テスデイ 聖杯戦争小ネタ
群青の空に星が瞬き、生温い風が金糸を揺らす。そんな静寂の中、溜息の音がやけに大きく響く。
その元凶である視線の先の子供は無表情。菫色の目は何処を見るでもなくただ虚空を見つめているのみ。多少の反応でもあればまだ可愛げがあるだろうに。とはいえ、戦士に可愛げなど求めるものでもなし、この子供が本当にテスカトリポカの供されるマスターとして相応しいかどうかも何とも言えない。所詮、この子供曰くの「善いこと」の対象として助けられた身ではあるが、神は傲慢なものである。
とはいえ、「善いこと」だからと人間かどうかも知れない見るからに怪しい成人男性を助けるなんてその時点で面白いと興味を持つには充分で、更に言うなら神に興味を持たれたというのに関心を見せる素振りすらみせないことに理由の判然としない苛立ちを感じているような気もしている。
知り合ったばかりの子供をサングラス越しに睨め付けて、やれやれと言わんばかりに嘆息し、オーバーに手をひろげ、テスカトリポカは訥々と語る。
「あのなあ、そりゃあオレはオマエにマスターとなることを求め、オマエはそれを受け入れた。で、簡単な魔力供給にだって応じてくれた」
そうだろう。告げれば、子供はようやく深淵の色をしたバイオレットにテスカトリポカを捉えた。暫し思考する様子を見せ、子供がああ、と呟く。
「さっきの血のことか?」
「そうだよ。でもな、ひとつ言わせろ」
「なんだ」
「オレが依り代を用意したせいで霊体化できないのが悪くはあるが、今から自宅にオレを連れ込むとか、正気か?」
そう言えば、子供は平然と頷いた。だからそこで頷くなと天を仰いでしまったテスカトリポカを誰が責められるだろう。このくらいは聖杯から現代の知識を得ていなくとも常識だろう。自ら名乗りはしたものの、そもそもマスターでもないのなら限界しているサーヴァントなんて現代知識に照らせば不審者以外の何者だと言うのか。テスカトリポカはまだ現代風の装いをしているがその他の英霊は半裸も鎧もなんでもあり。そもそも武具を所持しているサーヴァントはまず銃刀法違反に引っかかる。だからこそ霊体化をしないとまずいとでも言うのか。いいや、そんなはずはない。ないはずである。
そんなテスカトリポカをさして気に留める素振りすら見せずに、子供はちらりとテスカトリポカの服装を上から下まで眺めた。
「ああ。オレのような子供は一人でホテルに入れないし、お前は尚更だろう。見た目はあきらかに堅気の人間ではないし、サーヴァントは身分などないだろう」
「そりゃああたりまえだ」
「それなら公共施設は最初から論外だろう。それなら、廃墟や先程の公園のようなそもそも居住すべきではないようなスペース、もしくは既に利用している場所くらいしか候補はないだろう。父さんは不在だ。問題ない」
父さんが気付いてしまうほどに散らかされたりものを壊されたりするのは困るから、気を付けて欲しい。
そう告げたデイビットにテスカトリポカは思わず呆れる。この子供、なにかあれば父さん、父さんと、俗に言うファーザーコンプレックスというものなのだろうか。もっと気にするべき所があるような気がする。言っていることは筋道通っている利発な子供だと言えるのかもしれないし、執着とは生への縁。ならば、どんな執着や感情であろうとも、戦神としてテスカトリポカは肯定しよう。
それに、元マスターと比べたのならどんな人間だろうと上等には違いない。テスカトリポカは名乗り、子供は応じた。それがすべて。召喚される側からマスターになることを求めたことは順序が逆だとしても、そんなことは些細な問題だ。
やれやれ、とテスカトリポカは細く息を吐き出した。子供は何も言わない。そのまま、二人は無言のままに歩く。子どものちいさな靴音と、テスカトリポカのブーツの音。呼吸の音と、鳥の鳴き声、風の囁き。たったそれだけが芝居する夜の街を、子供と往く。
「そう言えば、思い出したことがある」
「なんだよ」
「お前は名乗ったが、オレは名乗っていなかった。それは不義理だろうから。オレは、デイビット。デイビット・ゼム・ヴォイド。よろしく、テスカトリポカ」
嗚呼、そういえば訊くことを忘れていたのだと思い出す。元マスターも名乗りはしなかったから、そんなものだろうとばかり思っていたが、違ったらしい。どこかでこの子供も結局のところ人間なのかと思っていたのは己であったのかもしれない。
真っ直ぐに見上げてくるアメジストはどこまでも深い深淵のようでいて、その癖澄み切っていてひどく美しいもののように思えた。夜闇の中でも鮮やかなハニーブロンドと相俟って、その姿形だけならば精巧に造られた人形のよう。けれど、見上げる瞳は無機質な中にしっかりとテスカトリポカを映し込んで、僅かに感情を覗かせている。分かりにくいだけで、この子供は人間だ。テスカトリポカに興味を持たせるほどの異質で、戦士たり得るかもしれない子供。そして、マスターになることを呆気なく承諾する程に善いことに執着する、どこか歪んだ子供。
けれど、それでこそ戦士となる資格がある。テスカトリポカが巻き込んだのだ、見届ける程度はしてみせよう。だって、この子供は黙っていればよかったものをテスカトリポカに名前まで明け渡した。
笑いが込み上げてくるのを抑えきれずに、テスカトリポカは大口を上げて笑った。その様子に、デイビットが理解できないと言わんばかりに小さく首を傾げている。まだ込み上げてくる笑いをなんとか噛み殺す。
それから、まだこちらを見ているデイビットに視線を合わせる。
「ああ、よろしくな、デイビット」
「ああ、よろしく。テスカトリポカ」
デイビットは手を差し出した。その手を取る。まだ柔い、戦いを知らない小さな手のひら。けれども、これも悪くはない。最初からテスカトリポカ好みにできる余地があると思えば、それも一興。
そのまま、二人歩く。大小ふたつの影が手を繋ぐのを、夜の星と月だけが見ている。そんな、始まりの夜のことだった。
********
「テスカトリポカ。その身体は人間とまったく同じなのか?」
焼きたての食パンのいい匂いをさせながら、デイビットが問い掛けた。既にテーブルにはマーガリンとジャム、それから卵が用意されていて、朝食の準備の真っ最のようだった。
昨晩はこの家に着いてからすぐにデイビットからもう少しばかりの血を貰ってから睡眠を取ることで魔力の摩耗を抑え、体力の回復に努めていたテスカトリポカは、応と頷いた。
「まあな。オレはサーヴァントだが、現界にあたって人間の身体を用意している。魔力は当然供給してもらわないとならんが、食事や睡眠で多少は誤魔化しもきく」
「そうか。なら、お前も何か食べるか?」
「ああ。ないならないでも構わんが、せっかくの貢物だ。有難く頂くさ」
「貢物ではなくてただの子供でも簡単に作れるような朝食だ。何か好みは?」
「別に何も。ああ、心臓は好きだな。あと、煙草」
「心臓は朝食に用意はできない。煙草なら、箱は分からないがライターがそこの棚にある。父さんのものだから、使ってもいいが慎重に扱って欲しい」
「オマエの親父さんも煙草を嗜むのか?」
「ああ。そこのベランダでよく吸っていた。この近くにはあまり人はいないが、気付かれないように出来るのなら煙草を吸ってもいい」
「んー、アサシンだが気配遮断のスキルがないんだよなぁ……。まだ快復しきっていないのに見つかっても困るか」
そんなテスカトリポカを他所に、デイビットが粛々と朝食の用意を進めていく。律儀にもテスカトリポカの分も用意してくれているようで、パンをもう一枚トースターに入れ、フライパンでフライドエッグを焼いている音がしている。何をすることもないのでと手元を覗き込めば、面白いものではない、と振り向かずに告げられる。けれど、元マスターは料理なんぞしなかったのでテスカトリポカにしてみれば現代の料理ひとつとっても興味深いものとして映る。なにせ、聖杯から知識をインストールしてはいるものの、あくまで知識は知識。テスカトリポカはアステカの古き神性なので、興味は尽きない。
ましてや、この子供のすることならば、尚更に。
「所詮は子供のすることだ。レパートリーもあまりないので、期待はするな」
「はいはい」
「食パンにはマーガリンやジャム、好きなものを塗って食べてくれればいい」
「デイビット、オマエのお勧めは?」
「シンプルなのがいいならマーガリン。甘いものがよければジャムを塗ればいい」
蜂蜜や、ピーナッツバターもある。そう告げて、デイビットはマーガリンを食パンに塗るので、テスカトリポカもそれを真似る。
この人の身を持って初めての人間らしい食事である。さて、どんなものだろう。食パンを口にすれば、丁度いい具合に焼けていて、マーガリンの味わいは案外あっさりしている。フライドエッグも何かをかければ違うのだろうが、単体ではそこまで特徴的な味わいというわけではない。けれど、温かい上に手軽。かつ、味わいがシンプルということはソースなり調味料なりで味を自分好みにできるということ。朝最初に口にするものならばその後十全に動くためにカロリーが適切に取れ、尚且つシンプルなものが好ましいだろう。そう考えれば、成程、朝に食べるものとしては合理的と言えるだろうか。
「テスカトリポカ、何か飲むものはいるか」
「特に何も要らん。なにかお勧めは?」
「特にはない。オレは普段口にしてもミネラルウォーターくらいだから。父さんは、コーヒーを飲んでいたかな」
「へえ。じゃあ、コーヒーがいい」
「インスタントコーヒーくらいしかないから本格的なものは難しいが、いいだろうか」
「ああ、構わない。それに、拾われサーヴァントの身で贅沢は言わんさ」
「そうか。なら少し、待っていろ」
そう告げて、デイビットがキッチンに向かう。ケトルで湯を沸かして、その間にインスタントコーヒーの用意をしているようだ。
その後姿を眺めながら、もう一口食パンを齧る。満足していないわけではない。人間の依代というのは霊体化ができない不便さもあるけれど、そのデメリットにも優る利便性もある。魂喰いをしたり心臓を食べずとも、こうして食事や睡眠で多少の回復ができることもそのひとつ。ただ、効率は落ちる。もっといい手段は他にあって、テスカトリポカはそのやり方を知っている。デイビット相手に出来ないわけではないことも分かっている。
けれど、デイビットは父親に見つからない範囲であればなんでもこちらの要求を呑んでしまいそうだ。テスカトリポカにとっては万々歳。けれど、巻き込んでしまっている上に、デイビットとの聖杯戦争は何を目標にするかも定まっていない。この段階でテスカトリポカが現界し続けるためだけにこちらに都合に合わせて要求をするのはそれはそれで如何なものかと多少の躊躇いがあった。
「待たせたな、テスカトリポカ。コーヒーだ」
好みで砂糖やミルクを入れるといいらしい。そうデイビットが言うが、テスカトリポカはそのまま黒い液体を飲み込んだ。煙草と相性が良さげな苦味がある液体だ。テスカトリポカとしては、嫌いではない。やっぱり煙草が吸いたくなる。煙草を吸った後にコーヒーを呑めば、快楽だろうに。
「テスカトリポカ。さっきまで考えていたんだが、朝食は血でなくていいのか?」
その言葉に、コーヒーを吹き出しそうになって、堪える。一気に飲み込んで、テスカトリポカはみっともなく噎せてしまう。神に無様を晒させるとは。
そして、その元凶を睨んだ。出会ってからずっと思っていたが、この子供頭は回るのだろうが、何とも言動が唐突すぎる。
「なんでオレがドラクルみたいに血を吸わないといけないってことになる」
「昨日、魔力供給だとかなんだと言って、血を吸ったろう。オレは魔術師ではなく、魔術回路がなさそうだからその代わりだと昨日言ってたのはお前だろう、テスカトリポカ」
「よく覚えてるこって……」
やれやれと息をつく。いずれしないとならない話ではあったけれど、初めての食事の場でするつもりは流石のテスカトリポカでもなかったというのに、この子供ときたら情緒は大丈夫だろうか。けれど、それとなく話題を変えるにしても、この子供はおそらく流されてくれなさそうだ。本当に仕方がない。ため息くらいは許して欲しいものだ。
「まあ、確かに血でも魔力供給にはなる。後は、心臓や、魂を喰らうとかな。でも、食事でもある程度なら魔力供給にはなるからいいんだよ」
「その言い方だと他にもいい方法があるように聞こえるが?」
「オマエにはまだ早いって」
「決めるのはオレだ。マスターだと言ったのは、テスカトリポカだ」
「……なら言うがな。効率的な方法っていうのは体液の交換だよ。例えば、キスとか」
「……きす」
デイビットはそれを聞いて、ほんの少し俯いた。視線が逸らされて、指先をなんの意味をなく絡ませて、解き、もじもじとさせる。そして、再び向けられた視線にはほんの少しの動揺が見えた。
「やっぱり、嫌だろ」
「いや、そうじゃない。ただ、その……」
そうして、デイビットは口ごもる。
「父さんが、言っていた。頬や額ならいいが、口にするキスは18歳以上になってから、好きな人とするものだと」
「お堅いねぇ」
「オレは、テスカトリポカのマスターだが、現時点では好意を持っていないと思う。……父さんに、いけない子だと思われたら、どうしよう」
デイビットの声音が不安げに揺らぐ。だから言っただろうに。この動揺している子供にわざと口付けるのは容易いけれど、そこまで趣味は悪くない。けれど、好意を持っていないと言われ、分かっていたものの多少腹立たしいものがある。
どうしようかと暫し逡巡し、それからテスカトリポカは徐に距離を詰めた。デイビットの瞳が驚いたように瞠られる。おいおいあんなことを言ったのに逃げないのかと思いながら、テスカトリポカはそっと手を伸ばし、円やかな頬に触れた。
「話は簡単だろうよ。好きでないなら、好きになれ」
「そんな、簡単に言うな……」
「わかってるよ、そんな簡単じゃないことくらい。さっきのは軽い冗談として、」
そっと顔を近付ける。案外柔らかな前髪をかきあげて、額に口付ける。それだけで、デイビットはほんのりと頬を染める。拒否でないだけ反応は上々。寧ろ、期待してもいいかもしれない。
「これは、嫌か?」
「……分からないが、気持ち悪いとは、思わない。なにより、必要な行為なんだろう」
「そういうことだ。だから、慣らしていこうな?」
「……く、口同士は、ちゃんとテスカトリポカを好きだと思えた後じゃないと、駄目だ」
「いいさ。時間はまだまだあるし、好きにならなくてもやりようはある。第一、まだ聖杯戦争の目的もないんだ。急ぐことはないさ」
「そう……か」
「そうさ」
「ありがとう、テスカトリポカ」
そう言って、子供が微かに口元を緩ませる。その表情だけで、ひとまずは良しとすることにした。
************
以下、蛇足
テスカトリポカ→まだ現代に染まりきっておらず神成分が強め。デイビットのことは最初から面白く感じていてテスカトリポカの求める戦士になるように導こうかとも思っているので今からとても楽しみ。好意を持つように仕向けてもいいけれどこの性格だとどうなんだろうと思っている。キスであの反応だったのでもっと効率がいいのがセックスだと言うのはよしておいた。
好意を持たせるよりもテスカトリポカ好みの戦士になると嬉しい。今のところは。
取り敢えず魔力供給は食事と口以外のキス、あとは心臓を喰らうことで何とかしようとは思っている。
霊体化はできないけれど魔力多少は使うがジャガーになれるしサイズも多少はいじれる。
ルートによってはデイビットが他陣営に地球外の生命との親和性があるとして利用されかけてキレて神隠しルートになる。
デイビット→ファザコン。その影響で貞操観念は強め。それ以外なら「善いことをしないといけないよ」と父から教わったので、特に嫌なことはない。心臓を奪ったりすることも問題はない。
ただし、父親からキス以上の性的行為は教わっていないので、キスは駄目でも実はセックスはできる。(セックス自体は知らないが、いけないのは口どうしのきすだと思っているため)
テスカトリポカに対しては好意はないものの嫌悪感はなく、一緒にいるのが居心地いいと少しずつ感じるようになる
敵陣営との戦いの中で聖杯の由来と聖杯がもたらすリスクを知って聖杯の破壊、難しければこの地球を壊すことを最終目標にするようになる。
次回、「ゲームで遊ぼう/テスカトリポカとの散歩」(続かない)
その元凶である視線の先の子供は無表情。菫色の目は何処を見るでもなくただ虚空を見つめているのみ。多少の反応でもあればまだ可愛げがあるだろうに。とはいえ、戦士に可愛げなど求めるものでもなし、この子供が本当にテスカトリポカの供されるマスターとして相応しいかどうかも何とも言えない。所詮、この子供曰くの「善いこと」の対象として助けられた身ではあるが、神は傲慢なものである。
とはいえ、「善いこと」だからと人間かどうかも知れない見るからに怪しい成人男性を助けるなんてその時点で面白いと興味を持つには充分で、更に言うなら神に興味を持たれたというのに関心を見せる素振りすらみせないことに理由の判然としない苛立ちを感じているような気もしている。
知り合ったばかりの子供をサングラス越しに睨め付けて、やれやれと言わんばかりに嘆息し、オーバーに手をひろげ、テスカトリポカは訥々と語る。
「あのなあ、そりゃあオレはオマエにマスターとなることを求め、オマエはそれを受け入れた。で、簡単な魔力供給にだって応じてくれた」
そうだろう。告げれば、子供はようやく深淵の色をしたバイオレットにテスカトリポカを捉えた。暫し思考する様子を見せ、子供がああ、と呟く。
「さっきの血のことか?」
「そうだよ。でもな、ひとつ言わせろ」
「なんだ」
「オレが依り代を用意したせいで霊体化できないのが悪くはあるが、今から自宅にオレを連れ込むとか、正気か?」
そう言えば、子供は平然と頷いた。だからそこで頷くなと天を仰いでしまったテスカトリポカを誰が責められるだろう。このくらいは聖杯から現代の知識を得ていなくとも常識だろう。自ら名乗りはしたものの、そもそもマスターでもないのなら限界しているサーヴァントなんて現代知識に照らせば不審者以外の何者だと言うのか。テスカトリポカはまだ現代風の装いをしているがその他の英霊は半裸も鎧もなんでもあり。そもそも武具を所持しているサーヴァントはまず銃刀法違反に引っかかる。だからこそ霊体化をしないとまずいとでも言うのか。いいや、そんなはずはない。ないはずである。
そんなテスカトリポカをさして気に留める素振りすら見せずに、子供はちらりとテスカトリポカの服装を上から下まで眺めた。
「ああ。オレのような子供は一人でホテルに入れないし、お前は尚更だろう。見た目はあきらかに堅気の人間ではないし、サーヴァントは身分などないだろう」
「そりゃああたりまえだ」
「それなら公共施設は最初から論外だろう。それなら、廃墟や先程の公園のようなそもそも居住すべきではないようなスペース、もしくは既に利用している場所くらいしか候補はないだろう。父さんは不在だ。問題ない」
父さんが気付いてしまうほどに散らかされたりものを壊されたりするのは困るから、気を付けて欲しい。
そう告げたデイビットにテスカトリポカは思わず呆れる。この子供、なにかあれば父さん、父さんと、俗に言うファーザーコンプレックスというものなのだろうか。もっと気にするべき所があるような気がする。言っていることは筋道通っている利発な子供だと言えるのかもしれないし、執着とは生への縁。ならば、どんな執着や感情であろうとも、戦神としてテスカトリポカは肯定しよう。
それに、元マスターと比べたのならどんな人間だろうと上等には違いない。テスカトリポカは名乗り、子供は応じた。それがすべて。召喚される側からマスターになることを求めたことは順序が逆だとしても、そんなことは些細な問題だ。
やれやれ、とテスカトリポカは細く息を吐き出した。子供は何も言わない。そのまま、二人は無言のままに歩く。子どものちいさな靴音と、テスカトリポカのブーツの音。呼吸の音と、鳥の鳴き声、風の囁き。たったそれだけが芝居する夜の街を、子供と往く。
「そう言えば、思い出したことがある」
「なんだよ」
「お前は名乗ったが、オレは名乗っていなかった。それは不義理だろうから。オレは、デイビット。デイビット・ゼム・ヴォイド。よろしく、テスカトリポカ」
嗚呼、そういえば訊くことを忘れていたのだと思い出す。元マスターも名乗りはしなかったから、そんなものだろうとばかり思っていたが、違ったらしい。どこかでこの子供も結局のところ人間なのかと思っていたのは己であったのかもしれない。
真っ直ぐに見上げてくるアメジストはどこまでも深い深淵のようでいて、その癖澄み切っていてひどく美しいもののように思えた。夜闇の中でも鮮やかなハニーブロンドと相俟って、その姿形だけならば精巧に造られた人形のよう。けれど、見上げる瞳は無機質な中にしっかりとテスカトリポカを映し込んで、僅かに感情を覗かせている。分かりにくいだけで、この子供は人間だ。テスカトリポカに興味を持たせるほどの異質で、戦士たり得るかもしれない子供。そして、マスターになることを呆気なく承諾する程に善いことに執着する、どこか歪んだ子供。
けれど、それでこそ戦士となる資格がある。テスカトリポカが巻き込んだのだ、見届ける程度はしてみせよう。だって、この子供は黙っていればよかったものをテスカトリポカに名前まで明け渡した。
笑いが込み上げてくるのを抑えきれずに、テスカトリポカは大口を上げて笑った。その様子に、デイビットが理解できないと言わんばかりに小さく首を傾げている。まだ込み上げてくる笑いをなんとか噛み殺す。
それから、まだこちらを見ているデイビットに視線を合わせる。
「ああ、よろしくな、デイビット」
「ああ、よろしく。テスカトリポカ」
デイビットは手を差し出した。その手を取る。まだ柔い、戦いを知らない小さな手のひら。けれども、これも悪くはない。最初からテスカトリポカ好みにできる余地があると思えば、それも一興。
そのまま、二人歩く。大小ふたつの影が手を繋ぐのを、夜の星と月だけが見ている。そんな、始まりの夜のことだった。
********
「テスカトリポカ。その身体は人間とまったく同じなのか?」
焼きたての食パンのいい匂いをさせながら、デイビットが問い掛けた。既にテーブルにはマーガリンとジャム、それから卵が用意されていて、朝食の準備の真っ最のようだった。
昨晩はこの家に着いてからすぐにデイビットからもう少しばかりの血を貰ってから睡眠を取ることで魔力の摩耗を抑え、体力の回復に努めていたテスカトリポカは、応と頷いた。
「まあな。オレはサーヴァントだが、現界にあたって人間の身体を用意している。魔力は当然供給してもらわないとならんが、食事や睡眠で多少は誤魔化しもきく」
「そうか。なら、お前も何か食べるか?」
「ああ。ないならないでも構わんが、せっかくの貢物だ。有難く頂くさ」
「貢物ではなくてただの子供でも簡単に作れるような朝食だ。何か好みは?」
「別に何も。ああ、心臓は好きだな。あと、煙草」
「心臓は朝食に用意はできない。煙草なら、箱は分からないがライターがそこの棚にある。父さんのものだから、使ってもいいが慎重に扱って欲しい」
「オマエの親父さんも煙草を嗜むのか?」
「ああ。そこのベランダでよく吸っていた。この近くにはあまり人はいないが、気付かれないように出来るのなら煙草を吸ってもいい」
「んー、アサシンだが気配遮断のスキルがないんだよなぁ……。まだ快復しきっていないのに見つかっても困るか」
そんなテスカトリポカを他所に、デイビットが粛々と朝食の用意を進めていく。律儀にもテスカトリポカの分も用意してくれているようで、パンをもう一枚トースターに入れ、フライパンでフライドエッグを焼いている音がしている。何をすることもないのでと手元を覗き込めば、面白いものではない、と振り向かずに告げられる。けれど、元マスターは料理なんぞしなかったのでテスカトリポカにしてみれば現代の料理ひとつとっても興味深いものとして映る。なにせ、聖杯から知識をインストールしてはいるものの、あくまで知識は知識。テスカトリポカはアステカの古き神性なので、興味は尽きない。
ましてや、この子供のすることならば、尚更に。
「所詮は子供のすることだ。レパートリーもあまりないので、期待はするな」
「はいはい」
「食パンにはマーガリンやジャム、好きなものを塗って食べてくれればいい」
「デイビット、オマエのお勧めは?」
「シンプルなのがいいならマーガリン。甘いものがよければジャムを塗ればいい」
蜂蜜や、ピーナッツバターもある。そう告げて、デイビットはマーガリンを食パンに塗るので、テスカトリポカもそれを真似る。
この人の身を持って初めての人間らしい食事である。さて、どんなものだろう。食パンを口にすれば、丁度いい具合に焼けていて、マーガリンの味わいは案外あっさりしている。フライドエッグも何かをかければ違うのだろうが、単体ではそこまで特徴的な味わいというわけではない。けれど、温かい上に手軽。かつ、味わいがシンプルということはソースなり調味料なりで味を自分好みにできるということ。朝最初に口にするものならばその後十全に動くためにカロリーが適切に取れ、尚且つシンプルなものが好ましいだろう。そう考えれば、成程、朝に食べるものとしては合理的と言えるだろうか。
「テスカトリポカ、何か飲むものはいるか」
「特に何も要らん。なにかお勧めは?」
「特にはない。オレは普段口にしてもミネラルウォーターくらいだから。父さんは、コーヒーを飲んでいたかな」
「へえ。じゃあ、コーヒーがいい」
「インスタントコーヒーくらいしかないから本格的なものは難しいが、いいだろうか」
「ああ、構わない。それに、拾われサーヴァントの身で贅沢は言わんさ」
「そうか。なら少し、待っていろ」
そう告げて、デイビットがキッチンに向かう。ケトルで湯を沸かして、その間にインスタントコーヒーの用意をしているようだ。
その後姿を眺めながら、もう一口食パンを齧る。満足していないわけではない。人間の依代というのは霊体化ができない不便さもあるけれど、そのデメリットにも優る利便性もある。魂喰いをしたり心臓を食べずとも、こうして食事や睡眠で多少の回復ができることもそのひとつ。ただ、効率は落ちる。もっといい手段は他にあって、テスカトリポカはそのやり方を知っている。デイビット相手に出来ないわけではないことも分かっている。
けれど、デイビットは父親に見つからない範囲であればなんでもこちらの要求を呑んでしまいそうだ。テスカトリポカにとっては万々歳。けれど、巻き込んでしまっている上に、デイビットとの聖杯戦争は何を目標にするかも定まっていない。この段階でテスカトリポカが現界し続けるためだけにこちらに都合に合わせて要求をするのはそれはそれで如何なものかと多少の躊躇いがあった。
「待たせたな、テスカトリポカ。コーヒーだ」
好みで砂糖やミルクを入れるといいらしい。そうデイビットが言うが、テスカトリポカはそのまま黒い液体を飲み込んだ。煙草と相性が良さげな苦味がある液体だ。テスカトリポカとしては、嫌いではない。やっぱり煙草が吸いたくなる。煙草を吸った後にコーヒーを呑めば、快楽だろうに。
「テスカトリポカ。さっきまで考えていたんだが、朝食は血でなくていいのか?」
その言葉に、コーヒーを吹き出しそうになって、堪える。一気に飲み込んで、テスカトリポカはみっともなく噎せてしまう。神に無様を晒させるとは。
そして、その元凶を睨んだ。出会ってからずっと思っていたが、この子供頭は回るのだろうが、何とも言動が唐突すぎる。
「なんでオレがドラクルみたいに血を吸わないといけないってことになる」
「昨日、魔力供給だとかなんだと言って、血を吸ったろう。オレは魔術師ではなく、魔術回路がなさそうだからその代わりだと昨日言ってたのはお前だろう、テスカトリポカ」
「よく覚えてるこって……」
やれやれと息をつく。いずれしないとならない話ではあったけれど、初めての食事の場でするつもりは流石のテスカトリポカでもなかったというのに、この子供ときたら情緒は大丈夫だろうか。けれど、それとなく話題を変えるにしても、この子供はおそらく流されてくれなさそうだ。本当に仕方がない。ため息くらいは許して欲しいものだ。
「まあ、確かに血でも魔力供給にはなる。後は、心臓や、魂を喰らうとかな。でも、食事でもある程度なら魔力供給にはなるからいいんだよ」
「その言い方だと他にもいい方法があるように聞こえるが?」
「オマエにはまだ早いって」
「決めるのはオレだ。マスターだと言ったのは、テスカトリポカだ」
「……なら言うがな。効率的な方法っていうのは体液の交換だよ。例えば、キスとか」
「……きす」
デイビットはそれを聞いて、ほんの少し俯いた。視線が逸らされて、指先をなんの意味をなく絡ませて、解き、もじもじとさせる。そして、再び向けられた視線にはほんの少しの動揺が見えた。
「やっぱり、嫌だろ」
「いや、そうじゃない。ただ、その……」
そうして、デイビットは口ごもる。
「父さんが、言っていた。頬や額ならいいが、口にするキスは18歳以上になってから、好きな人とするものだと」
「お堅いねぇ」
「オレは、テスカトリポカのマスターだが、現時点では好意を持っていないと思う。……父さんに、いけない子だと思われたら、どうしよう」
デイビットの声音が不安げに揺らぐ。だから言っただろうに。この動揺している子供にわざと口付けるのは容易いけれど、そこまで趣味は悪くない。けれど、好意を持っていないと言われ、分かっていたものの多少腹立たしいものがある。
どうしようかと暫し逡巡し、それからテスカトリポカは徐に距離を詰めた。デイビットの瞳が驚いたように瞠られる。おいおいあんなことを言ったのに逃げないのかと思いながら、テスカトリポカはそっと手を伸ばし、円やかな頬に触れた。
「話は簡単だろうよ。好きでないなら、好きになれ」
「そんな、簡単に言うな……」
「わかってるよ、そんな簡単じゃないことくらい。さっきのは軽い冗談として、」
そっと顔を近付ける。案外柔らかな前髪をかきあげて、額に口付ける。それだけで、デイビットはほんのりと頬を染める。拒否でないだけ反応は上々。寧ろ、期待してもいいかもしれない。
「これは、嫌か?」
「……分からないが、気持ち悪いとは、思わない。なにより、必要な行為なんだろう」
「そういうことだ。だから、慣らしていこうな?」
「……く、口同士は、ちゃんとテスカトリポカを好きだと思えた後じゃないと、駄目だ」
「いいさ。時間はまだまだあるし、好きにならなくてもやりようはある。第一、まだ聖杯戦争の目的もないんだ。急ぐことはないさ」
「そう……か」
「そうさ」
「ありがとう、テスカトリポカ」
そう言って、子供が微かに口元を緩ませる。その表情だけで、ひとまずは良しとすることにした。
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以下、蛇足
テスカトリポカ→まだ現代に染まりきっておらず神成分が強め。デイビットのことは最初から面白く感じていてテスカトリポカの求める戦士になるように導こうかとも思っているので今からとても楽しみ。好意を持つように仕向けてもいいけれどこの性格だとどうなんだろうと思っている。キスであの反応だったのでもっと効率がいいのがセックスだと言うのはよしておいた。
好意を持たせるよりもテスカトリポカ好みの戦士になると嬉しい。今のところは。
取り敢えず魔力供給は食事と口以外のキス、あとは心臓を喰らうことで何とかしようとは思っている。
霊体化はできないけれど魔力多少は使うがジャガーになれるしサイズも多少はいじれる。
ルートによってはデイビットが他陣営に地球外の生命との親和性があるとして利用されかけてキレて神隠しルートになる。
デイビット→ファザコン。その影響で貞操観念は強め。それ以外なら「善いことをしないといけないよ」と父から教わったので、特に嫌なことはない。心臓を奪ったりすることも問題はない。
ただし、父親からキス以上の性的行為は教わっていないので、キスは駄目でも実はセックスはできる。(セックス自体は知らないが、いけないのは口どうしのきすだと思っているため)
テスカトリポカに対しては好意はないものの嫌悪感はなく、一緒にいるのが居心地いいと少しずつ感じるようになる
敵陣営との戦いの中で聖杯の由来と聖杯がもたらすリスクを知って聖杯の破壊、難しければこの地球を壊すことを最終目標にするようになる。
次回、「ゲームで遊ぼう/テスカトリポカとの散歩」(続かない)
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