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彼の小さな世界

思えば、これまでのデイビットの人生に執着というものはなかったろう。いや、出来なかったと言うべきか。そんなことを、さしたる感慨もなく純然たる事実として思考する。
正確には、生まれて10年程はあっただろうが、それもすべて無くしてしまった。天使の遺物が小さな惨劇を生んだあの日を境に、デイビットは記憶や人格、姿形何もかもが同じではあるけれど、明確に中身は全く別物の人類とは違うものに成り果てている。執着していたものがあったとして、それを好んでいた記憶があったとしても、デイビットの中で、それはあくまでも過去形でしかない。中身が違うのならば、それは当然。例えるなら、ロボットに似ているだろうか。性能、見た目は同じだろうと、中のシステムやソフト、積み上げた学習がなければそれは別物と言うべきだろう。
それなら今のデイビットとしてなにか執着するということはないのかと問われれば、答えは是。デイビットの記憶は、一日のうち5分のみ。日々の中で覚えるべきことを取捨選択していく必要がある中で、デイビット個人の感情とは優先度の低い事柄であった。そもそも、何かに対してデイビットが感じたことを覚えようとするならば、『Aという問いにデイビットはBと感じた』というようにして記憶しなければならないだろう。それは、あまりにも要領の無駄でしかない。それならば、知識、体験、約束、守るべきルールといったものに記憶の容量を割くべきだ。
それに、幸か不幸か人類の視点で物事を見ることが出来ない代わりに宇宙的な物事の見方をすることが可能になったために、たった一日5分のみの記憶しか持てなくても、言葉や表情から考察をして対応をすれば人間として見てもらえる。それに善いことをするように心掛ければデイビットをあからさまに悪く言うような人間はいないようだ。ならば、これが正解なのだろう。少なくとも、それらしく振る舞うことならば出来ているようだった。違和感を抱かれることはあれど、個性という便利な言葉で片付けることが出来たことも、幸いだった。
唯一、執着と言えるものがあるとしたら、デイビットが父親に教わっていた人類としての定義くらいだろう。執着というよりは、どのように在ればいいかという、人生のなかの揺るぎない指針というべきものだから、それも少し異なるかもしれないと思うけれど。
友人を大切に、仲間を大切に。困っている人は助ける、アドバイスを求められたなら可能な限りで応じよう。それらすべて、『人間は誰に教わることもなく、善いことをしたがるものだから。』その言葉に従っているだけ。
だから、きっとデイビットは何かに執着することはない。ORTを再起動させ、地球を壊して、それだけで終わるだろう。
執着する余地などありはしない。そんな人間性を自分自身に求めること自体間違っているような気もする。この塩基配列が人類と同一であるだけで、中身は人間ではないのだから。ただ、人類の定義に則ってそのようにあろうとしているだけ。
人間らしいなんて言葉、デイビットには最も程遠い。
ずっとそう思ってきた。なので、
「よう! アンタがマスター?よろしく。サーヴァント、ルーラー。色々あるが、黒いテスカトリポカだ。……まぁ、オレを狙って召喚したようだから、説明は不要だな?」
ほら、どうだい、この憑依先の身体。折角なんで、現代風にキメてみたんだが。洒落ているだろう?
そんなことを言う目の前の召喚に応じてくれたテスカトリポカを見て、デイビットは形容したがたい感覚に襲われていた。身の内がぞくりと震え、意味もなく目の前の金色と晴れ渡った青空の色に瞬きをする。魔力の回路が繋がったからか。それとも、サーヴァントといえども神だからか。──いや、こんなこと考えても分かりはしないか。早々に目の前のサーヴァントと抱いた感覚について考えることを無駄として、思考の外へ除外する。それから、一つ呼吸。それから、返す言葉を考えて。
「オレはあまり流行りや美醜に興味はない」
「あ゛?」
「ないが、おまえは矢張りテスカトリポカ神なんだな」
「だからそう自己紹介したろうが。なんだ、このオレに何か不満でもあるんならオマエの心臓を貰ってここで終わりにしてやってもいいんだ」
「いや、そういう訳ではなく。……ちかちかするな、と。それからぞわぞわともして、落ち着かない」
これでは理由になっていないのでは、と思いつつ感じたことを口に出せば、テスカトリポカは目を丸くした。それから、そのうつくしい見た目に似つかわしくなく、アッハッハと彼は大声で笑う。空の色を薄らとした膜が覆っている。これならば直視するよりは少しばかり楽なのでよかった。
「そりゃあ、オレは黒き太陽、テスカトリポカ。そもそも憑依先を作って降りたとしても神様だぜ?」
「ああ、そうだろうな」
「太陽なら、眩しく、敬われるものさ。まあ、先にも言ったように色々あるが、なんたってオレは神だからな」
「だが、今は一介のマスターとサーヴァントだろう」
「ハッ、そりゃ言えてんな!こりゃあいい、オレを喚ぶだけのことはあるなオマエ!」
そうなのだろうかと思いつつ、笑いが収まらない様子のサーヴァントを見遣る。
ある程度、呼べる確信があって召喚に踏切ったものの、応じてくれるかどうかは賭けかと思っていた。なにせ、デイビットの中身は人間ではなく、宇宙側。人理を守ろうとする立場にはないと判断されるのが当然。そもそも、地球を破壊しようとしているのだから、そんなこと歓迎される筈もない。他のクリプター達のようにサーヴァントを召喚しようとしても上手くはいかないだろうから、こうして土地を触媒に、人理など関係なく、その神の理に従って動くようなサーヴァントを召喚しようと思ったら、それがテスカトリポカだった。というより、他に候補が見つからなかった。
けれど、いくらテスカトリポカという戦争と死の神であれば応じてくれるだろういう算段があり、どんなサーヴァントとして召喚されようと構わないとまで思っていたとしても、やはり色々と懸念はあったし、今もまだ払拭しきれてはいない。だって、目標が地球破壊だなんてまともな善性の神なら顰蹙を買うだろう。これは、デイビットの自己満足。父の教えに則り、人類が被るであろう汚名を無くすことで、宇宙を救う。そのために、地球を破壊する。どう考えても荒唐無稽だ。デイビットでさえ客観的に見ればそう思える。そもそも、説明をして信じられる人がいるかどうかすら怪しい。目の前のテスカトリポカとて、デイビットの目的を聞いたらどんな反応をするのかどうかすら分からない。
そんなこの後どうなるかさえもまだ不透明な状況だというのに、かの神を直視すら出来ないというのは如何なものだろう。マスターとサーヴァントというのは信頼関係の構築が重要とも聞く。そして、一般論として対人コミュニケーションにおいて視線を逸らす、というのはあまりよろしくはないこと。少なくとも、目を逸らされて良い気にはならないだろう。テスカトリポカを人として括っていいのかは分からないが。
だから、とデイビットは周囲を見渡した。南米であれば日光が厳しく感じる可能性もあるだろうかと購入してみた、色付きのサングラス。有り合わせの物を送るのもどうかとは思うが、精神衛生上の安定が優先だと判断して、それを無造作に手渡した。
「お、なんだ、貢物か?殊勝だなあ、マスター」
くるくると、テスカトリポカの手のひらでサングラスが弄ばれる。じっくりと検分するように様々な角度からサングラスを見るテスカトリポカに、デイビットはため息をついた。
「嫌でなければ、掛けてみればいい」
「掛けてやるさ。マスターからの貢物なら受け取らねぇ訳にもいかんだろうし、これは中々に洒落ている。気に入った」
やっぱり現代はいいねぇ。そう言いながらテスカトリポカが無造作にサングラスを掛ける。碧が薄いオレンジ色で隠されて、デイビットはようやくまともに正面からかの神を見た。ぞわりとする感覚も、今はない。けれど、その代わりにテスカトリポカの視線を感じる。けれど、構わない。有り合わせのものではあるが、サングラス越しにも分かる興味津々といった視線は明日になればデイビットの記憶には残らない。それならば、デイビットにとって問題ではない。それよりも、今日は憶えることが多そうだが、容量は足りるだろうか。
そう思いながらも、気に入ったか、と問い掛ける。それに、にぃと笑ったテスカトリポカの表情は神らしくなく、やっぱり形容し難い。
このテスカトリポカがデイビットの計画に賛同し、協力してくれるのなら、こんな形容し難い感情をデイビッドは何度抱えることになるのだろう。
そのすべてを憶えはしないけれど、あまりにも目の前のテスカトリポカの機嫌が良さそうだったので、それでいいことにした。


その翌日からテスカトリポカは常にサングラスを付けるようになっていた。サングラスを気に入ったのか、はたまたマスターからの貢物としてそれなりに大事にしてくれているのか。どちらかは分からないし、尋ねるつもりもない。
けれど、デイビットには一つの懸念があった。それは、戦闘においてサングラスは邪魔なのではないかということ。このテスカトリポカという神は、デイビットが思った以上に現代を気に入っているようで、とりわけ銃器を好んだ。曰く、銃は誰でも簡単に扱えるから、とのこと。しかし、その言葉に反してテスカトリポカ本人は銃の扱いが上手くなかった。そもそも、扱う銃の形状からして銃に斧を組み合わせたような特殊な形状であり、それに輪をかけるようにテスカトリポカは片手撃ちを好むため、デイビットからしたらそれでは当たらないのが当然とも思う。
閑話休題。
兎も角、そんな事情もあり戦闘時のテスカトリポカは結局銃ではなく近接戦闘をしたり、神らしく超常現象を用いて相手を仕留める。結局の所近接戦闘になるのならば、視力が悪かったり、魔眼封じなど何か特殊な事情でもない限り、戦闘時にサングラスが割れでもしたらリスクに繋がりかねない。あれからいくらか――デイビットの体感としては未だ数分程度だが――テスカトリポカと過ごした身として、戦神であるテスカトリポカの近接戦闘の技術の高さは知りはした。しかし、その身は人間と同じものであるという。そして、デイビットは特別魔術に秀でているとは言い難い上に、マスターとして戦力に数えられるかと言われれば、それも頷くことは出来ない。
テスカトリポカにはORT再起動のために、まだまだデイビットのサーヴァントとして頑張ってもらう必要がある。神相手にこんなことを考えるのは不遜かもしれないが、初対面時のデイビットがこのことを知っていたならサングラスなど渡さなかったのに。そんなことを最近はよく思っている。それも案外お喋り好きなテスカトリポカの対話に時間を宛てていれば、思考の余地がないので普段は気にしていないのだけれど。テスカトリポカは、自身を無碍にされることを酷く嫌うようなので。
例えば、今だって様子を見に行くと言って出て行ったテスカトリポカのことをデイビットはこうして待っている。こうして思考する時間を別なことに充てるべきではと思うものの、テスカトリポカが戻ってきた際にデイビットがいない場合、どういった反応をするのかよく分かっていない。なので、こうして待つのが得策だと判断している。
待つだけにしろ、簡単な体力づくりなら出来るだろう。そう考え、腰を上げようとしたデイビットの目前で、扉が勢いよく開いた。
「だーッ、コンチクショウ!ったく、オレとした事が油断した!」
「テスカトリポカ」
騒々しくも戻って来たテスカトリポカを見て、久しく感じていなかったぞくりとする感覚が走る。けれど、それをおくびにも出さず、デイビットはひとつ瞬きをした。久しく見ていなかった碧眼が顕になっている。そして、不機嫌そうに歪んだ顔。おそらく、なんらかの原因でサングラスが壊れたのだろう。サングラス自体は特別な品ではなく、魔術的な加護があるというものでもない、ただの市販の品であったからいつかは壊れるだろうとは思っていた。テスカトリポカ本人に目立った損傷はないようだから、それで構わないとデイビットは思うが、テスカトリポカにとってはそうではないのだろう。
分かりやすく立腹する神に、さて何を言えばいいかと考える。
「壊れたか」
「あー、そうだよ!折角気に入ってたってのに!」
「お前の権能で用意出来るだろう」
「可能だが、あのサングラスはオマエがオレに供えたものだろう!」
唸りながら至近距離で吼える瞳の色は晴天のように青く、濃い。やっぱり、何も隠すものがないとテスカトリポカという神はあまりにちかちかとして、眩しくて、やはり心がざわめく。嗚呼、これは多分何を言っても聞き入れてくれそうにはない。そう理解して、先程の感情の正体は思考から締め出す。それから、仕方ない、とデイビットはため息をついた。
「なら、また用意をすればいいか」
「そういうことさ、分かってんじゃねえか。ああ、次は壊れにくいのにしろ」
「要望としては、聞こう」
サングラスは白紙化される以前の地球で手に入れたものだ。この異聞帯で手に入れる手段があるかどうか──そこまで考えて、何とかしなければこのテスカトリポカの機嫌はずっと損なわれたままだろうということに思い至る。どうにかしようとすれば魔術などを駆使すれば出来ないこともないだろうか。いや、しなければいけないのだろう。
そう思いつつ頷けば、テスカトリポカはひとまずそれでもよしとしたのか、屈め屈めと言いながら、デイビットの肩口に懐く。面倒ではあるが、従わない方が後々更に面倒だろうから、デイビットは言われるが儘にした。そうして多少機嫌が良くなったらしいテスカトリポカを仕方がないのでデイビットはそのままにしておく。
「重いぞ、テスカトリポカ」
「オレの重みだ、有り難く受け止めるんだな」
「オレとしては有り難く思っていないが」
「オレはオマエのサーヴァントなんだから少しは有り難く思えよオイ」
そういいつつもテスカトリポカは肩口でくつくつと笑う。少しばかり擽ったい。何がそんなに面白いのかはまったく分からないが、どうせこれだって忘れることだ。好きにさせておくことにする。
記憶すべきことにテスカトリポカのサングラスの用意を付け加えながら、そんなことを考えて、金色の髪をデイビッドはずっと眺めていた。


いつだったか、テスカトリポカからミクトランパについての話を聞いたことがある。憶えておけよと言われ、都合のいいことにその日は特筆して記憶すべきことがなかったから憶えていた。
曰く、テスカトリポカの楽園たるミクトランパとは敗者のための領域。敗者の功績を認め、それに相応しい休息と安寧を与え、送り出すための休息所だという。夢のドリームスパであるその場所ではなんでもテスカトリポカの思い通りになるのだと、全能神たるテスカトリポカはにぃと唇を吊り上げていた。そして、 聞いてきたのだ。『デイビット、オマエなら何が欲しい』、と。その問いに何と答えたかまでは記憶していない。そもそも、地球を壊してその後どうなるかなんて、考える余地はなかったし、デイビットの計画ではデイビットに移植した異星の神の心臓を捧げることで、ORTを再起動させ、地球を崩壊させようとしていた。そこでデイビットの命も捧げるのだから、それは即ちデイビット・セム・ヴォイドの終わりだろうとも考えていた。だから恐らくは、その時のデイビットは何故そんな質問をするのかと疑問に思った筈だ。
そんなデイビットは、現在精神のみの存在としてミクトランパでテスカトリポカと焚き火を囲んでいる訳だが。気付いたらここにいたので、疑問に思う余地はなかった。けれども、当然のようにテスカトリポカが待ち受けていたので、これもどうせテスカトリポカのせいだろうとは思っている。本人を前にして態々言おうとは思わないが。
けれど、テスカトリポカと一緒にいて焚き火の音だけというのは何故か落ち着かない気持ちになる。何か言えばどうせテスカトリポカは何かしら返すだろうと、言葉を探し、口をついたのは脈絡のない言葉。
「お前は、神なんだな」
「何を分かりきったことを今更言いやがる」
「いや……なんとなく、か?」
「そうかい」
「ああ、そうだ」
会話は続かない。その代わりか、テスカトリポカはマグカップを差し出してきた。温かいショコラトルが中には入っている。甘いのはそこまで好まないなと思っていたら、デイビットの考えを読んだように甘さ控えめだよ、とテスカトリポカが告げる。
一年もいれば多少の好みもわかるだろうから当然か、と一口ショコラトルを口に含む。ほろ苦さが、今のデイビットには心地よい。
ぱちぱちと、焚き火の音に加わって、静かな嚥下音が二人分。目的を果たせずやることがなくなってしまったので、さてどうしたものかと考えを巡らせる。こんな時、テスカトリポカが喋ってくれば楽だろうに、こういう時ばかりテスカトリポカは大人しい。静寂と安寧の地だというこの場所をまるで体現しているかのようで、やはりこのサーヴァントは紛れもなく神なのだと感じる。
ミクトランパにデイビットがいるのなら、そこにはテスカトリポカの意思が介在しているのだろう。
しかし、今の状況からして、あの時からテスカトリポカはデイビットをミクトランパに招こうと思っていたのだろうかと、目の前の焚き火を見ながらデイビットは考える。ORTを起動させるために命を捧げるという行為は、あの時点ではテスカトリポカの言う敗者には相当しないはずだ。結局、藤丸立香との勝負に負けて敗者となったから、ここにはいるけれど。
テスカトリポカはどんなつもりでデイビットを最初からここに招いたのだろうか。疑問はあるが、サーヴァントと言えど神の思考。宇宙の視点を持つとはいえ、理解出来るとは言い難いから、考えてみるだけ無意味だろう。聞いてみれば早いのだろうかと、デイビットは視線を向ける。隣には当然のようにテスカトリポカがいる。ショコラトルは飲んでしまったようで、デイビットと同じく座り込んだままでサングラスに焚き火を映しながら煙草を燻らせている。
ここにはテスカトリポカの用意したデイビットのための家もある。いつも許可なく上がり込んでくるのだから、こんな野外で焚き火を眺めているだけのデイビットに付き合わなくてもいいものを。物好きにも程があるだろうに。
「ここはお前の楽園だろう。わざわざここにいる必要はあるのか」
「必要の有無なんてオレが決めることだよ」
「オレといても特に何もないと思うが」
「あるさ、デイビット。B級からメジャーまで色々な映画に、ポップコーン。ドライブに、あとはふかふかのベッドだったか」
テスカトリポカは怒ることもなく、逆に笑った。それからひとつ、ふたつ、と指折り数える。なんのことかと疑問に思っていると、だろうと思ったよ。そう言ってテスカトリポカは仕方ないとばかりにデイビットの頭部を遠慮なく掻き混ぜた。
「憶えていないだろうが、オマエの言ったことだよ」
「……。そうなのか?」
「そうさ。オマエが忘れていても、オレは憶えている。とはいえ、オマエの欲がなさすぎて、聞き出せたのはそのくらいだが。ったく、折角の夢のドリームスパだってのに」
「それを言われてもな」
「あー、うん。そりゃあ分かっている。オレも無茶は言わん。そもそも、欲望なんて無理に持つものじゃない。したいことが分かるようになって、それを口に出すなんて言うだけなら楽だがオマエには少しばかり難しいだろうさ。何せ、5分しか記憶できない」
「ああ、そうだな」
「けれど、今のオマエはやるべきことがない。それなら、自分の感じたことだって考える余地はあるだろうさ。記憶だって、容量が増えるかもしれん」
「それは、オレが精神だけだからか」
「半分正解だ、デイビット。ここはオレの領域。全能神たるこのテスカトリポカの、な。不可能なことの方が少ないだろうさ。だから、いつかオマエの好きな映画だって内容をすべて覚えることが出来るかもしれないだろう?」
「そんなこと、有り得ないと思うが」
「人間の常識で考えるなよ、デイビット。ここはオレの領域で、ここの主はオレだ。理由なんて、それで十分だろう」
そう言って、テスカトリポカはテスカトリポカはぐっと顔を近付けた。途中、サングラスを邪魔に思ったのか、外してどこかに仕舞い込む。それから、ぐっと空の色が至近距離でデイビットを見詰めてくる。身体はないはずなのに、ぞくりとした感覚は変わらない。召喚した時を彷彿とさせる距離の近さで、テスカトリポカは告げる。「いつか、オマエがここを旅立つその日まで。それまではいくらでも付き合うさ。そう決めている」、なんて。らしくもない優しい声色で、誓いのように。
その時、湧き上がった感情をなんと言えばいいのだろう。なにか得体の知れないものが込み上げて、胸を満たすような気がした。いっぱいいっぱいで、どうしようもなくなってしまう。どうしてこんな、らしくないことになる。こんなのは、おかしい。
この中身は人間ではないだろう。ただ人類として在ろうとしているだけの存在がデイビットだろう。それなのに、こんなのはおかしい。だって、まるでデイビットが人間みたいだ。そんな筈がないのに。中身も人間であったデイビットは、床の黒い染みになったのに。
そう思うのに、デイビットの口は、勝手に動いた。見ていてくれるのか。そんな言葉がぽろりと口から零れる。それに、テスカトリポカは当然とばかりに気軽に応じてみせた。
「ああ。いいともさ、兄弟」
「物好きにも程がある」
「そもそも神の趣味嗜好がまともなはずがあるかよ。いいんだよ、このオレが決めたことだ」
「……そうか。オレは人間の振りをしているだけと言ったのに?」
「それでも、オマエは戦ったろう。それで十分だ。オマエは、難しく考えすぎだ。この楽園でくらいは、もっと好きにしていればいいさ」
「やり方なんて、分からない」
「そんなの気にするな。どうせオレもいる」
「……そんなふうにして、ここを離れがたくなったらどうするつもりだ」
「その時は蹴っ飛ばしてやる。それに、オマエがオレに執着するって言うなら、それも悪くはないさ」
「執着?」
何度かその単語を反復する。それから、目の前のテスカトリポカを見た。執着という言葉は知っていても、それがどんなものか、デイビットは分からない。あったとしても、一日5分の記憶では忘却しているだろう。
けれど、テスカトリポカを見る度に感じていたぞくぞくとした感覚。金色と青。眩しい、太陽の色。これが、情動であったというのなら。
「……それなら多分、知っているよ」
「は?おい、どういうことだそりゃ」
「教えるか。上手く言葉にできない」
「そこは言え!つーか吐き出させてやる」
「言わないさ。本当に、よく分かっていないから。許せ、テスカトリポカ」
そう告げれば、テスカトリポカは少しばかり顔を顰めてゆっくりと息を吐き出した。それから、抗議するように頭部をぐしゃぐしゃと雑に撫でられる。
視線の先、やれやれとでも言いたげに笑うテスカトリポカ。この神に、今のデイビットはどのように見えているだろう。いつか、尋ねる機会があればいい。そんなことを思って、デイビットは小さく頬を緩めた。








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