【GG】Other
その日、テスタメントは珍しく怒っていた。
否、怒っていたと言うには生温い。激昂していたと言った方が正しいだろう。怒髪天を衝くかの如く。怒りの形相は悪鬼羅刹か。その顔を子供が見れば大泣きは不可避。肝が小さい者なら腰を抜かしてしまうかもしれない。それだけ、テスタメントは激しい怒りの感情を顕にしていた。
ことの発端は30分ほど前。テスタメントが住んでいる村に、東チップ王国の頭領であるチップがやって来た。ギアが人として住まう村の視察をしてみたいと、数日前にチップがテスタメントに頼み込み、快諾してもらった。そうして意気揚々と村を訪れた。そこまでは良かった。
チップはテスタメントが世話になっているという老夫婦の家までやって来た。そこで、敷地に足を踏み入れる際に、やらかした。家の横には花や野菜が植えられていた。趣味のガーデニングと自給自足の生活を目的としたテスタメントによって植えられたものだが、その中の一つーーじゃがいもの苗を、チップは思いっきり踏み付けてしまったのだ。まだ芽が出て間もない苗は、チップの靴底によってぺしゃんこになってしまった。勿論、わざとではないし、悪気は無かったが、来客に気付き出てきたテスタメントはそれを見て酷く怒った。
「だから、悪かったって言ってンだろ!」
鋭い嘴を突き出し、迫ってくるカラスを避けながらチップはテスタメントに向かって叫ぶ。彼とは以前刃を交わした事があるが、その時は身のこなし一つ取っても優雅で、無駄のない美しい動きをしていた。使い魔たちにも気を遣っており、乱暴な戦い方はしなかった。それが今は、使い魔を絶え間なくけしかけ、自身も惜しみなく法力を放出し、目の前の『敵』を全力で倒さんと動いている。流麗さやエレガントさの欠片もない。ただ、目的のために手段は選ばず、どんな手を使ってでも相手を潰す。リアル死神。そんな戦い方だった。
「そんな軽い謝罪で許されると思うか!? お前は! 私の! 大切な苗を傷つけた!」
「うぉっ!?」
チップの頭上に魔法陣が浮かび上がり、異形の獣が彼の身を齧らんと牙を剥く。咄嗟に地を蹴って横に飛び、肩を噛まれる直前で回避する。しかし今度はテスタメント自身が大鎌を振るい、地面から似た様な獣を呼び出し、チップへけしかけた。
「あーもー、何なんだよ! ちょっと芋の苗踏んだくらいで……」
この獣の内にはサキュバスの一体が潜んでいる。軽く避けるだけでは、またあのカラスに追撃される。ここは飛んで、距離を取って。それから話し合いに持っていこうと。チップは考えた。考え自体は良かった。ただ、次の瞬間、その為の言葉選びに失敗した事に気付いた。
「ちょっと踏んだくらいだと?」
先程よりもドスの利いた、地を這う様な低い声。それを聞き、チップの第六感が今までにない激しい警鐘を打ち鳴らす。完全に地雷を踏んだ。テスタメントの表情が怒りで更に歪む。火に油を注ぐとはこの事か。
事態が悪化したことを悟り、チップの脳内に撤退の二文字が浮かぶ。ここは一度逃げて、彼の怒りが収まるのを待った方が賢明な気がする。恐らく、今のテスタメントは怒りで我を忘れている。忘れさせてしまったのはチップだが、ここから冷静な話し合いが出来るとはとても思えない。
隙を見て、離脱を。考えは纏まったが、テスタメントの動きはそれよりも早かった。
「目障りだ」
いつの間にか、テスタメントがチップの眼前に迫っていた。先程までは少し離れた場所に居たのに、どうやって移動したのか。走って来る気配は無かった。飛んでくる気配も無かった。空間転移か。法術の中でも高度な技術だ。こうも容易く扱える者は、あの紙袋をかぶった医者くらいしか知らない。
鼓膜を震わすテスタメントの声に、背筋が凍る。まずい。やばい。この距離では。
「カラミティ・ワン!」
テスタメントの掛け声と共に先程よりも大きな魔法陣がチップの足元に展開される。魔法陣の形状から、今までに無い大規模な攻撃が発生すると分かった。
避けられない。チップの表情が恐怖で引きつるのと、魔法陣の中から魔獣が勢い良く現れるのはほぼ同時だった。
「シッショー!」
巨大な異形の生物に突き上げられ、謎の悲鳴と共にチップの体が宙に舞う。全身に強い衝撃を受けた。これでは受け身も取れそうにない。太陽が眩しい。白い世界に亡くなった毅師匠の微笑みが見える。心なしか手も振っている様に見える。サンズリバーで待っているのか。これ、マジで死ぬかもしれない。そう思った所で、チップの意識は途切れた。
「…………あ?」
どれほどの間、意識を失っていたのか。窓から差し込む西日と、どこからか漂ってくる美味しそうな匂いで目が覚めた。
ここはどこだ。天国なのか。とりあえず体を起こそうとして、チップは自身が小さなベッドの上に寝かされていた事に気付く。真っ白なシーツに、ふかふかの枕。未だぼんやりする頭で周囲を見渡すと、そこは小さな部屋だった。チップが寝ていたベッドと、サイドテーブル、チェスト、ポールハンガー、掛け時計。それ以外は物のない、少々殺風景な空間。
「傷……」
ゆっくりと上体を持ち上げ、自身の体の状態を確認する。節々が少々痛むが、表面上は目立った外傷は無かった。意識を失う前はテスタメントとの戦闘で所々擦り傷があったと思ったのだが。
状況が理解できずにいると、部屋の扉が開き、テスタメントが入ってきた。
「ああ、目が覚めたか」
「え……お、おう」
状況が未だに理解できず、テスタメントの声掛けにぎこちなく応える。意識を失う前の鬼の形相は無くなっている。怒りは収まったのか。
「ここは私が世話になっている夫婦の家だ。ちょうど空き部屋があったので運ばせて貰ったよ。 ……うん。だいたい4時間くらいかな、君が気を失っていた時間は。目立つ傷は治療したが、調子はどうだい?」
「……まあ、動けない事はねえ、かな」
チップの呆けた表情を見て、テスタメントは察したらしく、彼が今おかれている状態を簡潔に説明した。魔獣に吹っ飛ばされて気絶した後、テスタメントは治療を施し、この部屋まで運び、目覚めるのを待っていた。あれだけ怒り狂っていたと言うのに、自分に止めを刺さず、良く冷静さを取り戻したものだ。本当に、殺されると思った。それも、芋の苗を踏んだだけで。一国の大統領(仮)がそんな理由でギアに殺されずに済んで良かったと、チップは心の底から自分の幸運に感謝した。
「それじゃあ、来てもらおうか」
「Huh?」
「君が気絶している間に準備をしていたんだ。ほら、早く」
一体何を準備していたというのか。疑問に思うが、先程のテスタメントの怒りっぷりを思い出すと断るのは気が引けた。とりあえず、ここは大人しく従った方が良さそうだと。チップはようやくクリアになってきた頭で考え、テスタメントに言われるままベッドから降りた。
テスタメントに案内されるままやって来たのは、小さなリビングダイニングだった。小さいと言っても、テスタメントと彼が世話になっている夫婦に加え、そこに客人を招いてももてなせる程度の広さは確保されている。白いテーブルクロスの掛かったそこには、テスタメントが作ったのだろうか。様々な料理がスペースいっぱいに並べられ、美味しそうな湯気と匂いを漂わせていた。
「あー……これは?」
「お前の為に作ったんだ」
テスタメントの逆鱗に触れ、魔獣に派手に吹っ飛ばされ、気絶して。目覚めたと思ったら、今度は自分の為にテスタメントが料理を作って待っていた。どうしてそうなるのか、気絶する前と後の繋がりが分からない。
「ここに並べられている料理は、全てポテトを使った料理だ」
「へ?」
「お前は先程、私が植えたポテトの苗を踏んだな?」
チップにテーブルの席に座る様促しながら、テスタメントが訊ねる。その言葉の端に僅かに怒りが滲んでいる様に感じられたが、気付かないふりをし、椅子に座った。
「お前はじゃがいもを……ポテトを軽視している様だが。ポテトは素晴らしい食べ物だ。今からその素晴らしさを教えてやる」
「は、あ……」
もしかしなくても。テスタメントはチップにポテトを振る舞う為にこの席を用意したのだろうか。そうだとすれば、どれだけポテトを愛しているのか。
「まずは素材の味をそのまま味わって貰おう」
そう言って、テスタメントはチップの前にじゃがいもが丸ごと乗った皿を置く。素材をそのままと聞いて生で食わされるのかと思ったが、ちゃんと蒸してある様だ。バターが乗せられたそれには十字の切れ込みが入っており、ほくほくと湯気が出ている。テスタメントに『食べてみろ』と促され、チップは手元に置かれていたナイフとフォークを使って一口サイズに切り分け、口に運んだ。
「……うまい」
「そうだろう?」
火の通り具合は完璧。出来立てだったのか少々熱かったが、口内に広がるじゃがいもの風味にチップは軽く目を見開く。バターとの相性は抜群。普段何気なくじゃがいもを食べていたが、こうしてじっくり味わって食べるのは初めてかも知れない。チップの反応を見て、テスタメントは得意げに口の端を持ち上げた。
「ポテトと一言で言っても、色々な種類がある。ほくほくしたものも有れば、煮込み料理に向いた粘質のものもある。因みにこれはアイリッシュ・コブラー。男爵薯とも言われているな」
「へえ……」
何しろ自分で料理をする事がないので、じゃがいもの種類など考えたこともなかった。うまいうまいと、チップがそう時間を掛けずに蒸したポテトを平らげると、テスタメントはすぐに空になった皿を下げ、別の料理をチップの前に置いた。どうやらそれも食べさせるつもりらしい。
「次はポテトサラダだ。その次はポテトグラタン。フライドポテト。ジャーマンポテト。ロスティにレシュティ。変わったところでポテトの冷製スープ、コロッケ、肉じゃが、それから……」
「待て待て待て待て!」
テーブルの上の料理を次々と紹介するテスタメントに対し、チップは思わず制止の声を上げた。
「これ全部お前が作ったのか!?」
「そうだが?」
平然と返された答えに、チップは絶句した。テーブルの上にある料理はどう見ても一人で食べ切れる種類、量ではない。大勢のパーティーの為に用意したと言われればまだ納得が行く。更に、それらが全てポテトを使った料理である事にも驚いた。幾らチップにポテトの素晴らしさを説くと言っても、この異常な情熱はどこから来るのか。
「苗を踏んづけちまったのは悪かった。だけどよ、お前何でそんなにPOTATOに執着してるんだ?」
好物なのかもしれない。ポテトを使った料理がこんなにたくさんあるとは思わなかった。それでも、ここまでするか。感心を通り越して少し退くレベルだ。どうして、ポテトに拘るのか。チップは聞かずにいられなかった。
「ポテトは、私の思い出だ」
「……Memory?」
「そう、父と私を繋いだ……大切な思い出だ」
遠い過去を懐かしむ様に、テスタメントは窓の外で輝く太陽を見て、目を細める。家族の絆と言うものか。テスタメントの様子からそれは誰にも譲れない、それこそ唯一と呼べるものなのかも知れないと思った。チップには、生まれた時から家族と言える存在を持った記憶が無い。ただ、ヤク中だった自分に忍術を教え込み、更生させてくれた師匠のことは今でも尊敬し、大切に思っている。恐らく、そんな関係なのだろう。彼と、彼の父を繋いでいるのは。
「……悪かった」
「いや、私の方こそ熱くなり過ぎた。ポテトの事は……お前には関係の無い事だったのにな」
改めて謝罪の意を示すと、テスタメントもまた悪かったと頭を振って応えた。関係の無い事。真実ではあったが、チップはまだテスタメントとの距離が縮んでいない事を実感し、ちくりと。心に小さな針を刺された気分だった。
「今日だめにしちまった苗は必ず弁償する。だからよ」
心は痛んだが、それでへこたれる様なヤワな精神は持っていない。縮んでいないのならば、これから縮める様努力すれば良い。我ながら素晴らしい、前向きな、プラス思考。内心自画自賛しつつ、チップはテスタメントを真っ直ぐ見据え、言った。
「ポテトの事、もっと教えてくれないか?」
「……ああ、喜んで」
一瞬、テスタメントは驚いた様だったが、すぐに顔を綻ばせ、頷いて見せる。チップの向かいの椅子を引き、腰を下ろす。どうやらポテト料理のフルコースを夕食としながら、話をしてくれるらしい。
これからテスタメントの大切なものについて知ることが出来る。チップは胸を躍らせながら、手元にあるフライドポテトを摘み、口に運んだ。
数時間後。
「不思議だと思わないか? ポテトは地中に出来るのにナス科ナス属なんだ。ジャパンではじゃがいもと呼ばれていたが、この由来は17世紀の初め頃にジャカルタから伝来してな。最初はジャガタライモだったんだがそれが転じてじゃがいもになったんだ。別名の馬鈴薯については中国でも呼ばれていてーー」
「……………」
そろそろ日付が変わりそうだが、テスタメントの熱弁は終わらない。
チップは少しーー否、かなり。ポテトの事を知りたいと思った自身の行動を後悔した。
否、怒っていたと言うには生温い。激昂していたと言った方が正しいだろう。怒髪天を衝くかの如く。怒りの形相は悪鬼羅刹か。その顔を子供が見れば大泣きは不可避。肝が小さい者なら腰を抜かしてしまうかもしれない。それだけ、テスタメントは激しい怒りの感情を顕にしていた。
ことの発端は30分ほど前。テスタメントが住んでいる村に、東チップ王国の頭領であるチップがやって来た。ギアが人として住まう村の視察をしてみたいと、数日前にチップがテスタメントに頼み込み、快諾してもらった。そうして意気揚々と村を訪れた。そこまでは良かった。
チップはテスタメントが世話になっているという老夫婦の家までやって来た。そこで、敷地に足を踏み入れる際に、やらかした。家の横には花や野菜が植えられていた。趣味のガーデニングと自給自足の生活を目的としたテスタメントによって植えられたものだが、その中の一つーーじゃがいもの苗を、チップは思いっきり踏み付けてしまったのだ。まだ芽が出て間もない苗は、チップの靴底によってぺしゃんこになってしまった。勿論、わざとではないし、悪気は無かったが、来客に気付き出てきたテスタメントはそれを見て酷く怒った。
「だから、悪かったって言ってンだろ!」
鋭い嘴を突き出し、迫ってくるカラスを避けながらチップはテスタメントに向かって叫ぶ。彼とは以前刃を交わした事があるが、その時は身のこなし一つ取っても優雅で、無駄のない美しい動きをしていた。使い魔たちにも気を遣っており、乱暴な戦い方はしなかった。それが今は、使い魔を絶え間なくけしかけ、自身も惜しみなく法力を放出し、目の前の『敵』を全力で倒さんと動いている。流麗さやエレガントさの欠片もない。ただ、目的のために手段は選ばず、どんな手を使ってでも相手を潰す。リアル死神。そんな戦い方だった。
「そんな軽い謝罪で許されると思うか!? お前は! 私の! 大切な苗を傷つけた!」
「うぉっ!?」
チップの頭上に魔法陣が浮かび上がり、異形の獣が彼の身を齧らんと牙を剥く。咄嗟に地を蹴って横に飛び、肩を噛まれる直前で回避する。しかし今度はテスタメント自身が大鎌を振るい、地面から似た様な獣を呼び出し、チップへけしかけた。
「あーもー、何なんだよ! ちょっと芋の苗踏んだくらいで……」
この獣の内にはサキュバスの一体が潜んでいる。軽く避けるだけでは、またあのカラスに追撃される。ここは飛んで、距離を取って。それから話し合いに持っていこうと。チップは考えた。考え自体は良かった。ただ、次の瞬間、その為の言葉選びに失敗した事に気付いた。
「ちょっと踏んだくらいだと?」
先程よりもドスの利いた、地を這う様な低い声。それを聞き、チップの第六感が今までにない激しい警鐘を打ち鳴らす。完全に地雷を踏んだ。テスタメントの表情が怒りで更に歪む。火に油を注ぐとはこの事か。
事態が悪化したことを悟り、チップの脳内に撤退の二文字が浮かぶ。ここは一度逃げて、彼の怒りが収まるのを待った方が賢明な気がする。恐らく、今のテスタメントは怒りで我を忘れている。忘れさせてしまったのはチップだが、ここから冷静な話し合いが出来るとはとても思えない。
隙を見て、離脱を。考えは纏まったが、テスタメントの動きはそれよりも早かった。
「目障りだ」
いつの間にか、テスタメントがチップの眼前に迫っていた。先程までは少し離れた場所に居たのに、どうやって移動したのか。走って来る気配は無かった。飛んでくる気配も無かった。空間転移か。法術の中でも高度な技術だ。こうも容易く扱える者は、あの紙袋をかぶった医者くらいしか知らない。
鼓膜を震わすテスタメントの声に、背筋が凍る。まずい。やばい。この距離では。
「カラミティ・ワン!」
テスタメントの掛け声と共に先程よりも大きな魔法陣がチップの足元に展開される。魔法陣の形状から、今までに無い大規模な攻撃が発生すると分かった。
避けられない。チップの表情が恐怖で引きつるのと、魔法陣の中から魔獣が勢い良く現れるのはほぼ同時だった。
「シッショー!」
巨大な異形の生物に突き上げられ、謎の悲鳴と共にチップの体が宙に舞う。全身に強い衝撃を受けた。これでは受け身も取れそうにない。太陽が眩しい。白い世界に亡くなった毅師匠の微笑みが見える。心なしか手も振っている様に見える。サンズリバーで待っているのか。これ、マジで死ぬかもしれない。そう思った所で、チップの意識は途切れた。
「…………あ?」
どれほどの間、意識を失っていたのか。窓から差し込む西日と、どこからか漂ってくる美味しそうな匂いで目が覚めた。
ここはどこだ。天国なのか。とりあえず体を起こそうとして、チップは自身が小さなベッドの上に寝かされていた事に気付く。真っ白なシーツに、ふかふかの枕。未だぼんやりする頭で周囲を見渡すと、そこは小さな部屋だった。チップが寝ていたベッドと、サイドテーブル、チェスト、ポールハンガー、掛け時計。それ以外は物のない、少々殺風景な空間。
「傷……」
ゆっくりと上体を持ち上げ、自身の体の状態を確認する。節々が少々痛むが、表面上は目立った外傷は無かった。意識を失う前はテスタメントとの戦闘で所々擦り傷があったと思ったのだが。
状況が理解できずにいると、部屋の扉が開き、テスタメントが入ってきた。
「ああ、目が覚めたか」
「え……お、おう」
状況が未だに理解できず、テスタメントの声掛けにぎこちなく応える。意識を失う前の鬼の形相は無くなっている。怒りは収まったのか。
「ここは私が世話になっている夫婦の家だ。ちょうど空き部屋があったので運ばせて貰ったよ。 ……うん。だいたい4時間くらいかな、君が気を失っていた時間は。目立つ傷は治療したが、調子はどうだい?」
「……まあ、動けない事はねえ、かな」
チップの呆けた表情を見て、テスタメントは察したらしく、彼が今おかれている状態を簡潔に説明した。魔獣に吹っ飛ばされて気絶した後、テスタメントは治療を施し、この部屋まで運び、目覚めるのを待っていた。あれだけ怒り狂っていたと言うのに、自分に止めを刺さず、良く冷静さを取り戻したものだ。本当に、殺されると思った。それも、芋の苗を踏んだだけで。一国の大統領(仮)がそんな理由でギアに殺されずに済んで良かったと、チップは心の底から自分の幸運に感謝した。
「それじゃあ、来てもらおうか」
「Huh?」
「君が気絶している間に準備をしていたんだ。ほら、早く」
一体何を準備していたというのか。疑問に思うが、先程のテスタメントの怒りっぷりを思い出すと断るのは気が引けた。とりあえず、ここは大人しく従った方が良さそうだと。チップはようやくクリアになってきた頭で考え、テスタメントに言われるままベッドから降りた。
テスタメントに案内されるままやって来たのは、小さなリビングダイニングだった。小さいと言っても、テスタメントと彼が世話になっている夫婦に加え、そこに客人を招いてももてなせる程度の広さは確保されている。白いテーブルクロスの掛かったそこには、テスタメントが作ったのだろうか。様々な料理がスペースいっぱいに並べられ、美味しそうな湯気と匂いを漂わせていた。
「あー……これは?」
「お前の為に作ったんだ」
テスタメントの逆鱗に触れ、魔獣に派手に吹っ飛ばされ、気絶して。目覚めたと思ったら、今度は自分の為にテスタメントが料理を作って待っていた。どうしてそうなるのか、気絶する前と後の繋がりが分からない。
「ここに並べられている料理は、全てポテトを使った料理だ」
「へ?」
「お前は先程、私が植えたポテトの苗を踏んだな?」
チップにテーブルの席に座る様促しながら、テスタメントが訊ねる。その言葉の端に僅かに怒りが滲んでいる様に感じられたが、気付かないふりをし、椅子に座った。
「お前はじゃがいもを……ポテトを軽視している様だが。ポテトは素晴らしい食べ物だ。今からその素晴らしさを教えてやる」
「は、あ……」
もしかしなくても。テスタメントはチップにポテトを振る舞う為にこの席を用意したのだろうか。そうだとすれば、どれだけポテトを愛しているのか。
「まずは素材の味をそのまま味わって貰おう」
そう言って、テスタメントはチップの前にじゃがいもが丸ごと乗った皿を置く。素材をそのままと聞いて生で食わされるのかと思ったが、ちゃんと蒸してある様だ。バターが乗せられたそれには十字の切れ込みが入っており、ほくほくと湯気が出ている。テスタメントに『食べてみろ』と促され、チップは手元に置かれていたナイフとフォークを使って一口サイズに切り分け、口に運んだ。
「……うまい」
「そうだろう?」
火の通り具合は完璧。出来立てだったのか少々熱かったが、口内に広がるじゃがいもの風味にチップは軽く目を見開く。バターとの相性は抜群。普段何気なくじゃがいもを食べていたが、こうしてじっくり味わって食べるのは初めてかも知れない。チップの反応を見て、テスタメントは得意げに口の端を持ち上げた。
「ポテトと一言で言っても、色々な種類がある。ほくほくしたものも有れば、煮込み料理に向いた粘質のものもある。因みにこれはアイリッシュ・コブラー。男爵薯とも言われているな」
「へえ……」
何しろ自分で料理をする事がないので、じゃがいもの種類など考えたこともなかった。うまいうまいと、チップがそう時間を掛けずに蒸したポテトを平らげると、テスタメントはすぐに空になった皿を下げ、別の料理をチップの前に置いた。どうやらそれも食べさせるつもりらしい。
「次はポテトサラダだ。その次はポテトグラタン。フライドポテト。ジャーマンポテト。ロスティにレシュティ。変わったところでポテトの冷製スープ、コロッケ、肉じゃが、それから……」
「待て待て待て待て!」
テーブルの上の料理を次々と紹介するテスタメントに対し、チップは思わず制止の声を上げた。
「これ全部お前が作ったのか!?」
「そうだが?」
平然と返された答えに、チップは絶句した。テーブルの上にある料理はどう見ても一人で食べ切れる種類、量ではない。大勢のパーティーの為に用意したと言われればまだ納得が行く。更に、それらが全てポテトを使った料理である事にも驚いた。幾らチップにポテトの素晴らしさを説くと言っても、この異常な情熱はどこから来るのか。
「苗を踏んづけちまったのは悪かった。だけどよ、お前何でそんなにPOTATOに執着してるんだ?」
好物なのかもしれない。ポテトを使った料理がこんなにたくさんあるとは思わなかった。それでも、ここまでするか。感心を通り越して少し退くレベルだ。どうして、ポテトに拘るのか。チップは聞かずにいられなかった。
「ポテトは、私の思い出だ」
「……Memory?」
「そう、父と私を繋いだ……大切な思い出だ」
遠い過去を懐かしむ様に、テスタメントは窓の外で輝く太陽を見て、目を細める。家族の絆と言うものか。テスタメントの様子からそれは誰にも譲れない、それこそ唯一と呼べるものなのかも知れないと思った。チップには、生まれた時から家族と言える存在を持った記憶が無い。ただ、ヤク中だった自分に忍術を教え込み、更生させてくれた師匠のことは今でも尊敬し、大切に思っている。恐らく、そんな関係なのだろう。彼と、彼の父を繋いでいるのは。
「……悪かった」
「いや、私の方こそ熱くなり過ぎた。ポテトの事は……お前には関係の無い事だったのにな」
改めて謝罪の意を示すと、テスタメントもまた悪かったと頭を振って応えた。関係の無い事。真実ではあったが、チップはまだテスタメントとの距離が縮んでいない事を実感し、ちくりと。心に小さな針を刺された気分だった。
「今日だめにしちまった苗は必ず弁償する。だからよ」
心は痛んだが、それでへこたれる様なヤワな精神は持っていない。縮んでいないのならば、これから縮める様努力すれば良い。我ながら素晴らしい、前向きな、プラス思考。内心自画自賛しつつ、チップはテスタメントを真っ直ぐ見据え、言った。
「ポテトの事、もっと教えてくれないか?」
「……ああ、喜んで」
一瞬、テスタメントは驚いた様だったが、すぐに顔を綻ばせ、頷いて見せる。チップの向かいの椅子を引き、腰を下ろす。どうやらポテト料理のフルコースを夕食としながら、話をしてくれるらしい。
これからテスタメントの大切なものについて知ることが出来る。チップは胸を躍らせながら、手元にあるフライドポテトを摘み、口に運んだ。
数時間後。
「不思議だと思わないか? ポテトは地中に出来るのにナス科ナス属なんだ。ジャパンではじゃがいもと呼ばれていたが、この由来は17世紀の初め頃にジャカルタから伝来してな。最初はジャガタライモだったんだがそれが転じてじゃがいもになったんだ。別名の馬鈴薯については中国でも呼ばれていてーー」
「……………」
そろそろ日付が変わりそうだが、テスタメントの熱弁は終わらない。
チップは少しーー否、かなり。ポテトの事を知りたいと思った自身の行動を後悔した。
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