【GG】Johnny✕Testament
その部屋は小さいながらも様々な「モノ」で溢れかえっていた。
部屋の隅に並ぶ本棚にはファッション誌を中心に、あらゆる分野の専門書や小説がぎっしりと収まり、その横にあるドレッサーにはプチプラからブランドもののコスメが綺麗に揃えて並べられている。更にその隣にはアウトドア用品が手入れの込んだ状態で飾られ、作業用と思しき机には作りかけのプラモデルや画材が整えられた状態で置かれていた。
「うーん……」
統一性は無いが、雑然としている訳ではなく、整理整頓がしっかりとされている室内。その中心に立つ部屋の主ーーテスタメントは、腕を組んだ状態で一人悩んでいた。時折壁に掛けられているカレンダーの日付を見遣っては、眉を寄せながら唸りにも似た声を上げる。カレンダーは10月。24の日付には赤い丸が付けられており、カウントダウンのつもりなのか過ぎた日付には黒いバツが付けられていた。
10月24日。それは日頃から世話になっている快賊団の頭領、ジョニーの誕生日だった。彼の誕生日を知るきっかけは些細な事。当時は特に気にしなかったが、親交が深まるにつれて贈り物をするべきか考えるようになり、今年に入って贈る事を決意した。決定打は、5月のテスタメントの誕生日に、ジョニーが貴重なジャガイモの苗をプレゼントしてくれた事だった。彼からの贈り物なら何だって嬉しいが、彼はテスタメントの為に奔走し、それを手に入れて来た。自分を想ってくれるジョニーの気持ちに応えたいと思い、今年は彼の誕生日をプレゼントと共に祝う事にした。そう決意するまでは良かったのだが。
「困ったな……」
何を贈れば良いのか、全く見当がつかなかった。花やケーキはジェリーフィッシュのクルーたちが用意するだろう。ならばそれ以外のものをと考えて、ジョニーが欲しがりそうなものを想像してみた。まず彼の部屋にあるものを思い浮かべ、そこから何かヒントを得られればと思った。真っ先に浮かんだのはギターだったが、テスタメントはギターの事を詳しく知らない。一緒に楽器屋に行って、彼が選んだものをその場で買ってやれば間違いないだろうが、それではサプライズ感に欠ける。本棚には彼の愛読書である本が創刊号から並んでいるが、それは個人的な理由で絶対に買いたくない。
では服やアクセサリーはどうかと考えて、すぐさま却下した。そもそもお互いの好みやセンスが違い過ぎる。拘りのあるものは下手に選ばない方が良いだろう。アクセサリーに関しても、そもそも彼は普段から装飾品と呼べるようなものはほとんど身に着けていない。もしかしたらそういったモノを好まないのかもしれない。
「……はあ」
そうやって考え込んで、どれほどの時間が経ったのか。ふと机の上に視線を遣ると、隅に置かれている時計の針はは23時を指し示していた。美容のためにはそろそろ寝る準備をするべきだが、ジョニーへのプレゼントを決めなければ眠れる気がしない。このままベッドに潜り込んで明かりを消したとしても、ずっとその事を考えてしまうだろう。
「……、あ」
明日は朝から建築の仕事が入っている。このままプレゼントの事で悩み続け、一睡もしないで現場に向かうのは考え物だ。睡眠不足の頭では集中力が落ち、他の作業員に迷惑が掛かる。危険と隣り合わせの現場では一瞬の判断ミスが大事故に繋がる。安全第一は絶対だ。
こうなったら、酒の力を借りて今夜は無理やりにでも寝てしまおうかと。本棚の隣にある棚へ向かい、その上段に収められている酒瓶を取ろうとして、手を止めた。
その酒は何時だったか、ジョニーと買い物に行った際、彼がテスタメントのために買ってくれた代物だ。下戸であるテスタメントでも無理なく飲む事が出来るからと勧められ、実際口当たりがまろやかで、かなり飲みやすい酒だった。
酒と共に改めてジョニーの姿を思い浮かべ、更に酒を飲み交わした時の事を振り返る。
「最初に酒を飲んだのは14の時だった」
それは数か月前。彼のとっておきだと言う酒を二人で味わっている時だった。グラスに注がれた酒を長い時間をかけて楽しみ、互いにほろ酔い気分になっているところで、ジョニーが過去の事を話し始めた。彼が身の上話をすることは滅多に無い。珍しいこともあるものだと思いながら、テスタメントは彼の話に耳を傾けた。
「おっと、未成年じゃないかってのは言ってくれるなよ? 晩酌で親父があんまりにも美味そうにその酒を飲んでるからよ。興味を持ったんだ。そうしたら、お前にはまだ早いだろうがって言いながら一口だけ飲ませてくれてな。 ……まあ、美味くはなかったがな。14のガキには、酒の良し悪しなんざ分からなかった」
不味そうな顔をしていることに気付いたのだろう。父親は笑いながら、まだ少年だったジョニーの肩を叩き、グラスを取り上げた。お前が大人になって、良さが分かるようになったら、改めて一緒に飲もうと。父親はジョニーに言った。
「結局、それから親父と一緒に酒を飲む事は出来なかったが、その時の味は忘れられない。大事な思い出さ」
そう言って手に持つグラスを見詰めるジョニーの眼差しは優しく、穏やかで。彼の父親がギアに殺されたことは知っている。それを思うと、何とも言えない気持ちになるが。大切な存在を失った中でも、そうした思い出が彼の中に残っていることに、テスタメントは胸の奥がじんわりと熱くなるのを感じた。
「それで、大人になってから親父が飲んでた酒を探してみたんだが……その酒だと思うのが見つからなくてなあ。甘い匂いで……ブランデーだったんじゃないかとは思うが……今思えばラベルをちゃんと確認しておくんだったな」
グラスの酒を飲み干したところで、ジョニーは困った様な表情を浮かべながら肩を竦ませた。共に酒を酌み交わす約束は果たせずとも、当時飲んだ酒をもう一度味わってみようと。ジョニーはその酒を求め、世界中を駆け回った。しかし、これだと言う酒には未だ巡り合えておらず、お手上げ状態なのだと。
「……思い出の、酒」
当時のやり取りを思い返しながら、テスタメントは目の前の酒瓶に貼られているラベルを指先でなぞった。もし、彼の思い出の中にある酒を探し出して、プレゼントすることが出来たなら。当時の温かな記憶を呼び起こし、心を満たすことが出来たなら。彼は喜んでくれるだろうか。笑ってくれるだろうか。直接欲しいと言われたわけではない。望まれているわけでもない。それでも、テスタメントはその思い出の酒をジョニーに贈りたいと思った。
「……よし」
明日から、探してみよう。近所の酒屋から、遠方の酒造組合、ビンテージ品を取り扱う商会まで。あらゆる情報網を使って、必ず見つけ出して見せよう。
テスタメントは拳を握って一人決意し、その日は眠りについた。
***
翌日から、ジョニーの思い出の酒探しは始まった。
テスタメントが酒を飲む様になったのは最近の事だ。元々下戸で大した量も飲めないが、味の良し悪しは人並みに理解しているつもりだ。ジョニーと一緒に飲む様になって、その知識も大分付いたと思っている。以前は酒と言ったらスーパーや酒屋くらいしか売っている場所を知らなかった。彼に教わらなければ、今でもそうだっただろう。
まずは地元の村の商店から。次に街に繰り出し、スーパーや酒屋を回る。やがて足を伸ばして問屋や醸造所を訪ね、それらしい酒を探した。
「……はあ」
しかし、どこの店に聞いても条件に合致する酒は見当たらず。やはりそう簡単には見付からないかと、テスタメントは溜息を吐きながら空を仰いだ。
何十年も前の記憶を、それも他人のものを頼りに酒を探すなんて、無茶な話だ。ブランデーではないかという、漠然とした情報だけで探すのがそもそも間違っている。どこの国のものか、使われている果実は何か、価格帯はどの辺か。その辺りの情報があれば多少は絞り込むことも出来ただろうが。
長めの休暇を取り、テスタメントは遠方にも足を運んだ。見知らぬ土地で、見知らぬ酒と出会い、世の中にはこんな酒もあるのかと一人感動した。行く先々で親切な人が事情を汲み取り、一緒に探してくれた。候補となりそうな酒は何本か見つかった。けれどこれだと言える一本は見付からず。
やはり探し出すのは不可能なのだろうかと。諦めかけていたところで、テスタメントはとある町に辿り着いた。町、と言うよりは村と言った方が良いかもしれない。合衆国の西部の山間に位置し、良く言えば長閑で、悪く言えばドの付く田舎。そこはチェリーの産地なのか、町の至る所にチェリーの木が植えられていた。
「おや、珍しいね。この町に外から人が来るなんて」
こんな所に、探しているものがあるかは分からないが。それでも見るべき場所は見ておこうと、町唯一の小売店に足を運んだテスタメントは、その店の主と思しき女性に声を掛けられた。人の良さそうな笑みを浮かべている彼女は小柄で背中が少し丸まっており、普段テスタメントが世話になっている老夫婦に似た雰囲気があった。
「綺麗なお兄さん、何をお探しで? 見ての通り、うちはそんなに大きな店じゃあないから、探し物が見つかるか分からないんだけど」
「お気遣い、ありがとう御座います。実は……お酒を探していまして」
「お酒?」
「ええ、ブランデーだと思うんですが……」
テスタメントは自らが探し求めている酒の特徴を簡潔に告げた。それを聞いた店主はにっこりと笑い、傍らにある棚から一本の酒瓶を取り出して見せた。
「お兄さん、この町でお酒って言ったらチェリーブランデーだよ」
「チェリーブランデー?」
「ああ。その辺に植えられているの、見ただろう? この町はチェリーが名産品でねえ」
そのチェリーを原料にして、ブランデーを作っているのさと。店主はテスタメントにラベルが見えるよう酒瓶を掲げる。ラベルにはチェリーブランデーのロゴと、この村と思しき風景が描かれていた。彼女の言う通り、名産品なのだろう。しかしその後、店主はどこか寂しそうな笑みを浮かべながら言葉を続けた。
「……まあ、名産品と言っても売れてたのは昔の話でさ。最近は安い量産品に押されて全然売れなくなってしまったよ。味も香りも、言う事無いんだけどねえ……」
「昔、と言うと?」
「30年位前が一番売れていた時期だったよ。あの頃は本当に良く売れた。世界中から注文が来たし、各国の要人が直接買いに来る程だった。需要に供給が追いつかなくて大変だったよ」
「……そう、ですか」
店主の話を聞きながら、酒瓶を見たテスタメントはふと考えた。ジョニーの生まれはアメリカ合衆国。どこの州の出かまでは聞かなかったが、もしかしたらと。彼の父親がこの町のブランデーを飲んだかもしれない。確証は無い。ただ何となく、本能的に来るものがあった。
「このお酒を、一つ貰えますか?」
試飲でも出来ればまた違うのだろうが、己の一口の為に酒瓶を開けさせるのは申し訳ない。これは一種の賭けだった。もう彼の誕生日まで日が無い。諸々の準備を考えたら、これ以上探し回る事は難しい。最後の最後で辿り着いたこのブランデーが、どうか彼の思い出の酒と一致しますように。
テスタメントは心の中で祈りながら、懐から財布を取り出した。
***
そうして迎えた10月の24日。
ジェリーフィッシュ快賊団の旗艦・メイシップでは団長であるジョニーの誕パーティーが盛大に行われた。クルーたちは彼の為に特別な料理とケーキを振舞い、更に各々が用意したプレゼントを順番に手渡して行った。
テスタメントもその誕生パーティーに招待されていた。彼女たちがジョニーを祝う姿を離れた所で見守り、その微笑ましい光景に自然と口元が緩んだ。血が繋がっていなくとも、この船に居る者は皆、大切な家族なのだ。それをテスタメントに教えてくれたジョニーには、感謝してもしきれない。
誕生パーティーは夜まで行われ、お開きになったところで、テスタメントはジョニーと共に彼の部屋に向かったt。
「お前さんから飲みに誘ってくれるなんて、嬉しい事もあったもんだ」
部屋の隅にあるカウンター席に二人で座り、先に口を開いたのはジョニーだった。酒の席に誘うのはいつもジョニーからで、テスタメントから誘う事は滅多に無い。珍しい事もあったものだと、ジョニーは笑いながらテスタメントに言った。
「ああ、一緒に飲みたい酒があったんだ」
「へえ、そいつはもしかして……俺への誕生日プレゼントかい?」
切れ者であるこの男は相変わらず察しが良い。ジョニーの問い掛けにテスタメントは小さく頷き、赤い布で包んだ酒瓶を彼と己の間の空間に置いた。
「以前お前が言っていた、思い出の酒を探してみたんだ。合っている確証は無いが……」
するりと布を解き、あの町で購入した酒瓶をジョニーに見せる。知っている酒だったらどうしようという不安はあったが、ジョニーはその酒瓶を見てサングラスの下の瞳を僅かに見開いた。どうやら、この酒は初めて見るもののようだった。
「チェリーブランデーか……こいつはストレートで飲むのが良さそうだな。お前さんはどうする? 少し薄めるか?」
「いや、折角の機会だ。ここはお前と同じ飲み方で飲もうと思う」
「そうかい? まあ、一気には飲むなよ」
ラベルに刻まれている文字を読み、ジョニーは自らの経験から瞬時にベストな飲み方を見つけ出す。あらかじめ用意してあった二つのグラスを手元に寄せ、酒瓶を取り上げると慣れた手つきで開栓した。
その瓶を傾けると、中からワインレッドの液体がとくとくと零れ、グラス内を満たして行った。瞬間、チェリー特有の爽やかな香りが周囲に漂う。その香りにテスタメントは思わず小さな溜息を洩らした。ジョニーと酒を飲む様になって、色々な種類の酒を味わって来たが、チェリーブランデーは今回が初めてだった。
どうか、この酒が彼の思い出の酒でありますように。そう願いを込めながら、テスタメントは軽く乾杯の動作をした後、グラスを口元に運ぶジョニーの動作を見守った。
「……あー」
まずは鼻から深く息を吸い、香りを楽しむ。ゆっくり、じっくり、時間をかけて。そうしてしばらく堪能してからグラスに口を付け、一口だけ受け入れる。口内に広がっていく豊かな果実の味と、ほんのりとした甘味。染み渡るアルコールに深い溜息を吐き、ジョニーはテスタメントの方に向き直った。
「コイツは良い味だ。まさかお前さんがこんな良い酒を見つけて来てくれるとは思わなかった。素直に嬉しいねえ」
ジョニーはテスタメントに率直な感想を述べた。酒にはうるさい彼がそうして己の買ってきた酒を良いと言ってくれた事にテスタメントの表情は自然と綻ぶ。しかし、それから一呼吸おいて「だが」と、ジョニーは続けた。
「親父の酒は……これじゃあないな」
「……そう、か」
やはり違ったか。
当然だ。他人の思い出の記憶だけでその酒を見つけ出す事など、やはり不可能だったのだ。例え酒の知識が彼並みにあったとしても、それに辿り着くことは出来なかっただろう。その事実にテスタメントは笑みを消し、明らかな落胆の色を顔に滲ませた。
「そんな顔をしなさんな。俺の為に探してくれたんだろ?」
「ああ……」
「まあ……何だ、あの時の思い出は風化して行っちまうが」
落ち込んでいるテスタメントを慰めるつもりなのか。ジョニーは一度グラスをカウンターの上に起き、畏まった様にテスタメントに向き直った。
「思い出ってのは、幾らでも作れるモンだ。今日のこの時間も、二人の思い出にしないかい?」
無くなる思い出があれば、生まれる思い出もある。風化して行ってしまうのは避けられずとも、新たな思い出は作る事ができる。
忘れるつもりはない。けれど、その思い出だけに固執するつもりもない。ジョニーはテスタメントの顔に掛かる前髪に触れ、それを肩の後ろへ撫でるようにして持って行きながら訊ねた。
「……ああ、そうだな」
祝う筈が、逆に失敗を慰められるとは何とも情けない。けれどその言葉は、テスタメントの落胆の気持ちを確かに軽くした。
許されるのか。己が、彼の思い出の一つとなる事が。ジョニーは安易な嘘は吐かない。今の提案も、きっと彼の本心だろう。その事実にテスタメントは思わず破顔し、自身のグラスを手に取るとジョニーの方へと向ける。
「誕生日おめでとう、ジョニー」
「ああ、ありがとさん。今日という日をクルーの皆と、お前さんに祝って貰えて……俺は世界一ハッピーな男だな」
カツン、と。グラスとグラスがかち合う音が室内に響き渡る。その後に、テスタメントもグラスに口を付け、チェリーブランデーを味わった。
ーーそのチェリーブランデーは甘く、それでいて爽やかで。その後の夜の時間と共に、二人の思い出の一つとなった。
部屋の隅に並ぶ本棚にはファッション誌を中心に、あらゆる分野の専門書や小説がぎっしりと収まり、その横にあるドレッサーにはプチプラからブランドもののコスメが綺麗に揃えて並べられている。更にその隣にはアウトドア用品が手入れの込んだ状態で飾られ、作業用と思しき机には作りかけのプラモデルや画材が整えられた状態で置かれていた。
「うーん……」
統一性は無いが、雑然としている訳ではなく、整理整頓がしっかりとされている室内。その中心に立つ部屋の主ーーテスタメントは、腕を組んだ状態で一人悩んでいた。時折壁に掛けられているカレンダーの日付を見遣っては、眉を寄せながら唸りにも似た声を上げる。カレンダーは10月。24の日付には赤い丸が付けられており、カウントダウンのつもりなのか過ぎた日付には黒いバツが付けられていた。
10月24日。それは日頃から世話になっている快賊団の頭領、ジョニーの誕生日だった。彼の誕生日を知るきっかけは些細な事。当時は特に気にしなかったが、親交が深まるにつれて贈り物をするべきか考えるようになり、今年に入って贈る事を決意した。決定打は、5月のテスタメントの誕生日に、ジョニーが貴重なジャガイモの苗をプレゼントしてくれた事だった。彼からの贈り物なら何だって嬉しいが、彼はテスタメントの為に奔走し、それを手に入れて来た。自分を想ってくれるジョニーの気持ちに応えたいと思い、今年は彼の誕生日をプレゼントと共に祝う事にした。そう決意するまでは良かったのだが。
「困ったな……」
何を贈れば良いのか、全く見当がつかなかった。花やケーキはジェリーフィッシュのクルーたちが用意するだろう。ならばそれ以外のものをと考えて、ジョニーが欲しがりそうなものを想像してみた。まず彼の部屋にあるものを思い浮かべ、そこから何かヒントを得られればと思った。真っ先に浮かんだのはギターだったが、テスタメントはギターの事を詳しく知らない。一緒に楽器屋に行って、彼が選んだものをその場で買ってやれば間違いないだろうが、それではサプライズ感に欠ける。本棚には彼の愛読書である本が創刊号から並んでいるが、それは個人的な理由で絶対に買いたくない。
では服やアクセサリーはどうかと考えて、すぐさま却下した。そもそもお互いの好みやセンスが違い過ぎる。拘りのあるものは下手に選ばない方が良いだろう。アクセサリーに関しても、そもそも彼は普段から装飾品と呼べるようなものはほとんど身に着けていない。もしかしたらそういったモノを好まないのかもしれない。
「……はあ」
そうやって考え込んで、どれほどの時間が経ったのか。ふと机の上に視線を遣ると、隅に置かれている時計の針はは23時を指し示していた。美容のためにはそろそろ寝る準備をするべきだが、ジョニーへのプレゼントを決めなければ眠れる気がしない。このままベッドに潜り込んで明かりを消したとしても、ずっとその事を考えてしまうだろう。
「……、あ」
明日は朝から建築の仕事が入っている。このままプレゼントの事で悩み続け、一睡もしないで現場に向かうのは考え物だ。睡眠不足の頭では集中力が落ち、他の作業員に迷惑が掛かる。危険と隣り合わせの現場では一瞬の判断ミスが大事故に繋がる。安全第一は絶対だ。
こうなったら、酒の力を借りて今夜は無理やりにでも寝てしまおうかと。本棚の隣にある棚へ向かい、その上段に収められている酒瓶を取ろうとして、手を止めた。
その酒は何時だったか、ジョニーと買い物に行った際、彼がテスタメントのために買ってくれた代物だ。下戸であるテスタメントでも無理なく飲む事が出来るからと勧められ、実際口当たりがまろやかで、かなり飲みやすい酒だった。
酒と共に改めてジョニーの姿を思い浮かべ、更に酒を飲み交わした時の事を振り返る。
「最初に酒を飲んだのは14の時だった」
それは数か月前。彼のとっておきだと言う酒を二人で味わっている時だった。グラスに注がれた酒を長い時間をかけて楽しみ、互いにほろ酔い気分になっているところで、ジョニーが過去の事を話し始めた。彼が身の上話をすることは滅多に無い。珍しいこともあるものだと思いながら、テスタメントは彼の話に耳を傾けた。
「おっと、未成年じゃないかってのは言ってくれるなよ? 晩酌で親父があんまりにも美味そうにその酒を飲んでるからよ。興味を持ったんだ。そうしたら、お前にはまだ早いだろうがって言いながら一口だけ飲ませてくれてな。 ……まあ、美味くはなかったがな。14のガキには、酒の良し悪しなんざ分からなかった」
不味そうな顔をしていることに気付いたのだろう。父親は笑いながら、まだ少年だったジョニーの肩を叩き、グラスを取り上げた。お前が大人になって、良さが分かるようになったら、改めて一緒に飲もうと。父親はジョニーに言った。
「結局、それから親父と一緒に酒を飲む事は出来なかったが、その時の味は忘れられない。大事な思い出さ」
そう言って手に持つグラスを見詰めるジョニーの眼差しは優しく、穏やかで。彼の父親がギアに殺されたことは知っている。それを思うと、何とも言えない気持ちになるが。大切な存在を失った中でも、そうした思い出が彼の中に残っていることに、テスタメントは胸の奥がじんわりと熱くなるのを感じた。
「それで、大人になってから親父が飲んでた酒を探してみたんだが……その酒だと思うのが見つからなくてなあ。甘い匂いで……ブランデーだったんじゃないかとは思うが……今思えばラベルをちゃんと確認しておくんだったな」
グラスの酒を飲み干したところで、ジョニーは困った様な表情を浮かべながら肩を竦ませた。共に酒を酌み交わす約束は果たせずとも、当時飲んだ酒をもう一度味わってみようと。ジョニーはその酒を求め、世界中を駆け回った。しかし、これだと言う酒には未だ巡り合えておらず、お手上げ状態なのだと。
「……思い出の、酒」
当時のやり取りを思い返しながら、テスタメントは目の前の酒瓶に貼られているラベルを指先でなぞった。もし、彼の思い出の中にある酒を探し出して、プレゼントすることが出来たなら。当時の温かな記憶を呼び起こし、心を満たすことが出来たなら。彼は喜んでくれるだろうか。笑ってくれるだろうか。直接欲しいと言われたわけではない。望まれているわけでもない。それでも、テスタメントはその思い出の酒をジョニーに贈りたいと思った。
「……よし」
明日から、探してみよう。近所の酒屋から、遠方の酒造組合、ビンテージ品を取り扱う商会まで。あらゆる情報網を使って、必ず見つけ出して見せよう。
テスタメントは拳を握って一人決意し、その日は眠りについた。
***
翌日から、ジョニーの思い出の酒探しは始まった。
テスタメントが酒を飲む様になったのは最近の事だ。元々下戸で大した量も飲めないが、味の良し悪しは人並みに理解しているつもりだ。ジョニーと一緒に飲む様になって、その知識も大分付いたと思っている。以前は酒と言ったらスーパーや酒屋くらいしか売っている場所を知らなかった。彼に教わらなければ、今でもそうだっただろう。
まずは地元の村の商店から。次に街に繰り出し、スーパーや酒屋を回る。やがて足を伸ばして問屋や醸造所を訪ね、それらしい酒を探した。
「……はあ」
しかし、どこの店に聞いても条件に合致する酒は見当たらず。やはりそう簡単には見付からないかと、テスタメントは溜息を吐きながら空を仰いだ。
何十年も前の記憶を、それも他人のものを頼りに酒を探すなんて、無茶な話だ。ブランデーではないかという、漠然とした情報だけで探すのがそもそも間違っている。どこの国のものか、使われている果実は何か、価格帯はどの辺か。その辺りの情報があれば多少は絞り込むことも出来ただろうが。
長めの休暇を取り、テスタメントは遠方にも足を運んだ。見知らぬ土地で、見知らぬ酒と出会い、世の中にはこんな酒もあるのかと一人感動した。行く先々で親切な人が事情を汲み取り、一緒に探してくれた。候補となりそうな酒は何本か見つかった。けれどこれだと言える一本は見付からず。
やはり探し出すのは不可能なのだろうかと。諦めかけていたところで、テスタメントはとある町に辿り着いた。町、と言うよりは村と言った方が良いかもしれない。合衆国の西部の山間に位置し、良く言えば長閑で、悪く言えばドの付く田舎。そこはチェリーの産地なのか、町の至る所にチェリーの木が植えられていた。
「おや、珍しいね。この町に外から人が来るなんて」
こんな所に、探しているものがあるかは分からないが。それでも見るべき場所は見ておこうと、町唯一の小売店に足を運んだテスタメントは、その店の主と思しき女性に声を掛けられた。人の良さそうな笑みを浮かべている彼女は小柄で背中が少し丸まっており、普段テスタメントが世話になっている老夫婦に似た雰囲気があった。
「綺麗なお兄さん、何をお探しで? 見ての通り、うちはそんなに大きな店じゃあないから、探し物が見つかるか分からないんだけど」
「お気遣い、ありがとう御座います。実は……お酒を探していまして」
「お酒?」
「ええ、ブランデーだと思うんですが……」
テスタメントは自らが探し求めている酒の特徴を簡潔に告げた。それを聞いた店主はにっこりと笑い、傍らにある棚から一本の酒瓶を取り出して見せた。
「お兄さん、この町でお酒って言ったらチェリーブランデーだよ」
「チェリーブランデー?」
「ああ。その辺に植えられているの、見ただろう? この町はチェリーが名産品でねえ」
そのチェリーを原料にして、ブランデーを作っているのさと。店主はテスタメントにラベルが見えるよう酒瓶を掲げる。ラベルにはチェリーブランデーのロゴと、この村と思しき風景が描かれていた。彼女の言う通り、名産品なのだろう。しかしその後、店主はどこか寂しそうな笑みを浮かべながら言葉を続けた。
「……まあ、名産品と言っても売れてたのは昔の話でさ。最近は安い量産品に押されて全然売れなくなってしまったよ。味も香りも、言う事無いんだけどねえ……」
「昔、と言うと?」
「30年位前が一番売れていた時期だったよ。あの頃は本当に良く売れた。世界中から注文が来たし、各国の要人が直接買いに来る程だった。需要に供給が追いつかなくて大変だったよ」
「……そう、ですか」
店主の話を聞きながら、酒瓶を見たテスタメントはふと考えた。ジョニーの生まれはアメリカ合衆国。どこの州の出かまでは聞かなかったが、もしかしたらと。彼の父親がこの町のブランデーを飲んだかもしれない。確証は無い。ただ何となく、本能的に来るものがあった。
「このお酒を、一つ貰えますか?」
試飲でも出来ればまた違うのだろうが、己の一口の為に酒瓶を開けさせるのは申し訳ない。これは一種の賭けだった。もう彼の誕生日まで日が無い。諸々の準備を考えたら、これ以上探し回る事は難しい。最後の最後で辿り着いたこのブランデーが、どうか彼の思い出の酒と一致しますように。
テスタメントは心の中で祈りながら、懐から財布を取り出した。
***
そうして迎えた10月の24日。
ジェリーフィッシュ快賊団の旗艦・メイシップでは団長であるジョニーの誕パーティーが盛大に行われた。クルーたちは彼の為に特別な料理とケーキを振舞い、更に各々が用意したプレゼントを順番に手渡して行った。
テスタメントもその誕生パーティーに招待されていた。彼女たちがジョニーを祝う姿を離れた所で見守り、その微笑ましい光景に自然と口元が緩んだ。血が繋がっていなくとも、この船に居る者は皆、大切な家族なのだ。それをテスタメントに教えてくれたジョニーには、感謝してもしきれない。
誕生パーティーは夜まで行われ、お開きになったところで、テスタメントはジョニーと共に彼の部屋に向かったt。
「お前さんから飲みに誘ってくれるなんて、嬉しい事もあったもんだ」
部屋の隅にあるカウンター席に二人で座り、先に口を開いたのはジョニーだった。酒の席に誘うのはいつもジョニーからで、テスタメントから誘う事は滅多に無い。珍しい事もあったものだと、ジョニーは笑いながらテスタメントに言った。
「ああ、一緒に飲みたい酒があったんだ」
「へえ、そいつはもしかして……俺への誕生日プレゼントかい?」
切れ者であるこの男は相変わらず察しが良い。ジョニーの問い掛けにテスタメントは小さく頷き、赤い布で包んだ酒瓶を彼と己の間の空間に置いた。
「以前お前が言っていた、思い出の酒を探してみたんだ。合っている確証は無いが……」
するりと布を解き、あの町で購入した酒瓶をジョニーに見せる。知っている酒だったらどうしようという不安はあったが、ジョニーはその酒瓶を見てサングラスの下の瞳を僅かに見開いた。どうやら、この酒は初めて見るもののようだった。
「チェリーブランデーか……こいつはストレートで飲むのが良さそうだな。お前さんはどうする? 少し薄めるか?」
「いや、折角の機会だ。ここはお前と同じ飲み方で飲もうと思う」
「そうかい? まあ、一気には飲むなよ」
ラベルに刻まれている文字を読み、ジョニーは自らの経験から瞬時にベストな飲み方を見つけ出す。あらかじめ用意してあった二つのグラスを手元に寄せ、酒瓶を取り上げると慣れた手つきで開栓した。
その瓶を傾けると、中からワインレッドの液体がとくとくと零れ、グラス内を満たして行った。瞬間、チェリー特有の爽やかな香りが周囲に漂う。その香りにテスタメントは思わず小さな溜息を洩らした。ジョニーと酒を飲む様になって、色々な種類の酒を味わって来たが、チェリーブランデーは今回が初めてだった。
どうか、この酒が彼の思い出の酒でありますように。そう願いを込めながら、テスタメントは軽く乾杯の動作をした後、グラスを口元に運ぶジョニーの動作を見守った。
「……あー」
まずは鼻から深く息を吸い、香りを楽しむ。ゆっくり、じっくり、時間をかけて。そうしてしばらく堪能してからグラスに口を付け、一口だけ受け入れる。口内に広がっていく豊かな果実の味と、ほんのりとした甘味。染み渡るアルコールに深い溜息を吐き、ジョニーはテスタメントの方に向き直った。
「コイツは良い味だ。まさかお前さんがこんな良い酒を見つけて来てくれるとは思わなかった。素直に嬉しいねえ」
ジョニーはテスタメントに率直な感想を述べた。酒にはうるさい彼がそうして己の買ってきた酒を良いと言ってくれた事にテスタメントの表情は自然と綻ぶ。しかし、それから一呼吸おいて「だが」と、ジョニーは続けた。
「親父の酒は……これじゃあないな」
「……そう、か」
やはり違ったか。
当然だ。他人の思い出の記憶だけでその酒を見つけ出す事など、やはり不可能だったのだ。例え酒の知識が彼並みにあったとしても、それに辿り着くことは出来なかっただろう。その事実にテスタメントは笑みを消し、明らかな落胆の色を顔に滲ませた。
「そんな顔をしなさんな。俺の為に探してくれたんだろ?」
「ああ……」
「まあ……何だ、あの時の思い出は風化して行っちまうが」
落ち込んでいるテスタメントを慰めるつもりなのか。ジョニーは一度グラスをカウンターの上に起き、畏まった様にテスタメントに向き直った。
「思い出ってのは、幾らでも作れるモンだ。今日のこの時間も、二人の思い出にしないかい?」
無くなる思い出があれば、生まれる思い出もある。風化して行ってしまうのは避けられずとも、新たな思い出は作る事ができる。
忘れるつもりはない。けれど、その思い出だけに固執するつもりもない。ジョニーはテスタメントの顔に掛かる前髪に触れ、それを肩の後ろへ撫でるようにして持って行きながら訊ねた。
「……ああ、そうだな」
祝う筈が、逆に失敗を慰められるとは何とも情けない。けれどその言葉は、テスタメントの落胆の気持ちを確かに軽くした。
許されるのか。己が、彼の思い出の一つとなる事が。ジョニーは安易な嘘は吐かない。今の提案も、きっと彼の本心だろう。その事実にテスタメントは思わず破顔し、自身のグラスを手に取るとジョニーの方へと向ける。
「誕生日おめでとう、ジョニー」
「ああ、ありがとさん。今日という日をクルーの皆と、お前さんに祝って貰えて……俺は世界一ハッピーな男だな」
カツン、と。グラスとグラスがかち合う音が室内に響き渡る。その後に、テスタメントもグラスに口を付け、チェリーブランデーを味わった。
ーーそのチェリーブランデーは甘く、それでいて爽やかで。その後の夜の時間と共に、二人の思い出の一つとなった。
