3.治癒
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週明けの月曜。
梅雨明け間近の宮城はまだ涼しい。雨は降っていなかったので実習着のつなぎのまま屋上に出ることにした。
今日はまだバレー部の2人と、笹谷と顔を合わせていない。何て声をかけたらいいのかわからない。もうちょっと時間をおきたかった。
人がいない奥のスペースのベンチにだらしなく腰をかけ足を向かいに掛ける。ぼーっと曇り空を見上げパックジュースのストローをくわえる。
『笹谷!』
彼らの試合が終わる瞬間。
私は、笹谷の目の前に落ちるボールを拾って欲しくて、思わず彼の名前を叫んでしまった。どうすることもできないのはわかってたのに。
笹谷を責めているような響きになっていたのでは。
そう考えてしまったら、顔が合わせられなくなってしまった。
まず、何を言ったらいいんだろう。
ギーっと、屋上のドアが開いて閉まる音がした。こちらに向かってくる足音。頭上に影が伸びて暗くなる。思わず見上げる、今、正に思い悩んでいる彼の顔があった。
「なんだ、結城。ここにいたのか」
「笹谷……」
ポカンと数秒笹谷の顔を見つめ、慌てて向かいのベンチにかけた足を引っ込める。「そのままでいいのに」と笹谷は笑うが、こんな足クセの悪さを見せるのはどうかと思う。
実習着の着崩しもヤバイかもしれない。上を肩から外してTシャツ姿になり袖を腰に巻き付けている。夏になると男子がこぞってやる格好だが、女子の場合何故か叱られる。なんで女子だけ……と、この時まではそう思っていた。
「その格好、いいな」
「……これ、先生に見つかると怒られるんだよね……」
「あー、わかるわ、なんか、クる」
笹谷はわざとらしくじろじろと私の身体(主に腰から上)を見回す。
……そういうことか。先生、私、わかりました。扇情的とかマニア向けに性的とかのアレですね。
私は結び目を外し上を羽織る。その途端ちゃんと目線が合うようになるのもんだから、わかりやすい男だ。
「……試合、お疲れさま」
「ああ」
最初に思いついた当たり障りのない言葉を言うと、笹谷は薄く笑顔を作り私の隣に腰掛ける。その表情は授業中にちらっと見たものよりも吹っ切れているように見えて、少しほっとした。
「一昨日はありがとう」
「何が?」
「応援に来てくれて」
「うん……」
沈黙が走る。イヤな汗をかいた気がした。
……どうしよう、試合の感想を言っても大丈夫だろうか。
そのまま何も言わない私を不思議そうに見ながら、笹谷が口を開く。
「ちょっと『武仁ナイスキー』って言ってみて」
「何で?」
「いや、言ってくれなかったじゃん、4文字言いにくいとかで、ちょっと試しに」
お願い、と片目をつぶって両手を合わせてくる。
試合会場では恥ずかしくて言えなかったやつだ。今なら、聞いてるのが笹谷だけなら大丈夫かもしれない。沈黙が続くよりは全然マシだ。
「……たけひとナイスキー」
「…………ふっやべぇ。『武仁大好き』に聞こえる」
手を口に当て、にやにやしている。ちょっと顔が赤い。
なんなのこの自由人は。コイツの照れるツボがわからない。おかげで私は照れるタイミングを失った。何を言うまいか悩んでいたのがバカみたいだ。そう思ったのに。
笹谷は笑いながら目を閉じる。何か、思い出しているような、その横顔。
「勝ててたら、今日も試合だったかもなーと思って、さ」
「うん……」
「最後、俺の名前、叫んでくれたよな」
言いながら細めた目が少し影を帯びる。その瞬間、あの最後の光景がフラッシュバックする。
胸が、痛い。
「結城、どうした?」
今、私はどんな顔をしてるんだろう。不思議そうに私の顔を見る笹谷の顔が、ぼやける。
「だって、最後、私が取れって、責めたみたいで……」
そう言うやポロっと涙が落ちた。おかしいな。私、こんなので泣くタイプだっけ……。
笹谷は一度驚いた顔をしてから、顔をくしゃくしゃにして笑って言った。
「ばーーーーーか!!」
そのままぐっと笹谷に引き寄せられる。
「え?笹谷……?」
「いいから、ちょっと、待て」
「でも……」
「お願い」
そう言った笹谷の腕の力が強くなり、彼の胸に顔を押し付けられた。
笹谷の鼓動が伝わる。多分、これはあの時よりも速い。
はーっとため息をついた笹谷がその反動ですっと息を吸う。
そして私の耳元に唇を寄せた。
「最後の瞬間に聞けたのが結城の声で、嬉しかった。ありがとう」
静かな笹谷の声が鼓膜に響く。彼の声が心なしか震えているような気がして、その声にまた私の目から涙が落ちる。
『笹谷はどこで泣くんだろう』
あの時思ったその答えって、ここなのかな。
それなら、今、泣かせてあげるべきなのかもしれない。
私は笹谷の背中に腕を回して、彼の広い背中をさすった。
「ずっと、頑張ってたんだね」
「うん、まあな」
「勝って欲しかった」
「うん、そうだな」
「笹谷、すごくかっこよかった」
「うん、ありがと」
考えるほど何も言えなくなっていたから、今、ありったけ、伝えたいことを吐き出す。
一回試合を見たぐらいで無神経かもしれない。今までの努力を知らないくせにと怒られるかもしれない。
それでも、伝えたかった。
「もっと見たかったな」
「うん……」
その後笹谷は何も言わなかったけど、『俺ももっとやりたかった』って聞こえた気がしたから、私も何も言わなかった。
しばらくそうしているうちに、ふと笹谷の両腕の力がゆるむ。
「さて、ふりほどかないと、そろそろ俺、誤解するぞー」
少しかがんで私と目を合わせて、にやりと笑う。思ったよりも近い距離にある顔に不覚にもドキリとしてしまう。
「……していいよ」
消え入りそうな声しか出なかった。恥ずかしさのあまり目を逸らそうとすると、私の頬を笹谷が両手で包み向き合わされる。
笹谷の顔が近づいてくる。甘い視線。こんな近い距離で、そんな優しい目で見ないで。勝手に瞳がまた潤んでくる。今度はおでこじゃない。さすがに私でもわかる。誘うように、顔を傾ける。なんでそんなに余裕なのよ。愛おしそうに見つめる瞳。ちょっと待って私はじめてなんだから。唇がぶつかりそうになる距離。そろそろ目をつぶらないとダメ?と思った時、
「……なあ」
「なっ…何?」
「キス、していい?」
カアッと顔に熱が集まる音がした気がした。
ここまで来といて!もう、なんなの……!
「なんでいちいち聞くの!」
「その方が恥ずかしがるかな?って思って」
「は、恥ずかしがらせる必要あるの?」
「この前、教室で告った時、コイツ恥ずかしがらせると何かイイって扉が開いた」
悪びれずにのたまう笹谷。
……余計な扉を開いてしまった。
「変態……」
「『変態』って言われるより『えっち』って言われる方が萌えるな~」
顔が触れそうな距離で軽口を叩いてくるから、上手く反論できない。
好きだけど、ニヤニヤ顔がむかつくし言われっぱなしがちょっと悔しい。
かといって「えっち」って言ってみるのも芸がないし何か違う。と、思った時に一つ閃いた。
「……ねえ」
自分最大級の甘い声。併せてそっと笹谷のシャツの腰の部分をつかむと、彼が唾を飲み込む音が聞こえた。
「?……何だよ」
「……早くキスして」
シャツを引きながら上目づかいで言ってみると、笹谷は一気に顔を背けた。
よし!勝った!
「……ヤバイ」
「あれ?笹谷さん、顔真っ赤」
「黙れ」
片手で顔を覆う笹谷に一矢報いた、と思ったのは一瞬。
赤い顔のまま睨むようにまっすぐに見つめる瞳と近い距離で合い、胸がきゅっとする。
迫力に観念して、目を閉じると、顎をすくわれ唇が降りてきた。
吸い付くようにぴったりと合わさる唇。
唇が離れたのに合わせて目を開くけれど、まだ近い距離で熱っぽくこちらを見る笹谷の目を直視できなくて、そっと目を伏せる。
「誘うなって」
そんなつもりはないのに。腰を引き寄せられる。今度はゆっくりと唇を塞がれた。
1回目の合わせるだけのキスとは違い、彼の唇で、私の唇が食まれる。
唇が……気持ちいい、という考えたこともない感触に、どうしていいのかわからない。
そのままされるがまま、息の仕方がわからなくて苦しくなってきた頃、ようやく、唇が離れた。
「…………」
「なぁ?」
キスの余韻を残したまま、荒い呼吸にならないよう懸命に息を整える私に、少し首をかしげて真剣な顔で私に聞いてくる。
「な、何?」
「舌入れていい?」
一瞬、何を言われたのか分からなかった。その言葉が理解できたと同時に急速に頭に血が上る。気が付くと笹谷の頭に頭突きをしていた。
ごちっ
「ててて展開早いって!前に免疫ないって言ったでしょ!」
「いてて…、気持ちよさそうな顔してるから、」
しれっと何言ってんの、こっ、この男は…。
気持ちよさそうって、実際気持ちいいんだからしょうがないじゃない。
ていうか、初めてのキスでそんなのしないでよ!
距離をとろうと笹谷の身体を押すけれど、腰に手が回っていて思うように離れられない。
どうにか、俯いて、彼の顔を直視しないようにする。
「さ、笹谷のこと、好きだけど、そこまでの心の準備ができてないので……それなら、付き合わなくてもいいや」
「いやいや、ここまでいったら、もう付き合っとこうぜ」
離してくれない笹谷を懸命に睨みつけてみても、愛おし気に目を細めてくるので、どうしていいかわからなくなる。
そんな私を子供扱いするように髪を撫でながら言う。
「っていうか、今ので初めて好きって言われたな……」
「あ……」
その時初めて気がついた。
順番間違ってんじゃん、先にキスねだるとかどうなってんのよ、私。しかも、こんなもののついでのような言い方で。
「改めて、言った方がいい?」
「……いいよわかってるから」
そう言うと、彼は私の身体を引き寄せる。
抱きしめられても、まだ彼の背中に手を回すことはできない。それでも、
『わかってる』
笹谷は当たり前のようにそう言った。それは恥ずかしいけれど、同時に嬉しいな、とも思う。笹谷には前に言われたから、私はわかってるけれど、
「好きだよ」
不意打ちで耳元で言われて、腰が砕けて死にそうになった。
笹谷の胸に頭を預け、支えてもらうという体たらく。
顏が熱すぎる。もう、もうもうもう!
「し、知ってるし!わたしもだし!」
「あーあ、ったく」
かわいいなぁ、と硬い手のひらが、壊れ物を扱う様な優しい手つきで私の頬をそっと包む。
「ま、いつかぜってー夢中で好き好き言わせてやるからな」
「……なにそれこわい」
一体、それはどういう状況なの!?
でも。
その前に、まず第一段階として。
「そうだ、付き合うことになったんだから」
笹谷に告白された時から、気になっていたことがある。
「いつから好きなのかとか、私のどこを好きなのかとか、教えて」
「あ?」
「前に付き合うことになったら教えてくれるって言った」
「ああー。あれなー」
思い当たるフシがあったのだろう。目を細め遠くを見る。
「話すとすっげー長くなるから、帰せなくなるぞ?」
そう言いながら、私の身体に回していた手をほどいて立ち上がり、私の前に手を差し伸べる。
その手をとりながら答える。
「全部聞くから、何回かに分けてよ」
笹谷は「ったく、つれねーなー」と笑いながら言うと
「教室、戻るか」
と、私の腕をつかんで引き起こした。
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治癒(CHU)
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梅雨明け間近の宮城はまだ涼しい。雨は降っていなかったので実習着のつなぎのまま屋上に出ることにした。
今日はまだバレー部の2人と、笹谷と顔を合わせていない。何て声をかけたらいいのかわからない。もうちょっと時間をおきたかった。
人がいない奥のスペースのベンチにだらしなく腰をかけ足を向かいに掛ける。ぼーっと曇り空を見上げパックジュースのストローをくわえる。
『笹谷!』
彼らの試合が終わる瞬間。
私は、笹谷の目の前に落ちるボールを拾って欲しくて、思わず彼の名前を叫んでしまった。どうすることもできないのはわかってたのに。
笹谷を責めているような響きになっていたのでは。
そう考えてしまったら、顔が合わせられなくなってしまった。
まず、何を言ったらいいんだろう。
ギーっと、屋上のドアが開いて閉まる音がした。こちらに向かってくる足音。頭上に影が伸びて暗くなる。思わず見上げる、今、正に思い悩んでいる彼の顔があった。
「なんだ、結城。ここにいたのか」
「笹谷……」
ポカンと数秒笹谷の顔を見つめ、慌てて向かいのベンチにかけた足を引っ込める。「そのままでいいのに」と笹谷は笑うが、こんな足クセの悪さを見せるのはどうかと思う。
実習着の着崩しもヤバイかもしれない。上を肩から外してTシャツ姿になり袖を腰に巻き付けている。夏になると男子がこぞってやる格好だが、女子の場合何故か叱られる。なんで女子だけ……と、この時まではそう思っていた。
「その格好、いいな」
「……これ、先生に見つかると怒られるんだよね……」
「あー、わかるわ、なんか、クる」
笹谷はわざとらしくじろじろと私の身体(主に腰から上)を見回す。
……そういうことか。先生、私、わかりました。扇情的とかマニア向けに性的とかのアレですね。
私は結び目を外し上を羽織る。その途端ちゃんと目線が合うようになるのもんだから、わかりやすい男だ。
「……試合、お疲れさま」
「ああ」
最初に思いついた当たり障りのない言葉を言うと、笹谷は薄く笑顔を作り私の隣に腰掛ける。その表情は授業中にちらっと見たものよりも吹っ切れているように見えて、少しほっとした。
「一昨日はありがとう」
「何が?」
「応援に来てくれて」
「うん……」
沈黙が走る。イヤな汗をかいた気がした。
……どうしよう、試合の感想を言っても大丈夫だろうか。
そのまま何も言わない私を不思議そうに見ながら、笹谷が口を開く。
「ちょっと『武仁ナイスキー』って言ってみて」
「何で?」
「いや、言ってくれなかったじゃん、4文字言いにくいとかで、ちょっと試しに」
お願い、と片目をつぶって両手を合わせてくる。
試合会場では恥ずかしくて言えなかったやつだ。今なら、聞いてるのが笹谷だけなら大丈夫かもしれない。沈黙が続くよりは全然マシだ。
「……たけひとナイスキー」
「…………ふっやべぇ。『武仁大好き』に聞こえる」
手を口に当て、にやにやしている。ちょっと顔が赤い。
なんなのこの自由人は。コイツの照れるツボがわからない。おかげで私は照れるタイミングを失った。何を言うまいか悩んでいたのがバカみたいだ。そう思ったのに。
笹谷は笑いながら目を閉じる。何か、思い出しているような、その横顔。
「勝ててたら、今日も試合だったかもなーと思って、さ」
「うん……」
「最後、俺の名前、叫んでくれたよな」
言いながら細めた目が少し影を帯びる。その瞬間、あの最後の光景がフラッシュバックする。
胸が、痛い。
「結城、どうした?」
今、私はどんな顔をしてるんだろう。不思議そうに私の顔を見る笹谷の顔が、ぼやける。
「だって、最後、私が取れって、責めたみたいで……」
そう言うやポロっと涙が落ちた。おかしいな。私、こんなので泣くタイプだっけ……。
笹谷は一度驚いた顔をしてから、顔をくしゃくしゃにして笑って言った。
「ばーーーーーか!!」
そのままぐっと笹谷に引き寄せられる。
「え?笹谷……?」
「いいから、ちょっと、待て」
「でも……」
「お願い」
そう言った笹谷の腕の力が強くなり、彼の胸に顔を押し付けられた。
笹谷の鼓動が伝わる。多分、これはあの時よりも速い。
はーっとため息をついた笹谷がその反動ですっと息を吸う。
そして私の耳元に唇を寄せた。
「最後の瞬間に聞けたのが結城の声で、嬉しかった。ありがとう」
静かな笹谷の声が鼓膜に響く。彼の声が心なしか震えているような気がして、その声にまた私の目から涙が落ちる。
『笹谷はどこで泣くんだろう』
あの時思ったその答えって、ここなのかな。
それなら、今、泣かせてあげるべきなのかもしれない。
私は笹谷の背中に腕を回して、彼の広い背中をさすった。
「ずっと、頑張ってたんだね」
「うん、まあな」
「勝って欲しかった」
「うん、そうだな」
「笹谷、すごくかっこよかった」
「うん、ありがと」
考えるほど何も言えなくなっていたから、今、ありったけ、伝えたいことを吐き出す。
一回試合を見たぐらいで無神経かもしれない。今までの努力を知らないくせにと怒られるかもしれない。
それでも、伝えたかった。
「もっと見たかったな」
「うん……」
その後笹谷は何も言わなかったけど、『俺ももっとやりたかった』って聞こえた気がしたから、私も何も言わなかった。
しばらくそうしているうちに、ふと笹谷の両腕の力がゆるむ。
「さて、ふりほどかないと、そろそろ俺、誤解するぞー」
少しかがんで私と目を合わせて、にやりと笑う。思ったよりも近い距離にある顔に不覚にもドキリとしてしまう。
「……していいよ」
消え入りそうな声しか出なかった。恥ずかしさのあまり目を逸らそうとすると、私の頬を笹谷が両手で包み向き合わされる。
笹谷の顔が近づいてくる。甘い視線。こんな近い距離で、そんな優しい目で見ないで。勝手に瞳がまた潤んでくる。今度はおでこじゃない。さすがに私でもわかる。誘うように、顔を傾ける。なんでそんなに余裕なのよ。愛おしそうに見つめる瞳。ちょっと待って私はじめてなんだから。唇がぶつかりそうになる距離。そろそろ目をつぶらないとダメ?と思った時、
「……なあ」
「なっ…何?」
「キス、していい?」
カアッと顔に熱が集まる音がした気がした。
ここまで来といて!もう、なんなの……!
「なんでいちいち聞くの!」
「その方が恥ずかしがるかな?って思って」
「は、恥ずかしがらせる必要あるの?」
「この前、教室で告った時、コイツ恥ずかしがらせると何かイイって扉が開いた」
悪びれずにのたまう笹谷。
……余計な扉を開いてしまった。
「変態……」
「『変態』って言われるより『えっち』って言われる方が萌えるな~」
顔が触れそうな距離で軽口を叩いてくるから、上手く反論できない。
好きだけど、ニヤニヤ顔がむかつくし言われっぱなしがちょっと悔しい。
かといって「えっち」って言ってみるのも芸がないし何か違う。と、思った時に一つ閃いた。
「……ねえ」
自分最大級の甘い声。併せてそっと笹谷のシャツの腰の部分をつかむと、彼が唾を飲み込む音が聞こえた。
「?……何だよ」
「……早くキスして」
シャツを引きながら上目づかいで言ってみると、笹谷は一気に顔を背けた。
よし!勝った!
「……ヤバイ」
「あれ?笹谷さん、顔真っ赤」
「黙れ」
片手で顔を覆う笹谷に一矢報いた、と思ったのは一瞬。
赤い顔のまま睨むようにまっすぐに見つめる瞳と近い距離で合い、胸がきゅっとする。
迫力に観念して、目を閉じると、顎をすくわれ唇が降りてきた。
吸い付くようにぴったりと合わさる唇。
唇が離れたのに合わせて目を開くけれど、まだ近い距離で熱っぽくこちらを見る笹谷の目を直視できなくて、そっと目を伏せる。
「誘うなって」
そんなつもりはないのに。腰を引き寄せられる。今度はゆっくりと唇を塞がれた。
1回目の合わせるだけのキスとは違い、彼の唇で、私の唇が食まれる。
唇が……気持ちいい、という考えたこともない感触に、どうしていいのかわからない。
そのままされるがまま、息の仕方がわからなくて苦しくなってきた頃、ようやく、唇が離れた。
「…………」
「なぁ?」
キスの余韻を残したまま、荒い呼吸にならないよう懸命に息を整える私に、少し首をかしげて真剣な顔で私に聞いてくる。
「な、何?」
「舌入れていい?」
一瞬、何を言われたのか分からなかった。その言葉が理解できたと同時に急速に頭に血が上る。気が付くと笹谷の頭に頭突きをしていた。
ごちっ
「ててて展開早いって!前に免疫ないって言ったでしょ!」
「いてて…、気持ちよさそうな顔してるから、」
しれっと何言ってんの、こっ、この男は…。
気持ちよさそうって、実際気持ちいいんだからしょうがないじゃない。
ていうか、初めてのキスでそんなのしないでよ!
距離をとろうと笹谷の身体を押すけれど、腰に手が回っていて思うように離れられない。
どうにか、俯いて、彼の顔を直視しないようにする。
「さ、笹谷のこと、好きだけど、そこまでの心の準備ができてないので……それなら、付き合わなくてもいいや」
「いやいや、ここまでいったら、もう付き合っとこうぜ」
離してくれない笹谷を懸命に睨みつけてみても、愛おし気に目を細めてくるので、どうしていいかわからなくなる。
そんな私を子供扱いするように髪を撫でながら言う。
「っていうか、今ので初めて好きって言われたな……」
「あ……」
その時初めて気がついた。
順番間違ってんじゃん、先にキスねだるとかどうなってんのよ、私。しかも、こんなもののついでのような言い方で。
「改めて、言った方がいい?」
「……いいよわかってるから」
そう言うと、彼は私の身体を引き寄せる。
抱きしめられても、まだ彼の背中に手を回すことはできない。それでも、
『わかってる』
笹谷は当たり前のようにそう言った。それは恥ずかしいけれど、同時に嬉しいな、とも思う。笹谷には前に言われたから、私はわかってるけれど、
「好きだよ」
不意打ちで耳元で言われて、腰が砕けて死にそうになった。
笹谷の胸に頭を預け、支えてもらうという体たらく。
顏が熱すぎる。もう、もうもうもう!
「し、知ってるし!わたしもだし!」
「あーあ、ったく」
かわいいなぁ、と硬い手のひらが、壊れ物を扱う様な優しい手つきで私の頬をそっと包む。
「ま、いつかぜってー夢中で好き好き言わせてやるからな」
「……なにそれこわい」
一体、それはどういう状況なの!?
でも。
その前に、まず第一段階として。
「そうだ、付き合うことになったんだから」
笹谷に告白された時から、気になっていたことがある。
「いつから好きなのかとか、私のどこを好きなのかとか、教えて」
「あ?」
「前に付き合うことになったら教えてくれるって言った」
「ああー。あれなー」
思い当たるフシがあったのだろう。目を細め遠くを見る。
「話すとすっげー長くなるから、帰せなくなるぞ?」
そう言いながら、私の身体に回していた手をほどいて立ち上がり、私の前に手を差し伸べる。
その手をとりながら答える。
「全部聞くから、何回かに分けてよ」
笹谷は「ったく、つれねーなー」と笑いながら言うと
「教室、戻るか」
と、私の腕をつかんで引き起こした。
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治癒(CHU)
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