Domsubユニバース
この世の中には、男女という性別の他に、第二性というものがある。大別すれば、Dom、Sub、Switch、Usual。このうち、人口の割合として多いのはUsual、つまりは特別DomとSub、どちらの気質も強く持たない人々であって、デイビット──正確には、研究室の中の黒い染みとなった彼もそうだった。
けれど、Usualという性は外宇宙の存在からしてみるとそこまでいいものではなかったらしい。いいや、厳密には異なる。Usualよりも都合のいい第二性があったというのが正しい。
どのようにこの身体を弄ったのか、どんな仕組みでそうなってしまったかは分からないけれど、10歳の時、人理の外側へと外れてしまったデイビットは、それとタイミングを同じくしてUsualからSwitchへと、その第二性が変わっていた。当初自覚はなかった。自分自身の身体について伝承科で検査をされるうちにその事実が判明したのである。
第二性が変わったと知った時、驚きも嘆きもしなかった。ああ、そうなのか。そんな諦念にも似た思いを抱いた。
おそらく、単純に都合が良かっただけだろうとデイビットは考えている。Switchとは、DomとSub、両方の特徴を持ち合わせた性別であり、DomとSubの特徴が入れ替わることが可能な第二性だ。そして、Switchの入れ替わりのタイミングは様々で、本人の任意だったり、周囲の状態によったり、コマンドだったり、それぞれで異なるらしい。そして、DomとSubで入れ替わるタイミングが決まっていないというのはデイビットからしてみても都合のいいものとしか思えない。デイビットがそのように感じるのであれば、外宇宙のなにかにとっては尚のことだろう。
おそらくは、Switchであれば干渉がしやすいとでも思ったに違いない。実際問題、外宇宙の観測機としてどんな役割が求められているのかは明確ではないけれど、都合よく動かせる駒があるのならそれに越したことはないと考えるのが一般的。話しても見てもいない外宇宙の存在という物がどんな考えをするかなど知ったことではないけれど、幾つものパターンを用意するよりはひとつの物体で何パターンも試せた方が効率的。ただそれだけの話である。デイビットとて同じ立場ならそうするだろう。
Switchであるからと言って不都合はなかった。デイビットは、元々がUsualであったからなのか、SwitchであってもUsualに寄っているらしい。更に言うとすれば、外宇宙の干渉を受け、地球人でなくなったデイビットはあまり感情が大きく揺れ動くということがなかった。5分間しか記憶が出来なくなったこと、元の彼とは違うのだという、デイビットにしか理解のできない感覚。原因として考えられることは幾つかあるけれど、何かしらに影響されて第二性が切り替わるSwitchとは、言い換えるのならば何にも影響しなければそのままであるということと同義だった。特に、Usual寄りであるのなら尚更。
何度かDomやSubに遭遇はしたが、何ら影響は受けなかった。軽いCommandを受けたり、故意的に外部との接触を遮断して何らかの欲が出ないのかという検証も行われたが、デイビットはDomとしての反応も、Subとしての反応も示すことはなかった。それでも、試しに気乗りしないながらも「Kneel」とCommandを使えば支配されたい欲が強いのだと言っていたSubの職員は命令に従った。非常に強いDomからCommandを受ければ、褒められたい、お仕置がされたいという欲求はなかったものの、身体は命令に従った。
なので、ある程度個人との相性や、第二性における優秀さや資質が高い相手であればいくらUsualに近いといえど、Switchとして第二性は機能するらしいとはわかった。けれど、それは50人に一人影響される相手がいればまだ良い方という結果であったから、やはりデイビットは限りなくUsualに近いのであると結論づけられた。
これらのことから、伝承科では、このことは天使の遺物によってもたらされた影響の一つであるという処理がなされた。第二性ひとつとっても個々に違いはあり、専門外の分野であるのだから限りなくUsual寄りのSwitchであるとだけ、結論づけられた。
そのため、デイビットは表面上は以前と変わらず日々を過ごしていて、カルデアの一員となってからも、カルデアの計画を星を犠牲にしてでも破壊するのだと決めた時も変わらなかった。
なので、今思えばらしくもなく油断があったのだと思う。それとも、Switchであることを忘れかけていたのかもしれない。
変化があったのは、クリプターとして異聞帯を任された後のこと。
地球を破壊しようなどという地球人ではない宇宙外の生命体。レイシフトでもサーヴァントを召喚できなかった、人理の側に立ってはいないモノ。
けれども、デイビットが計画を遂行するためには手数が必要であった。必要に迫られればおのれ独りであっても計画を遂行しようと決意はしている。しかし、手を借りることができるなら、それに越したことはない。ただでさえ、難易度は高く、邪魔が入らないとも限らないのだ。成功率をできる限り上げたいと思考するのは正常である。
人類としてカウントがされなくても、土地という触媒を用いることでサーヴァントの召喚ができる可能性があった。出来ない可能性は高い。けれど、デイビットの任されたこのミクトランパという地と照らし合わせた上で、何者かであるかよりも、善悪よりも、戦を良しとする存在。それならば、欠片ほどであっても可能性はあると考えた。
そうしてデイビットの喚び掛けに、かの神は応えた。
「よう! アンタがマスター?よろしく。サーヴァント、アサシン。テスカトリポカだ。色々あるが、黒い方のな。インテリのようだが、戦いが好きなのは分かっているんだろう?熱烈に喚んでくれたんだ、楽しくやろうぜ、マスター?」
そうフランクに告げる神に、デイビットは視線を向けて、それから動きが止まってしまう。安堵か、感嘆か、それともまったく違うなにかか。なんだっていい。今思えば、視線を奪われた。きっと、言語化するのならこれが一番近いのだが、その時のデイビットは理解出来ずにいた。
その神──アステカの全能神たるテスカトリポカは一般的な西洋人と似た見た目をしていた。細身の身体、キリシュタリアには及ばないが長い金の髪、瞳はサングラスに覆われて見えやしない。衣服も仰々しいアステカ時代の衣服を纏うわけではなく現代風で、衣服の隙間から覗き見える肌もデイビットの知る人間のものと変わりはないように見える。見た目だけなら、デイビットと同じで人間のよう。
かの神についての詳細は、今はまだなんだっていい。召喚に応じてくれた。その事実が、今は重要なことであったから。
だから、言い訳をするのなら召喚できた、という事実に舞い上がっていたし、その時のデイビットはSwitchであることを忘れていた。だから。
「おいおい、召喚に応じてやったっていうのに挨拶もなしとは不遜だな。まあ、そのくらいじゃないと人理から外れているのにサーヴァントを召喚だなんて考え付かないかね。それはそれでいい。この身体に見惚れているというのならオレの感性で選んだんだからな、気持ちはよく分かるとも。でもなあ、こっちを見て、名を告げろ。マスターなんて味気ない呼び方をさせるつもりか?」
テスカトリポカからしてみれば何気ない言葉であったろう。けれど、デイビットにとっては違った。言葉が耳に入った瞬間、身体が勝手にびくりと反応する。──これは、命令であると脳が認識をする前に、身体は勝手に反応した。ああ、これは命令だ。善いことがしたいなら、良い子がいいのなら、ちゃんと言うことを聞かなくては。
そんな強迫観念にも似た思いが思考するよりも前にデイビットを突き動かしていた。
言われた通りに、薄い硝子越しにかの神を見つめる。口が、勝手に動く。
「失礼した、テスカトリポカ神。オレは、デイビット・ゼム・ヴォイドという」
告げれば、テスカトリポカば口元を緩める。良かった、これで間違ってはいないのだ。
「よし。デイビット、な。いい子だ。素直な奴は嫌いじゃないぜ」
あと、オレの名前は呼び捨てだ、いいな。
告げたテスカトリポカが、笑う。怒っていない、多分これはちゃんと言う通りにできたデイビットのことを、褒めてくれている。褒めてもらえるのは、嬉しい。そう思った瞬間、またしても、身体が跳ねる。鼓動が高鳴り、身の内をなんとも言い様のない充足感が満たしていく。溺れてしまいそうだと錯覚するほどの多幸感。こんなこと、今までなかったのに、これはどうしたことだろう。
──待て。何故、デイビットは嬉しいと感じている。
先程のテスカトリポカの言葉を思い出す。こっちを見ろ、名を言え。もし、あれを命令として捉えてしまったのであれば、まさか、あの言葉にSwitchであるデイビットはSubへ切り替わったのか。テスカトリポカは神だ、神霊サーヴァントであるだろう。サーヴァントにそもそも第二性など存在するはずはない、それに滅多に対しても反応しなかったのがどうして今更。分からない、理解ができない。混乱する。
「テスカトリポカ神。お前には、第二性があるのか……?」
「第二性?ああ、あのDomとかSubっていうやつのことか。ああ、あるよ。この身体は、オレの用意したオーダーメイドの憑依先としての身体だ。ちゃんと人間の身体だ。オレが用意するなら、第二性だってちゃんとするさ。勿論、支配する側の方だが」
神が支配される側の立場にあるなんて、そんなことはおかしいだろう。それがどうかしたのか。告げるテスカトリポカはあっけらかんとしたものだが、困ったのはデイビットだ。
なるほど、このテスカトリポカはデイビットのサーヴァントであるけれど、同時に第二性を持つらしい。サーヴァントにも様々な召喚方法が存在し、そのうち現代に生きる人間を依代として召喚される、謂わば疑似サーヴァント、と呼ばれる存在もあるのだと知識としては存在する。けれど、その詳細までは知らなかった。だって、サーヴァントが第二性を持つなんて、普通は考えない。
それに、さらに理解し難いのはこんなにほぼ初対面の神に影響されてデイビットの第二性がSwitchからSubへと切り替わってしまったこと。滅多に他に影響されない筈であったのに。目の前にいるテスカトリポカがデイビットのサーヴァントだからか、それとも神の用意したものであるから、備わる第二性も自然と強いものになっているのか。
どうしてこんなにも引き摺られているのか、まったく理解ができない。理解できないままに、デイビットは視線を向けた。
「神だから、Domとして優秀だということなのか……?」
「いきなり訳の分からないことを言うんじゃねえよ。言うのなら、オレにちゃんとわかるように説明しろ。いいな?」
たったそれだけ。明確なCommandでもないのに、やっぱりデイビットの口は動き出す。あわよくば、さっきのように褒められたいと思ってしまっている。そう気付く。なのに、止まらないのはどうしたらいいのだろう。Subになっているようだが、そもそもDomとしての経験もSubとしての経験も浅いというのに。これで万が一、計画に影響することがあればどうしたら。
「デイビット。ほら、ちゃんとオレの目を見て説明しろ」
「分かった。テスカトリポカ」
けれど、たったこれだけでも反射のように反応してしまう。おそらく「Kneel」と言われれば逡巡する暇もなく自然と座り込んでしまうだろう。これがSubでなければなんだというのか。
どうしよう。こんなこと、5分の中に収められる気もしない。けれど、デイビット自身ではどうしようもないから、困り果ててしまう。テスカトリポカだって、事情を話さなければ理解はできまい。
時間としては数秒。けれど、当人としては延々と考えを巡らせて。取り敢えず、端的に伝えるべきだろうと結論付ける。
「テスカトリポカ、その。すまないが、あまりCommandは使わないでくれると助かる」
「あ?オレはCommandは言ってないだろう」
「うん、言っていない。けれど、お前の命じる言葉に、オレはどうにも反応してしまっている。お前が優秀なDomでありすぎるせいで、Switchであるオレが反応してしまっているだけかもしれないが」
「ほう。オレのマスターはSwitchというやつなわけか」
「ああ、そうだ。けれど、その辺りを説明するにも今日は時間がない。オレは一日五分しか記憶していられないから」
「は?」
「かつ、オレはこの異聞帯、もとい地球を壊すことが最終目標だ。できるなら、協力して欲しい。出来なければ令呪を用いた何らかの措置を検討せざるを得ない」
「は?いや、まあ地球破壊だなんてそんな大博打だとしても戦争は戦争であるし、オマエが戦士であるのなら、こんなに面白いことに協力するのは吝かじゃない。でもなあ、デイビット、マジか?」
「マジ、だな」
「ハハ、そいつは面白い!なんだデイビット、オマエ最高じゃないか!」
「……やめてくれ。何もしていないのに褒めるのは、Subにとってはあまりいいこととは言えないんだ。いや、オレが困るだけか?」
褒め言葉ひとつでも、頬が緩みそうになる。これはまだplayでもないというのに。ただの言葉に動揺してしまっているのはデイビットがSwitchからSubに切り替わりたてで、Subとしての性に混乱しているからか。それとも、このテスカトリポカという神の用意したとかいう身体がDomとして優秀すぎるせいなのか。何がどうなっているのか、外宇宙の視点を持つにも関わらず、自らに関していることであるからか、まったく思考が纏まらない。どうしたものか、混乱している自覚ならあるのだが。
しかし、そんなデイビットを見てテスカトリポカは機嫌良さげに笑っている。神とはこういうものなのか。それともテスカトリポカがこういう神性なのか、はたまた今の状況がそんなに愉快なのか。神の思考を理解できるなんて烏滸がましいことは思わないけれど、顔合わせの当初から不機嫌になられるよりは余程いいだろう。
考えるのは無駄だ。一日に幾つものことを詰め込んでみたところで、結局は記憶できることは限られてしまう。
取り敢えず、問題は後回し。推奨されることではないだろうが、今はこうするしかない。
「取り敢えず、まあ色々と問題は山積みだが。今日からよろしく頼む、テスカトリポカ」
「おうよ、兄弟」
「兄弟?血の繋がりはないが……」
「分かってるさ。そこはノっておけ」
「……?」
これが、テスカトリポカを召喚した一日目のことである。
けれど、Usualという性は外宇宙の存在からしてみるとそこまでいいものではなかったらしい。いいや、厳密には異なる。Usualよりも都合のいい第二性があったというのが正しい。
どのようにこの身体を弄ったのか、どんな仕組みでそうなってしまったかは分からないけれど、10歳の時、人理の外側へと外れてしまったデイビットは、それとタイミングを同じくしてUsualからSwitchへと、その第二性が変わっていた。当初自覚はなかった。自分自身の身体について伝承科で検査をされるうちにその事実が判明したのである。
第二性が変わったと知った時、驚きも嘆きもしなかった。ああ、そうなのか。そんな諦念にも似た思いを抱いた。
おそらく、単純に都合が良かっただけだろうとデイビットは考えている。Switchとは、DomとSub、両方の特徴を持ち合わせた性別であり、DomとSubの特徴が入れ替わることが可能な第二性だ。そして、Switchの入れ替わりのタイミングは様々で、本人の任意だったり、周囲の状態によったり、コマンドだったり、それぞれで異なるらしい。そして、DomとSubで入れ替わるタイミングが決まっていないというのはデイビットからしてみても都合のいいものとしか思えない。デイビットがそのように感じるのであれば、外宇宙のなにかにとっては尚のことだろう。
おそらくは、Switchであれば干渉がしやすいとでも思ったに違いない。実際問題、外宇宙の観測機としてどんな役割が求められているのかは明確ではないけれど、都合よく動かせる駒があるのならそれに越したことはないと考えるのが一般的。話しても見てもいない外宇宙の存在という物がどんな考えをするかなど知ったことではないけれど、幾つものパターンを用意するよりはひとつの物体で何パターンも試せた方が効率的。ただそれだけの話である。デイビットとて同じ立場ならそうするだろう。
Switchであるからと言って不都合はなかった。デイビットは、元々がUsualであったからなのか、SwitchであってもUsualに寄っているらしい。更に言うとすれば、外宇宙の干渉を受け、地球人でなくなったデイビットはあまり感情が大きく揺れ動くということがなかった。5分間しか記憶が出来なくなったこと、元の彼とは違うのだという、デイビットにしか理解のできない感覚。原因として考えられることは幾つかあるけれど、何かしらに影響されて第二性が切り替わるSwitchとは、言い換えるのならば何にも影響しなければそのままであるということと同義だった。特に、Usual寄りであるのなら尚更。
何度かDomやSubに遭遇はしたが、何ら影響は受けなかった。軽いCommandを受けたり、故意的に外部との接触を遮断して何らかの欲が出ないのかという検証も行われたが、デイビットはDomとしての反応も、Subとしての反応も示すことはなかった。それでも、試しに気乗りしないながらも「Kneel」とCommandを使えば支配されたい欲が強いのだと言っていたSubの職員は命令に従った。非常に強いDomからCommandを受ければ、褒められたい、お仕置がされたいという欲求はなかったものの、身体は命令に従った。
なので、ある程度個人との相性や、第二性における優秀さや資質が高い相手であればいくらUsualに近いといえど、Switchとして第二性は機能するらしいとはわかった。けれど、それは50人に一人影響される相手がいればまだ良い方という結果であったから、やはりデイビットは限りなくUsualに近いのであると結論づけられた。
これらのことから、伝承科では、このことは天使の遺物によってもたらされた影響の一つであるという処理がなされた。第二性ひとつとっても個々に違いはあり、専門外の分野であるのだから限りなくUsual寄りのSwitchであるとだけ、結論づけられた。
そのため、デイビットは表面上は以前と変わらず日々を過ごしていて、カルデアの一員となってからも、カルデアの計画を星を犠牲にしてでも破壊するのだと決めた時も変わらなかった。
なので、今思えばらしくもなく油断があったのだと思う。それとも、Switchであることを忘れかけていたのかもしれない。
変化があったのは、クリプターとして異聞帯を任された後のこと。
地球を破壊しようなどという地球人ではない宇宙外の生命体。レイシフトでもサーヴァントを召喚できなかった、人理の側に立ってはいないモノ。
けれども、デイビットが計画を遂行するためには手数が必要であった。必要に迫られればおのれ独りであっても計画を遂行しようと決意はしている。しかし、手を借りることができるなら、それに越したことはない。ただでさえ、難易度は高く、邪魔が入らないとも限らないのだ。成功率をできる限り上げたいと思考するのは正常である。
人類としてカウントがされなくても、土地という触媒を用いることでサーヴァントの召喚ができる可能性があった。出来ない可能性は高い。けれど、デイビットの任されたこのミクトランパという地と照らし合わせた上で、何者かであるかよりも、善悪よりも、戦を良しとする存在。それならば、欠片ほどであっても可能性はあると考えた。
そうしてデイビットの喚び掛けに、かの神は応えた。
「よう! アンタがマスター?よろしく。サーヴァント、アサシン。テスカトリポカだ。色々あるが、黒い方のな。インテリのようだが、戦いが好きなのは分かっているんだろう?熱烈に喚んでくれたんだ、楽しくやろうぜ、マスター?」
そうフランクに告げる神に、デイビットは視線を向けて、それから動きが止まってしまう。安堵か、感嘆か、それともまったく違うなにかか。なんだっていい。今思えば、視線を奪われた。きっと、言語化するのならこれが一番近いのだが、その時のデイビットは理解出来ずにいた。
その神──アステカの全能神たるテスカトリポカは一般的な西洋人と似た見た目をしていた。細身の身体、キリシュタリアには及ばないが長い金の髪、瞳はサングラスに覆われて見えやしない。衣服も仰々しいアステカ時代の衣服を纏うわけではなく現代風で、衣服の隙間から覗き見える肌もデイビットの知る人間のものと変わりはないように見える。見た目だけなら、デイビットと同じで人間のよう。
かの神についての詳細は、今はまだなんだっていい。召喚に応じてくれた。その事実が、今は重要なことであったから。
だから、言い訳をするのなら召喚できた、という事実に舞い上がっていたし、その時のデイビットはSwitchであることを忘れていた。だから。
「おいおい、召喚に応じてやったっていうのに挨拶もなしとは不遜だな。まあ、そのくらいじゃないと人理から外れているのにサーヴァントを召喚だなんて考え付かないかね。それはそれでいい。この身体に見惚れているというのならオレの感性で選んだんだからな、気持ちはよく分かるとも。でもなあ、こっちを見て、名を告げろ。マスターなんて味気ない呼び方をさせるつもりか?」
テスカトリポカからしてみれば何気ない言葉であったろう。けれど、デイビットにとっては違った。言葉が耳に入った瞬間、身体が勝手にびくりと反応する。──これは、命令であると脳が認識をする前に、身体は勝手に反応した。ああ、これは命令だ。善いことがしたいなら、良い子がいいのなら、ちゃんと言うことを聞かなくては。
そんな強迫観念にも似た思いが思考するよりも前にデイビットを突き動かしていた。
言われた通りに、薄い硝子越しにかの神を見つめる。口が、勝手に動く。
「失礼した、テスカトリポカ神。オレは、デイビット・ゼム・ヴォイドという」
告げれば、テスカトリポカば口元を緩める。良かった、これで間違ってはいないのだ。
「よし。デイビット、な。いい子だ。素直な奴は嫌いじゃないぜ」
あと、オレの名前は呼び捨てだ、いいな。
告げたテスカトリポカが、笑う。怒っていない、多分これはちゃんと言う通りにできたデイビットのことを、褒めてくれている。褒めてもらえるのは、嬉しい。そう思った瞬間、またしても、身体が跳ねる。鼓動が高鳴り、身の内をなんとも言い様のない充足感が満たしていく。溺れてしまいそうだと錯覚するほどの多幸感。こんなこと、今までなかったのに、これはどうしたことだろう。
──待て。何故、デイビットは嬉しいと感じている。
先程のテスカトリポカの言葉を思い出す。こっちを見ろ、名を言え。もし、あれを命令として捉えてしまったのであれば、まさか、あの言葉にSwitchであるデイビットはSubへ切り替わったのか。テスカトリポカは神だ、神霊サーヴァントであるだろう。サーヴァントにそもそも第二性など存在するはずはない、それに滅多に対しても反応しなかったのがどうして今更。分からない、理解ができない。混乱する。
「テスカトリポカ神。お前には、第二性があるのか……?」
「第二性?ああ、あのDomとかSubっていうやつのことか。ああ、あるよ。この身体は、オレの用意したオーダーメイドの憑依先としての身体だ。ちゃんと人間の身体だ。オレが用意するなら、第二性だってちゃんとするさ。勿論、支配する側の方だが」
神が支配される側の立場にあるなんて、そんなことはおかしいだろう。それがどうかしたのか。告げるテスカトリポカはあっけらかんとしたものだが、困ったのはデイビットだ。
なるほど、このテスカトリポカはデイビットのサーヴァントであるけれど、同時に第二性を持つらしい。サーヴァントにも様々な召喚方法が存在し、そのうち現代に生きる人間を依代として召喚される、謂わば疑似サーヴァント、と呼ばれる存在もあるのだと知識としては存在する。けれど、その詳細までは知らなかった。だって、サーヴァントが第二性を持つなんて、普通は考えない。
それに、さらに理解し難いのはこんなにほぼ初対面の神に影響されてデイビットの第二性がSwitchからSubへと切り替わってしまったこと。滅多に他に影響されない筈であったのに。目の前にいるテスカトリポカがデイビットのサーヴァントだからか、それとも神の用意したものであるから、備わる第二性も自然と強いものになっているのか。
どうしてこんなにも引き摺られているのか、まったく理解ができない。理解できないままに、デイビットは視線を向けた。
「神だから、Domとして優秀だということなのか……?」
「いきなり訳の分からないことを言うんじゃねえよ。言うのなら、オレにちゃんとわかるように説明しろ。いいな?」
たったそれだけ。明確なCommandでもないのに、やっぱりデイビットの口は動き出す。あわよくば、さっきのように褒められたいと思ってしまっている。そう気付く。なのに、止まらないのはどうしたらいいのだろう。Subになっているようだが、そもそもDomとしての経験もSubとしての経験も浅いというのに。これで万が一、計画に影響することがあればどうしたら。
「デイビット。ほら、ちゃんとオレの目を見て説明しろ」
「分かった。テスカトリポカ」
けれど、たったこれだけでも反射のように反応してしまう。おそらく「Kneel」と言われれば逡巡する暇もなく自然と座り込んでしまうだろう。これがSubでなければなんだというのか。
どうしよう。こんなこと、5分の中に収められる気もしない。けれど、デイビット自身ではどうしようもないから、困り果ててしまう。テスカトリポカだって、事情を話さなければ理解はできまい。
時間としては数秒。けれど、当人としては延々と考えを巡らせて。取り敢えず、端的に伝えるべきだろうと結論付ける。
「テスカトリポカ、その。すまないが、あまりCommandは使わないでくれると助かる」
「あ?オレはCommandは言ってないだろう」
「うん、言っていない。けれど、お前の命じる言葉に、オレはどうにも反応してしまっている。お前が優秀なDomでありすぎるせいで、Switchであるオレが反応してしまっているだけかもしれないが」
「ほう。オレのマスターはSwitchというやつなわけか」
「ああ、そうだ。けれど、その辺りを説明するにも今日は時間がない。オレは一日五分しか記憶していられないから」
「は?」
「かつ、オレはこの異聞帯、もとい地球を壊すことが最終目標だ。できるなら、協力して欲しい。出来なければ令呪を用いた何らかの措置を検討せざるを得ない」
「は?いや、まあ地球破壊だなんてそんな大博打だとしても戦争は戦争であるし、オマエが戦士であるのなら、こんなに面白いことに協力するのは吝かじゃない。でもなあ、デイビット、マジか?」
「マジ、だな」
「ハハ、そいつは面白い!なんだデイビット、オマエ最高じゃないか!」
「……やめてくれ。何もしていないのに褒めるのは、Subにとってはあまりいいこととは言えないんだ。いや、オレが困るだけか?」
褒め言葉ひとつでも、頬が緩みそうになる。これはまだplayでもないというのに。ただの言葉に動揺してしまっているのはデイビットがSwitchからSubに切り替わりたてで、Subとしての性に混乱しているからか。それとも、このテスカトリポカという神の用意したとかいう身体がDomとして優秀すぎるせいなのか。何がどうなっているのか、外宇宙の視点を持つにも関わらず、自らに関していることであるからか、まったく思考が纏まらない。どうしたものか、混乱している自覚ならあるのだが。
しかし、そんなデイビットを見てテスカトリポカは機嫌良さげに笑っている。神とはこういうものなのか。それともテスカトリポカがこういう神性なのか、はたまた今の状況がそんなに愉快なのか。神の思考を理解できるなんて烏滸がましいことは思わないけれど、顔合わせの当初から不機嫌になられるよりは余程いいだろう。
考えるのは無駄だ。一日に幾つものことを詰め込んでみたところで、結局は記憶できることは限られてしまう。
取り敢えず、問題は後回し。推奨されることではないだろうが、今はこうするしかない。
「取り敢えず、まあ色々と問題は山積みだが。今日からよろしく頼む、テスカトリポカ」
「おうよ、兄弟」
「兄弟?血の繋がりはないが……」
「分かってるさ。そこはノっておけ」
「……?」
これが、テスカトリポカを召喚した一日目のことである。
1/3ページ