【GG】What-if story
どうしてこうなった。
目の前でお茶の準備をする青年の姿を見ながら、テスタメントは珍しく頭を抱えていた。
ことの始まりは一時間程前。散歩をしていたテスタメントの元に、ケイオスが現れた。彼が何の前触れもなく姿を見せるのはいつもの事なので、然して驚きはしなかった。
「ねえ、今暇?」
そんなテスタメントに、ケイオスは挨拶もそこそこに問いを投げかけた。けれどその質問はほとんど無意味なものだと、既にテスタメントは知っていた。
どうせ強制的に突き合わせるつもりなのだろう。せめて面倒ごとに巻き込むような事はしないで欲しいと思いつつ、暇と言えば暇であると返した。
「面白いところに連れてってあげる」
テスタメントの答えを聞いたケイオスはそう言ってその手を取り、空間転移の術を発動させた。彼はテスタメントが得意とするそれを更に大規模にしたものを展開し、一瞬にして予想だにしない所へと誘った。
そうして辿り着いたのがこのティル・ナ・ノーグだった。かつてホワイトハウスとしてアメリカ合衆国にあった建物と土地は、今や巨大な宇宙船として地球を離れ、月面に着陸している。最初、到着したこの地が何処なのかテスタメントには分からなかった。しかし、テスタメントを連れて来た張本人であるケイオスが傍らの窓を指さし、「月だよ」と言うので目と耳を疑った。空間転移の術は法力学の中でも高度な技術が必要であり、遠い場所へ移動しようとすればするほど膨大な負荷が掛かる。それを彼はいとも容易く、鼻歌交じりに展開し、地球から月へ移動して見せた。はっきり言って滅茶苦茶な技術で、テスタメントは改めてケイオスが異質かつ異常な存在であることを思い知らされた。流石、万能の存在の片割れと言うべきか。
「ええと、グリーンティーで良いかな? ここに師匠以外に人が来る事が無いから、何も用意してなくて」
「いや、お構いなく」
ティル・ナ・ノーグに着くと、ケイオスはそこに在住している飛鳥にテスタメントを紹介し、そのまま何処かへ消えてしまった。残された二人の間には気まずい空気が流れ、やがて飛鳥からお茶を飲まないかと提案があった。ケイオスはしばらく戻ってこないだろう。半ば強制的に連れてこられたテスタメントが地上に戻るには、彼の力が不可欠だ。人並み外れた力を持つテスタメントであっても、流石に月から地球まで空間転移で移動する事は出来ない。魔法使いの最高峰と謳われる飛鳥ならば出来るだろうが、テスタメントは彼に頼るという選択肢を無意識の内に避けた。その為、彼が戻って来るまで二人で時間を潰すしかないと。彼に勧められた席に座り、今に至る。
「お茶だけってのも寂しいから、良かったら羊羹もどうぞ」
テスタメントが着席したのを確認し、飛鳥は客人を持て成す為の準備に取り掛かった。机の上に置かれていた筒状の缶を開け、中にある茶葉をスプーンで掬い、急須の中へ入れる。それから薬缶で湯を沸かし、湯飲みに注いで温めてから、更にそれを急須の中へと入れる。茶葉が開くまで一分ほど待ち、それぞれの湯飲みに均等に注ぎ分ける。
緑茶の美味しい淹れ方を理解している完璧な動きだったが、それらは全て飛鳥の法力によって行われ、彼自身が動くことはほとんど無かった。法力による作業は効率の最適化から飛鳥が導き出したものなのだろうが、折角の「わびさび」が台無しである。テスタメントの義父であるクリフが見たら激怒するだろう。そんな事を頭の片隅で考えていると、飛鳥は湯飲みの片方と、どこからか一口サイズにカットされた羊羹が乗った皿を取り出し、テスタメントの前に置いて見せた。
「R#ーー僕の友人が地上で買ってきてくれたんだ。今は亡き日本の、老舗和菓子店の味を受け継いだ職人が開いた店のものなんだって。不味くはないと思うけれど、口に合うと嬉しいな」
「それはどうも」
「全く、師匠にも困ったものだ。昔はあんな人じゃなかったんだけどね。君も突然の事で驚いたんじゃないかな?」
「まあ、いつもの事だ。もう慣れた」
「そう、か。ごめんね、迷惑をかけて」
「貴方が謝る事ではない」
「…………」
「…………」
沈黙が痛い位に重い。飛鳥は少しでも場を盛り上げようと話を振るが、テスタメントは会話を広げるつもりがないのか適当な相槌しか打たない。飛鳥は知らないが、テスタメントは元々話好きだ。初対面の相手でも気さくに話しかけ、コミュニケーションを取った上で、良好な関係を築く努力をする。しかし今、目の前に居る飛鳥に対しては第三者が見ても分かるほど明らかな塩対応だった。そんなテスタメントに飛鳥は思わず口元に苦笑いを乗せ、湯飲みを手に取ると口を付け、軽く啜った。
テスタメントも湯飲みを両手で持ち、ずず、と音を立てて啜った。互いに緑茶の瑞々しく爽やかな香りと味を堪能し、ほぼ同時に一息吐く。リラックスするにはとても良い飲み物だが、互いの胸中ーー特にテスタメントの方は胸の奥がざわつき、穏やかではなかった。
何か話さなければ。焦りが沈黙の長さに比例して増していく。話題が無い訳ではない。ただ、『その話』をテスタメントに振るべきなのか、飛鳥は迷っていた。
「……僕に」
結局、沈黙を破ったのは飛鳥の方だった。どうせ他の話題を投げかけた所で、テスタメントは適当にあしらって来るのだろう。本来ならば不可能である、地上に居るモノと直接共有するこの時間を飛鳥は無駄にしたくなかった。それならば、たとえ地雷であったとしても、テスタメントが食い付いてくるだろう話を振ろうと。飛鳥は腹を括った。
「何か言いたい事があるんじゃない?」
「どうしてそう思うのかな?」
「師匠が理由も無く君をここまで連れて来たとは思えないんだ。心当たりも無い訳じゃあ無い。 ……でも、確信が持てない」
「…………」
少し親交があるから。それだけでわざわざテスタメントを飛鳥の居る月まで連れて来ることは無いだろう。かつての師はイノの半身と融合し、すっかり変わってしまった。それでも、彼の思考や行動パターンを飛鳥はある程度予測することが出来た。もしかしたら、根本的な性質は昔と余り変わっていないのかもしれない。
飛鳥の視線を真っ向から受け、テスタメントは逃げるように視線を落とし、再び沈黙する。はぐらかされるなら深追いするつもりは無い。会話が無いまま時間を共にするのは気まずいが、受け入れるしかないだろう。
テスタメントは思案しているのか、何も言わずに湯飲みの中で揺らぐ緑茶の水面を見詰めている。飛鳥は湯飲みの端に唇を当てた状態のまま、答えを待った。
「……何故、貴方はギアを造った?」
時間にして数十秒。投げかける言葉を纏めていたのだろう。テスタメントは視線を飛鳥の方へ戻し、静かに口を開いた。
ギアメーカーの名の通り、飛鳥はギアを開発し、この世界に誕生させた。指揮官型であり、ギア第壱号となるジャスティスを完成させ、世に送り出したのも彼だと、テスタメントは聞いている。そして、それにより聖戦を勃発させたのも、彼であると。
聖戦時代、テスタメントはある先進国の計画に巻き込まれ、ギアへと改造された。強靭な精神力によって自我を失う事は無かったものの、植え付けられた殺戮衝動と人類抹殺の命に逆らうことは出来ず、結果多くの命を奪う事となった。ジャスティスが倒され、その命から解放されてからも、自らが犯した罪に長い間苦しめられた。現在はそんな過去に折り合いを付けることが出来ているようだが、そうなるまでの過程がどれほどの苦難であったか。訊ねるまでも無い。
加害者にして、被害者。彼が飛鳥に対し、どのような感情を抱いているのかは分からない。決して良い感情は抱いていないだろう。先程の態度と、今投げかけられた質問からも、容易に察することが出来る。
「これは親しい人間にしか話していない事なのだけれど……うん、きっと君には聞く権利がある」
秘密主義という訳では無いが、飛鳥は必要最低限の事以外、進んで物事を話そうとしない。下手をするとその最低限の事すら省こうとして、しばしばすれ違いやトラブルを引き起こす。そんな彼でも、テスタメントの質問には答えるべきであると判断したのか。小さく頷くと、湯飲みをテーブルの上に置き、口を開いた。
「大切な人を、救いたかったんだ」
「……救いたかった、とは?」
「不治の病に侵されていた。当時の医療技術ではどうしようもない病だった。TP感染症と呼ばれていてね……致死率はほぼ100%。何としても、助けたかった」
『彼女』からその病の事を聞かされた時は、彼女の恋人以上に動揺した。治療法や特効薬は無く、どうすることも出来ないと知り、絶望に打ちひしがれた。彼女と、彼女の恋人が幸せであればそれで良いと、当時の飛鳥は思っていた。その幸せが、未来が、未知の病によって壊される。何としてでも避けたかった。どんな手段を用いても、二人が幸せに生きられる未来を勝ち取ろうと思った。
「その為に、僕はギアプロジェクトを利用した。ギアプロジェクトは元々医療の発達の為に進められていたからね。 ……まあ、そこから色々あってフレデ……ソルはギアになったし、ジャスティスも生まれた」
途中までは計画も順調だった。先にプロトタイプのギアとなった親友は失踪してしまったが、彼女の病が治ればまた会えると思っていた。それから何十年と研究を重ね、ようやく彼女が生き永らえる術を確立させ、実行に移す時が来た。
そしてーー悲劇が起きた。
「……その人の為に、どれだけの人間が犠牲になったか、貴方は知っているのか?」
「具体的な数字までは。でも人口の変化は把握しているよ。僕が研究者だった頃の世界人口は約60億人。それが今では20臆程度……大分減ってしまったね」
慈悲なき啓示の介入によって彼女を素体としたギアーージャスティスは暴走し、全てのギアを率いて人類に反旗を翻した。その後の事は、皆が知る通りである。聖戦が勃発し、長きに渡る人類とギアとの戦いが繰り広げられた。世界中が戦場となり、各地で多くの死者が出た。建物や施設も破壊され、焦土と化した土地も数知れず。終戦の後も、一部の地域は未だ復興できず未開の地となっている。
「貴方がギアを生み出さなければ、聖戦は起きなかった」
「そうかも知れないね」
「人々が悲しむこともなかった」
「確かに、否定はしない」
「……私が、人を殺すことも無かった」
「…………」
淡々と返す飛鳥に対し、言葉を紡ぐテスタメントの声が震えている。俯いている為、その表情は飛鳥からは視認する事が出来ない。テーブルの上にある拳は強く握られ、爪が皮膚に食い込み、今にも裂けそうだ。飛鳥はそれを見ても眉一つ動かさず、言葉の続きを待った。
「義父が、あんな風に死ぬことも無かった」
テスタメントの義父であるクリフは、人生の半分以上を戦場に捧げた。若くして聖騎士団団長となり、半世紀以上に渡って最前線に立ち続けた。ジャスティスが封印されてからは穏やかな隠居生活を送っていたが、それもほんの数年の事。己の暗躍により復活したジャスティスと再会し、力を使い果たした末、死んでしまった。
ギアがいなければ、クリフやテスタメントは戦いとは無縁の、人並みの生活を送っていただろう。ささやかでも幸福に包まれた日々。それはかつて聖騎士団団長であったクリフが夢見た平和な世界。結局、クリフが生きている間に真の平和は訪れなかった。彼が歩んだ長い人生の中で、幸せと感じられた期間が果たしてどれほどあったのか。テスタメントには知る術がない。
「それはどうかな? 仮に聖戦がなかったとしても、君の義父が幸せな人生を歩んでいたかなんて分からないよ」
心の奥底にある黒い感情が、じわりじわりと湧き上がってくる。真の黒幕が彼の師匠であることを頭では理解していても、ギアメーカーと呼ばれた飛鳥を前にすると感情が追い付かない。そして、これだけ己の気持ちを吐露しても何も感じさせない飛鳥の態度が、テスタメントの感情を逆撫でした。
「僕を殺すつもりなら、その行為を否定はしないよ。受け入れもしないけれど」
「…………ッ」
気付けば、テスタメントの片手には得物である大鎌の柄が握られていた。刃はまだ顕現していないが、その気になれば直ぐにでも真紅のそれが露となるだろう。
無意識の内に、殺意を抱いていた。多くの人を不幸にしながら、どうしてこうも平然としていられるのか。テスタメントには理解出来なかった。自分が何をしたのか、分からない訳でもないだろう。感情が無いという訳でもない。ならば何故、テスタメントの言葉に何も揺るがずにいられるのか。
「確かに僕は大罪人だ。僕が進めた計画によって、多くの人が犠牲になった。それは変えられない事実だ」
慈悲なき啓示の介入さえなければ。それはただの言い訳でしかない。もし介入がなかったとしても、ギアプロジェクトは先進国の上層部によって悪用され、戦争の火種になっていた可能性がある。もっとも、今となってはたらればの話になってしまうのだが。
テスタメントは大鎌の柄を握ったまま動かない。警戒は解かず、何時でもそれを振るえるようにしていた。飛鳥の出方を伺っているのだろう。
「だから僕は、残りの人生の全てを賭けて償いをするつもりだ」
「…………」
その為に、ホワイトハウスの一件の後、誰も立ち入る事の出来ないーー何人も己の邪魔をすることができない月までやって来た。
人類の幸せの為に、世界平和の為に、この宇宙から透明な数字を発信し続ける。残りの人生と言ったが、歳を取れば今までのように若返りを繰り返す。そうして飛鳥はずっと数字を発信し続けるのだ。
「赦されたいとは思っていないよ。僕自身に救いが無いことも承知の上だ」
このティル・ナ・ノーグで、たった一人で。厳密には自ら生み出したもう一人の飛鳥がいるが、それ以外の人間は存在しない。大切な友人も、今までに親交があった人々も。会うことは叶わない。彼らの幸せの為に、飛鳥は自らの幸せを放棄した。
飛鳥の話を黙って聞いていたテスタメントは、しばらくして大鎌の柄を消し去り、深い溜息を吐いた。先程よりは落ち着きを取り戻している。燻る想いはあるが何とか呑み込み、低い声で言葉を紡ぎ出した。
「……もし、貴方がその行いを放棄するような事があれば……私は貴方を殺す」
「ああ、構わないよ」
「楽に死ねると思わないことだ」
「勿論、そのつもりさ」
暴力は嫌いだ。ましてや、断罪の為に人を殺すなんて、かつての己なら考えもしなかっただろう。どんな悪人でも更生の道を。ギアになる前は、そんな思想を持っていた。ギアになって、殺戮衝動を植え付けられてからはそうも行かなくなってしまったが。それでも、最近は殺戮衝動もなりを潜め、平和な日々を過ごしていた。誰かに殺意を抱いたのは、本当に久し振りだった。義憤を念を抱く資格など無いはずなのに。目の前の存在を、許せないと思ってしまった。
「全ての覚悟を、業を背負い……生きて行くんだ。貴方も、私も」
「そうだね。僕も、君も。生き続けなければならないんだ。人々の幸せのためにも、罪を償うためにも」
鋭い眼差しを真っ向から受け止め、飛鳥は深く頷いた。人殺しのギアと、そのギアを生み出した魔王。人々からすれば程度の差はあれど、どちらも恐怖の対象でしかない。例え彼らの本質が、善人であったとしても。一度植え付けられた恐怖を払拭するのは、そう簡単なことではない。
「君さえ良ければ、見届けてくれないかな。僕が償いを終える、その日が来るまで」
いつになるか、分からないけれど。数十年、数百年ーー千年先になるかもしれない。その頃には聖戦の悲劇を知る者はいなくなり、人々の記憶から完全に消えてしまうだろう。もしそうなったとしても、飛鳥は透明な数字を発信し続けるのを止めない。それが、己に与えられた使命であると、贖罪であると飛鳥は考えていた。
「……考えておこう」
終わりの見えない行為だ。普通の人間なら、彼の行動を見届ける前に寿命を迎えてしまうだろう。けれどギアであり、不老の体を持つテスタメントであれば。飛鳥の心を汲んだテスタメントは眉間に僅かに皺を刻んだ。彼の要求に対する答えは伝えるまでもない。けれど素直に返すことを良しとしなかったのは、せめてもの嫌がらせか。
俯き、辛うじて聞こえる程度の声量でテスタメントは飛鳥に言葉を返し、緩慢な動作で椅子から立ち上がった。
***
「思ったより和やかに終わったね。つまらないなあ」
飛鳥との気まずいティータイムを終えたテスタメントを地上に送り届けて来たケイオスは、その場で一人茶を啜る飛鳥に声を掛けた。
「師匠、分かっていて彼を連れてきましたね」
「彼女だよ」
「どちらでも構いません。 ……はあ、相変わらず悪趣味ですね、貴方は」
会話の流れによっては、一触即発の状況になるのは分かっていた筈だ。それを承知の上で、ケイオスはテスタメントを飛鳥の元へ連れて来た。何を考えているのか、訊ねるまでもない。二人が会えば面白いことになりそうだという、いつもの愉快犯的思考だ。全くもって迷惑な話である。
「まあ、生き証人ってのは居ても良いと思うんだよね。あ、僕にもお茶淹れてよ。あっついの」
「ご自身で淹れたらどうですか?」
「君が淹れたのが飲みたいんだ」
先程までテスタメントが座っていた椅子に無遠慮に腰かけ、ケイオスが茶を強請る。それに対し飛鳥はーー彼にしては珍しくーー露骨に嫌そうな顔をして見せた。しかし、自分の淹れた茶を求められる事自体は悪い気はしないらしく、致し方ないとばかりに肩を竦ませ、先程と同じように緑茶の準備を始めた。
「……後悔してる?」
「何をです?」
茶を入れる合間に、ケイオスが飛鳥に訊ねた。
質問の意図が分からず、飛鳥は茶を淹れる準備をしつつ、視線をケイオスの方に向けながら聞き返した。
「親友を救うために、ギアプロジェクトを進めたのを」
「いいえ、全く」
即答だった。迷いなく、一片の後悔もしていないと飛鳥は告げた。予想通りの答えにケイオスは少々物足りなさそうな表情を見せるも、特に言及はせずに出された湯飲みに手を伸ばした。
「ですが、彼と話をして、少し考えが変わったと言うか……胸が痛みました」
「へえ、君でも他人の言葉に傷付くことがあるんだね」
「僕を何だと思ってるんですか」
「ナチュラルボーンクレイジーで報連相が下手くそな倫理観皆無のポンコツ魔王」
「はっ倒しますよ」
笑顔で返された悪口に、思わず殺意が漏れた。ケイオスを睨みつける飛鳥の周囲に複数の魔法陣が浮かび上がる。それを見たケイオスは「まあまあ」と言わんばかりに両手を胸の前に翳し、飛鳥を宥める。相変わらず冗談が通じない等とぶつぶつ言っていたが、飛鳥はあからさまな溜息を洩らすと緩く頭を振り、向き直った。
「師匠」
「何?」
「僕はもう間違えません」
「間違えないって?」
「歩むべき道を。 ……これからは、正しい道を歩みます」
「……それは誰にとっての正しい道?」
「全人類にとって、です」
スケールが大きすぎる。そしてそんな事、出来る筈がない。そう言いかけて、ケイオスは口を噤んだ。最初から可能性を否定してはいけないと、かつての己は弟子に説いた。そして飛鳥なら、例え不可能であったとしてもあらゆる手段を用い、可能にしてしまうかもしれない。
「まあ、そう言うなら見ててあげるよ。君も僕も彼女も、時間だけはたっぷりあるんだから」
くっ、と喉を鳴らし、ケイオスが笑う。寿命の概念が無くなった万能の存在と、ギアと、それを造った魔王。時間は永遠にあるようなものだ。急ぐことはない。じっくりと各々が向き合うべき事柄と向かい合い、歩んで行けば良い。
やはり、あのギアと彼とを引き合わせたのは正解だった。飛鳥には自覚が無いかもしれないが、テスタメントと言葉を交わした事により、彼の中に僅かな変化の兆しがあるのをケイオスは感じ取った。その変化が今後彼の生き方に影響を与え、活かされていくか、活かされずに消えてしまうかは分からない。
願わくば、その変化が良い方向へ作用するようにと。ケイオスはらしくない想いを抱きつつ、年寄りのように緑茶を啜る。
そして飛鳥はケイオスの言葉に対し何も言わずに瞳を伏せ、日課となっているラジオの準備をするべく椅子から立ち上がった。
目の前でお茶の準備をする青年の姿を見ながら、テスタメントは珍しく頭を抱えていた。
ことの始まりは一時間程前。散歩をしていたテスタメントの元に、ケイオスが現れた。彼が何の前触れもなく姿を見せるのはいつもの事なので、然して驚きはしなかった。
「ねえ、今暇?」
そんなテスタメントに、ケイオスは挨拶もそこそこに問いを投げかけた。けれどその質問はほとんど無意味なものだと、既にテスタメントは知っていた。
どうせ強制的に突き合わせるつもりなのだろう。せめて面倒ごとに巻き込むような事はしないで欲しいと思いつつ、暇と言えば暇であると返した。
「面白いところに連れてってあげる」
テスタメントの答えを聞いたケイオスはそう言ってその手を取り、空間転移の術を発動させた。彼はテスタメントが得意とするそれを更に大規模にしたものを展開し、一瞬にして予想だにしない所へと誘った。
そうして辿り着いたのがこのティル・ナ・ノーグだった。かつてホワイトハウスとしてアメリカ合衆国にあった建物と土地は、今や巨大な宇宙船として地球を離れ、月面に着陸している。最初、到着したこの地が何処なのかテスタメントには分からなかった。しかし、テスタメントを連れて来た張本人であるケイオスが傍らの窓を指さし、「月だよ」と言うので目と耳を疑った。空間転移の術は法力学の中でも高度な技術が必要であり、遠い場所へ移動しようとすればするほど膨大な負荷が掛かる。それを彼はいとも容易く、鼻歌交じりに展開し、地球から月へ移動して見せた。はっきり言って滅茶苦茶な技術で、テスタメントは改めてケイオスが異質かつ異常な存在であることを思い知らされた。流石、万能の存在の片割れと言うべきか。
「ええと、グリーンティーで良いかな? ここに師匠以外に人が来る事が無いから、何も用意してなくて」
「いや、お構いなく」
ティル・ナ・ノーグに着くと、ケイオスはそこに在住している飛鳥にテスタメントを紹介し、そのまま何処かへ消えてしまった。残された二人の間には気まずい空気が流れ、やがて飛鳥からお茶を飲まないかと提案があった。ケイオスはしばらく戻ってこないだろう。半ば強制的に連れてこられたテスタメントが地上に戻るには、彼の力が不可欠だ。人並み外れた力を持つテスタメントであっても、流石に月から地球まで空間転移で移動する事は出来ない。魔法使いの最高峰と謳われる飛鳥ならば出来るだろうが、テスタメントは彼に頼るという選択肢を無意識の内に避けた。その為、彼が戻って来るまで二人で時間を潰すしかないと。彼に勧められた席に座り、今に至る。
「お茶だけってのも寂しいから、良かったら羊羹もどうぞ」
テスタメントが着席したのを確認し、飛鳥は客人を持て成す為の準備に取り掛かった。机の上に置かれていた筒状の缶を開け、中にある茶葉をスプーンで掬い、急須の中へ入れる。それから薬缶で湯を沸かし、湯飲みに注いで温めてから、更にそれを急須の中へと入れる。茶葉が開くまで一分ほど待ち、それぞれの湯飲みに均等に注ぎ分ける。
緑茶の美味しい淹れ方を理解している完璧な動きだったが、それらは全て飛鳥の法力によって行われ、彼自身が動くことはほとんど無かった。法力による作業は効率の最適化から飛鳥が導き出したものなのだろうが、折角の「わびさび」が台無しである。テスタメントの義父であるクリフが見たら激怒するだろう。そんな事を頭の片隅で考えていると、飛鳥は湯飲みの片方と、どこからか一口サイズにカットされた羊羹が乗った皿を取り出し、テスタメントの前に置いて見せた。
「R#ーー僕の友人が地上で買ってきてくれたんだ。今は亡き日本の、老舗和菓子店の味を受け継いだ職人が開いた店のものなんだって。不味くはないと思うけれど、口に合うと嬉しいな」
「それはどうも」
「全く、師匠にも困ったものだ。昔はあんな人じゃなかったんだけどね。君も突然の事で驚いたんじゃないかな?」
「まあ、いつもの事だ。もう慣れた」
「そう、か。ごめんね、迷惑をかけて」
「貴方が謝る事ではない」
「…………」
「…………」
沈黙が痛い位に重い。飛鳥は少しでも場を盛り上げようと話を振るが、テスタメントは会話を広げるつもりがないのか適当な相槌しか打たない。飛鳥は知らないが、テスタメントは元々話好きだ。初対面の相手でも気さくに話しかけ、コミュニケーションを取った上で、良好な関係を築く努力をする。しかし今、目の前に居る飛鳥に対しては第三者が見ても分かるほど明らかな塩対応だった。そんなテスタメントに飛鳥は思わず口元に苦笑いを乗せ、湯飲みを手に取ると口を付け、軽く啜った。
テスタメントも湯飲みを両手で持ち、ずず、と音を立てて啜った。互いに緑茶の瑞々しく爽やかな香りと味を堪能し、ほぼ同時に一息吐く。リラックスするにはとても良い飲み物だが、互いの胸中ーー特にテスタメントの方は胸の奥がざわつき、穏やかではなかった。
何か話さなければ。焦りが沈黙の長さに比例して増していく。話題が無い訳ではない。ただ、『その話』をテスタメントに振るべきなのか、飛鳥は迷っていた。
「……僕に」
結局、沈黙を破ったのは飛鳥の方だった。どうせ他の話題を投げかけた所で、テスタメントは適当にあしらって来るのだろう。本来ならば不可能である、地上に居るモノと直接共有するこの時間を飛鳥は無駄にしたくなかった。それならば、たとえ地雷であったとしても、テスタメントが食い付いてくるだろう話を振ろうと。飛鳥は腹を括った。
「何か言いたい事があるんじゃない?」
「どうしてそう思うのかな?」
「師匠が理由も無く君をここまで連れて来たとは思えないんだ。心当たりも無い訳じゃあ無い。 ……でも、確信が持てない」
「…………」
少し親交があるから。それだけでわざわざテスタメントを飛鳥の居る月まで連れて来ることは無いだろう。かつての師はイノの半身と融合し、すっかり変わってしまった。それでも、彼の思考や行動パターンを飛鳥はある程度予測することが出来た。もしかしたら、根本的な性質は昔と余り変わっていないのかもしれない。
飛鳥の視線を真っ向から受け、テスタメントは逃げるように視線を落とし、再び沈黙する。はぐらかされるなら深追いするつもりは無い。会話が無いまま時間を共にするのは気まずいが、受け入れるしかないだろう。
テスタメントは思案しているのか、何も言わずに湯飲みの中で揺らぐ緑茶の水面を見詰めている。飛鳥は湯飲みの端に唇を当てた状態のまま、答えを待った。
「……何故、貴方はギアを造った?」
時間にして数十秒。投げかける言葉を纏めていたのだろう。テスタメントは視線を飛鳥の方へ戻し、静かに口を開いた。
ギアメーカーの名の通り、飛鳥はギアを開発し、この世界に誕生させた。指揮官型であり、ギア第壱号となるジャスティスを完成させ、世に送り出したのも彼だと、テスタメントは聞いている。そして、それにより聖戦を勃発させたのも、彼であると。
聖戦時代、テスタメントはある先進国の計画に巻き込まれ、ギアへと改造された。強靭な精神力によって自我を失う事は無かったものの、植え付けられた殺戮衝動と人類抹殺の命に逆らうことは出来ず、結果多くの命を奪う事となった。ジャスティスが倒され、その命から解放されてからも、自らが犯した罪に長い間苦しめられた。現在はそんな過去に折り合いを付けることが出来ているようだが、そうなるまでの過程がどれほどの苦難であったか。訊ねるまでも無い。
加害者にして、被害者。彼が飛鳥に対し、どのような感情を抱いているのかは分からない。決して良い感情は抱いていないだろう。先程の態度と、今投げかけられた質問からも、容易に察することが出来る。
「これは親しい人間にしか話していない事なのだけれど……うん、きっと君には聞く権利がある」
秘密主義という訳では無いが、飛鳥は必要最低限の事以外、進んで物事を話そうとしない。下手をするとその最低限の事すら省こうとして、しばしばすれ違いやトラブルを引き起こす。そんな彼でも、テスタメントの質問には答えるべきであると判断したのか。小さく頷くと、湯飲みをテーブルの上に置き、口を開いた。
「大切な人を、救いたかったんだ」
「……救いたかった、とは?」
「不治の病に侵されていた。当時の医療技術ではどうしようもない病だった。TP感染症と呼ばれていてね……致死率はほぼ100%。何としても、助けたかった」
『彼女』からその病の事を聞かされた時は、彼女の恋人以上に動揺した。治療法や特効薬は無く、どうすることも出来ないと知り、絶望に打ちひしがれた。彼女と、彼女の恋人が幸せであればそれで良いと、当時の飛鳥は思っていた。その幸せが、未来が、未知の病によって壊される。何としてでも避けたかった。どんな手段を用いても、二人が幸せに生きられる未来を勝ち取ろうと思った。
「その為に、僕はギアプロジェクトを利用した。ギアプロジェクトは元々医療の発達の為に進められていたからね。 ……まあ、そこから色々あってフレデ……ソルはギアになったし、ジャスティスも生まれた」
途中までは計画も順調だった。先にプロトタイプのギアとなった親友は失踪してしまったが、彼女の病が治ればまた会えると思っていた。それから何十年と研究を重ね、ようやく彼女が生き永らえる術を確立させ、実行に移す時が来た。
そしてーー悲劇が起きた。
「……その人の為に、どれだけの人間が犠牲になったか、貴方は知っているのか?」
「具体的な数字までは。でも人口の変化は把握しているよ。僕が研究者だった頃の世界人口は約60億人。それが今では20臆程度……大分減ってしまったね」
慈悲なき啓示の介入によって彼女を素体としたギアーージャスティスは暴走し、全てのギアを率いて人類に反旗を翻した。その後の事は、皆が知る通りである。聖戦が勃発し、長きに渡る人類とギアとの戦いが繰り広げられた。世界中が戦場となり、各地で多くの死者が出た。建物や施設も破壊され、焦土と化した土地も数知れず。終戦の後も、一部の地域は未だ復興できず未開の地となっている。
「貴方がギアを生み出さなければ、聖戦は起きなかった」
「そうかも知れないね」
「人々が悲しむこともなかった」
「確かに、否定はしない」
「……私が、人を殺すことも無かった」
「…………」
淡々と返す飛鳥に対し、言葉を紡ぐテスタメントの声が震えている。俯いている為、その表情は飛鳥からは視認する事が出来ない。テーブルの上にある拳は強く握られ、爪が皮膚に食い込み、今にも裂けそうだ。飛鳥はそれを見ても眉一つ動かさず、言葉の続きを待った。
「義父が、あんな風に死ぬことも無かった」
テスタメントの義父であるクリフは、人生の半分以上を戦場に捧げた。若くして聖騎士団団長となり、半世紀以上に渡って最前線に立ち続けた。ジャスティスが封印されてからは穏やかな隠居生活を送っていたが、それもほんの数年の事。己の暗躍により復活したジャスティスと再会し、力を使い果たした末、死んでしまった。
ギアがいなければ、クリフやテスタメントは戦いとは無縁の、人並みの生活を送っていただろう。ささやかでも幸福に包まれた日々。それはかつて聖騎士団団長であったクリフが夢見た平和な世界。結局、クリフが生きている間に真の平和は訪れなかった。彼が歩んだ長い人生の中で、幸せと感じられた期間が果たしてどれほどあったのか。テスタメントには知る術がない。
「それはどうかな? 仮に聖戦がなかったとしても、君の義父が幸せな人生を歩んでいたかなんて分からないよ」
心の奥底にある黒い感情が、じわりじわりと湧き上がってくる。真の黒幕が彼の師匠であることを頭では理解していても、ギアメーカーと呼ばれた飛鳥を前にすると感情が追い付かない。そして、これだけ己の気持ちを吐露しても何も感じさせない飛鳥の態度が、テスタメントの感情を逆撫でした。
「僕を殺すつもりなら、その行為を否定はしないよ。受け入れもしないけれど」
「…………ッ」
気付けば、テスタメントの片手には得物である大鎌の柄が握られていた。刃はまだ顕現していないが、その気になれば直ぐにでも真紅のそれが露となるだろう。
無意識の内に、殺意を抱いていた。多くの人を不幸にしながら、どうしてこうも平然としていられるのか。テスタメントには理解出来なかった。自分が何をしたのか、分からない訳でもないだろう。感情が無いという訳でもない。ならば何故、テスタメントの言葉に何も揺るがずにいられるのか。
「確かに僕は大罪人だ。僕が進めた計画によって、多くの人が犠牲になった。それは変えられない事実だ」
慈悲なき啓示の介入さえなければ。それはただの言い訳でしかない。もし介入がなかったとしても、ギアプロジェクトは先進国の上層部によって悪用され、戦争の火種になっていた可能性がある。もっとも、今となってはたらればの話になってしまうのだが。
テスタメントは大鎌の柄を握ったまま動かない。警戒は解かず、何時でもそれを振るえるようにしていた。飛鳥の出方を伺っているのだろう。
「だから僕は、残りの人生の全てを賭けて償いをするつもりだ」
「…………」
その為に、ホワイトハウスの一件の後、誰も立ち入る事の出来ないーー何人も己の邪魔をすることができない月までやって来た。
人類の幸せの為に、世界平和の為に、この宇宙から透明な数字を発信し続ける。残りの人生と言ったが、歳を取れば今までのように若返りを繰り返す。そうして飛鳥はずっと数字を発信し続けるのだ。
「赦されたいとは思っていないよ。僕自身に救いが無いことも承知の上だ」
このティル・ナ・ノーグで、たった一人で。厳密には自ら生み出したもう一人の飛鳥がいるが、それ以外の人間は存在しない。大切な友人も、今までに親交があった人々も。会うことは叶わない。彼らの幸せの為に、飛鳥は自らの幸せを放棄した。
飛鳥の話を黙って聞いていたテスタメントは、しばらくして大鎌の柄を消し去り、深い溜息を吐いた。先程よりは落ち着きを取り戻している。燻る想いはあるが何とか呑み込み、低い声で言葉を紡ぎ出した。
「……もし、貴方がその行いを放棄するような事があれば……私は貴方を殺す」
「ああ、構わないよ」
「楽に死ねると思わないことだ」
「勿論、そのつもりさ」
暴力は嫌いだ。ましてや、断罪の為に人を殺すなんて、かつての己なら考えもしなかっただろう。どんな悪人でも更生の道を。ギアになる前は、そんな思想を持っていた。ギアになって、殺戮衝動を植え付けられてからはそうも行かなくなってしまったが。それでも、最近は殺戮衝動もなりを潜め、平和な日々を過ごしていた。誰かに殺意を抱いたのは、本当に久し振りだった。義憤を念を抱く資格など無いはずなのに。目の前の存在を、許せないと思ってしまった。
「全ての覚悟を、業を背負い……生きて行くんだ。貴方も、私も」
「そうだね。僕も、君も。生き続けなければならないんだ。人々の幸せのためにも、罪を償うためにも」
鋭い眼差しを真っ向から受け止め、飛鳥は深く頷いた。人殺しのギアと、そのギアを生み出した魔王。人々からすれば程度の差はあれど、どちらも恐怖の対象でしかない。例え彼らの本質が、善人であったとしても。一度植え付けられた恐怖を払拭するのは、そう簡単なことではない。
「君さえ良ければ、見届けてくれないかな。僕が償いを終える、その日が来るまで」
いつになるか、分からないけれど。数十年、数百年ーー千年先になるかもしれない。その頃には聖戦の悲劇を知る者はいなくなり、人々の記憶から完全に消えてしまうだろう。もしそうなったとしても、飛鳥は透明な数字を発信し続けるのを止めない。それが、己に与えられた使命であると、贖罪であると飛鳥は考えていた。
「……考えておこう」
終わりの見えない行為だ。普通の人間なら、彼の行動を見届ける前に寿命を迎えてしまうだろう。けれどギアであり、不老の体を持つテスタメントであれば。飛鳥の心を汲んだテスタメントは眉間に僅かに皺を刻んだ。彼の要求に対する答えは伝えるまでもない。けれど素直に返すことを良しとしなかったのは、せめてもの嫌がらせか。
俯き、辛うじて聞こえる程度の声量でテスタメントは飛鳥に言葉を返し、緩慢な動作で椅子から立ち上がった。
***
「思ったより和やかに終わったね。つまらないなあ」
飛鳥との気まずいティータイムを終えたテスタメントを地上に送り届けて来たケイオスは、その場で一人茶を啜る飛鳥に声を掛けた。
「師匠、分かっていて彼を連れてきましたね」
「彼女だよ」
「どちらでも構いません。 ……はあ、相変わらず悪趣味ですね、貴方は」
会話の流れによっては、一触即発の状況になるのは分かっていた筈だ。それを承知の上で、ケイオスはテスタメントを飛鳥の元へ連れて来た。何を考えているのか、訊ねるまでもない。二人が会えば面白いことになりそうだという、いつもの愉快犯的思考だ。全くもって迷惑な話である。
「まあ、生き証人ってのは居ても良いと思うんだよね。あ、僕にもお茶淹れてよ。あっついの」
「ご自身で淹れたらどうですか?」
「君が淹れたのが飲みたいんだ」
先程までテスタメントが座っていた椅子に無遠慮に腰かけ、ケイオスが茶を強請る。それに対し飛鳥はーー彼にしては珍しくーー露骨に嫌そうな顔をして見せた。しかし、自分の淹れた茶を求められる事自体は悪い気はしないらしく、致し方ないとばかりに肩を竦ませ、先程と同じように緑茶の準備を始めた。
「……後悔してる?」
「何をです?」
茶を入れる合間に、ケイオスが飛鳥に訊ねた。
質問の意図が分からず、飛鳥は茶を淹れる準備をしつつ、視線をケイオスの方に向けながら聞き返した。
「親友を救うために、ギアプロジェクトを進めたのを」
「いいえ、全く」
即答だった。迷いなく、一片の後悔もしていないと飛鳥は告げた。予想通りの答えにケイオスは少々物足りなさそうな表情を見せるも、特に言及はせずに出された湯飲みに手を伸ばした。
「ですが、彼と話をして、少し考えが変わったと言うか……胸が痛みました」
「へえ、君でも他人の言葉に傷付くことがあるんだね」
「僕を何だと思ってるんですか」
「ナチュラルボーンクレイジーで報連相が下手くそな倫理観皆無のポンコツ魔王」
「はっ倒しますよ」
笑顔で返された悪口に、思わず殺意が漏れた。ケイオスを睨みつける飛鳥の周囲に複数の魔法陣が浮かび上がる。それを見たケイオスは「まあまあ」と言わんばかりに両手を胸の前に翳し、飛鳥を宥める。相変わらず冗談が通じない等とぶつぶつ言っていたが、飛鳥はあからさまな溜息を洩らすと緩く頭を振り、向き直った。
「師匠」
「何?」
「僕はもう間違えません」
「間違えないって?」
「歩むべき道を。 ……これからは、正しい道を歩みます」
「……それは誰にとっての正しい道?」
「全人類にとって、です」
スケールが大きすぎる。そしてそんな事、出来る筈がない。そう言いかけて、ケイオスは口を噤んだ。最初から可能性を否定してはいけないと、かつての己は弟子に説いた。そして飛鳥なら、例え不可能であったとしてもあらゆる手段を用い、可能にしてしまうかもしれない。
「まあ、そう言うなら見ててあげるよ。君も僕も彼女も、時間だけはたっぷりあるんだから」
くっ、と喉を鳴らし、ケイオスが笑う。寿命の概念が無くなった万能の存在と、ギアと、それを造った魔王。時間は永遠にあるようなものだ。急ぐことはない。じっくりと各々が向き合うべき事柄と向かい合い、歩んで行けば良い。
やはり、あのギアと彼とを引き合わせたのは正解だった。飛鳥には自覚が無いかもしれないが、テスタメントと言葉を交わした事により、彼の中に僅かな変化の兆しがあるのをケイオスは感じ取った。その変化が今後彼の生き方に影響を与え、活かされていくか、活かされずに消えてしまうかは分からない。
願わくば、その変化が良い方向へ作用するようにと。ケイオスはらしくない想いを抱きつつ、年寄りのように緑茶を啜る。
そして飛鳥はケイオスの言葉に対し何も言わずに瞳を伏せ、日課となっているラジオの準備をするべく椅子から立ち上がった。
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