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朝菊短編集

アーサーが風邪をひいた。そのことを知らされたのはアーサー本人ではなくフランシスからだった。
「あれ、菊ちゃん知らなかった?」
「……はい」
「あいつの恋人なのに?」
「……ええ」
「あー、あのバカ弱ってるところ見せたくないとかで言わなかったんだろうな」
「……」
「行ってあげてよ、菊ちゃん。あいつ、絶対寂しくて泣いてるって」
そう言われアーサーの住むマンションの部屋の前に来たはいいもののなかなな呼び鈴が押せない。迷惑じゃないのか、そう考え出すときりがない。もうかれこれ十分はここに立っている。ええいままよ。と勢いで呼び鈴を押す。
「アーサーさん?」
「ち、帰れひg……あ?菊?」
「やはり迷惑でしたよねすみません帰ります」
「ちょっ、まっ、お、おい!帰んなって!」
ドタドタと音がしてドアが開く。出てきたアーサーに肩を掴まれ全力で引き止められる。痛いですってこのバカ。不機嫌が伝わったのか申し訳なさそうなアーサーに苛立ちを覚える。
「菊……」
「アーサーさんのバカ。なんで私を頼ってくれなかったんですか。私達恋人でしょう?」
「……だって」
ゴニョゴニョと口を動かし言葉にならない音声記号を発するアーサー。あらためて見たその顔は真っ赤で。熱がある、しかも重度のやつ。それは明白だった。おでこに鎮座している冷えピタもぬるくなっているのだろう。フラフラと落ち着きがないのは立つという行為を意識しないと出来ないからであろう。
「アーサーさん、とりあえず中へ」
「あっ、お、おう。……そう、だな」
今はとにかく彼を休ませるのが一番だ。ベッドルームにアーサーを支えながら連れていく。入った部屋は、冷房が有り得ないほどに効いていた。この人はバカなのか。こんな空調で熱が下がるはずがないのに。
「きく?」
ベッドに横になると私の顔が良く見えるようになったため、不機嫌さがよく伝わってしまうのだろう。不安げにアーサーは菊の表情を伺い見ている。
「はあ……アーサーさん」
アーサーの肩がはねた。親に怒られる子供のような反応を返すアーサーに呆れが出てくる。いや、呆れより憐憫か。
「なぜ、私を頼ってくれなかったんですか」
私は彼の答えを聞かず、薄暗い部屋を出た。

さあ、キッチンに来ればやることがポンポンと頭に浮かぶ。
まずお粥を作って買ってきたリンゴを切って、ポカリをコップに入れて。市販薬の風邪薬を数粒、規定通りに用意して。お粥が出来上がればアーサーの元へ持っていくためのお盆を出して。体温計も一緒に持っていこうか。
お盆に載せたいろいろを慎重に運ぶ。アーサーの部屋の前まで来て、音を立てないようにドアをそろそろと開ける。
ベッドの横のテーブルに一式を置いて、アーサーのおでこでぬるくなっている冷えピタを張り替えて。ついでにタオルで汗を拭き取る。起こさないように、そろりそろりと。拭き終わるところでアーサーが吐息を漏らす。だいぶ楽になったのだろう。うなされてた彼の表情はいくらか和らいでいた。
「アーサーさん……」
ベッドの淵に腰掛けて彼を見る。頭を撫でてやると口角が上がった。いい夢を。
そうして私は彼の部屋を後にした。


再びキッチンに戻り手にしたのはスマホ。電話帳から知り合いの名を探し出す。名前は、フランシス。数回のコールのあと、繋がった。
「アロー」
「こんにちは、フランシスさん。私です、菊です」
「ああ、菊ちゃん。…アーサーはどう?」
「今しがた眠ったところです。あのバカ」
「どうしたの?惚気じゃないなら聞いてあげるよ」
「この私を頼らないあのバカのことをデレデレと惚気られますか。ほんっと馬鹿な人なんだから」
「俺にとっちゃそれも惚気なんだけどなぁ」
肩をすくめるフランシスが脳裏に浮かぶ。そんなこと言っても結局聞いてくれる彼の優しさに思わず笑う。
「あっ、菊ちゃん何笑ってんの」
「いえ、フランシスさんは優しいなぁ、と」
「まあお兄さんだしね!…それで、なんで俺に電話してきたの?」
おや、本題を聞かれてしまった。言い出そうとしたことは言うタイミングが見い出せなかったのでまあいいか。今電話したのは、アーサーのことで少し話があるのだ。
「フランシスさん、少し来てくれますか?」
「ん、なんで?いいけど」
「いえ、少しあの人に言わないといけないことが」
「なに、修羅場に俺かりだされるの?」
「……まあ、そうとも言えます」
「ええ。やだよ」
「だって。そうでもしないとあの人迷惑かけたことに対して謝ることしないから」
「あー、なるほど……」
「とりあえずあの人説得して貴方に謝ることぐらいさせます」
「頑張ってね」
「あら、来てくれないんですか」
他人事のように呟かれた言葉に反応する。フランシスは嫌なことを言うトーンで言葉を返してきた。
「だって、あいつ絶対俺には謝らないよ。賭けてもいい」
「おや、貴方、賭け事で私に勝ったことないくせに」
「今回は絶対俺の言うとおりになるね」
「じゃあ私が勝ったら何かひとつ言う事聞いてもらいますね」
「俺が勝つからね!」
そこで通話を終わらせる。さあ、私の信条は有言実行なのだ。どうしてでも謝らせますよ。

そして数日後、フランシスへアーサーからの謝罪の電話が来ることはまだ先の話。


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