梅雨の笑顔
なんでまた私は相合傘をしているのでしょうか、と春歌は頭を抱えた。
隣で傘を持つトキヤと会話は無い。重い沈黙が雨の中、傘の中という小さな半閉鎖空間にどんよりと立ち込めていた。
事の発端は春歌が折り畳み傘を忘れたことだった。その日は降水確率が60%という微妙な数値であり、そのため春歌は鞄の中に折り畳み傘を入れたはずだったのだ。雨が降り出し、小雨だったそれは次第に大きな雨粒になっていき、ざあざあ降りの大雨になった。帰る時間帯にこの豪雨で折り畳み傘では心もとないがないよりかはましかと鞄をまさぐる。そして、折り畳み傘を差して帰宅、という流れを想定していた。が、何度探しても鞄の中の傘が見当たらない。慌てふためきその場に鞄を置き、中をくまなく探すがどこにも傘のピンクは無い。
「えっ、……うそ……」
学生時代友千香に散々「あんたはドジっ子なんだから傘とかハンカチとか忘れないようにしなさい」と言われてきてしっかり持っていくものは確認するようになったのだが、今朝はドタバタしていて持ち物チェックができなかった。そのせいで入れたと思っていた傘が無い、という結果になったわけだ。肩を落としタクシーでも呼ぶかと手持ちの財布の残金を確認したところ、さらに不幸が春歌を襲う。財布の中身が五百円ちょっとしか入っていなかったのだ。これではタクシーを呼んだところで代金を支払えない。時刻はてっぺんすぎ。局内に人はいないだろう。まさに八方塞がりになったわけだ。
最悪局で一晩を明かすか、と突飛な最終手段を考えついたところで声をかけられた。
「七海くん…?」
「ひゃあ!」
オバケかと思い春歌は飛び上がる。恐る恐る後ろを見てみるとそこには呆れたような顔のトキヤが立っていた。
「あ………一ノ瀬さん」
「また傘を忘れたのですか?」
「……はい」
「全く…あなたという人は」
入りなさい、とトキヤが大きな黒い傘を差し春歌に手招きでジェスチャーする。この前のことを全く気にしていない素振りのトキヤに安堵すると共にモヤモヤとした感情が春歌の中に生まれる。その感情の名前はわからない。だから春歌はトキヤの隣へと駆けていった。
「……」
「……」
無言のまま歩き出して十分近く。会話というものが無く、春歌はどうすれば、とややテンパっていた。
「「あの…」」
意を決して口を開くと、トキヤと声が重なった。ぱちくりと瞬きしてふたり見つめ合う。笑い出したのは春歌だった。
「ふふ…なんですか、一ノ瀬さん」
「……この間のことです」
この間、というのはキスのことだろう。春歌は少し体がこわばりぎこちなくはい、と返事をした。
「すみませんでした」
傘を持っていなければその場で深く頭を下げていそうな声のトーンでトキヤが謝る。
「一時の感情であなたに、その…してはいけないことをしてしまいました」
「っ…」
「私のことは嫌いになってもいいです。ですが、お願いします。私にあなたの作った曲を歌うことは許してください、お願いです」
そう言うトキヤの声は震えていた。傘の柄を握りしめる手は力が強すぎて白くなっている。春歌はトキヤの手に触れた。ビクッと彼が動揺するのがわかった。
「……一ノ瀬さん」
「はい」
「あの、ですね……あのことは、別に私、怒っていませんよ」
「え……」
「だって私、あなたのことが、好き、ですから」
かぁっと頬が熱くなる。全身の血が沸騰しそうだ。雨のせいで気温は低いはずなのに汗が出てくる。一方的な告白をした春歌はトキヤの答えを聞かないまま、否。聞けないままその場から逃げ出していた。
隣で傘を持つトキヤと会話は無い。重い沈黙が雨の中、傘の中という小さな半閉鎖空間にどんよりと立ち込めていた。
事の発端は春歌が折り畳み傘を忘れたことだった。その日は降水確率が60%という微妙な数値であり、そのため春歌は鞄の中に折り畳み傘を入れたはずだったのだ。雨が降り出し、小雨だったそれは次第に大きな雨粒になっていき、ざあざあ降りの大雨になった。帰る時間帯にこの豪雨で折り畳み傘では心もとないがないよりかはましかと鞄をまさぐる。そして、折り畳み傘を差して帰宅、という流れを想定していた。が、何度探しても鞄の中の傘が見当たらない。慌てふためきその場に鞄を置き、中をくまなく探すがどこにも傘のピンクは無い。
「えっ、……うそ……」
学生時代友千香に散々「あんたはドジっ子なんだから傘とかハンカチとか忘れないようにしなさい」と言われてきてしっかり持っていくものは確認するようになったのだが、今朝はドタバタしていて持ち物チェックができなかった。そのせいで入れたと思っていた傘が無い、という結果になったわけだ。肩を落としタクシーでも呼ぶかと手持ちの財布の残金を確認したところ、さらに不幸が春歌を襲う。財布の中身が五百円ちょっとしか入っていなかったのだ。これではタクシーを呼んだところで代金を支払えない。時刻はてっぺんすぎ。局内に人はいないだろう。まさに八方塞がりになったわけだ。
最悪局で一晩を明かすか、と突飛な最終手段を考えついたところで声をかけられた。
「七海くん…?」
「ひゃあ!」
オバケかと思い春歌は飛び上がる。恐る恐る後ろを見てみるとそこには呆れたような顔のトキヤが立っていた。
「あ………一ノ瀬さん」
「また傘を忘れたのですか?」
「……はい」
「全く…あなたという人は」
入りなさい、とトキヤが大きな黒い傘を差し春歌に手招きでジェスチャーする。この前のことを全く気にしていない素振りのトキヤに安堵すると共にモヤモヤとした感情が春歌の中に生まれる。その感情の名前はわからない。だから春歌はトキヤの隣へと駆けていった。
「……」
「……」
無言のまま歩き出して十分近く。会話というものが無く、春歌はどうすれば、とややテンパっていた。
「「あの…」」
意を決して口を開くと、トキヤと声が重なった。ぱちくりと瞬きしてふたり見つめ合う。笑い出したのは春歌だった。
「ふふ…なんですか、一ノ瀬さん」
「……この間のことです」
この間、というのはキスのことだろう。春歌は少し体がこわばりぎこちなくはい、と返事をした。
「すみませんでした」
傘を持っていなければその場で深く頭を下げていそうな声のトーンでトキヤが謝る。
「一時の感情であなたに、その…してはいけないことをしてしまいました」
「っ…」
「私のことは嫌いになってもいいです。ですが、お願いします。私にあなたの作った曲を歌うことは許してください、お願いです」
そう言うトキヤの声は震えていた。傘の柄を握りしめる手は力が強すぎて白くなっている。春歌はトキヤの手に触れた。ビクッと彼が動揺するのがわかった。
「……一ノ瀬さん」
「はい」
「あの、ですね……あのことは、別に私、怒っていませんよ」
「え……」
「だって私、あなたのことが、好き、ですから」
かぁっと頬が熱くなる。全身の血が沸騰しそうだ。雨のせいで気温は低いはずなのに汗が出てくる。一方的な告白をした春歌はトキヤの答えを聞かないまま、否。聞けないままその場から逃げ出していた。