Persona
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「オッスオッス。ごろーくん。花火見にいこ」
モニターに映し出されている女はへらへらとした笑みを引っ提げていた。エントランスに女以外は居らず、声が反響していた。マンションのオートロックを解除するボタンを押すことなく、その様子を眺める。ほどなくして画面が暗転し、明智は廊下から立ち去ろうとした──が、再び来客を知らせるインターホンとともに液晶が点灯する。反転しかけた体を捻り、明智は舌打ちをしながら通話ボタンを押した。
「お前は完全に包囲されている。観念しろ」
「……うるさいんだけど」
「あ、でたでた。ね、花火大会」
「ついに頭でもおかしくなった?あぁ、ごめん。元からだっけ」
「とりあえず中いれてよ。まじ暑いの外。助けて」
ぶっ殺すぞ。口をついて出そうになった殺害予告を喉の奥に引っ込めて、冷静を装うべく言葉を選ぶ。「殺すよ」語尾が丸くなっただけの暴言が出てきた。なまえは大袈裟に怖い怖いと騒いでいたが、その両頬は食べ頃の林檎よりも紅潮してしまっている。時折ぱたぱたと扇ぐようにして熱を逃がすなまえを、自業自得だと鼻で笑ってやればいい。さっさと帰って好きなだけ涼んでろと言い残し、今度こそ無視を決め込む。
意気込んだ明智が伸ばした指の先は解除ボタンだった。
「ふぃ~涼しい~生き返る~」
我が物顔でソファを占領するなまえは、文字通り溶けてしまいそうなほど脱力していた。よほどの猛暑だったであろうことは百も承知だが、それとこれとは別。許可を出す前に押し掛けてきたなまえが悪いのだから、追い返されても文句は言えまい。ところが、意に反してなまえの侵入を許してしまったのは紛れもない自分で、冷房の温度まで下げている始末だ。なまえを受け入れる準備を着々と進めてしまっている事実が心底腹立たしかった。洗面所からフェイスタオルを取り出し、明智はやりきれない感情ごとなまえへ投げつけた。
「うぶ、びっくりした」
「さっさと拭きなよ。汚いんだけど」
「大丈夫。わたしのソファじゃないから」
「なるほど。それは君の家に郵送しておくよ。もちろん着払いで」
タオルで自身を撫でつけるなまえをしり目に、明智の身体は冷蔵庫へと向かっていく。棚からグラスを取り出し、適当な飲み水を注ぎこむ。ソファの上で唸り声を上げる真っ赤な頬に近付き、ぴとりとグラスを当ててやる。うぎゃあ、と汚い悲鳴を上げたなまえへ持っていたそれを手渡した。
何で僕がここまでしてやらなきゃならないんだよ。勝手に世話を焼き始めた自身に向かって尋ねても、当然返答はなかった。幸せそうに水を飲み干すなまえを見て、若干の達成感を得ている意味も、何もわからない。わかりたくない。腹いせになまえをソファの端に追いやって無理やり隣へ腰を下ろした。
「ちょぉ~暑いって」
「熱中症じゃないの」
「ねっ、ちゅう、しよ……」
「……………」
「あ、これ本気でキレてるときのやつだ」
赤く火照る頬はそのままに、わざとらしく口を尖らせたなまえは「ネタが古いくらいつっこんでよ」と未だ反省の色が見られない。沸点を振り切った明智はなまえへ腕を伸ばし、首もとを肘で挟みこむ。ソファに預けていた身体を引き剥がされ、明智の胸に背をぶつけたなまえは、待って待ってと声を上げた。なまえの身体はじっとりと熱を持ったままで、ふざけている場合じゃないだろ、とつい本音が出そうになる。
「死ぬ!これ死ぬやつ!」
「頸動脈を締め上げるだけだから気絶で済むよ。よかったね。静かになるし」
「お許しを!お慈悲を!」
「だったら大人しくしてなよ」
こくこくと必死に頷くなまえを見届けて、明智は腕の力を抜いた。途端に飛び退いて汗ばんだ肌が気持ち悪いだのと騒ぐなまえに聞こえるように舌打ちをした。
やっぱり落としておくべきだったか。汗ばんでるのはそっちなんだよ。言いがかりもいいところだ。ふつふつと湧いてくる怒りの数々は、赤みの引かない頬を見るなり消えていく。仕方なくエアコンの温度を下げていると、ツンデレか?と隣から茶化される。死ね、とだけ返しておいた。
ふと壁掛け時計へ目をやると、短針はやや左上を指していた。世間が活気づく時間帯よりも少し前。前日に連絡があるならまだしも、当日の朝、家主の許可なく上がり込める神経を疑う。どう考えてもおかしいのはなまえで、それを許している自分自身の甘さに嫌気が差した。
普段から風船のようにふわふわした奴だと思っていたけれど、今日は一段と磨きがかかっているようだ。傍迷惑にも程がある。いくら抜けてるとはいえ、ある程度の常識くらい心得ていると期待したのが馬鹿だった。はぁ、とため息をついた明智は、手元にあった雑誌でなまえを扇いでいた。
だから何でここまでしてやらなきゃいけないんだよ。なまえは協力関係にある、今死なれたら面倒だ。いや、別に支障ないだろ。こんな奴が消えても。行動に理由をつけようと自問自答を繰り返す明智に、なまえから「ありがと」と感謝の言葉がかけられる。まぁいいけど、と満更でもない心の声が聞こえて苛々した。何も良くない。
「で、花火だっけ。例のメンツと行ったんだろ」
「それがさーゲリラがゲリゲリなって見れなかった」
「言語を話してくれ」
「予報外れの豪雨に見舞われ、花火大会は中止になりました。ずぶ濡れになりました」
「知ってる」
「言い直させた意味」
扇いでいた雑誌をなまえへ近付け、顔面に叩きつける。やると思った!とおかしそうに笑うなまえは、こう見えても社長令嬢だ。気品が感じられない言動は、庶民を味わうためにやっているらしい。いいご身分だ。
大企業の社長である父親は、利益のために獅童と繋がっていて、明智が依頼を請け負ったこともある。そんななまえの父親が掲げた家訓「長いものには巻かれろ」で育ったなまえは、寄らば大樹の陰が口癖になっていた。権力がある者に媚を売り、適度に話を合わせる。ひとたび劣勢と捉えるなり姿を消す、要領の良さで言えば一流のレベルだった。学生とは思えないほどませた態度は、下劣な大人が生んだ被害者そのもの。
それを悲観するでもなく、暢気に父親に加担するなまえの真意は今も解き明かせていない。何度問い質してもなまえが本心を吐露することはなかった。
だから余計に、今回の一件が気にかかる。
「とりあえずいこ。近場のやつ」
「………本気で言ってる?なまえと違って暇じゃないんだけど」
「ぱーっと行ってすぐ帰ってくればいーじゃん」
「今は怪盗団を潰す計画の初期段階、重要な時期だ。断る。というか、それくらいわかってるんだろ」
「わかってるよ」
ばち、とぶつかる視線は真剣なもので、明智は扇いでいた手を止める。都合よく秀尽に通うなまえに課せられた仕事は怪盗団の監視だ。スパイとしての役割と、計画の全貌を知っていてもなお、折れるつもりはないらしい。自分の意見を押し通すことなど皆無に等しいなまえの静かな抵抗。普段ならばあり得ない行動に、明智は違和感を覚えるものの、指摘するにはまだ早いと思考を巡らせる。炎天下の中、わざわざ足を運んできた理由。無意識になまえの足元へ目を向けると、ほんのり赤く染まっていた。まさか日焼け止めを塗っていないなんてこと……さすがにないか。色白の肌が赤く色付くほどの日差しなのであれば、シミになる以前に肌にとって良くないだろう。塗り直しをしたほうが
バシ、となまえの足を雑誌で叩き、脱線しかけた思考を打ち切った。
「あいた!?」
「こっちも暑そうだったから」
「たった今暑くなったよ!この変態!」
「見られたくないなら出さなければいい」
「それ痴漢する奴らの言い分と一緒だからね。出てたから触ったって」
「なまえの身体を触りたいと思う物好きは存在しないから安心しなよ」
「そういう問題じゃない!」
ぎゃあぎゃあと騒ぎ立てるなまえをしり目に、明智は雑誌を机へ放り投げた。今の一瞬だけに絞るならなまえに非は微塵もない。意図的に論点をすり替えたわけだし、なまえの言い分は妥当なものだ。いつまでも前進しない話題に痺れを切らしかけてもいた。それでも、なまえの足なんかに気を取られ、思考回路を乱されたなんて認めたくない。足を投げ出すなまえが悪い、と理不尽な主張を重ねる明智に、はいはいとなまえが折れた。それはそれで気に入らない。さすがに今のは滅茶苦茶な言い分だと飲み込んでおいたが。
リモコンへ手を伸ばす明智の意図を知ってか知らずか何の話だったっけ、となまえは間を区切った。好都合だと言わんばかりに「花火だろ」と明智は渋い顔を作ってみせる。「あ、それだ」何ら疑問に持つ素振りを見せないなまえに向かって心中で呟く。脱線させたの僕だけど。なまえが馬鹿でよかった。
「インタビューされたとき、僕の夏休みは怪盗団で潰れました!じゃ味気ないじゃん?あの探偵王子の夏休みだよ?」
「花火大会行きました、と何ら変わらないように聞こえるけど」
「美女と行きましたって」
「あぁ、去年の誕生日プレゼントは鏡にするんだった」
「毎年律儀にくれるごろーくんのこと好きだよ」
「あぁ、去年の誕生日プレゼントは補聴器にするんだった」
「それもう今年でいいじゃん」
一丁前にプレゼントの催促をしてきたなまえは、相変わらずへらへらしている。いいからいこ。最悪コンビニで買ったやつでもいいから。食い下がってくるなまえは、違和感があるようでそうでない気もする。何度頭を捻ったところで答えが見つかるわけでもなく、かといって放っておくこともできない。怪盗団を出し抜くためでもあるが、何より明智自身の計画を邪魔されるなどもってのほか。なまえにはまだ話していない獅童への復讐をぶち壊されるわけにはいかない。たとえなまえであろうと立派な情報源。利用できる駒が多いに越したことはない。
ゆえに、これは致し方なく、だ。
「…………見たらすぐ帰るよ」
「ごろーくん!!」
エアコンの温度を調整しながらぽそりと了承を出すと、なまえは弾けるような笑顔を浮かべ、汗ばんだ肌を明智へ密着させた。じっとりと湿る衣服に、女性物の着替えなんて持ってない。風邪引かれたら面倒だ。と早くもなまえの心配をしかけた自身から目を逸らすようにして、明智はくっついてきた身体を引き剥がした。
▽
日が傾き出す前に乗り込んだ電車は、目的地に向かって進んでいる。同じ車両の乗客は、色鮮やかな着物に身を包んでいて華々しく見えた。少なくとも隣で暑い暑いと文句を垂れている女よりは。持参した扇子で生暖かい風を循環させるなまえは、つり革を掴む気がないらしい。そうこうしているうちに電車が強く揺れ、なまえの身体がふらつきだす。このまま着飾る女性陣に衝突して、顰蹙を買うなまえを眺めるのもいいかもしれない。
「………っぶな。ありがと」
赤の他人を装おうとする意思とは裏腹に、明智の腕はなまえの肩を抱き寄せていた。じんわりした温度が伝わってきてすかさず手を離す。ただでさえ目立ちたくないのに、人目を引くようなことをするな。そういう意味をこめて鋭く睨みつけるも、なまえはへらりと笑うだけだった。こいつ、こいつは本当に。そういうへらへらしたところが気に入らない。
腕を引っ込める寸前で、明智はなまえから扇子を奪い取った。
「あ、」
「そこ、掴みなよ」
視線だけで手すりを掴むよう促すと、物言いたげななまえが口を開く。明らかに「お」を型どっている口元を見るなり、取り上げた扇子を目一杯振り上げた。咄嗟に目を瞑ったなまえが口を閉ざしたのを見届け、明智は内心胸を撫で下ろした。こいつ、絶対名前呼ぶつもりだった。容姿と名前が一致してみろ。すぐにでもバレるぞ。何でそんなこともわからないんだよ。苛立ちを募らせる明智とは対照的に、なまえは楽しげに目を細めていた。
「なんかいいね。こういうの」
扇子を奪われたにも関わらず、なまえはだらしなく頬を緩ませている。あまりにマイペースすぎる、とさすがに指摘してやろうとした明智は、耳に入ってきた声に口をつぐんだ。ねぇ、あの人もしかして。ぼそぼそした声とワードにぴたりと動きを止める。無遠慮にやってくる視線は間違いなく自分へ向けられていて、それ見たことか、とため息をついた。
非常に不愉快極まりないけれど、こんなところで囲まれるよりマシだ。扇子で自身を扇ぎながら、明智は口を開いた。
「暑いだろ。ざまぁみろ」
「ひどい!わたしのことも扇いでよ!」
「この俺に扇いでほしいなら上目遣いで懇願してみろ」
「………え?どした、暑さで脳細胞死滅した?」
心配そうに眉を下げたなまえを、いいからさっさとしろ、と極力低い声で威圧する。明智の意図を汲み取れきれていないなまえは、困惑しつつも「扇いでください……」と呟いた。元より身長差があるのだからいちいち俯く必要なんてないだろうに。律儀に指示を守ったなまえに、胸の奥がむず痒い感じがしたのは気のせいに違いない。
ふん、と意味もなく鼻で笑った明智は、徐々に不服そうな顔を作るなまえから目を逸らした。本命はこっちじゃない。聞き耳を立てながら周囲へ意識を飛ばすと「明智くんってあんな感じだっけ」「だいぶ痛い俺様キャラなんだけど」「見た目真似すればモテると思ったんじゃない」好き放題言ってくれているらしい声。うるせぇな。うわべしか見てないくせに。素で飛び出そうになる不満を押し込み、目の前のなまえへと意識を戻した。ひとまず身バレは避けられたらしい。どっと疲れが押し寄せる明智へ、容赦なくやってくる不機嫌な顔。
「なに今の。言葉責めってやつ?こんなところで。………うわぁ」
「ぶっ殺すぞ」
誰のためにしてやったと思ってんだ。頼まれてもいないそれを口にするわけにもいかず、明智は奥歯を噛み締めた。結局出てきてしまった暴言にもうどうにでもなれ、と開き直る。それもこれも全部なまえが悪い。無視をする方向にシフトチェンジして、持ったままの扇子を動かした。沈黙しながらじっと眺めていたなまえから、どうせごちゃごちゃ言われるのだろうと眉根を寄せた明智は、
「……花火、楽しみだね」
内緒話のようにぽつりと呟かれたものに、嬉しそうな声音に、毒気を抜かれてしまった。なんだよそれ。こういうときばっかり、お前、本当。そういうところが気に食わないんだよ。ぐるぐると胸中で回り続ける不快感に混じる、幸福に近い何か。こんなやつ相手に冗談じゃないし、くだらない娯楽を満喫している暇などない。
「浮かれすぎ」
能天気だと一蹴してやるために用意した言葉は、若干マイルドなものになった。案内表示画面に目をやるなまえは、上機嫌を隠そうともせずに笑みを浮かべている。飄々としているのはいつものことなのに。健気になまえへぬるい風を送っている自分自身も、薄れていく不快感も、その理由も、明智にはわからなかった。
▽
「ねぇ、まだ買うの」
「花火と言ったらお祭り!お祭りと言ったら屋台!屋台と言ったらイ~ヤッホ~!」
「おい言語」
妙にはしゃいでいるなまえは、小躍りでもしそうな勢いで騒いでいた。大袈裟すぎる反応に、しかし悪い気がしないのも事実で、それがまた明智の心に蟠りを生じさせた。日が落ちても蒸し暑さは引かず、道端で無料配布されていた団扇で自身を扇ぎながら、明智は持たされた荷物へ目を落とした。屋台と言ったらイ~ヤッホ~に含まれている品々に、強欲すぎるだろ、と独りごちる。いくつ買えば気が済むんだ。ちゃんと食べきるんだろうな。呆れる明智など露知らず、お目当ての屋台を見つけたらしいなまえに腕を引っ張られる。
「お面!」
「いらない」
即座に切り捨てるとなまえはわざとらしく膨れていた。ケチ。どの辺がケチだ。ちょっとくらいいいじゃん。君のさじ加減を疑うよ。屋台の通路で押し問答を続ける二人に、無論やってくる視線。買うまでは動かない、とでも言うように駄々を捏ねるなまえは、スーパーで見かける子供に似ている。精神年齢の退行は勘弁してもらいたい。なまえがつける分には一向に構わないけど、この反応、どう見てもこちらに飛び火させる気満々だ。
とはいえこのまま注目を浴び続けるわけにもいかず、明智はそれはそれは長いため息をついて、好きにしなよと了承を出した。
「じゃあ…………このプリキュ」
「却下」
「キュアマカロンなのに」
「なまえがつければいいだろ」
会計を済ませたなまえの手には、女児向けの面ともう一つ。さっそくと言わんばかりに面をつけたなまえは、顔面だけカラフルに彩られていてシュールだった。これといった感想を述べずに歩きだそうとした明智に、当然のように差し出される面。一度了承を出した手前、主張を二転三転させるような真似は明智の信念が許さない。加えてなまえの「それつけとけばごろーくんってわからないよ」というまあまあ筋の通った意見に一理あると思ったが最後。観念したようにそれを受け取った明智は、渋々広げた紐を後頭部へ回した。
「似合わない!シュール!」
お前もだろ。返事をするかわりに、明智はなまえを小突いてやった。笑い声を上げるなまえは、面の奥で腹の立つ顔をしているのだろう。今日は本当に機嫌がいいらしいなまえが手を叩いて笑っている。人の往来にかき消されることなく耳に届いたそれは、やけに乾いていた気がした。
▽
いや、買いすぎだろ。
購入したものを出店のように広げ出すなまえを見て、明智は静かに息を吐いた。祭りで食べる焼きそばは異様においしい、というなまえの謎主張から二人分買ったのだから当然だ。事前に敷いておいたビニールシート上を占領する品々は、屋台を代表するものばかりで夏を感じる。
余談だが、屋台のじゃんけんは根こそぎ負けた。機嫌に反して運はないらしい。ついてないねって茶化したら、釣られたようになまえも笑っていた。万が一勝ち越していたら倍は食べつくさなきゃいけないのだから、今回ばかりはなまえの不運に感謝した。
一つずつ片付けてしまおうと伸ばした手に、問答無用で乗せられる焼きそば。選択権くらい寄越せと言いかけた明智の声に、遠くのアナウンスが重なる。暗闇を照らす光が放たれ、ぱらぱらと響き出した乾いた音。心地よく耳を撫ぜたそれを皮切りに、力強い轟音に胸を打たれた。
「始まったね」
渡されたフードパックを広げながら、夜空を彩る大輪を眺める。まさに夏の風物詩といったもので、風情とやらを感じなくもない。猛暑の中、性懲りもなくこれを眺めるために集まる大衆心理に、殊勝なことだと鼻で笑っていたのは去年のこと。よもや自分が同じ土俵に上がる日がくるなんて想定外で、なまえに誘われでもしなければ一生なかったかもしれないな。と、明智は自身を巻き込んだ張本人へと目を向ける。
てっきり花火へ気を取られているものだと思っていたなまえの意識は、真っ直ぐ明智へ注がれていて目を見張る。
「ごろーくんはさぁ、何が目的なの?」
目付きを真剣なものへと変えたなまえは、感情の読み取れない声音で呟いた。途端に周囲の時間が止められたような錯覚に襲われ、明智は割り箸を分断しかけた手を止める。急に何だ。今に始まったことじゃないにしたって唐突すぎる。素早く思考を駆け巡らせた明智も、いくらか気を引き締めた。
「どういう意味?」
「単刀直入に聞くけど、本心から獅童さんに手を貸してるの?」
は、と言いかけたものを咄嗟に引っ込めた。どうしてそんなことを聞くのか。一度だって獅童への恨み言を漏らしたことなどなかったのに。なまえの狙いが、わからない。動揺を隠すようにして、一つ一つ言葉を選んでいく。
「…さぁ、どうだろう」
「寄らば大樹の陰。わたしは利益があるほうにしかつかない。そう決めてる」
「知ってるよ」
「取捨選択をしようかなって」
ぱち、となまえが瞬きをした。揺れる睫毛の先にきらきらと光が反射する。
「ごろーくんは特別な力を持ってる。それは、怪盗団のリーダーも同じ」
「何が言いたいの」
「ごろーくんと怪盗団、秤に掛けさせてもらったよ」
一瞬の間。その言葉の意味を理解するより先に、明智の手はスマホを掴んでいた。弾みで持っていたパックの中身が飛び出ていたけれど、構っている暇はなかった。
わざわざこんなところへ誘って、自分を連れ出してまでなまえがしたかったこと。それは。
「………恐ろしい女だよ、全く。つまり君は、僕たちを──実の父親を売ったってことか。覚悟はできてるんだろうね。君の始末は僕に一任されるだろう。はっきり言って造作もないよ」
廃人化ビジネスや怪盗団を利用した計画、全てを暴露して寝返った。報告してきた理由は検討もつかないが、行き着く答えはそれしかなかった。ただの人間であるなまえを消すなんて容易なものだ。異世界に連れ込むなり、心を壊すなり、好きにしてしまえばいい。なまえが目的を邪魔するのならば、いつものように始末するだけ。
そのはずなのに。裏切られた、と理解した明智が最初に抱いた感情は、恨みじゃなかったことも、スマホを持つ手に力が入ってしまっていることも、何もかも納得がいかなかった。
何なんだよ、こいつは。絡みだした感情に突き動かされるまま鋭くなまえを睨みつける。いつかこうなる日がくることも。そこから目を背けていたことも。それをあっさりとしてのけたなまえも。全部が馬鹿馬鹿しくて消してしまいたかった。最初から協力なんて反吐が出ると突っぱねていればこんな気持ちにはならなかった。後悔の念と自身への苛立ち、そこに混ざる喪失感も無かったことにしてしまいたい。
今すぐにでも、消す。
「売ってないよ。だからここで提案。わたしと手を組みませんか」
「……………は?」
打ち上がる花火には目もくれず、なまえの両眼は変わらず明智を映していた。再び絡まりだした感情と思考を強引にほどいていく。たった今辿り着いたばかりの結論は、無理にでも頭の隅へ追いやった。そうでもしないと、いやそれをしたとしても。なまえの真意が読めないことが歯痒くて、明智は冷静な自分をイメージし続けた。
「言ってる意味がわからないんだけど」
「そのまんまだよ」
ますます理解が追いつかない返答に、負けじと頭を働かせる。
「何が狙いだ」
「なーんも。ただ、ふと思ったんだよね。父さんみたいに大勢の恨みを買ったら、ろくな死に方しないって。………身内の恩恵で楽して甘い汁すすって、あとは穏やかに余生を過ごしたいなって」
何がきてもいいように、と身構えた明智へやってきたのはあまりに通俗的すぎるもので、滑り落ちるように「クズだね、親子揃って」と感想を漏らした。「………ごろーくんも人のこと言えないでしょ」即座に返ってきたそれに、明智は沈黙する。獅童と血縁関係にある、とまでは思っていないにしても、ふ、と笑みを作ったなまえに見透かされているようで気味が悪かった。
「わたしはごろーくんにつくよ」
そんな台詞をぬけぬけと言えるなまえが、ひたすらに気味悪い、のに。
「それを信じるに値するだけの材料がないんだけど」
意に反して口から出ていったものは、どういうわけかなまえの真偽を推し量る言葉に他ならなくて、この期に及んでなまえを信用しようとしている自分が、とびきり理解できなかった。
数秒、思案するように泳がされた視線がもう一度合わさる。
「………これから先、どんな理由があろうとも。父さんや獅童さんのためじゃない。他でもないあなたのために生きるよ。情報も全部あげる。約束。……だからさ、くたばるその日まで、狡く楽しくやろうよ」
一際大きな花火が打ち上がり、なまえの瞳に閃光が走る。瞼の裏に焼きつきそうなほどの、一瞬の煌めき。瞬きをすることすら憚られるそれから、目が離せない。
のらりくらりと生きてきたなまえが、初めて吐露したであろう胸の内。率直に言って醜悪そのものだった。或いは今のも戯れ言に過ぎなくて、どこまで落ちても見通せないのかもしれない。いつ見限るとも知れない人物をそばに置くなんて、デメリットでしかないのに。
なまえの瞳に散りばめられた煌めきに、強く惹かれた。
「わたしの言い分はこんなところかな。ごろーくんは、どうする?」
期待と不安が入り交じった双眸は、じぃ、とこちらを見据えている。明智の目的も、獅童との関係も。なまえは何一つ知らないくせに、自分を選択したらしい。あとはその手を取るか、否か。答えはとっくの昔に出ていたようで、そうでない気もする。放っておいたらふらふらとどこかへ行ってしまいそうななまえは、誰かが上手くコントロールしてやるべきだ。なまじ才能はあるのだから、先導してやれば輝くのだろう。適任は他でもない。迷うことなく選んだ答えに、明智は不敵な笑みを浮かべた。
「返事なんていらないだろ」
耳をつんざくほどの爆音と夜空に咲き誇る大輪。一瞬の煌めきがまた、なまえの瞳の中で揺らめいている。へにゃ、とだらしなく頬を緩ませたなまえは、徐々に顔を赤らめていく。今朝とは違う理由で染まっていく頬の上で、愛おしそうに細められた両眼。そこに映る自分もまた、似たり寄ったりといった表情をしていた。悪くない、なんて余計なことを口走ってしまう前に、緩みきった頬へ向かって手を伸ばした。
2020.8.20
なげぇ 少々予定からズレましたね
2023.10.27
感電の面汚しです
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