【GG】What-if story

 出会った瞬間から分かった。その男は、危険だと。
 昼下がりの港町。景色の良い場所でお茶をしようと考えていたテスタメントは、反対側から歩いてくる人物と目が合った。

「あれ?まだ生きてたの、君」

 テスタメントの存在に気付いた男は、意外そうに瞳を瞬かせ、かくりと首を傾げて見せる。まるで自分を知っているかの様な口ぶり。真っ青な肌に、今は無き日本に伝わる鬼の様な角。頭上には天使のものに似た黒色の輪。口元は弧を描いているが、特徴的なサングラスの下に潜む瞳は全く笑っていない。無防備で、飄々とした態度。それなのに、一切の隙を見せぬ様子が、存在の不気味さを一層引き立たせた。

「さて、私と貴方は会った事があったかな?」

 努めて冷静に、平静を装い、訊き返す。彼の腰には二丁の銃がホルスターに収まり、下げられている。得物がある。その佇まいも相俟って、本能的に警戒せざるを得なかった。

「んー、まあ。会った事はないね。でも僕は君を知っている。名前はテスタメント。聖戦時代の英雄、クリフ・アンダーソンの養子。スイス出身。身長185cm体重73kg。血液型は解析不能。聖騎士団では法支援部隊所属、XXXX年に終戦管理局によってギアに改造され、ジャスティスの支配下で人類と敵対する」
「……ッ」

 やや早口で紡がれる彼の言葉は全て真実だった。だが、なぜそこまで正確な情報を知っているのか。自らの過去を話したことのある人物はほとんど居ない。それに話をしたのも、テスタメントが信頼できると判断した者たちのみだ。彼らが情報を外部に漏らすとは到底思えない。

「まだ説明した方が良い?」

 テスタメントの表情が強張ったのを見て、男は気を良くしたのか口元に描く弧を更に深くしながら訊ねる。

「いや、結構。確かに君は私を知っているようだ。けれど、何故」
「知りたい?」

 勿体ぶった様子で男は再度首を傾げ、こちらを見据える。全てを見透かす様な瞳。異質な存在であることは間違いないのに、周囲に完全に溶け込んでいる。今こうして道を行き交う者たちが、誰一人として。彼のことを気にする事なく歩いて行く。テスタメント自身、どうして彼を認識することが出来たのか分からない。

「君とここで会ったのはね、本当に偶然なんだ。会うつもりも無かったんだけど。でもまあ、僕としては半独立思考型ギアの君がこうして平和に生きてるのはちょっと意外だったかなあ。良く殺されなかったね」

 誰に、とは言わったが、彼が言わんとしている人物の事は、それとなく察することが出来た。そして、紡ぐ言葉は嫌味ではなく、本心からという事も。

「ああでも、良いね。面白いよ。兵器として非業の死を遂げるってシナリオでも良かったけど、正直それはあり来たりだ。無様に生き延びた死に損ないは、やがて人とギアのハーフの少女と出会い、自らの生きる意味を見出し新たな人生を歩み出すーーうん、そうだ。こっちの方がずっと良い」
「……貴様」

 ストーカーなのかと聞きたくなる位、彼はテスタメントの情報を知っていた。ここまで来ると流石に気味が悪い。何が目的か。万が一の事態に備え、いつでも得物である大鎌を出せる様、テスタメントは片手に親指の爪を食い込ませた。

「あー、待って待って。僕は別に君と喧嘩をしたいんじゃない。折角会えたんだ。少し話をしないかい?」
「……話?」
「そう、話。難しい話じゃあないさ。皆がやってる、他者と親交を深めるためのコミュニケーションだ。何を話すかは、まだ考えてないけど」
「断ると言ったら?」

 正直、関わりたくない。アポ無しの訪問セールや街中のキャッチが可愛く感じられる程、彼の誘いは悪質だーー尤も、彼に悪意があるかはわからないが。
 出来る事ならこのまま穏便に、何事もなく別れて立ち去りたい。

「断るの? 冷たいなあ」

 乗り気でないテスタメントの反応に男は子供の様に唇を尖らせる。受け入れて貰えると思っていたのか。やがて瞳を閉じ、片手で顎を擦りながら悩まし気な表情を見せ、そして閃いたとばかりに大きく見開く。挙動一つ一つが無駄に大げさ。道化を演じているつもりなのだろうか。

「それならさ、取引をしよう」
「取引?」
「そう。僕はね、こう見えて凄い魔法使いなんだ。街一つふっ飛ばすのなんて造作もない。それも、この手で指を鳴らすだけでね」

 男は緩く片手を持ち上げ、中指と親指の先を重ね合わせる。もし彼の言うことが本当なら、この後に待ち受けているのは悲劇だ。世界は慈悲なき啓示との戦いを終え、少しずつ復興してきている。今いる港町は直接の被害は無かったものの、ここはイリュリアを始めとする多くの都市に物資を運ぶ拠点となっている。もし焦土と化すことがあれば、復興に支障が出るのは間違いない。テスタメントも法術に関してはそれなりの知識と技術を持っているが、流石に何の準備も予備動作も無しに街一つ吹き飛ばす事は出来ないし、その行為を止める事は出来ない。
  
「君が話をしてくれるなら、指は鳴らさない。無視するなら周囲には草一本残らなくなる」
「それは取引ではなく脅しと言わないか? 私に全くメリットが無い」
「あるよ。僕と話す有意義な時間が得られる」
「…………」

 はったりだ、と言うのは簡単だ。だがもし男が本当にそれだけの力を有しているとすれば。自分の是か非かの回答によって港町の命運が左右される。やはり、出会った瞬間に感じた戦慄は間違っていなかった。第六感がそこまで冴えているとは思っていない。しかし、ギアである己が本能的に恐怖するという事は。間違いなく、選択肢は一つしかない。

「……分かった。貴方と話をしよう」

 ただ話をするだけで、この港町が救われるなら。男がテスタメントにとってどれだけ有意義な話が出来るのか疑問であるが、厄介な相手に捕まってしまったと。テスタメントは深い溜息を吐き、男に手を下ろす様促す。男はテスタメントの返答に満足したのか手を下ろし、嬉しそうな表情で「やったね」と両手の親指を立てて見せた。

「だが場所を変えよう。ここは人が多い」

 何を話すつもりかは分からないが、周囲の人間には聞かれない方が良いだろう。もしかしたら、国家機密に抵触する様な話題が出ないとも限らない。何せ彼は得体の知れない存在だ。万が一の事を考えるに越した事はない。

「ははっ、オーケー」

 テスタメントの思惑を知ってか知らずか、男はあっさりと提案を受け入れた。その返答にテスタメントはついて来る様促し、元々目的地としていた場所を目指し、歩き出す。

「楽しみだなあ。まさかこんな所で人型のギアと会えるなんて」

 男もまた、両手を後頭部で組みながらテスタメントの後に続いた。



 テスタメントが話をする場所として選んだのは、港町の外れにある高台だった。
 何段も階段を上った先。見晴らしは良いが、景色を楽しむならばーーそれこそ近年流行りの『映え』を狙うならば、もっと良い場所はいくらでもある。それ故か、近辺に観光客はほとんど居らず、地元の住民も好き好んで訪れる者は居ない。

「ミルピコは無いのかい?」

 立ち話をする訳にもいかないからと。テスタメントは当初の目的だったティータイムの席に、男を招待する形を取った。亜空間に収納していた、白いクロスが敷かれた円形のテーブルと2つの椅子をその場に出現させ、男に先に座る様促す。すると、男は無遠慮に腰を下ろし、紅茶の準備に取り掛かるテスタメントへ自らの好物である飲み物の有無を訊ねた。

「ミルピコ?」
「そう。好きなんだよね。乳酸菌飲料なんだけど、甘くて美味しいんだ」
「……そんな都合良く出てくると思うのかい?」
「それは残念」

 言葉の割には、最初から出てくるとは思っていなかったらしく、頬杖を付きながらテスタメントの作業を眺める。
 大きめのバスケットの中から出てくるのは、外で紅茶を淹れるために用意した道具一式。中の温度を長時間一定に保つ魔法瓶に、抽出用とサーブ用のポット、ティーカップ、そしてテスタメントのお気に入りとなっている茶葉が入った丸い缶。
 テスタメントは慣れた手付きでそれらを使いこなし、やがて2つのティーカップに淹れたての紅茶を注ぎ、その一つを男の前へ置いた。

「砂糖とミルクは?」
「うん、欲しいな」

 テスタメントは言われるまま、バスケットの中からミルクピッチャーとシュガーポットを取り出し、男に差し出した。すると男は両手で受け取り、何の躊躇いも無くそれらをどぼどぼと紅茶の中に入れ始めた。
 先程のやり取りからそれとなく察する事は出来たが、カップの中に溶け切るのか分からないレベルで入れられる角砂糖とミルクに、テスタメントは唖然とした。

「コーヒーよりは良いけどさ、紅茶って苦いよね。僕、甘党なんだ」
「……貴方のは限度を超えている」

 これでは折角の紅茶の風味が台無しだ。男がティースプーンでぐるぐるとかき混ぜているそれは、最早紅茶ではなく、砂糖水と言って良いだろう。それも馬鹿みたいに甘い。甘さしか無い。自分なりのこだわりを持って淹れた紅茶の変貌っぷりに、テスタメントは非常に残念な気持ちになる。それでも、人それぞれの嗜好があるのだから、否定してはいけないと。非難したくなる気持ちを必死に堪え、何とかオブラートに包んだ形で入れ過ぎだと伝えた。

「それで、何を話そうと? ……そも、貴方は一体何者なんだ?」
「うーん、言って分かるかなあ」

 ずず、と紅茶を啜り、男はどうやって自身の素性を語るべきか考える。その間に、テスタメントはバスケットの中から紅茶のお供として持ってきたマカロンを取り出し、皿に乗せて互いに手が届きやすい位置だろうテーブルの中心に置いた。
 男が人間でない事は明らかだ。もし人間だと言うなら、その異様な姿は特殊メイクをした仮装的なものになる。流石に何のイベントも無い、平日の昼下がりにそんななりで出歩くのは余程の酔狂か、変質者か。或いはただの馬鹿か。

「……ああ、一番分かりやすく言うとね。ギアメーカーの師匠なんだ。僕は」
「ギアメーカーだと?」

 流石に、反応せざるを得なかった。ギアメーカー。通称、あの男。魔王とも呼ばれていたとか。直接的な関わりは無いが、テスタメントがギアへと改造された、そのきっかけを作った人物とも言える。彼のことは詳しくは知らない。ただ、慈悲なき啓示という存在が真の黒幕であり、彼自身はどちらかと言えば世界のために動いていた救世主に近い存在であると、世間では認知されている。
 それでも、自身の意志とは無関係にギアに改造されたテスタメントにとって、憎悪でなくとも複雑な感情を抱くなと言う方が無理な話で。そんな人物の師匠ともなれば、どう接すれば良いかも分からない。

「まあ元々はもっとこう、いかにも賢者、魔法使い! ……みたいな見た目だったんだけどね。この姿になるまでには色んな事があったんだ。ついでに言うと、こうして自由に歩き回れるようになったのもまた色々あったからで。一つ一つ説明してくと多分日が暮れるけど、聞く?」
「……いや、良い」

 どうやら男はテスタメントが思っている以上にとんでもない存在の様だ。まともにやり取りをしていたら脳がパンクする。かといって、適当に聞き流すのは別の意味で危険だ。どうして出会ってしまったのだろうか。頭痛持ちでもないのに頭が痛くなってきた。

「ところでこれ、マカロン……だっけ? 君が作ったのかい?」
「ああ、最近作るのにはまってしまって……ーー……」

 もっしゃあ。
 テスタメントの言葉が終わる前に、男は無造作に一口サイズのマカロン達を掴み取り、自らの口へと運ぶ。フランボワーズ、ピスタチオ、チョコレート、バニラ、風変わりなところでユズ。カラフルなマカロンたちはそれぞれの色によって味が異なる。勿論、一つずつ食べるのを前提として作られているのだが。男はいくつか纏めて一口で行った。

「うん、美味しいねこれ。甘くて独特の食感で。すごく美味しい」

 この男、本当に遠慮というものを知らないのか。否、それよりも。テスタメントが手間ひまかけて作ったマカロン達が味わいもへったくれも無く食べられたのが正直腹ただしい。美味しいと口では言っているものの、先程の紅茶に砂糖とミルクを大量投入している時点で彼の味覚はバカなのではないかと思ってしまう。褒め言葉にありがとうの一言も返せない。返す気が起きない。

「君さ、すごく変わったよね。何があったの?」

 苦い表情で紅茶を飲むテスタメントを見つつ、マカロンを食べ終えた男は唐突に切り出した。

「何、とは」
「きっかけだよ。元々の君はジャスティスの支配があったとは言え、とても残忍なギアだった。その支配から開放されて、今度は罪悪感に苛まれていた。そんな時に出会ったのが、悪魔の棲む森で暮らしていた少女だ。勿論彼女自身の存在もきっかけの一つだと思ってるよ。でもね、それだけじゃ今の君にはなり得ないと思うんだ」
「随分とずけずけと……」

 男はテスタメントの過去を無遠慮に、それこそ墓荒らしの如く掘り返す。好奇心は猫をも殺すと言うが、男がただの人間だったら本当に、手をかけるまでは行かなくとも一発殴る位はしたかも知れない。
 適当にはぐらかそうかとも思ったが、男がどこまでテスタメントの事を知っていて聞いているのかも分からぬ今、下手な嘘は吐かない方が良いだろう。まるで会話というよりは尋問だと思いつつ、テスタメントはカップをソーサーの上に置き、ゆっくりと話し始めた。

「出会いがあった。ディズィーだけじゃない。多くの人々との縁が、私の止まっていた時を動かした。」
「へえ?」

 一応、話を聞くつもりなのか。男は紅茶を啜りながら先を促す様に目線で訴えかける。その反応を見て、テスタメントは視線を手元のカップに落としながら続けた。

「最初に声を掛けてきたのは、ディズィーを受け入れてくれた空賊の長だった。それから、空賊のクルーたち、彼女を最初に保護した夫婦、彼女を愛した連王、その家族……皆が私という存在を認めてくれた。血塗られた罪深き兵器に明日など無いと思っていたが。明けない夜は無いのだと知った。過去を忘れる事は出来ない。許されない。許してはならない。けれど、それでも未来を望んでも良いと。 ……だから私は、前を見て歩こうと決めた」

 最初は、自らの犯した罪に絶望した。死をもって償うには余りにも重すぎた。多くの命を手に掛け、多くの者を苦しめ、悲しませた。その事実は決して忘れてはならない。けれど、これから続いて行くのは未来だ。見つめるべきは何なのか。彼女たちが教えてくれた。そして過去も未来も、等しく自身を形成する大切なモノである。どちらかを蔑ろにする事は、自身の存在を否定することと同義だ。

「ふぅん……未来を望む、か」

 テスタメントの話を黙って聞いていた男は、一区切りついた所で口の端を持ち上げ、喉を鳴らし、笑った。その言葉は、かつてある人物も願ったものだ。まさか同じ言葉をこの場で聞くことになるとは思わなかった。偶然の二番煎じであったとしても、心地良さは最初に聞いたものと変わらない。

「良いね。そういうの。大好き。僕はドラマが見たいんだ。三流じゃなく、一流のね。最後まで結末が分からなければ、尚良い。見て良かったと思えるドラマを……君を追いかけていれば、見れそうだ。 ……ふふっ、今日は君に会えて良かった」

 男はテスタメントの回答に満足したらしい。紅茶を飲み干し、最後に味が気に入ったのかバニラ味のマカロンを一つ取り上げ、口に放り込んでから立ち上がる。どうやら帰る気になったようだ。優雅なティータイムとは言い難い、寧ろ選択を誤れば惨事になっていたかも知れない、紙一重のコミュニケーション。お気に入りの紅茶の香りも味もほとんど分からなかった。ゆっくり味わう余裕も無かった。彼が引き上げてくれるなら、この後は一人で本来の予定通り楽しめそうで、テスタメントは内心安堵した。
 だが。

「それはどうも……って」

 ちょっと待て。
 普通に聞き流そうとしたが、今男は何と言った? 再び紅茶を飲もうとした所で、動きが固まる。立ち上がった男を見上げると、彼はにんまりと満面の笑みを浮かべていた。

「また会いに来るからさ。その時はミルピコ用意しておいてよ」
「はあ!? ちょ、ちょっとま……ーー!」

 テスタメントの返事を待つ間も無く、男は手を振り、去って行く。階段を降り、街道を歩き、やがて建物の角を曲がって、消える。姿と気配が完全に無くなった所で、テスタメントは全身の力が一気に抜けて行くのを感じた。

「…………名前」

 聞くの忘れた。ギアメーカーの師匠という事しか分からない、奇怪な男。有意義な時間を提供すると言っていた割には、一方的に情報を引き出されて終わった気がする。言葉を交わした時間は長くないのに、何とも言えない疲労感がずっしりとのし掛かる。また、次があるのか。出来ることなら、もう二度と会いたくない。
 彼が去って行った方角を呆然を眺めながら。テスタメントは心を落ち着けようと冷めかけた紅茶に口をつけた。


 そして再会は思っていたよりも早く訪れる事になるのだが、それはまた別の話。
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