3 Don't Close Your Eyes
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Don't Close Your Eyes
バレー部の合宿は明日からだそうだ。
なんとか美容院に連れていって、お兄ちゃんと言い合いながら髪を切られる堅治くんを見守り「これだけで休みが終わるのやだ!」と嘆く堅治くんに引っ張られる形で、私は堅治くんの家に連れて来られた。
「今日は、家、誰もいないからー」と言われてしまってどうしようかと思ったけれど、最初から警戒しているのも失礼な気がして普通に、本当に普通にしようとした。
彼の部屋に通されドアが閉まった音を聞いたと思ったら、肩越しに伸びた彼の両腕が私を捕らえる。いつもは正面から抱きしめてくるので油断した。
「……どうしたの?」
「んー? たまには、後ろから」
絡みつくように腕を回されて私の背中が彼の身体にぴたっとくっつく。いつもと違う男の人の香りがしてドキッとしてしまった。さっきの美容院のシャンプーのせいで、普段の彼より大人っぽく感じさせる香りになって心臓に悪い。
恐る恐る振り返って肩越しに彼と目が合うと、彼は吐息で優しく笑う。確かに堅治くんだ。耳にかかった息がくすぐったくて思わず身をよじる。
「……前から気になってたんだけど……」
髪の中で唇を動かすから、触れたところがさらにくすぐったい。
「う……。うん? なに?」
「耳、弱い?」
「そんなの……。誰だって、多少は弱いんじゃないの? ん……」
ふっと息をかけられ、鼻に抜けるような吐息が漏れてしまう。
「やっぱり」
くくっと笑う声が聞こえたと思ったら、彼は私に回した腕をぎゅっと狭くする。
「あ、堅治くん、まって……」
身をよじって逃れようとしても彼の腕の中に閉じ込められてしまう。
彼の唇が私の耳に触れる。
「!!」
不意打ちに身体がびくっと反応してしまう。
「友紀……、好き」
「……っ!」
しまった、と思ったけれどもう遅かった。囁き声がダイレクトに耳に伝わって、ぞわっと肌が粟立つ。それでも彼は唇を耳から離してくれない。彼の薄い唇が私の耳たぶを食む。
「あ……」
ついに声が漏れてしまった。身体に力が入らない。支えを失った私の身体を彼は引き込んで腕の中におさめる。そのまま誘われるように彼のベッドに腰を下ろした。堅治くんがぴったりと私の横につく。
「後ろから抱くと、友紀すっげー華奢」
「そ、そうかな?」
「……壊しちゃいそう」
熱のこもった声で囁かれ心臓以外動けないでいると、彼は肩から覆いかぶさるのをやめて私を自分の方へと向ける。
『壊しちゃいそう』って、何を……?
急展開すぎて頭が回らない。
彼の手が私の顔に伸びてくる。彼は慎重な手つきで私のメガネをそっと外し脇のデスクに置いた。
「……?」
私じゃなくてメガネのこと?
踏み込みすぎた予想が外れてホッとしたけれど、今までに彼にメガネを外された後に起こったことを思い出したから身体の緊張は解けない。
もう一度、彼の両手が私の頬に触れ、顔を彼に向けさせる。甘く熱のこもった視線。
……そういう雰囲気のスイッチが入ったのがわかった。
いつもよりゆっくり、彼の両手が耳をかすめるように後頭部を覆ったのを合図に、私は観念して目を閉じる。心臓の鼓動が大きくなりすぎて何も聞こえない。
「目、開けて」
だから、何を言われたのか、一瞬わからなかった。
反射的に瞼を開くと、思いのほか近くに彼の顔がある。
「え……?」
「そう。こっち、見て」
彼の顔が、瞳が、さらに近づいてくる。
「そのまま……」
甘やかに細められた堅治くんの瞳を見つめているうちに唇が重なった。そのまま、ちゅ、ちゅ、とついばむようなキスが繰り返される。
催促するように舌で唇をつつかれ、薄く隙間を開けるとそれを逃さず入ってくる。見つめ合っている彼の瞳が何かを企むように細くなると、彼の舌先が柔らかく私の口の中をなぞり始めた。
「……ん……っ」
やっぱりこれにはまだ慣れない。舌の動きに翻弄される。せめて私を捕えている彼の瞳から逃れたくて瞼を下ろすと口内を蹂躙する舌の動きが止まった。
「目、閉じんな」
離れない唇の隙間から伝わる声の振動。
遅れて理解して薄く目を開けると彼の瞳が私を捕らえている。
「ちゃんと、俺を見て」
堅治くんがえぐるように私を見る。私の何事も見逃さないとでも言いたげに。
……見つめ合うことは相手との力関係が出るんだと思う。目を閉じたり逸らしたりしてしまった方が、きっと負け。キレイな目。吸い込まれそうになる。なのに、なんだか胸の奥が苦しくなるのは、彼が私を求めていることが目からわかるからなんだろうか。
私も……。
一度、唇を引いて見つめ返すと彼の目に戸惑いみたいなものが広がっていく。
少しでも反撃できたかな、と思った瞬間、主導権は渡さないとばかりに視線に力を取り戻した彼が一気に攻めてくる。奥を覗き込もうとしてくる彼の瞳に気を取られた隙に、深く舌を差し込まれて思わず身体の力が抜けてしまった。
自然と降りてこようとする瞼に抵抗しながら思う。
何で人は、キスの時に目を閉じようとするんだろう。
その方が夢中になれるから?
それとも刺激に耐えられないから?
とん、と背中が着地する感触。
私の上半身はベッドに横たわっている。
上から降りてくるように堅治くんが私に覆いかぶさる。
思わず目を閉じてしまったけれど、もうそのことは咎められなかった。
唇が離れて、恐る恐る目を開ける。
まだ、すぐそばに彼の顔がある。
彼の目が私を……私だけを見ている。
もう、彼の目は笑っていない。彼の瞳にも余裕がない。
瞳の奥の底の知れなさが、何故か見ていられなくなった。
彼の指が私の耳に触れる。反射的に緩んだ唇にもう一度唇が下りて来て……、今度は、噛みつかれるように、深く……。
食べられ……ちゃう……。
アラートのように心臓が早鐘を打つ。
投げ出された私の手に上から指を絡められたけれど、私は握り返すことができない。
怖い……。
キスなんてもう何度もしている。
深いキスだってしたことがある。
ただいつもタテでしているのがヨコになっただけ。
ヨコでだって、少し前にしているのに、ちょっと彼の位置が違うだけ、なのに……。
『恋人同士じゃないとできないこともあるけど?』
いつか彼に言われたことが急に現実味を帯びてくる。
恋人同士なんだから。
そうするのも当たり前。
それはわかっている。彼が男の子で、私と違う身体を持っている、なんてことは、最初からわかってることなのに。
頭がぐちゃぐちゃになってくる。
相手は、大好きな、堅治くんなのに……。
……なのに、なんで、こんなに怖いんだろう。
真上から私を見下ろす堅治くんの姿がどんどん霞んでいく。
時間が止まったかのような沈黙の後、彼がポツリと呟いた。
「泣くほど、いや?」
私は首を横に振るけれど涙でぼやけて彼の顔が見えない。優しい手つきで彼が私の目元をぬぐうと、困ったような表情が見えてきて、胸がズキっと痛んだ。
それから彼は私の身体をそっと起こした。胸の前で手を組む。体が震えてぽろぽろと涙がこぼれていく。これは何の涙だろう。自分の気持ちが一つにならない。息を吸い込んだら勝手にしゃっくりあがって他人事のようにびっくりした。
白いフローリングの床に視線を向ける。彼が少し間を開けて私の隣に座った。
「いくよ」
そっと声をかけられた後、壊れ物に触れるように柔らかく抱きしめられた。
「これは? へーき?」
「……大丈夫」
震えは止まらないけど、もう怖いとは思わない。
彼は自分の胸へ私の身体を寄せると、もう片方の手で私の頭を撫でた。座っているとそこまでの身長差は感じないけれど、私の身体は彼の身体に包まれてしまうし、暖かい手のひらはすっぽりと私の後頭部を包み込む。自分のことをそこまで小さいとは考えたことがなかったけれど、彼とのどうしようもない体格差をまざまざと思い知らされる。
「……どうした?」
優しい声色で囁くように聞いてくれる堅治くんに、申し訳ない気持ちになる。堅治くんだって急に泣き出した私に戸惑っているはずだと思うのに、こんな優しい……。
「わかんない……。でも、なんか、急に……怖くなった」
「……今も、怖い?」
「ううん」
私は首を振って答えると堅治くんは顔をしかめる。
「震えてんじゃん」
「……でも……。もう、こわくない……」
「強がってんじゃねぇよ……」
頭では冷静なつもりなのに身体がついていかない。どうやって震えを止めていいのかがわからない。そんな私を彼は、あやすように背中をさすってくれた。
今、怖くないのは本当のこと。さっきも嫌だったから泣いたわけじゃない。なら、なんで怖かったんだろうか? 自分の気持ちにぴったりと合う言葉を探すのが難しい。
「上から覆いかぶされた時」
「……うん」
バツの悪そうな顔をした堅治くんが私を抱く力をゆるめるから、私はその腕にそっと手を添える。
震えが落ち着いてきた。私は結局その時に思ったことを正直に言った。
「食べられちゃうのかと思った」
「俺はクマかよ」
あきれたように笑うけど、一転複雑な表情を私に見せる。彼は口元を手で抑えて少し考えている様子だった。
「ダメだったら突飛ばして」
「うん」
壊れ物を扱うように頬を両手で挟まれ、軽く触れるだけのキスをされた。
「大丈夫。……これは、好き」
そう言うと堅治くんはさっと目を伏せた。
「……ごめん」
「何で謝るの?」
「俺、友紀にいじわるした」
「……」
いじわるって……『目を開けろ』って言ったことなんだろうか。
「どうして?」
「友紀、俺を見てるときは、俺のことだけ考えてくれるかな、と思って」
「え……」
そんなの当たり前に堅治くんのこと……、「考えているよ」と、言おうとして、冷や水を浴びせられたように我に返った。
……私、堅治くんとキスしてる時、『どうやって逃げようか』ってことばかり考えている。
「……」
自分の本音に別の意味で身体が震えそうになる。彼はそれには気づかない様子で続ける。
「そういう時の、友紀がどんな目をしてるか見たくて」
「……うん」
「見たら、抑えが効かなくなって」
「……」
そうだったんだ……。私が堅治くんを『怖い』と思ったのも、そこからだったのかもしれない。点と点がつながった気がする。
「……イヤだった?」
まだ自分の本音がショックで言葉が出ないけれど、イヤじゃなかったのは確かだから首を横に振る。
「じゃあ……」
ごくっと、彼が生唾を飲み込む音が聞こえた。
その瞬間、無意識だけど、表情が作れなくなった。
私を見ている堅治くんは。……恐らくそれに気づいた。
「……いや、今は、まだ、……いいや」
彼が言おうとした言葉を飲み込んだのがわかった。
「ごめんね」
期待させるだけさせておいて先を言わせないのは私のせいなんだと思う。彼の欲からは逃げているくせに、引き延ばして希望を持たせようとする。
そんな私は彼に対して誠実でないのかもしれない。卑怯なのかもしれない。
「謝んなよ。謝るなら、俺の方」
「ううん、……ごめん」
私はそれにはこたえずに、身体を離そうとする堅治くんの背中に白々しく両腕を回した。
バレー部の合宿は明日からだそうだ。
なんとか美容院に連れていって、お兄ちゃんと言い合いながら髪を切られる堅治くんを見守り「これだけで休みが終わるのやだ!」と嘆く堅治くんに引っ張られる形で、私は堅治くんの家に連れて来られた。
「今日は、家、誰もいないからー」と言われてしまってどうしようかと思ったけれど、最初から警戒しているのも失礼な気がして普通に、本当に普通にしようとした。
彼の部屋に通されドアが閉まった音を聞いたと思ったら、肩越しに伸びた彼の両腕が私を捕らえる。いつもは正面から抱きしめてくるので油断した。
「……どうしたの?」
「んー? たまには、後ろから」
絡みつくように腕を回されて私の背中が彼の身体にぴたっとくっつく。いつもと違う男の人の香りがしてドキッとしてしまった。さっきの美容院のシャンプーのせいで、普段の彼より大人っぽく感じさせる香りになって心臓に悪い。
恐る恐る振り返って肩越しに彼と目が合うと、彼は吐息で優しく笑う。確かに堅治くんだ。耳にかかった息がくすぐったくて思わず身をよじる。
「……前から気になってたんだけど……」
髪の中で唇を動かすから、触れたところがさらにくすぐったい。
「う……。うん? なに?」
「耳、弱い?」
「そんなの……。誰だって、多少は弱いんじゃないの? ん……」
ふっと息をかけられ、鼻に抜けるような吐息が漏れてしまう。
「やっぱり」
くくっと笑う声が聞こえたと思ったら、彼は私に回した腕をぎゅっと狭くする。
「あ、堅治くん、まって……」
身をよじって逃れようとしても彼の腕の中に閉じ込められてしまう。
彼の唇が私の耳に触れる。
「!!」
不意打ちに身体がびくっと反応してしまう。
「友紀……、好き」
「……っ!」
しまった、と思ったけれどもう遅かった。囁き声がダイレクトに耳に伝わって、ぞわっと肌が粟立つ。それでも彼は唇を耳から離してくれない。彼の薄い唇が私の耳たぶを食む。
「あ……」
ついに声が漏れてしまった。身体に力が入らない。支えを失った私の身体を彼は引き込んで腕の中におさめる。そのまま誘われるように彼のベッドに腰を下ろした。堅治くんがぴったりと私の横につく。
「後ろから抱くと、友紀すっげー華奢」
「そ、そうかな?」
「……壊しちゃいそう」
熱のこもった声で囁かれ心臓以外動けないでいると、彼は肩から覆いかぶさるのをやめて私を自分の方へと向ける。
『壊しちゃいそう』って、何を……?
急展開すぎて頭が回らない。
彼の手が私の顔に伸びてくる。彼は慎重な手つきで私のメガネをそっと外し脇のデスクに置いた。
「……?」
私じゃなくてメガネのこと?
踏み込みすぎた予想が外れてホッとしたけれど、今までに彼にメガネを外された後に起こったことを思い出したから身体の緊張は解けない。
もう一度、彼の両手が私の頬に触れ、顔を彼に向けさせる。甘く熱のこもった視線。
……そういう雰囲気のスイッチが入ったのがわかった。
いつもよりゆっくり、彼の両手が耳をかすめるように後頭部を覆ったのを合図に、私は観念して目を閉じる。心臓の鼓動が大きくなりすぎて何も聞こえない。
「目、開けて」
だから、何を言われたのか、一瞬わからなかった。
反射的に瞼を開くと、思いのほか近くに彼の顔がある。
「え……?」
「そう。こっち、見て」
彼の顔が、瞳が、さらに近づいてくる。
「そのまま……」
甘やかに細められた堅治くんの瞳を見つめているうちに唇が重なった。そのまま、ちゅ、ちゅ、とついばむようなキスが繰り返される。
催促するように舌で唇をつつかれ、薄く隙間を開けるとそれを逃さず入ってくる。見つめ合っている彼の瞳が何かを企むように細くなると、彼の舌先が柔らかく私の口の中をなぞり始めた。
「……ん……っ」
やっぱりこれにはまだ慣れない。舌の動きに翻弄される。せめて私を捕えている彼の瞳から逃れたくて瞼を下ろすと口内を蹂躙する舌の動きが止まった。
「目、閉じんな」
離れない唇の隙間から伝わる声の振動。
遅れて理解して薄く目を開けると彼の瞳が私を捕らえている。
「ちゃんと、俺を見て」
堅治くんがえぐるように私を見る。私の何事も見逃さないとでも言いたげに。
……見つめ合うことは相手との力関係が出るんだと思う。目を閉じたり逸らしたりしてしまった方が、きっと負け。キレイな目。吸い込まれそうになる。なのに、なんだか胸の奥が苦しくなるのは、彼が私を求めていることが目からわかるからなんだろうか。
私も……。
一度、唇を引いて見つめ返すと彼の目に戸惑いみたいなものが広がっていく。
少しでも反撃できたかな、と思った瞬間、主導権は渡さないとばかりに視線に力を取り戻した彼が一気に攻めてくる。奥を覗き込もうとしてくる彼の瞳に気を取られた隙に、深く舌を差し込まれて思わず身体の力が抜けてしまった。
自然と降りてこようとする瞼に抵抗しながら思う。
何で人は、キスの時に目を閉じようとするんだろう。
その方が夢中になれるから?
それとも刺激に耐えられないから?
とん、と背中が着地する感触。
私の上半身はベッドに横たわっている。
上から降りてくるように堅治くんが私に覆いかぶさる。
思わず目を閉じてしまったけれど、もうそのことは咎められなかった。
唇が離れて、恐る恐る目を開ける。
まだ、すぐそばに彼の顔がある。
彼の目が私を……私だけを見ている。
もう、彼の目は笑っていない。彼の瞳にも余裕がない。
瞳の奥の底の知れなさが、何故か見ていられなくなった。
彼の指が私の耳に触れる。反射的に緩んだ唇にもう一度唇が下りて来て……、今度は、噛みつかれるように、深く……。
食べられ……ちゃう……。
アラートのように心臓が早鐘を打つ。
投げ出された私の手に上から指を絡められたけれど、私は握り返すことができない。
怖い……。
キスなんてもう何度もしている。
深いキスだってしたことがある。
ただいつもタテでしているのがヨコになっただけ。
ヨコでだって、少し前にしているのに、ちょっと彼の位置が違うだけ、なのに……。
『恋人同士じゃないとできないこともあるけど?』
いつか彼に言われたことが急に現実味を帯びてくる。
恋人同士なんだから。
そうするのも当たり前。
それはわかっている。彼が男の子で、私と違う身体を持っている、なんてことは、最初からわかってることなのに。
頭がぐちゃぐちゃになってくる。
相手は、大好きな、堅治くんなのに……。
……なのに、なんで、こんなに怖いんだろう。
真上から私を見下ろす堅治くんの姿がどんどん霞んでいく。
時間が止まったかのような沈黙の後、彼がポツリと呟いた。
「泣くほど、いや?」
私は首を横に振るけれど涙でぼやけて彼の顔が見えない。優しい手つきで彼が私の目元をぬぐうと、困ったような表情が見えてきて、胸がズキっと痛んだ。
それから彼は私の身体をそっと起こした。胸の前で手を組む。体が震えてぽろぽろと涙がこぼれていく。これは何の涙だろう。自分の気持ちが一つにならない。息を吸い込んだら勝手にしゃっくりあがって他人事のようにびっくりした。
白いフローリングの床に視線を向ける。彼が少し間を開けて私の隣に座った。
「いくよ」
そっと声をかけられた後、壊れ物に触れるように柔らかく抱きしめられた。
「これは? へーき?」
「……大丈夫」
震えは止まらないけど、もう怖いとは思わない。
彼は自分の胸へ私の身体を寄せると、もう片方の手で私の頭を撫でた。座っているとそこまでの身長差は感じないけれど、私の身体は彼の身体に包まれてしまうし、暖かい手のひらはすっぽりと私の後頭部を包み込む。自分のことをそこまで小さいとは考えたことがなかったけれど、彼とのどうしようもない体格差をまざまざと思い知らされる。
「……どうした?」
優しい声色で囁くように聞いてくれる堅治くんに、申し訳ない気持ちになる。堅治くんだって急に泣き出した私に戸惑っているはずだと思うのに、こんな優しい……。
「わかんない……。でも、なんか、急に……怖くなった」
「……今も、怖い?」
「ううん」
私は首を振って答えると堅治くんは顔をしかめる。
「震えてんじゃん」
「……でも……。もう、こわくない……」
「強がってんじゃねぇよ……」
頭では冷静なつもりなのに身体がついていかない。どうやって震えを止めていいのかがわからない。そんな私を彼は、あやすように背中をさすってくれた。
今、怖くないのは本当のこと。さっきも嫌だったから泣いたわけじゃない。なら、なんで怖かったんだろうか? 自分の気持ちにぴったりと合う言葉を探すのが難しい。
「上から覆いかぶされた時」
「……うん」
バツの悪そうな顔をした堅治くんが私を抱く力をゆるめるから、私はその腕にそっと手を添える。
震えが落ち着いてきた。私は結局その時に思ったことを正直に言った。
「食べられちゃうのかと思った」
「俺はクマかよ」
あきれたように笑うけど、一転複雑な表情を私に見せる。彼は口元を手で抑えて少し考えている様子だった。
「ダメだったら突飛ばして」
「うん」
壊れ物を扱うように頬を両手で挟まれ、軽く触れるだけのキスをされた。
「大丈夫。……これは、好き」
そう言うと堅治くんはさっと目を伏せた。
「……ごめん」
「何で謝るの?」
「俺、友紀にいじわるした」
「……」
いじわるって……『目を開けろ』って言ったことなんだろうか。
「どうして?」
「友紀、俺を見てるときは、俺のことだけ考えてくれるかな、と思って」
「え……」
そんなの当たり前に堅治くんのこと……、「考えているよ」と、言おうとして、冷や水を浴びせられたように我に返った。
……私、堅治くんとキスしてる時、『どうやって逃げようか』ってことばかり考えている。
「……」
自分の本音に別の意味で身体が震えそうになる。彼はそれには気づかない様子で続ける。
「そういう時の、友紀がどんな目をしてるか見たくて」
「……うん」
「見たら、抑えが効かなくなって」
「……」
そうだったんだ……。私が堅治くんを『怖い』と思ったのも、そこからだったのかもしれない。点と点がつながった気がする。
「……イヤだった?」
まだ自分の本音がショックで言葉が出ないけれど、イヤじゃなかったのは確かだから首を横に振る。
「じゃあ……」
ごくっと、彼が生唾を飲み込む音が聞こえた。
その瞬間、無意識だけど、表情が作れなくなった。
私を見ている堅治くんは。……恐らくそれに気づいた。
「……いや、今は、まだ、……いいや」
彼が言おうとした言葉を飲み込んだのがわかった。
「ごめんね」
期待させるだけさせておいて先を言わせないのは私のせいなんだと思う。彼の欲からは逃げているくせに、引き延ばして希望を持たせようとする。
そんな私は彼に対して誠実でないのかもしれない。卑怯なのかもしれない。
「謝んなよ。謝るなら、俺の方」
「ううん、……ごめん」
私はそれにはこたえずに、身体を離そうとする堅治くんの背中に白々しく両腕を回した。