17 メガアウソノマエニ
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目が合うその前に
あの後すぐ、家の近くにある個人経営のカフェでバイトをはじめた。
人と話すのはあまり得意じゃない。だから、最初は静かめなところがいい。騒がしい世界に飛び込むよりも、落ち着いた空間で、少しずつ外の世界とつながれたらいい。そんなふうに考えて選んだ。
今はまだ、放課後と土日を少し手伝う程度。仕事を覚えること、世代の違うお客さんと会話すること、そのどれもに必死だ。夏休みに入れば本格的にシフトに入る予定になっている。
トレイを水平に保ったままコーヒーを運び、こぼさずにテーブルに置く。それだけのことなのに難しい。手元がぶれないよう、呼吸を整えて、歩幅を意識する。スマートにこなせるようになりたくて、しばらくそればかりに熱中した。
◇◇◇
終業式と同時に行われたインターハイ進出の壮行会。代表として舞台に立ったのは堅治くんだった。
「今さらこんなんで、緊張もしねぇわ」
そう言っていた通りの余裕の表情だった。
「―――三年にとっては最後の大会となります。いけるところまで行ってきます! 11年ぶりに全国に挑戦するバレー部の応援、よろしくお願いしァス!!」
最後は少しくだけた口調になったけれど、それを含めて彼らしかった。
堂々と謝辞を述べる姿を誇らしく思う。
でも、やっぱり遠くに行ってしまうような気持ちが胸の奥に残った。
◇◇◇
夏休みに入ってしまうと、堅治くんと会う機会は激減する。
私は予定通りバイトのシフトを増やし、入試面接の準備を進め、その後に必要になる資格試験のための数学、物理、英語を復習し始めた。
まだお客さんに出すことは出来ないけれど、マスターからコーヒーの淹れ方も教わり始めている。
自分のために時間を使う。
彼が目標に向かって懸命に努力をしているなら、私だって自分の道を歩かなくちゃいけない。
……たぶんそれは、寂しさをごまかすためでもあったと思う。
彼が遠くに行ってしまうと感じるなら、私も自分の足で進めるようになりたい。遠くからでも、自分の力で追いかけていけるように。
◇◇◇
『突然ごめんねぇ、聞きたいことがあってー』
そんな風に夏休みを過ごしていたある夜。
滑津さんから連絡が来た。
『結城さん、インターハイ来る?』
「行きたいことは行きたいんだけど、ホテルとか取れなくて……」
『もし、こっちで宿が確保できてるって言ったらどう?』
「え……!?」
思わず息をのむ。
反射的にカレンダーを見る。試合期間中の8月4日から7日までは、シフトを空けてある。
行けなくても、きっと気もそぞろで仕事に身が入らないと思っていたから。その分はお盆に埋め合わせると、マスターとは話がついている。
電話越しに滑津さんの声が続く。
『部員用とは別に、予備で少し多めに宿を押さえてるんだ。保護者とかOB用に』
「う、うん」
『開会式後の3日、4日はさすがにキャパに余裕がなくて、うちも遠方優先枠で部員分のみ確保させてもらってる感じ。5日の決勝トーナメントから少し余分が出るんだけど、そこはOBが持ってっちゃってて』
その先の言葉を、息を詰めて待つ。
『でね、準決勝、決勝が見られる最終日――6日に泊まる部屋なら譲れるんだけど』
心臓がどくんと鳴った。
『6日の朝早くから来れば、3回戦、4回戦も見られるよ』
「!!」
視界がぱっと開ける。
堅治くんの、全国の試合を見に行ける?
『予選グループで敗退したり、1、2回戦で負けたら、ホント意味がなくなっちゃうロマン枠ってやつなんだけど。どう? ウチの準決進出に賭けてみない?』
私はごくっと唾をのむ。考える前に答えは出ていた。
「い、行く!!!」
『わかった! 枠確保しとくね!』
通話を切るなり、改めて福岡までの行き方を調べる。
新幹線は……時間がかかりすぎる。飛行機は?
仙台からの直行便は少ない。大阪経由なら昼前に着ける便がある。
バイトのシフトから見込み収入を計算する。
……宿代と合わせても、なんとかなる。
その夜、両親に福岡行きの許可を取るため話をした。
彼氏の試合の応援に九州へ一泊……? そんなことより付き合っているやついたのか……? と唖然とした顔をするお父さんとは対照的に
「もう高三だし、受験で県外に行く子も普通にいるからね」
と言ってくれたのはお母さんだった。
「全国大会なんて滅多にないんだから、しっかり応援してらっしゃい」
そう背中を押してくれたお母さんの言葉で、お父さんも渋々ながら折れた。
「……飛行機は手配する。宿代は自分で出しなさい」
無事、許可をもらえてほっとしているところに「客として乗るのも勉強だからな」と釘を刺されるように言われ、背筋が伸びる気持ちだった。
部屋に戻り、堅治くんとのトーク画面を開く。
『IH見に行けることになりそう!』とメッセージを送る。
すぐに既読がつき、少し遅れて白目を剝いたびっくり顔のスタンプが返ってきて、思わず笑ってしまった。
◆◆◆
『IH見に行けることになりそう!』
来る?
……マジか。
一瞬、手が震えた。
壁の時計を見る。十時を回っている。
俺への気遣いなのか、友紀は十時を過ぎると絶対に電話はかけてこない。
友紀の声が聞きたい、けど……
迷った挙句に送ったスタンプに既読がついたのを確認して、スマホを枕元に放り出す。
そのままベッドに寝転がった。
友紀が、試合を見に来る。
見に、来るんだ。
じわじわと実感が胸の奥に落ちてくる。
相手は――全国。
当たるところ全部、格上だと思っていい。
予選リーグ敗退だって普通にある。
友紀が来るのに?
わざわざ、福岡まで?
……いや、友紀が来るとか、関係ない。
全国。
試合。
勝つこと。
今考えるのはそれだけでいい。
客席に誰がいようが、やることは同じ。
……同じ、はずだ。
――ってことは。
『6日の分だけちょっと余ってるんだよね。キャンセルしないとかなー?』
今日のミーティング後、滑津が言っていた言葉を思い出す。
そういうことか。
ってことは、友紀も同じ宿に泊まる?
「……」
とっさに、もこもこのパジャマを着て髪を下ろした友紀が浮かぶ。
いやいやいや。
今、夏だし。
それ、妹が冬に着てたヤツだし!!!
「はい! 次は全国です」
わざとらしく声に出してみる。
「集中しましょう」
って、6日って、準決と決勝じゃねぇか。
そこまで残らないと、友紀は俺の試合見れねーじゃん。
「なんでプレッシャーかけてくるかな~」
嘘。
そんなこと、思ってない。
嬉しいに決まってる。
カッコいいところを見せたい、と思わないわけがない。
けど、もう今さら、なるようにしかならねぇんだし。
せめて、全力でやっていることだけ伝わればいい。
「よし」
スマホを手繰り寄せる。
トーク画面を開き、一言だけ打つ。
少しだけ、俺のこのざわつきを受け取ってほしくて。
『来るなら、覚悟しとけよ』
◆◆◆
福岡行きの荷物の準備をはじめる。
一泊二日分の荷物を小型のボストンバッグに詰める。
そんなに荷物を多くしたくない、けど、この前買ったルームウェアは持っていきたい。
何かあったとき用のコンタクトも入れる。
あとは……
「……」
手に取って、迷って、また戻す。
あの買い物のときに(藍里ちゃんが激推ししてくる過激なものを避けて)選んだ、普通だけど、少しだけ大人っぽいもの。
私にとっては、ちょっと特別な一枚。
「⋯⋯まさか、ね」
そんな機会があるわけない。
それでも……
「⋯⋯念のため、ってことだから」
そう自分に言い訳をして、バッグの底にそっと押し込んだ。
あの後すぐ、家の近くにある個人経営のカフェでバイトをはじめた。
人と話すのはあまり得意じゃない。だから、最初は静かめなところがいい。騒がしい世界に飛び込むよりも、落ち着いた空間で、少しずつ外の世界とつながれたらいい。そんなふうに考えて選んだ。
今はまだ、放課後と土日を少し手伝う程度。仕事を覚えること、世代の違うお客さんと会話すること、そのどれもに必死だ。夏休みに入れば本格的にシフトに入る予定になっている。
トレイを水平に保ったままコーヒーを運び、こぼさずにテーブルに置く。それだけのことなのに難しい。手元がぶれないよう、呼吸を整えて、歩幅を意識する。スマートにこなせるようになりたくて、しばらくそればかりに熱中した。
◇◇◇
終業式と同時に行われたインターハイ進出の壮行会。代表として舞台に立ったのは堅治くんだった。
「今さらこんなんで、緊張もしねぇわ」
そう言っていた通りの余裕の表情だった。
「―――三年にとっては最後の大会となります。いけるところまで行ってきます! 11年ぶりに全国に挑戦するバレー部の応援、よろしくお願いしァス!!」
最後は少しくだけた口調になったけれど、それを含めて彼らしかった。
堂々と謝辞を述べる姿を誇らしく思う。
でも、やっぱり遠くに行ってしまうような気持ちが胸の奥に残った。
◇◇◇
夏休みに入ってしまうと、堅治くんと会う機会は激減する。
私は予定通りバイトのシフトを増やし、入試面接の準備を進め、その後に必要になる資格試験のための数学、物理、英語を復習し始めた。
まだお客さんに出すことは出来ないけれど、マスターからコーヒーの淹れ方も教わり始めている。
自分のために時間を使う。
彼が目標に向かって懸命に努力をしているなら、私だって自分の道を歩かなくちゃいけない。
……たぶんそれは、寂しさをごまかすためでもあったと思う。
彼が遠くに行ってしまうと感じるなら、私も自分の足で進めるようになりたい。遠くからでも、自分の力で追いかけていけるように。
◇◇◇
『突然ごめんねぇ、聞きたいことがあってー』
そんな風に夏休みを過ごしていたある夜。
滑津さんから連絡が来た。
『結城さん、インターハイ来る?』
「行きたいことは行きたいんだけど、ホテルとか取れなくて……」
『もし、こっちで宿が確保できてるって言ったらどう?』
「え……!?」
思わず息をのむ。
反射的にカレンダーを見る。試合期間中の8月4日から7日までは、シフトを空けてある。
行けなくても、きっと気もそぞろで仕事に身が入らないと思っていたから。その分はお盆に埋め合わせると、マスターとは話がついている。
電話越しに滑津さんの声が続く。
『部員用とは別に、予備で少し多めに宿を押さえてるんだ。保護者とかOB用に』
「う、うん」
『開会式後の3日、4日はさすがにキャパに余裕がなくて、うちも遠方優先枠で部員分のみ確保させてもらってる感じ。5日の決勝トーナメントから少し余分が出るんだけど、そこはOBが持ってっちゃってて』
その先の言葉を、息を詰めて待つ。
『でね、準決勝、決勝が見られる最終日――6日に泊まる部屋なら譲れるんだけど』
心臓がどくんと鳴った。
『6日の朝早くから来れば、3回戦、4回戦も見られるよ』
「!!」
視界がぱっと開ける。
堅治くんの、全国の試合を見に行ける?
『予選グループで敗退したり、1、2回戦で負けたら、ホント意味がなくなっちゃうロマン枠ってやつなんだけど。どう? ウチの準決進出に賭けてみない?』
私はごくっと唾をのむ。考える前に答えは出ていた。
「い、行く!!!」
『わかった! 枠確保しとくね!』
通話を切るなり、改めて福岡までの行き方を調べる。
新幹線は……時間がかかりすぎる。飛行機は?
仙台からの直行便は少ない。大阪経由なら昼前に着ける便がある。
バイトのシフトから見込み収入を計算する。
……宿代と合わせても、なんとかなる。
その夜、両親に福岡行きの許可を取るため話をした。
彼氏の試合の応援に九州へ一泊……? そんなことより付き合っているやついたのか……? と唖然とした顔をするお父さんとは対照的に
「もう高三だし、受験で県外に行く子も普通にいるからね」
と言ってくれたのはお母さんだった。
「全国大会なんて滅多にないんだから、しっかり応援してらっしゃい」
そう背中を押してくれたお母さんの言葉で、お父さんも渋々ながら折れた。
「……飛行機は手配する。宿代は自分で出しなさい」
無事、許可をもらえてほっとしているところに「客として乗るのも勉強だからな」と釘を刺されるように言われ、背筋が伸びる気持ちだった。
部屋に戻り、堅治くんとのトーク画面を開く。
『IH見に行けることになりそう!』とメッセージを送る。
すぐに既読がつき、少し遅れて白目を剝いたびっくり顔のスタンプが返ってきて、思わず笑ってしまった。
◆◆◆
『IH見に行けることになりそう!』
来る?
……マジか。
一瞬、手が震えた。
壁の時計を見る。十時を回っている。
俺への気遣いなのか、友紀は十時を過ぎると絶対に電話はかけてこない。
友紀の声が聞きたい、けど……
迷った挙句に送ったスタンプに既読がついたのを確認して、スマホを枕元に放り出す。
そのままベッドに寝転がった。
友紀が、試合を見に来る。
見に、来るんだ。
じわじわと実感が胸の奥に落ちてくる。
相手は――全国。
当たるところ全部、格上だと思っていい。
予選リーグ敗退だって普通にある。
友紀が来るのに?
わざわざ、福岡まで?
……いや、友紀が来るとか、関係ない。
全国。
試合。
勝つこと。
今考えるのはそれだけでいい。
客席に誰がいようが、やることは同じ。
……同じ、はずだ。
――ってことは。
『6日の分だけちょっと余ってるんだよね。キャンセルしないとかなー?』
今日のミーティング後、滑津が言っていた言葉を思い出す。
そういうことか。
ってことは、友紀も同じ宿に泊まる?
「……」
とっさに、もこもこのパジャマを着て髪を下ろした友紀が浮かぶ。
いやいやいや。
今、夏だし。
それ、妹が冬に着てたヤツだし!!!
「はい! 次は全国です」
わざとらしく声に出してみる。
「集中しましょう」
って、6日って、準決と決勝じゃねぇか。
そこまで残らないと、友紀は俺の試合見れねーじゃん。
「なんでプレッシャーかけてくるかな~」
嘘。
そんなこと、思ってない。
嬉しいに決まってる。
カッコいいところを見せたい、と思わないわけがない。
けど、もう今さら、なるようにしかならねぇんだし。
せめて、全力でやっていることだけ伝わればいい。
「よし」
スマホを手繰り寄せる。
トーク画面を開き、一言だけ打つ。
少しだけ、俺のこのざわつきを受け取ってほしくて。
『来るなら、覚悟しとけよ』
◆◆◆
福岡行きの荷物の準備をはじめる。
一泊二日分の荷物を小型のボストンバッグに詰める。
そんなに荷物を多くしたくない、けど、この前買ったルームウェアは持っていきたい。
何かあったとき用のコンタクトも入れる。
あとは……
「……」
手に取って、迷って、また戻す。
あの買い物のときに(藍里ちゃんが激推ししてくる過激なものを避けて)選んだ、普通だけど、少しだけ大人っぽいもの。
私にとっては、ちょっと特別な一枚。
「⋯⋯まさか、ね」
そんな機会があるわけない。
それでも……
「⋯⋯念のため、ってことだから」
そう自分に言い訳をして、バッグの底にそっと押し込んだ。
