそれになっていて、君はすっぽりと腕の中に俺を抱きしめた。
「泣かないで。たとえどうなったとしても、涙なんて見せないで?
 ……泣かせるために再会できたんじゃないんだかラ。ネ?笑っていてヨ、ボクの大事な人。それだけは今も昔もこれからもずうっと変わらないんだからサ」
 ああ、どうして。どうして俺は君を傷つけないといけないんだ。大多数の幸福のため、幸せにしてあげたかった君を犠牲にして、どうして俺は。
「……バカなひと」
 君の香りが血の匂いに変わる。抱きしめられたときに握っていたナイフが君を貫いていた。君は脂汗を浮かべて、真っ青な顔で、真っ赤な血だらけの手で俺の頬を撫でる。愛おしそうに、大切そうに。ゆっくりと。
「……センパイ」
 死ぬわけじゃない。この討伐が終わっても君は死ぬわけじゃない。誰も死なないで、血を流さないで革命は大団円を迎える。なのにどうしてか、俺は、君を喪うような心地でいた。
「――ボクはあなたを愛しているよ」
 感覚が薄れていく。朝が来るのだと気づいた。君の輪郭が薄れていく。君を喪う朝が来る。大切な君を、俺に笑いかけてくれた君を喪う朝日が差す。ああ、なんで。なんで俺の欲しいものはいつも奪われてしまうんだろう。
 隠して見えないようにしてきた痛みがじくりと疼く。痛みなんて知らないはずだ。だからここまで生きてこれたのに。ねえ、欲しいものも、欲しかったものも、全部全部いらないから。俺のすべてをあげてもいいから。だから君の笑顔だけは、奪わないで。おねがい、お願いします、ねえ、
 ――おれはこんな目に合わなきゃいけないぐらい、悪い子だったの?
「ッ……!!」
 目を覚ます。何か夢を見ていた気がした。ぐっしょりと寝汗で濡れた髪を払って俺はため息をつく。嫌な夢でも見ていたんだろう。最悪だ、こんないい日なのに。討伐が終わってみんなが幸せになれる最高の日なのに、なんて夢を見ていたんだろう。その内容も何も思い出せないけれど。なにかとても、……とてつもなく酷い夢だったのだけはわかった。
 外は快晴。いい朝だ。最後の朝にふさわしい、良い朝だ。不意に誰かの声が聞こえたような気がして、首をひねる。瞼を一度またたかせたら。すると声の主はおろか、気配さえも掻き消えた。こうすると悪夢は消えると知っていた。昔から救われてきた方法だ。ね。ほら。もうその声の主が誰だったか思い出せない。
9/9ページ
スキ