【GG】What-if story
イリュリア王国の第一連王、カイ・キスクが自身の身の上を全て公表し、退位を表明してから半年が経った。
彼の取った行動に対し、人々の反応は概ね好意的であったが、皆が皆、ギアの存在を受け入れている訳ではなかった。
「ギアが統治者になる日が来るなんて思わなかったわ」
昼下がり。とある街中。人々が行き交う商店街の一角。
オープンカフェの席に座る、いかにも噂好きの婦人といった風体の女性達の会話が、たまたま通りがかったテスタメントの耳に届いた。
「カイ様は何を考えていらっしゃるのかしら。聖戦の悲劇を忘れた訳ではないでしょう?」
「アリエルス様の時みたいに、またギアが私達を攻撃するかもしれないわ」
「カイ様の奥方はギアで、ご子息もそのギアの血を引いているって言うじゃない」
「もしかして、カイ様はギアに誑かされたのかしら」
「まあ、それでギアがカイ様から統治者の座を奪って……?」
ひそひそ、と言うには大きな声量で、女性達は話をしている。盗み聞きは悪趣味だと思ったが、それでもテスタメントは足を止めずにはいられなかった。女性達の言い分は十分に理解できる。ギアと人類の因縁と歴史は長く、深い。聖戦が終わってから今日に至るまでも、ギアに関する騒動は相次ぎ、その度に人々は恐怖し、震えた。ジャスティスの支配から開放されたギアの多くは休眠状態となり、そうでない、自立した意思と知能を持つモノ達は人類と一定の距離を保ちながら暮らしている。カイの功績もあり、現在活動しているギアにも市民権が与えられたが、テスタメントの様に人間社会に溶け込んでいるギアはまだまだ少ない。
「…………」
連王が公表した身の上と退位について、この様な反応をされるのは、想定の範囲内だ。テスタメントは特段、自身がギアであるという事を隠している訳ではない。それでも、他人にギアであることを打ち明けるのに躊躇する時がある。自らの意志ではなかったものの、聖戦時代には生体兵器として多くの命を奪った。その後、第二次聖騎士団員選抜武道大会において封印されていたジャスティス復活に加担した黒幕、戦犯でもある。悪魔の棲む森でディズィーを守っていた時は賞金首にもなった。『ギア』の『テスタメント』の悪名はそれなりに広がっている。当時の恐怖を覚えている者ならば、近寄ろうとも思わないだろう。恨まれていてもおかしくはない。先日街を救ったギアの一団や、ディズィーやシンによって、今までのギアに対するイメージは変わっていくかも知れないが、これから彼女達の前には試練や障害が立ちはだかるだろう。
「何してるんだい?」
「…………ッ!?」
自分には、何が出来るだろうか。ディズィー達の力にはなりたいが、逆に足を引っ張ってしまう様な気もする。そうしてテスタメントが物思いに耽っていると突然、背後から声が掛けられた。人の気配には敏感であるが、たった今声を掛けて来た存在には全く気付く事が出来なかった。それ故、テスタメントは驚き、それまでの思考を中断してびくりと身を震わせる。
「……貴方は」
振り返った先に居たのは、見覚えのある人物だった。真っ青な肌に特徴的なサングラス。鬼の様な角。飄々とした佇まいの彼は、半年前にホワイトハウスを襲撃した、当時世界で最も注目された凶悪なテロリスト。
「ハッピーケイオス。そろそろ覚えてくれた?」
そして、ここ最近ふらっと現れてはテスタメントの茶会の席に強引に参加し、好き放題飲んで食べて喋って去って行く人物でもある。そう言えば名乗っていた様な、そうでない様な。個性的な見た目と、ギアメーカーの師匠であるという事は覚えていたが、そちらの方が印象に強く残っており、名前に関しては薄っすらとしか記憶になかった。
「何の用かな?」
彼がテスタメントの前に現れた理由は、大体ーーというかほぼ察しがつく。出来ればただ声を掛けただけであって欲しいのだが、次の言葉でテスタメントの小さな希望は呆気ないほど簡単に砕かれた。
「んー、また君とお茶したくなって」
連絡先を交換した訳ではない。近くに住んでいる訳でもない。それなのに、彼ーーケイオスは何の前触れもなく現れては、こうしてテスタメントにお茶会に招待する様せがんで来る。断ろうとすれば取引と言う名の脅しを掛けてくるので、ほとんど強制だった。
「……場所を変えても良いだろうか。ここは余りにも人が多い。賞金首の貴方は目立つだろう」
「そうでもないよ。これでも魔法で見た目は変えてあるから。 ……ああ、君にはちゃんと見える様にしてるけどね」
一応、賞金首であるという自覚はあるらしい。確かに、彼が姿を変えずにその辺りをうろついていれば大騒ぎどころか大パニックになっているだろう。彼の存在がどれ程の脅威であるか。ホワイトハウスの騒動を知っている者ならば嫌でも分かる。 もっとも、テスタメントが初めて会った時はまだ彼がテロの主犯であるとは知らなかったが。
深い溜息を吐き、テスタメントはケイオスについて来る様促すと、踵を返し歩き出した。
「浮かない顔してたけど、何かあったのかい?」
いつもの様に慣れた手付きでお茶会の準備するテスタメントに対し、ケイオスは先に椅子に腰を下ろしながら訊ねた。
街外れの、人気の少ない小さな公園。テスタメントは、この場所を今日の茶会の会場にする事にした。街に出て来たのは趣味にしている刺繍の材料を買う為だったのだが、その目的は既に達成している。後は帰るだけとなっていた時に、ケイオスが現れた。彼と初めてお茶会をした日から、いつでも、どこでも、アポ無しで突撃されても良い様にと。テスタメントは出掛ける時は簡易な茶道具と菓子を持ち歩く様になっていた。元々、外の空気を吸いながら紅茶を飲むのは好きだったので、それらを持ち歩くのは大した負担ではない。どちらかと言うと、気まぐれで何をしでかすか分からないケイオスと一緒では緊張してしまい、純粋にティータイムを楽しめない事の方が負担だった。
「……貴方に話す程のことでは」
公園の隅に、休憩の為に設置されたと思われる木製のテーブルと椅子があったので、テスタメントはそれを借りる事にした。亜空間から白いテーブルクロスを取り出し、綺麗な曲線を描きながら一発で敷いて見せ、その上にお馴染みのティーセット一式と菓子を出す。今日の紅茶はダージリン。菓子は昨日テスタメントが焼いたフィナンシェとマドレーヌだ。普段より少し高いバターを使い、一つ一つ丁寧に焼き上げた自慢の焼き菓子。甘いものが苦手な人でなければ気に入ってもらえると思うが、とにかく甘ければ良い思考のケイオスが果たしてまともな評価をしてくれるかどうか。
ケイオスの質問に対し、テスタメントは苦笑いをしながら緩く首を横に振る。街の女性達の話を盗み聞きして、勝手に一人で色々考えてしまっていた。その事を打ち明けられるほど、ケイオスとは親しくないし、信用もしていない。故に気にするなと言ったつもりだったが、ケイオスはそんなテスタメントの様子を見て、不気味なほどにんまりと笑っていた。
「そういえばさ、イリュリアの第一連王が退位するってニュースになってたね。それからギアに市民権が与えられたとか、人類史上初のヒトでない統治者が誕生したとか」
「…………」
盗み聞きしていた所を見ていたのか、あるいは本物の慧眼か。思いもよらぬケイオスの発言にテスタメントは大きく瞳を見開き、思わず彼の方へ視線を向ける。その反応が面白かったのか、ケイオスは浮かべる笑みを深めながら更に言葉を続けた。
「第一連王の声明に対し、民衆の大半は好意的だ。でも、快く思わない者も少なからずいる。何しろギアは兵器だ。ジャスティスの支配下にあった聖戦時代には、多くの人間が犠牲となった。でも諸悪の根源である慈悲なき啓示は無力化して、今はもうその支配が無くなっているし、友好的な存在もそれなりに確認されている。けれど、またいつ人類に牙を剥くか分からない。第二のジャスティスが現れれば、もしかしたらってね。 ……その恐怖が、聖戦を経験した人々の中に根強く残っている」
「…………」
まるでテスタメントの心を読む様に。ケイオスはテスタメントが密かに危惧している事実をぺらぺらと述べて見せる。テスタメントは黙った儘茶葉を蒸らしつつ、ケイオスの話に耳を傾けた。
「……と言っても、聖戦はもう12年も前の話だ。実際に戦地に立った騎士や、襲撃を受けた一般人はまだしも、そういったギアの恐怖を直に体験しなかった人達の記憶は、少しずつ薄れていっている。まあ、セントエルモ……ああいや、祝勝会だっけ? その辺りの時は流石に皆怯えてたようだけど。聖戦時代程の被害では無かったからね。それも大きなニュースが飛び込んで来れば徐々に塗り替えられて行くんじゃないかな?」
12年。もうそんなに経つのかと、ケイオスが口にした年数に思いを馳せる。ジャスティスの封印により終結。その5年後にジャスティスの封印は解かれ、ソルによって討伐された。それから程なくして悪魔の棲む森にてディズィーを取り巻く騒動が起き、それから、それから。当事者であるテスタメントにとって、次々と鮮明に思い出されて行く記憶。だがそれが、人々の中から、消えて行く。何でも無い世間話の様に軽い調子で語られるケイオスの話は、テスタメントにとって決して聞き流せる内容ではなかった。
「記憶は風化するものだ。どんなものでもね。あと100年もしない内に聖戦を経験した者はいなくなり、聖戦は『記録』としてしか人々の記憶に残らない。ギアが本来どういったモノであったのかも、実感がわかなくなって行き、最終的に忘れられるだろう。そうすれば、人類はギアに対する恐怖を無くして仲良しこよしだ。僕としてはあんまり面白くないけど、ギアである君たちにとっては大分都合が良いんじゃない?」
「……だめだ」
ギアへの恐怖や憎悪が無くなれば、確かにヒトとギアの間を隔てる壁は無くなる。ケイオスの言う通り、共存を望むのならばそれは喜ぶべき事なのだろう。だが、それはテスタメントの望む未来ではなかった。
ケイオスの話が一区切りついた所で、テスタメントは否定の言葉をぽつりと吐き出す。茶葉が蒸れたそれをカップに注ぎ、更に乗せた焼き菓子達と共にケイオスの前へ置くと、彼はいつもの様にカップの中へ大量の砂糖とミルクを投入し始めた。いつ見ても邪道だと思うが、今はその事について言及するつもりはない。深く息を吸い込み、気持ちを落ち着かせる様にゆっくりと吐き出してから。テスタメントはケイオスの瞳を正面から見据え、言った。
「忘れては、いけない」
「うん?」
「いけないんだ。例え自らの意志で無かったとしても、この手で多くの命を奪った事実は変わらない。ギアが何故生み出されたのか。私は知らないが、私が改造された時には既にヒトを殺す為の兵器として運用されていた。聖戦の悲劇は、決して忘れて良いモノではない」
人々が犯した過ちを、繰り返さない為にも。また、自らを、ギアという存在を戒める為にも。その歴史を忘れてはいけない。自身に言い聞かせる様に言い、更に続ける。
「ギアは罪深き生き物だ。それを忘れないことが、私の過去への罰でもある。どんなに辛い記憶であっても、人類が未来へ進むのならば、置いていってはいけないんだ」
「……へえ」
「だから私は生きて行く。過去を抱えて。今を、未来を、皆と共に……歩んで行く」
テスタメントの決意にも似た発言に、ケイオスは紅茶を啜りながら耳を傾ける。その顔は喜々としていて、楽しくて仕方がないと言っている様だった。
「君さ、すごい真面目だよね。そういうの、忘れちゃえば楽になれるのにさ……まあ、君らしいと言えばそうか。嫌いじゃないよ、その考え方は。世界を救うヒーローにはなり得ないけど、ヒーローを手伝う改心した元悪役って感じで」
「……貴方の例えは、少し分かりづらいな」
元悪役、というのは間違っていない。また、テスタメント自身、ヒーローになったつもりもないのでケイオスの挙げた例えは合っていると言えばそうなのだろう。ただ、その表現で、皆が理解できるかは分からない。独特の言い回しをするケイオスに対し、テスタメントは僅かに苦笑した。
そんなテスタメントを見つつ、ケイオスは出されたフィナンシェの一つを手に取って頬張り、決して多くはない咀嚼の後に飲み込む。更に半分程残っていた紅茶を一気に飲み干し、ソーサーの上に置くと、不意に思いついた様にテスタメントへ新たな問いを投げ掛けた。
「ねえ。もし……もしだよ? 僕がこの世界から消える事があったら、君は僕のことを覚えていてくれるかな?」
「貴方が……消える?」
殺しても死ななそうな男が、何を言っているのか。怪訝の色を隠さず示しても、ケイオスは気にした様子もなく、どんな回答をしてくれるのか楽しみだとばかりにテスタメントを見詰める。
「そ。もしかしたら、世界の終焉が来る前に僕自身消えちゃうかも知れないでしょ? そうしたら、君はどうするかなって」
「……貴方のことはまだ良く知らない。でも必要があれば、覚えておかなければならないと思う」
ギアメーカーの師匠で、始まりの男と呼ばれた賢者。ホワイトハウスのテロの主犯。テスタメントはその程度の情報しか持っていない。今まで深く追求した事も無いし、これからも関わろうとは思えない。ただ、彼が今後人類の脅威となるのであれば。その時は後世に語り継ぐ為にも、覚えておかねばなるまい。
「あー……そっかあ」
期待していたものとは違った答えだったのか。ケイオスはテスタメントの返答を聞き、残念そうに溜息を吐きながら肩を竦めた。一体どんな答えを望んでいたのか。テスタメントとしては、至極当然の答えを返したつもりだったのだが、ケイオスにとってそれは望んでいなかったものらしくーー気のせいだろうか、少々、ケイオスの瞳に寂寞の色が滲んだ様に見えた。
「うーん、『僕』の事を覚えてもらうには、まだコミュニケーションが足りないみたいだね」
含みの有る物言いと共にケイオスは皿の上に乗っていた最後のマドレーヌを取り上げ、口に運ぶ。最初はフィナンシェもマドレーヌも幾つか乗せてあった筈なのに、ケイオスの前に置かれている皿には何も残っていなかった。いつの間に全部食べたのか。一人で食べるには大分量が多かった気がするのだが。スイーツは別腹という言葉があるが、はてさて。
そうしてテスタメントが疑問に思っていると、ケイオスは彼にしては珍しく『ごちそうさま』と律儀に手を合わせた。話の内容はともかく、腹の方は満たされたらしく、ゆっくりと椅子から立ち上がる。
「それじゃ、また来るね。マドレーヌとフィナンシェ、すごく美味しかったよ。今度はがアップルパイが食べたいなあ。そろそろリンゴも旬だよね? タルトタタンでも良いけど」
「は? 何故私が貴方のリクエストに応えないといけな……って、ちょっと、待てーーッ!」
一方的に感想と次の要望を述べ、ケイオスは去って行く。何気に贅沢なリクエストをされている事にテスタメントは驚き、止めようとするも、ケイオスの足は止まらない。街とは反対方向の森へと向かい、やがて木々の間に紛れ、その姿は見えなくなってしまった。
「……ジョナサン、村で売ってたかな」
別にケイオスのリクエストに応えなければならない訳ではない。何しろ向こうから勝手に来て好き放題飲み食いして行くのだ。何ならケイオスから材料なり経費なりを取り立てても良い筈である。それなのに、テスタメントは律儀にアップルパイに適したリンゴが地元で売っていたかどうかをその場で真剣に考えていた。ケイオスとお茶をする事自体は嫌ではない様だが、その事にテスタメント自身はまだ気付いていなかった。
「『僕』の事を覚える、か……」
去る前にケイオスが呟いた言葉が、何故か頭から離れない。どうしてその言葉が引っかかるのかも分からず、リンゴの心配から思考をそちらにシフトし、しばし考え込む。ケイオスという男は、まだまだ謎だらけの存在だ。今後も彼と言葉を交わして行けば、先程の質問に対し彼が望んだ答えを出すことが出来るだろうか。正直な所、現時点では分からない。ただ、時間はほぼ無限にある。テスタメントはほぼ不死身であるし、ケイオスも同じく死なない体が。彼の言っていた『もしも』についても、きっと直ぐには訪れないだろう。焦らずに行けば良い。生き急ぐ必要はないのだ。
そこまで考えを纏めた所で、テスタメントは天上にある太陽が西に傾きつつある事に気付き、自分もそろそろ引き上げようと。片付けをするべく空になったティーカップを手に取った。
彼の取った行動に対し、人々の反応は概ね好意的であったが、皆が皆、ギアの存在を受け入れている訳ではなかった。
「ギアが統治者になる日が来るなんて思わなかったわ」
昼下がり。とある街中。人々が行き交う商店街の一角。
オープンカフェの席に座る、いかにも噂好きの婦人といった風体の女性達の会話が、たまたま通りがかったテスタメントの耳に届いた。
「カイ様は何を考えていらっしゃるのかしら。聖戦の悲劇を忘れた訳ではないでしょう?」
「アリエルス様の時みたいに、またギアが私達を攻撃するかもしれないわ」
「カイ様の奥方はギアで、ご子息もそのギアの血を引いているって言うじゃない」
「もしかして、カイ様はギアに誑かされたのかしら」
「まあ、それでギアがカイ様から統治者の座を奪って……?」
ひそひそ、と言うには大きな声量で、女性達は話をしている。盗み聞きは悪趣味だと思ったが、それでもテスタメントは足を止めずにはいられなかった。女性達の言い分は十分に理解できる。ギアと人類の因縁と歴史は長く、深い。聖戦が終わってから今日に至るまでも、ギアに関する騒動は相次ぎ、その度に人々は恐怖し、震えた。ジャスティスの支配から開放されたギアの多くは休眠状態となり、そうでない、自立した意思と知能を持つモノ達は人類と一定の距離を保ちながら暮らしている。カイの功績もあり、現在活動しているギアにも市民権が与えられたが、テスタメントの様に人間社会に溶け込んでいるギアはまだまだ少ない。
「…………」
連王が公表した身の上と退位について、この様な反応をされるのは、想定の範囲内だ。テスタメントは特段、自身がギアであるという事を隠している訳ではない。それでも、他人にギアであることを打ち明けるのに躊躇する時がある。自らの意志ではなかったものの、聖戦時代には生体兵器として多くの命を奪った。その後、第二次聖騎士団員選抜武道大会において封印されていたジャスティス復活に加担した黒幕、戦犯でもある。悪魔の棲む森でディズィーを守っていた時は賞金首にもなった。『ギア』の『テスタメント』の悪名はそれなりに広がっている。当時の恐怖を覚えている者ならば、近寄ろうとも思わないだろう。恨まれていてもおかしくはない。先日街を救ったギアの一団や、ディズィーやシンによって、今までのギアに対するイメージは変わっていくかも知れないが、これから彼女達の前には試練や障害が立ちはだかるだろう。
「何してるんだい?」
「…………ッ!?」
自分には、何が出来るだろうか。ディズィー達の力にはなりたいが、逆に足を引っ張ってしまう様な気もする。そうしてテスタメントが物思いに耽っていると突然、背後から声が掛けられた。人の気配には敏感であるが、たった今声を掛けて来た存在には全く気付く事が出来なかった。それ故、テスタメントは驚き、それまでの思考を中断してびくりと身を震わせる。
「……貴方は」
振り返った先に居たのは、見覚えのある人物だった。真っ青な肌に特徴的なサングラス。鬼の様な角。飄々とした佇まいの彼は、半年前にホワイトハウスを襲撃した、当時世界で最も注目された凶悪なテロリスト。
「ハッピーケイオス。そろそろ覚えてくれた?」
そして、ここ最近ふらっと現れてはテスタメントの茶会の席に強引に参加し、好き放題飲んで食べて喋って去って行く人物でもある。そう言えば名乗っていた様な、そうでない様な。個性的な見た目と、ギアメーカーの師匠であるという事は覚えていたが、そちらの方が印象に強く残っており、名前に関しては薄っすらとしか記憶になかった。
「何の用かな?」
彼がテスタメントの前に現れた理由は、大体ーーというかほぼ察しがつく。出来ればただ声を掛けただけであって欲しいのだが、次の言葉でテスタメントの小さな希望は呆気ないほど簡単に砕かれた。
「んー、また君とお茶したくなって」
連絡先を交換した訳ではない。近くに住んでいる訳でもない。それなのに、彼ーーケイオスは何の前触れもなく現れては、こうしてテスタメントにお茶会に招待する様せがんで来る。断ろうとすれば取引と言う名の脅しを掛けてくるので、ほとんど強制だった。
「……場所を変えても良いだろうか。ここは余りにも人が多い。賞金首の貴方は目立つだろう」
「そうでもないよ。これでも魔法で見た目は変えてあるから。 ……ああ、君にはちゃんと見える様にしてるけどね」
一応、賞金首であるという自覚はあるらしい。確かに、彼が姿を変えずにその辺りをうろついていれば大騒ぎどころか大パニックになっているだろう。彼の存在がどれ程の脅威であるか。ホワイトハウスの騒動を知っている者ならば嫌でも分かる。 もっとも、テスタメントが初めて会った時はまだ彼がテロの主犯であるとは知らなかったが。
深い溜息を吐き、テスタメントはケイオスについて来る様促すと、踵を返し歩き出した。
「浮かない顔してたけど、何かあったのかい?」
いつもの様に慣れた手付きでお茶会の準備するテスタメントに対し、ケイオスは先に椅子に腰を下ろしながら訊ねた。
街外れの、人気の少ない小さな公園。テスタメントは、この場所を今日の茶会の会場にする事にした。街に出て来たのは趣味にしている刺繍の材料を買う為だったのだが、その目的は既に達成している。後は帰るだけとなっていた時に、ケイオスが現れた。彼と初めてお茶会をした日から、いつでも、どこでも、アポ無しで突撃されても良い様にと。テスタメントは出掛ける時は簡易な茶道具と菓子を持ち歩く様になっていた。元々、外の空気を吸いながら紅茶を飲むのは好きだったので、それらを持ち歩くのは大した負担ではない。どちらかと言うと、気まぐれで何をしでかすか分からないケイオスと一緒では緊張してしまい、純粋にティータイムを楽しめない事の方が負担だった。
「……貴方に話す程のことでは」
公園の隅に、休憩の為に設置されたと思われる木製のテーブルと椅子があったので、テスタメントはそれを借りる事にした。亜空間から白いテーブルクロスを取り出し、綺麗な曲線を描きながら一発で敷いて見せ、その上にお馴染みのティーセット一式と菓子を出す。今日の紅茶はダージリン。菓子は昨日テスタメントが焼いたフィナンシェとマドレーヌだ。普段より少し高いバターを使い、一つ一つ丁寧に焼き上げた自慢の焼き菓子。甘いものが苦手な人でなければ気に入ってもらえると思うが、とにかく甘ければ良い思考のケイオスが果たしてまともな評価をしてくれるかどうか。
ケイオスの質問に対し、テスタメントは苦笑いをしながら緩く首を横に振る。街の女性達の話を盗み聞きして、勝手に一人で色々考えてしまっていた。その事を打ち明けられるほど、ケイオスとは親しくないし、信用もしていない。故に気にするなと言ったつもりだったが、ケイオスはそんなテスタメントの様子を見て、不気味なほどにんまりと笑っていた。
「そういえばさ、イリュリアの第一連王が退位するってニュースになってたね。それからギアに市民権が与えられたとか、人類史上初のヒトでない統治者が誕生したとか」
「…………」
盗み聞きしていた所を見ていたのか、あるいは本物の慧眼か。思いもよらぬケイオスの発言にテスタメントは大きく瞳を見開き、思わず彼の方へ視線を向ける。その反応が面白かったのか、ケイオスは浮かべる笑みを深めながら更に言葉を続けた。
「第一連王の声明に対し、民衆の大半は好意的だ。でも、快く思わない者も少なからずいる。何しろギアは兵器だ。ジャスティスの支配下にあった聖戦時代には、多くの人間が犠牲となった。でも諸悪の根源である慈悲なき啓示は無力化して、今はもうその支配が無くなっているし、友好的な存在もそれなりに確認されている。けれど、またいつ人類に牙を剥くか分からない。第二のジャスティスが現れれば、もしかしたらってね。 ……その恐怖が、聖戦を経験した人々の中に根強く残っている」
「…………」
まるでテスタメントの心を読む様に。ケイオスはテスタメントが密かに危惧している事実をぺらぺらと述べて見せる。テスタメントは黙った儘茶葉を蒸らしつつ、ケイオスの話に耳を傾けた。
「……と言っても、聖戦はもう12年も前の話だ。実際に戦地に立った騎士や、襲撃を受けた一般人はまだしも、そういったギアの恐怖を直に体験しなかった人達の記憶は、少しずつ薄れていっている。まあ、セントエルモ……ああいや、祝勝会だっけ? その辺りの時は流石に皆怯えてたようだけど。聖戦時代程の被害では無かったからね。それも大きなニュースが飛び込んで来れば徐々に塗り替えられて行くんじゃないかな?」
12年。もうそんなに経つのかと、ケイオスが口にした年数に思いを馳せる。ジャスティスの封印により終結。その5年後にジャスティスの封印は解かれ、ソルによって討伐された。それから程なくして悪魔の棲む森にてディズィーを取り巻く騒動が起き、それから、それから。当事者であるテスタメントにとって、次々と鮮明に思い出されて行く記憶。だがそれが、人々の中から、消えて行く。何でも無い世間話の様に軽い調子で語られるケイオスの話は、テスタメントにとって決して聞き流せる内容ではなかった。
「記憶は風化するものだ。どんなものでもね。あと100年もしない内に聖戦を経験した者はいなくなり、聖戦は『記録』としてしか人々の記憶に残らない。ギアが本来どういったモノであったのかも、実感がわかなくなって行き、最終的に忘れられるだろう。そうすれば、人類はギアに対する恐怖を無くして仲良しこよしだ。僕としてはあんまり面白くないけど、ギアである君たちにとっては大分都合が良いんじゃない?」
「……だめだ」
ギアへの恐怖や憎悪が無くなれば、確かにヒトとギアの間を隔てる壁は無くなる。ケイオスの言う通り、共存を望むのならばそれは喜ぶべき事なのだろう。だが、それはテスタメントの望む未来ではなかった。
ケイオスの話が一区切りついた所で、テスタメントは否定の言葉をぽつりと吐き出す。茶葉が蒸れたそれをカップに注ぎ、更に乗せた焼き菓子達と共にケイオスの前へ置くと、彼はいつもの様にカップの中へ大量の砂糖とミルクを投入し始めた。いつ見ても邪道だと思うが、今はその事について言及するつもりはない。深く息を吸い込み、気持ちを落ち着かせる様にゆっくりと吐き出してから。テスタメントはケイオスの瞳を正面から見据え、言った。
「忘れては、いけない」
「うん?」
「いけないんだ。例え自らの意志で無かったとしても、この手で多くの命を奪った事実は変わらない。ギアが何故生み出されたのか。私は知らないが、私が改造された時には既にヒトを殺す為の兵器として運用されていた。聖戦の悲劇は、決して忘れて良いモノではない」
人々が犯した過ちを、繰り返さない為にも。また、自らを、ギアという存在を戒める為にも。その歴史を忘れてはいけない。自身に言い聞かせる様に言い、更に続ける。
「ギアは罪深き生き物だ。それを忘れないことが、私の過去への罰でもある。どんなに辛い記憶であっても、人類が未来へ進むのならば、置いていってはいけないんだ」
「……へえ」
「だから私は生きて行く。過去を抱えて。今を、未来を、皆と共に……歩んで行く」
テスタメントの決意にも似た発言に、ケイオスは紅茶を啜りながら耳を傾ける。その顔は喜々としていて、楽しくて仕方がないと言っている様だった。
「君さ、すごい真面目だよね。そういうの、忘れちゃえば楽になれるのにさ……まあ、君らしいと言えばそうか。嫌いじゃないよ、その考え方は。世界を救うヒーローにはなり得ないけど、ヒーローを手伝う改心した元悪役って感じで」
「……貴方の例えは、少し分かりづらいな」
元悪役、というのは間違っていない。また、テスタメント自身、ヒーローになったつもりもないのでケイオスの挙げた例えは合っていると言えばそうなのだろう。ただ、その表現で、皆が理解できるかは分からない。独特の言い回しをするケイオスに対し、テスタメントは僅かに苦笑した。
そんなテスタメントを見つつ、ケイオスは出されたフィナンシェの一つを手に取って頬張り、決して多くはない咀嚼の後に飲み込む。更に半分程残っていた紅茶を一気に飲み干し、ソーサーの上に置くと、不意に思いついた様にテスタメントへ新たな問いを投げ掛けた。
「ねえ。もし……もしだよ? 僕がこの世界から消える事があったら、君は僕のことを覚えていてくれるかな?」
「貴方が……消える?」
殺しても死ななそうな男が、何を言っているのか。怪訝の色を隠さず示しても、ケイオスは気にした様子もなく、どんな回答をしてくれるのか楽しみだとばかりにテスタメントを見詰める。
「そ。もしかしたら、世界の終焉が来る前に僕自身消えちゃうかも知れないでしょ? そうしたら、君はどうするかなって」
「……貴方のことはまだ良く知らない。でも必要があれば、覚えておかなければならないと思う」
ギアメーカーの師匠で、始まりの男と呼ばれた賢者。ホワイトハウスのテロの主犯。テスタメントはその程度の情報しか持っていない。今まで深く追求した事も無いし、これからも関わろうとは思えない。ただ、彼が今後人類の脅威となるのであれば。その時は後世に語り継ぐ為にも、覚えておかねばなるまい。
「あー……そっかあ」
期待していたものとは違った答えだったのか。ケイオスはテスタメントの返答を聞き、残念そうに溜息を吐きながら肩を竦めた。一体どんな答えを望んでいたのか。テスタメントとしては、至極当然の答えを返したつもりだったのだが、ケイオスにとってそれは望んでいなかったものらしくーー気のせいだろうか、少々、ケイオスの瞳に寂寞の色が滲んだ様に見えた。
「うーん、『僕』の事を覚えてもらうには、まだコミュニケーションが足りないみたいだね」
含みの有る物言いと共にケイオスは皿の上に乗っていた最後のマドレーヌを取り上げ、口に運ぶ。最初はフィナンシェもマドレーヌも幾つか乗せてあった筈なのに、ケイオスの前に置かれている皿には何も残っていなかった。いつの間に全部食べたのか。一人で食べるには大分量が多かった気がするのだが。スイーツは別腹という言葉があるが、はてさて。
そうしてテスタメントが疑問に思っていると、ケイオスは彼にしては珍しく『ごちそうさま』と律儀に手を合わせた。話の内容はともかく、腹の方は満たされたらしく、ゆっくりと椅子から立ち上がる。
「それじゃ、また来るね。マドレーヌとフィナンシェ、すごく美味しかったよ。今度はがアップルパイが食べたいなあ。そろそろリンゴも旬だよね? タルトタタンでも良いけど」
「は? 何故私が貴方のリクエストに応えないといけな……って、ちょっと、待てーーッ!」
一方的に感想と次の要望を述べ、ケイオスは去って行く。何気に贅沢なリクエストをされている事にテスタメントは驚き、止めようとするも、ケイオスの足は止まらない。街とは反対方向の森へと向かい、やがて木々の間に紛れ、その姿は見えなくなってしまった。
「……ジョナサン、村で売ってたかな」
別にケイオスのリクエストに応えなければならない訳ではない。何しろ向こうから勝手に来て好き放題飲み食いして行くのだ。何ならケイオスから材料なり経費なりを取り立てても良い筈である。それなのに、テスタメントは律儀にアップルパイに適したリンゴが地元で売っていたかどうかをその場で真剣に考えていた。ケイオスとお茶をする事自体は嫌ではない様だが、その事にテスタメント自身はまだ気付いていなかった。
「『僕』の事を覚える、か……」
去る前にケイオスが呟いた言葉が、何故か頭から離れない。どうしてその言葉が引っかかるのかも分からず、リンゴの心配から思考をそちらにシフトし、しばし考え込む。ケイオスという男は、まだまだ謎だらけの存在だ。今後も彼と言葉を交わして行けば、先程の質問に対し彼が望んだ答えを出すことが出来るだろうか。正直な所、現時点では分からない。ただ、時間はほぼ無限にある。テスタメントはほぼ不死身であるし、ケイオスも同じく死なない体が。彼の言っていた『もしも』についても、きっと直ぐには訪れないだろう。焦らずに行けば良い。生き急ぐ必要はないのだ。
そこまで考えを纏めた所で、テスタメントは天上にある太陽が西に傾きつつある事に気付き、自分もそろそろ引き上げようと。片付けをするべく空になったティーカップを手に取った。
