8 ヒトメヲシノブ
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人目を忍ぶ
某市体育館。
中にいる人のほとんどがジャージ姿なのに今さら怖気づく。そりゃそうだ。今日は試合なんだから。せめて私服じゃなくて制服で来ればよかったかな……。
いつもの会話の中で、今日が二口くん達の初戦であることは知っている。二口くんからは「来い」とも「来るな」とも言われていない。私からはなんとなく聞けないまま、当日を迎えてしまった。
会場のホールへの通路を歩く。うちは何試合目だろう。きょろきょろしていると後ろから声をかけられた。
「結城?」
よく知っている声にドキッとする。
振り返るとユニフォームの上にジャージの上だけ羽織った二口くんが立っていた。前を開けたジャージから下線のついた『2』の数字が見える。
彼のユニフォーム姿を見るのは初めてだ。すごく似合うなと思いつつ、緑のパンツから伸びる脚に目が行ってしまう。長いし真っすぐだしキレイだな、と見とれそうになってハッと我に返る。
やだ、私まるで変態、と慌てて二口くんの脚から目を離すとニヤニヤ笑う彼とばっちり目が合ってしまった。
「なーに脚ばっかり見てんの、えっち」
「ご、ゴメン、普段見られないから、つい」
「……マジで見てたのかよ」
二口くんは少し引いたように言って苦笑する。
「似てるヤツ入ってきたなーと思ったら、ホントに結城だったからびっくりした。来るなら言ってくれればいいいのに」
「うん。もしかしたら、私が来るのイヤかな、って思っちゃって……」
そう言うと、二口くんはちょっと口をとがらせてため息をつく。
「ヤなわけないだろ。俺の彼女なんだし」
「うん……」
「いや、俺もちゃんと呼べばよかったな。悪い。……何か『来い』って催促するみたいで言えなかった」
「そんなこと思わないよ。私の、か、彼氏なんだし」
謝る二口くんに慌てて同じように返してみたけど、彼みたいにさらっと言えない。できてしまった妙な間に顔を見合わせて二人で吹き出す。
当たり前のように『彼女』と受け入れてくれてすごく嬉しい。
「お互い遠慮してもしょーがねぇのにな」
「そうだね。……あの、試合がんばってね」
「ああ」
二口くんは軽くそう答えると、ちらりと通路の壁にかかっている時計を見た。
「ちょっと友紀、いい?」
「え? うん」
「こっち、来て」
手を引かれてホールを迂回するように通路を奥へと向かう。
「今回シードないから一回戦からなんだよ。キツイのなんのって」
「そっか。大変だね」
「でもまあいつも通りだし。それなりに自信はあるから」
「うん。バレー部のみんななら大丈夫だよ」
彼が足を止めた。人の気配からは遠く離れた階段室の前。
「『いつも通り』って思ったけど、主将ってやっぱ変なプレッシャー来るな」
二口くんは言葉を切って振り返り私を見下ろした。
「丁度いい区切りだし、ルーティンにしていい?」
「……何を?」
「彼女からの激励」
そう言って口元だけ笑った二口くんの腕にふわっと抱きしめられる。
薄いユニフォーム越しに彼の心臓の音が伝わってくる。二口くんがそのまま深呼吸する。彼の胸の上下する動きがそのまま私に伝わる。こんなにくっついたらいつもは私の方がドキドキしてしまうのに、今は彼の心臓の音にかき消されている気がする。
二口くん、相当プレッシャーがかかってるのかな。彼が勝つための儀式として私を必要としてくれるなら嬉しい。けど……、
そっと彼の背中に手を回す。
「ルーティンって言われると……責任重大だね、私」
これで……万が一負けてしまったら。……私はもう二度と見に来てはいけないのかもしれない。
「違うよ、勝つためのルーティンじゃねぇんだよ」
見透かすような低い声に私は震える。
そうだ、そんなこと思うことすら失礼だ。頭の中の弱気を懸命に振り払っていると、今度は優しい声音で二口くんは言う。
「俺が全力を出し切るためだ」
「………」
「だから……責任なんて感じんな。義務でもないし。応援してくれるだけでいいから」
彼の腕に力がこもる。より強く抱きしめられ、自分の勘違いに気づくとともにおこがましさに恥ずかしくなる。
二口くんは強い。私の力なんて必要としていない。
二口くんは優しい。私がちょっとだけ力になれるようにスキを残してくれてる。
それなら……。私ができることは彼を信じて送り出すことだけだ。
「うん、わかった」
出来るだけ明るい声で応える。
そしてありったけの「がんばれ」の思いを込めて、私から彼をぎゅっと抱きしめ返した。
「行ってらっしゃい」
腕を解いて精一杯の笑顔で言うと、彼は目を丸くした直後ににっと笑う。
「これじゃ、新婚さんみてぇ」
少し照れたようにそう言って私の後頭部を引き寄せる。私に注ぐ柔らかいまなざしに胸がきゅっとなった瞬間、ちゅっと額にキスをされた。
「……じゃ、行ってくる」
笑いかけてはくれていたけど、眼はもう私を見ていなかった。後ろ手を振りながらも、彼は一度も振り返らずに走って行く。
その彼の後ろ姿を見送りながら『新婚さんみたい』という言葉が時間差で効いてきて、私は額に手をやり一人で赤面していた。
某市体育館。
中にいる人のほとんどがジャージ姿なのに今さら怖気づく。そりゃそうだ。今日は試合なんだから。せめて私服じゃなくて制服で来ればよかったかな……。
いつもの会話の中で、今日が二口くん達の初戦であることは知っている。二口くんからは「来い」とも「来るな」とも言われていない。私からはなんとなく聞けないまま、当日を迎えてしまった。
会場のホールへの通路を歩く。うちは何試合目だろう。きょろきょろしていると後ろから声をかけられた。
「結城?」
よく知っている声にドキッとする。
振り返るとユニフォームの上にジャージの上だけ羽織った二口くんが立っていた。前を開けたジャージから下線のついた『2』の数字が見える。
彼のユニフォーム姿を見るのは初めてだ。すごく似合うなと思いつつ、緑のパンツから伸びる脚に目が行ってしまう。長いし真っすぐだしキレイだな、と見とれそうになってハッと我に返る。
やだ、私まるで変態、と慌てて二口くんの脚から目を離すとニヤニヤ笑う彼とばっちり目が合ってしまった。
「なーに脚ばっかり見てんの、えっち」
「ご、ゴメン、普段見られないから、つい」
「……マジで見てたのかよ」
二口くんは少し引いたように言って苦笑する。
「似てるヤツ入ってきたなーと思ったら、ホントに結城だったからびっくりした。来るなら言ってくれればいいいのに」
「うん。もしかしたら、私が来るのイヤかな、って思っちゃって……」
そう言うと、二口くんはちょっと口をとがらせてため息をつく。
「ヤなわけないだろ。俺の彼女なんだし」
「うん……」
「いや、俺もちゃんと呼べばよかったな。悪い。……何か『来い』って催促するみたいで言えなかった」
「そんなこと思わないよ。私の、か、彼氏なんだし」
謝る二口くんに慌てて同じように返してみたけど、彼みたいにさらっと言えない。できてしまった妙な間に顔を見合わせて二人で吹き出す。
当たり前のように『彼女』と受け入れてくれてすごく嬉しい。
「お互い遠慮してもしょーがねぇのにな」
「そうだね。……あの、試合がんばってね」
「ああ」
二口くんは軽くそう答えると、ちらりと通路の壁にかかっている時計を見た。
「ちょっと友紀、いい?」
「え? うん」
「こっち、来て」
手を引かれてホールを迂回するように通路を奥へと向かう。
「今回シードないから一回戦からなんだよ。キツイのなんのって」
「そっか。大変だね」
「でもまあいつも通りだし。それなりに自信はあるから」
「うん。バレー部のみんななら大丈夫だよ」
彼が足を止めた。人の気配からは遠く離れた階段室の前。
「『いつも通り』って思ったけど、主将ってやっぱ変なプレッシャー来るな」
二口くんは言葉を切って振り返り私を見下ろした。
「丁度いい区切りだし、ルーティンにしていい?」
「……何を?」
「彼女からの激励」
そう言って口元だけ笑った二口くんの腕にふわっと抱きしめられる。
薄いユニフォーム越しに彼の心臓の音が伝わってくる。二口くんがそのまま深呼吸する。彼の胸の上下する動きがそのまま私に伝わる。こんなにくっついたらいつもは私の方がドキドキしてしまうのに、今は彼の心臓の音にかき消されている気がする。
二口くん、相当プレッシャーがかかってるのかな。彼が勝つための儀式として私を必要としてくれるなら嬉しい。けど……、
そっと彼の背中に手を回す。
「ルーティンって言われると……責任重大だね、私」
これで……万が一負けてしまったら。……私はもう二度と見に来てはいけないのかもしれない。
「違うよ、勝つためのルーティンじゃねぇんだよ」
見透かすような低い声に私は震える。
そうだ、そんなこと思うことすら失礼だ。頭の中の弱気を懸命に振り払っていると、今度は優しい声音で二口くんは言う。
「俺が全力を出し切るためだ」
「………」
「だから……責任なんて感じんな。義務でもないし。応援してくれるだけでいいから」
彼の腕に力がこもる。より強く抱きしめられ、自分の勘違いに気づくとともにおこがましさに恥ずかしくなる。
二口くんは強い。私の力なんて必要としていない。
二口くんは優しい。私がちょっとだけ力になれるようにスキを残してくれてる。
それなら……。私ができることは彼を信じて送り出すことだけだ。
「うん、わかった」
出来るだけ明るい声で応える。
そしてありったけの「がんばれ」の思いを込めて、私から彼をぎゅっと抱きしめ返した。
「行ってらっしゃい」
腕を解いて精一杯の笑顔で言うと、彼は目を丸くした直後ににっと笑う。
「これじゃ、新婚さんみてぇ」
少し照れたようにそう言って私の後頭部を引き寄せる。私に注ぐ柔らかいまなざしに胸がきゅっとなった瞬間、ちゅっと額にキスをされた。
「……じゃ、行ってくる」
笑いかけてはくれていたけど、眼はもう私を見ていなかった。後ろ手を振りながらも、彼は一度も振り返らずに走って行く。
その彼の後ろ姿を見送りながら『新婚さんみたい』という言葉が時間差で効いてきて、私は額に手をやり一人で赤面していた。