2023年〜2024年に書いたもの

 ざあざあと雨が窓を強く叩く。夜の帳が下りた世界は真っ暗で、雨粒の音以外何も聞こえてこない。まるで世界に一人きりになった気がした俺はリビングへ裸足で向かう。スリッパをいつも忘れてしまうから夏目くんには怒られるんだけど、今は彼もいないしいいや。
 なんとなくで牛乳を温め、なんとなくでスマホを開く。
 ネットニュースには夏目くんがいて、夏目くんの演じた恋愛ドラマがどうこうと書かれている。これ、前に言ってた役作りがやけにやりやすかった、とかいうやつじゃ。スワイプ、タップ。
 
 ――“作中では声を荒らげるシーンがありましたが、普段の逆先さんはそういったイメージがないため驚いたファンも多いのでは?”
「……わかってないなぁ」
 夏目くん、繊細そうな見た目してるのに、結構声は大きいし罵声も飛ぶし口も悪いし。そんな普段を知らないファンたちには理想の彼氏、みたいに言われているのだと知ったのは少し前。夏目くんが「彼氏にしたい芸能人」とかいう番付で高位にランキングされたと聞いたときだ。そのときは思わず夏目くんに夢を見てる子はたくさんいるんですね、と話してしまって殴られたのだが。
 スマホの向こうの夏目くんは穏やかにミステリアスに笑っている。煙に巻くのがうまい彼の処世術だ。可愛らしくて、子供っぽいから好きである。
 ぱたぱた、とっと、と雨が窓ガラスを叩く。俺はホットミルクに口をつけ、ゆっくりと嚥下する。夏目くんの気配がするこの部屋は、夏目くんの二十歳の祝いにと借りた俺達の愛の巣。あちこちに夏目くんの趣味のインテリアがあって、俺のものも置いてあるからどこか不思議な気持ちになる。混ざり合って、溶け合った俺達の部屋には、いつだって二人分の呼吸が息づいているから。
 すり、と脚をこする。少し肌寒い。
 まだ夜は少し寒くて、膝掛けを持ってくればよかったと後悔。一人きりの部屋はなぜかとてもさみしくて、息がしづらい。
 寝室に戻るのも億劫で机に伏せる。目を閉じれば真っ暗の中で雨音がするだけ。

 一人が寂しいことだなんて、知らなかった。
 夏目くんが教えてくれたことはたくさんある。
――例えば、ベッド。
 一人のベッドが寂しいことだと知らなかった俺は、それを当たり前だと思っていた。でも、君が教えてくれたんですよ。冷たいベッドは悲しくて寂しいものだと。君に出会うまで知らなかったんです。知らなくても生きてこれました。でも、知ってしまったら戻れなくて。責任ぐらい取って欲しいなぁ、なんて思ってしまうんです。

 ぴこん、とスマホがメッセージの受信を告げる。手繰り寄せて見れば夏目くんからだった。
 少しやり取りをして、そういえば、とメッセージを送る。
 もうすぐで帰ってくる彼を待っていたかったという理由もあった。
【君はまだ、俺のことをわからないと思いますか】
 なに、急に、とだけ返ってきた。
【気になってしまって】
 沈黙。既読はついても返信がない。呆れられたかな。
 君が俺のことを多少は理解してくれていると知っているから多分、君はきっと馬鹿な人、とでも画面を見てつぶやいてるんだろう。
 少ししてチャット欄が動く。
【ボクのことが好きなセンパイのことなら、良く、ね】
 がたん、後ろで音がした。気づけば俺は立っていて、立ち上がった拍子に椅子が倒れた。真夜中に近所迷惑を、と思ったけどそういえばこの部屋は防音だった。
【でも、俺でさえ、俺が君を本当に好きなのかも分からないのに。
 ……君のおかげでなんとか人間らしくはなってきましたが、この感情が本当なのか分からないんですよ?】
【本当の意味での好意がなにかなんてわかる人はいないんだし当たり前でしょ】
 ぴろん、ぴろん、着信を告げる音が軽快に鳴り響く。珍しく今夜は饒舌だ。続けて送られるメッセージは、俺を納得させるためじゃなんかじゃなくて、ただ思ってることを言ってるだけみたいで。それがかえって嬉しかったりする。
【それに】
【センパイがボクのことを好きだと信じたいのなら、それが答えでしかないだろ】
 男前だ。かっこいい。
 こういうところはかっこいいんですよね。
 普段はすごく可愛いのに。
【好きです】
【知ってる】
【好きです、好き。君が好き】
【センパイ?】
【眠いときに俺に擦り寄ってくるのも、つまらないときは暴力的になるのも、照れ隠しでつっけんどんになるのも、指の形が左の人差し指だけおかしいのも、俺にかっこよく見られたいのも、ぜんぶ、ぜんぶ】
【ぜんぶ、大好きなんです】
【ちょ、何? センパイおかしくなっちゃった?】
【夏目くん、早く帰ってきて。君の目を見て言いたいんです、好きだって】
【あぁもう、わかった!わかったから何度も繰り返すな!】
 怒ってる猫のスタンプ。かわいい。この先は、君の顔を見て言いたいから控えますけど、こんなのじゃ足りないくらい君が好きなんです。知っているでしょう?
 がちゃんと音がして、玄関の方から明かりが漏れる。
 帰ってきた。廊下を歩くと夏目くんのまんまるな琥珀色の瞳が俺を写す。
「好きです、夏目くん」
「……そこは普通おかえりとかじゃないノ?」
「まず伝えたかったのがこれなので」
 にこ、と笑えば彼は飽きれたようにため息をついた。鞄を受けとり、彼の部屋に持っていく。後ろを向くとじいとこちらを訝しげに見ている双眸。
「いきなりどうしたのサ、センパイ。おかしなものでも拾い食いしちゃっタ?」
「ひどいです!告白してるだけなのに〜!」
「そういうところだヨ⋯⋯ハァ、で?何?」
「好きですよ、夏目くん」
「それはもう聞いたヨ」
「⋯⋯何度でも言いたいんです。繰り返しますが、君のことが俺は好きです」
 胡乱げな瞳は俺を不審そうに見遣る。もう一度伝えようと口を開くと、彼は言うな、と俺のくちびるを指で押した。
「それ以上は嘘っぽくなるかラ、嫌。聞きたくなイ。しつこすぎル」
「えぇ。まだ言い足りないのに」
 む、と頬を膨らませる。もう言わないでよね、ともう一度釘を差すように言った表情。
「じゃあ、最後にこれだけ――」
 夏目くんの手を取る。その手の甲に口付けて。

「俺を一人にしないでくれたきみが、好きです」

 少し気障っぽいかもしれない。そう思った。夏目くんの目を見つめて柔らかな心地のまま笑う。嬉しくて、温かくて、先程までの冷たくて寂しい感情なんてどっかいったから。
 ぎゅうと腕を引き寄せ、その身体を抱きしめる。夏目くんは抵抗もせずに俺の腕の中で少し動いて、されるがままだ。顔を覗き込むとムッとした顔。
「…………つむぎにいさんの、バカ」
「はい、馬鹿ですよ、俺は」
 君がいないと痛みすら分からないんだから。
 俺は嬉しくて笑って、君にキスをした。
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