Persona
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突然ですが、わたしは死にました。
いきなり何言ってんだとお思いでしょう。赤の他人からまったく同じ発言をされたらわたしだってそうなる。寝言は寝て言え。ええ、ええ、仰る通りだと思います。悪い夢なら覚めてほしい。今をときめく10代ですよ?まだまだやりたいことがたくさん……あったような、そうでないような。何かを始めるのに年齢は関係ないって言うけどさ、実際早く始めるに越したことないでしょ。……え?まだシラを切るつもりだろって。そっちこそいつまでわたしのこと無視するつもりなんですか。そろそろこの一人茶番もしんどくなってきたのですが。
ねぇ、
「……ねぇお姉さん!」
歩道のど真ん中で両手を広げ、行く手を遮ってみせる。とおせんぼをしたわたしの身体をすり抜けていった女性は、こちらに一瞥もくれずに立ち去ってしまった。
これ見たことある。頭を通り抜ければ50点!なんて愉快なゲームだどこが愉快だっていうのよ!のやつ。振り上げた拳は行き場を失い、空を切る音も生まなかった。
ざっと見積もって数十分。道行く人に以上のことを繰り返したわたしは、ひとつの結論に行きついた。
わたしは死んだ。死んだから魂だけの存在になり、誰にも見えなくなってしまった。いわゆる幽霊的な。それを裏づけるように、わたしの身体は若干宙へ浮いている。ドラえもんか。土足で家に上がったら汚いもんね。やかましいわ。浮遊をイメージすると上昇していくこともできるらしい。タケコプターか。いい加減その発想から離れろ。虚しいノリつっこみが空へ溶けていった。
人の往来が激しいセントラル街は、ありふれた日常を送ろうとしている。待ち合わせをする人。演説をする人。それらを見下ろしながらブチ公へ腰掛けた。腰掛けるといっても、膝を折って空中へ浮いていることを「座る」と表現できるか微妙なところだけど、幽霊に常識なんて通用しない。何でもありなんじゃい。散々宙を彷徨った結果、開き直ることを選んだわたしは、誰に言い訳するでもなくぼやいた。
相変わらずこうなる前の記憶は曖昧で、世界に取り残されたような疎外感だけが胸を占めていた。なぜここにいるか。本当に死んでしまったのか。成仏とやらは起きないのか。何ひとつ情報はなくて、それが余計に不安を煽っていった。
せめて気丈であろうとした分だけ、心が擦りきれていくようだ。疲労を感じない身体から目を逸らしたくて、自分の膝へと顔を埋める。
ある、感覚が。わたしにはあって、だけど周囲の人間に干渉することはできないそれが。歪な世界が気持ち悪くて仕方ないのに、歪んだのは他ならないわたし自身。考えれば考えるほど出口が見えなくなって、思考を投げ出してしまいたかった。
「………こんなところにいたのか」
目の前の男性からそう聞こえてきた。膝の隙間からじっとりと睨みつけながら、わたしはもう一度顔を埋めた。
みんなはいいよね。探して見つけてもらえてさ。金輪際ブチ公前で待ち合わせしたやつ、みんなタンスの角に足の小指ぶつけろ。ささいな不幸にちょっぴり嫌な気持ちになれ。
陰気な呪いをかけていると、バシ、と小気味いい音とともに痛覚が走った。すぐさま顔を上げた。
今、だって今、頭。
「今でしょ!?」
「ふっる……」
「間違えた。今頭に触ったでしょ!?」
「どう間違えるんだよ、それを」
呆れたように首を振った男性と目が合う。
間違いない、このひとはわたしが見えている。わたしの頭に触れた左腕を逃すまいとしがみつく。彼の眉間の皺が寄った気がした。今のわたしに彼を気遣う余裕なんか残っていなくて、ありったけの不安をぶちまけようと口を開いた。
「よか、った。わたし、こんなになって……心細くて……」
「そう思うなら競技場から離れないでほしかったんだけど」
「……競技場?」
「そうだよ。競技場建設予定地、今は丸喜が主として君臨するパレスに成り下がったけどね」
「パレス……?何いってんの」
「とぼけるのも大概にしなよ。なまえの捜索へ割いた分だけそばにいることもできただろ」
「あのオニーサン……なぜわたしの名前をご存知で?」
「はぁ?」
面白くなさそうに目を細めて、笑えないんだけど、と尖った声で彼は言った。冗談を言っているとは思えない様子に、しかしこちらも負けじと主張をする。
気がついたらここにいたこと。今に至るまでの記憶がないこと。誰にも認知されない恐怖に押し潰されてしまいそうだったこと。最後のものはつい口を滑らせてしまったし、目頭がじんわりと熱くなるものだから、わたしの声も尻すぼみになっていたと思う。
彼は口を挟まず耳を傾けていてくれて、今度は鼻の奥がつんとした。やばい、泣く。視界が潤んでしまう前に、ぱたぱたと手で扇いでおいた。けれど、仕草を目で追っていた彼にはお見通しだったのだろう。しがみついたままの腕を引き剥がされて、抗議をするよりも先に頭を撫でられる。その優しい手つきに、また泣きそうになった。
「悪かったよ。……と言いたいところだけど、本当に何も思い出せないの?」
「全然、全く、微塵も」
「海馬機能もイカれるのか。興味深いね」
「カイバ?滅びのバーストストリームの人?」
「記憶のことだよ」
華麗に無視を決め込む彼に、腕を掴まれる。引かれるがままブチ公から飛び降りた──のだけど、重量を感じない身体はふわりと空中に浮いてしまう。それを気にかけるでもなく、彼に強引に引き寄せられる。周囲にはどう映ってるんだろう、と視線を泳がせているうちに、たやすく抱きとめられていた。
そして気づいてしまった。引き寄せる彼もまた、同じように浮遊していることに。
「お化けに引力……!」
「お互いさまだろ」
伸びてきた手が、わたしの両頬をぎゅっと持ち上げる。
引きつった笑みのまま痛いと訴えると、変な顔、と嘲笑混じりに貶された。じたばたと暴れて彼の腕から逃れようともがいていると、強い力で押さえこまれてぎょっとする。
抱きしめられてる、と認識した。とき。
瞬く間に縮められた距離に、眼前に迫る顔を見た瞬間、ぴり、とこめかみに痺れが広がった。ちかちかと明滅する視界の中、ぼんやり浮かび上がった輪郭と、目の前の彼が重なった。
「ねぇなまえ」
わたしは、この声を知っている。頬にかかる長めの髪も。愛おしそうに細められた鳶色も。見るのは、初めてじゃ、ない。
「どうしてこうなったか、知りたい?」
悪戯に口の端を上げた顔に、びりびりと脳が痺れて仕方ない、のに。記憶の蓋は開いてくれなくて、もどかしさばかり募っていく。
何か、とんでもなく大きなことを忘れている。早く思い出さなきゃいけない。胸騒ぎに急かされるようにして、わたしはゆっくりと頷いた。
「そうだね、どこから話そうか。…………あぁ、これが先か。僕の名前は───」
その声が鼓膜に届くよりも先に、全身に電撃が駆けめぐった。靄が晴れていくと、わずかに開いた隙間からどっと記憶が押し寄せてくる。散り散りになってしまったそれらを組み合わせていく。
ぐちゃぐちゃになった最後のページのひとつ前。庇うように伸びてきた腕の中にわたしがいる。次に瞬きをすると、わたしの視界は鮮血で埋め尽くされていた。その様子をただ、見ていた。
生あたたかさの残る腕の中で、震える唇を噛み締めて、わたしは彼の名前を呼んだ。
「明智く、ん………」
彼とほぼ同時に名前を口にすると、ふ、と可笑しそうに笑っていた。
▽
正直なところ、わたしはどちらでもよかったのだと思う。みんなが背負っているような後ろめたい過去も、消し去ってしまいたい記憶もない。唯一の共通点は“片親”の一点。たしかにろくでもない父親はいたけれど、物心つく前に離婚していたから顔も朧気だ。人となりなんてなおさら覚えていない。母親から聞いた断片的な情報として、浮気を繰り返す人だった、とだけ。だからわたしはこう認識した。
“どうやら酷い男が父親らしい”
父親に恨みを感じることも、劣等感を抱くことも、わたしにはできなかった。いないものに期待しても仕方ない。わたしがお母さんを支えればいい。お母さんが苦しんで我慢した分を、わたしが半分肩代わりすればいい。ただ、それだけだった。
心配させまいと努力をして、努力に見合った結果を得て自信をつける。めそめそしている時間が無駄だと感じるわたしには、前方に広がる道しか見えていなかった。
唐突に目覚めたこの力も、何かの間違いだとずっと思っていた。我慢が当たり前で、それを苦しいと思ったことなんてなかった。無理をしているわけじゃなくて、わたしにとっての常識がそうだっただけ。あの日聞こえたペルソナの声も、たしかにそう告げていた。
だから、どちらでもよかった。この世界がどう転ぼうが、変わらず頑張ればいいと思っていたから。それを裏付けるように、年始もわたしの環境に変化はなかった。お母さんもわたしも今の生活を望んでいる。みんなが望む幸福を実現させた世界だって、わたしにとっては紙一重の差に過ぎない。けれど目覚めてしまった力を持て余すのもどうかと葛藤して、最後はみんなの意見に賛同した。
どちらでもいいけど、ともに難局を乗り越えてきた仲間たちのためになるのなら、それに越したことはない。
本当に、それだけだった。
「おい!ボサッとするな!」
黒い仮面をつけた人物から、容赦ない怒号が飛んでくる。今に始まったことじゃない。戦闘中に限らず、彼は決まってわたしにいちゃもんをつけてきた。一時的に仲間として振る舞っていたときだってそう。目の敵のように粗を探しては、ああでもないこうでもないと理詰めに責め立てられる。どれも的を得ていてうるさい!と一蹴できないのだから、まぁ腹が立つ。
利害が一致しているとはいえ、正直なところ彼、明智くんが苦手でしょうがなかった。みんなの同情の色を帯びた目がなおさら気を重くさせた。どうせまた始まる。モルガナに嫁姑みたいだなと揶揄されたあれが。
丸喜先生を改心させるために、明智くんと一緒にパレスを攻略する。仕方ないことだと割りきっていたけれど、いざ戦闘が始まると同時に怒号が飛びかえば、嫌でも気持ちは憂鬱になっていく。
殲滅し終えたシャドウの消滅を見送るなり、わたしに近寄ってくる黒い影。仮面を外し、栗色の髪が露になって、形のいい唇から飛び出すであろう毒舌に身構える。
くるぞ、嫌味が。よくもまぁ毎回そんなに見つかるもんですね。あなたは仲間じゃないんですよ。仲間面しないでもらえます?無意識に睨みを効かせるわたしを余所に、明智くんは髪を撫でつけながら、薄く笑みを浮かべた。
「大丈夫?」
「…………ん、え?はい」
「そう、君が無事でよかったよ」
緩く細められた瞳も、安堵したような表情も、やけに優しい声音も。初めて向けられた毒気のない笑顔に、ワンテンポ遅れてうん、と返した。
不可解なことに、新年を迎えてから今日までずっと、明智くんの態度は優しかった。目の敵から、我が子を慈しむ表情へ様変わり、……は言いすぎだけど、とにかくそれくらい変化した。別の意味で苦手意識が芽生えるのも自然なこと、だと思う。嫌われているんだと思っていた明智くんに、慈愛に満ちた目を向けられたら動揺するなって方が無理がある。
何となく気まずくて距離を置くと「どうかした?」と詰められる。おまけに「離れると危険だから」とわざわざ明智くんからわたしのそばに寄ってきた。
あからさまに向けられる好意にかき乱されるのが、悔しかった。
そんな状態で集中できるわけもなく、注意散漫のまま迎えた戦闘で、シャドウに隙をつかれたのは言うまでもない。
あ、と思ったときには手遅れで、鋭利なそれが眼前まで迫っていた。脳内がいつかの記憶で溢れかえって、走馬灯のようなものが駆け巡る。今さらペルソナの召喚なんて間に合うわけもなく、覚悟を決めてぎゅっと瞼を閉じた。ぽつぽつと浮かんで消える記憶の中で、困ったように笑うお母さんに向かって手を伸ばす。
置いていって、親不孝で、ごめんなさい。
届くはずもない謝罪を繰り返していると「なまえ!!」わたしを呼ぶ声がした。
「……………あ、」
誰かに庇うように抱きしめられた瞬間、鋭利な刃が身体を貫いていた。噴き出した鮮血が、視界を覆い尽くしていく。
ほぼ同時にわたしのこめかみに当てられた拳銃は、迷いなく引き金を引いていた。
▽
突然ですが、わたしは死にました。
いきなり何言ってんだとお思いでしょう。実はわたし自身も先ほど思い出した次第でして。ただ死んだわけじゃなくて、殺されたんですよ、わたし。立派な殺人事件ですね。………え?どうやってって?庇われたあとに、庇ってくれた人に殺された、んですよ。たぶん。
わたしだってもう、何が何だかわからないんですよ。
「………っ!」
「おっと」
どん、と明智くんを突き飛ばすと、ふよふよと力なく後退していった。目の前の幽霊と、記憶の中で気味悪い笑みを浮かべながら引き金を引いたそれが、重なる。
間違いない、わたしはこいつに殺された。
「は、はぁ……?何考えてんの、あんた。意味、わかんないんだけど」
「思い出してくれた?」
「ずっと意味わかんないって思ってたけど、今回のはさすがにこたえる。そんなにわたしが憎かったわけ」
「まさか、逆だよ。僕が興味ないやつを庇ったりするわけがないだろ?」
「……や、そんな『だよね?』みたいな顔されてもわかんないから」
「本当はあの時、獅童のパレスで殺してあげたかったんだけどね。力量及ばずってやつだ。結果的に叶ったから良しとしよう」
「いや、ちょっと待って。黙ってて整理させて」
理解不能な言葉が次々とやってきた眩暈がした。前提として、殺してほしいと頼んだ覚えはない。何をどう曲解して受け取ったのか知らないけど、前からわたしを殺害する魂胆はあったらしい。そうじゃなくても命懸けで庇った人物を殺す、なんて発想に至るわけがないけども。
そもそも、だ。双葉がイカれてると称した男が、まともな神経をしていると思うほうが笑止千万。片腹痛いわ。そのまま目の前のこいつにぶつけたところで効力はないのだろうから、余計に苛立ちが募っていく。
にこにことした笑みを絶やさず、わたしが思考している様子を眺めている彼は、初めから狂っていたのだ。そう捉えたほうが辻褄が合う。
それでも。
「明智くん。いくつか質問させて」
「構わないよ」
結論を出す前に、一縷の望みをかけて対話を図ろうとするわたしは、世界一無駄な時間を過ごしているかもしれない。
「質問1、わたしを目の敵にしてた理由は?」
「目の敵?」
「ほら、前モルガナに言われたでしょ。小姑かって」
「あぁ。僕と境遇が酷似しているなまえの、芯の強さに惹かれたんだよ」
「答えになってない。質問2、どうして庇ったの?」
「好きな人に死んでほしくないから」
「……………質問3、だったらなんで、わたしを殺したの」
「僕が死んだ後ものうのうと生きるなまえなんて考えたくもない。この手で人生の幕を引いてやろうと思ってね。あぁ、引いたのは引き金もだね。ハハッ」
「サ、」
サイコパス~~~~~!!!!!おまわりさ~~~~~ん!!!!!
と、叫んでしまいたいところだったけど、あいにく死後の世界を取り締まる存在はどこにもいない。
おかしいでしょ、絶対。フィクションなら死神くらい降臨してきてもいい状況なのに、残念ながら渋谷の上空で浮遊しているわたしたち以外に人影はない。当たり前だ。そもそも人は空を飛ばないのだから。
今の返答をまとめると、明智くんはわたしのことが好き。僕が死ぬならなまえも殺しちゃえ!の激ヤバ思想を抱えながら、涼しい顔して怪盗団と行動をともにしていた、ということになる。
散々頭を悩ませて行きついたのは、明智くんはやっぱりただの狂者だったというわかりきったものだった。誰かに好意を向けられて嫌な気持ちになるなんて。身を挺して守って、自身の死を悟って、殺しちゃえって。あ、駄目だ。頭が痛くなるやつだ。
「………質問は以上ですお疲れさまでしたそれじゃあ」
これ以上考えたくもなかった。彼の思考回路は常人には理解できないんだろう。年始に明智くんと取り引きをしたときも、今に至るまでの経緯について一切口を割ることはなかった。思うところがあるんだろうと詮索はしなかったけれど、どうせロクでもない理由があるんだろう。干渉しなくて正解だった。
生前の記憶を思い出せただけでも充分だ。宙に身を預けながら、くるりと反転して前進のイメージを浮かべる。アテなんてないけど、このままクレイジー明智くんと会話するより遥かにマシだ。
「なまえ」
「なに」
「本当は、僕の人生はとっくに終わってるんだよ」
声色を真剣なものに変えた明智くんにつられて、浮かべていたイメージを消した。急に壮絶な話を持ち出してきたねえ、なんて茶化せるような雰囲気じゃない。渋々気を引き締めて、遠くを見据える明智くんに目を向けた。
「年明けから君たちと行動していた僕は、獅童のパレスで決着をつけた僕じゃない」
「なにそれ。どういう意味」
「僕は、丸喜の認知が生み出した紛い物に過ぎない。もっとも、所持している記憶は生前と寸分違わぬものだから、僕が勝手にそう思ってるだけかもしれないけどね」
何言ってるんだと突っぱねるべく口を開くと、遮るように言葉が続く。
「あんな世界で望まぬ復活を遂げて心底イライラしたよ。あの日の選択に後悔はない。成し遂げられなかった思いに未練もなかった。………けどさ、自分と同一の存在が甦って、手離した未練を思い出させてくれて、好機だと捉えた僕自身が何よりも馬鹿げてるよ。結局僕は、未練を断ち切ることができなくて、こうして君を道連れにしたんだからさ。それだけは本当にすまないと思ってる。謝って許されないことも理解してるつもりだ。だけど、………ごめん」
もう一度ごめんとつけ足して、それきり明智くんは口をつぐんでしまった。
実体がないわたしたちは、上空でも風の抵抗を受けることはない。ただそこにあるがままだ。少しだけ強い風が吹いても、それに髪が靡いたりはしない。……にもかかわらず、わたしの胸がずき、と痛んだのは、きっと気のせいなんかじゃない。
死んだ後も心は生き続けるんだとしたら、なんて厄介な置き土産を残していくんだろう。と、場違いなことを考えてしまうほど、わたしは明智くんに情が湧いてしまっていた。それも情なんて一言で片付けられるものじゃなくて、もっと。
「もういいよ。それこそ終わったこと、でしょ」
余計な感情が顔を覗かしかける。誤魔化すように出した言葉は、明智くんの罪を許すものだった。到底許されることじゃない、それはわかってる。でも、明智くんが庇ってくれなかったらどのみち待っていたのは死だ。救われて、救ってくれた存在に殺されて。経緯はどうであれ、端からゴールはひとつしかなかった。それを許すわたしも、大概狂っているんだろう。けど、幽霊に常識は通用しないんだから、それもまた一興かもしれない。そう、思えた。
「………ありがとう。ところで提案なんだけど、どうやら肉体が死んでも気持ちはそのままみたいなんだ。なまえのことが好きなのは本当。大事にするから今後も仲良くやろうよ」
「切り替え早すぎるでしょ」
「なまえの実家に行きたいな。母親に挨拶させてよ」
「僕が娘さんを殺しましたハハッって?」
「せっかく永遠の身体を手に入れたことだし、ついでに永遠の愛も誓います。……なんて、ね。ハハッて」
「ハハッじゃねーんだよイカれ野郎」
「冗談だよ。なまえの未練、お母さんだろ?一緒に行こうよ。成仏できなかったら、そのときまた考えよう」
しんみり雰囲気をぶち壊してくれたクレイジーくんは、頭のネジを現世に落としてきちゃったんだろう。もしくは丸喜先生が作ったのは明智吾郎を模した粗大ゴミで、再生成に失敗してしまったのかもしれない。わたしが知ってる明智くんとはかけ離れたそれを、しかし無下にすることもできなくて。こんなやつに絆されることほど親不孝なことはないのに、差し伸べられた手を振り払う選択肢は、どういうわけか消えてしまった。
「勝手に決めないでよ。みんなのことだって心配だから」
「怪盗団か。仕方ない、他ならぬなまえのためならつき合うよ」
歯の浮くような台詞を堂々と言ってのけた明智くんに向けて、大きくため息をつく。素知らぬ顔で指の間へ滑りこまされたそれを、強く握り返した。
2020.8.25
セェコパスすぎてオラびっくりしたぞ
2023.10.27
加筆修正
いきなり何言ってんだとお思いでしょう。赤の他人からまったく同じ発言をされたらわたしだってそうなる。寝言は寝て言え。ええ、ええ、仰る通りだと思います。悪い夢なら覚めてほしい。今をときめく10代ですよ?まだまだやりたいことがたくさん……あったような、そうでないような。何かを始めるのに年齢は関係ないって言うけどさ、実際早く始めるに越したことないでしょ。……え?まだシラを切るつもりだろって。そっちこそいつまでわたしのこと無視するつもりなんですか。そろそろこの一人茶番もしんどくなってきたのですが。
ねぇ、
「……ねぇお姉さん!」
歩道のど真ん中で両手を広げ、行く手を遮ってみせる。とおせんぼをしたわたしの身体をすり抜けていった女性は、こちらに一瞥もくれずに立ち去ってしまった。
これ見たことある。頭を通り抜ければ50点!なんて愉快なゲームだどこが愉快だっていうのよ!のやつ。振り上げた拳は行き場を失い、空を切る音も生まなかった。
ざっと見積もって数十分。道行く人に以上のことを繰り返したわたしは、ひとつの結論に行きついた。
わたしは死んだ。死んだから魂だけの存在になり、誰にも見えなくなってしまった。いわゆる幽霊的な。それを裏づけるように、わたしの身体は若干宙へ浮いている。ドラえもんか。土足で家に上がったら汚いもんね。やかましいわ。浮遊をイメージすると上昇していくこともできるらしい。タケコプターか。いい加減その発想から離れろ。虚しいノリつっこみが空へ溶けていった。
人の往来が激しいセントラル街は、ありふれた日常を送ろうとしている。待ち合わせをする人。演説をする人。それらを見下ろしながらブチ公へ腰掛けた。腰掛けるといっても、膝を折って空中へ浮いていることを「座る」と表現できるか微妙なところだけど、幽霊に常識なんて通用しない。何でもありなんじゃい。散々宙を彷徨った結果、開き直ることを選んだわたしは、誰に言い訳するでもなくぼやいた。
相変わらずこうなる前の記憶は曖昧で、世界に取り残されたような疎外感だけが胸を占めていた。なぜここにいるか。本当に死んでしまったのか。成仏とやらは起きないのか。何ひとつ情報はなくて、それが余計に不安を煽っていった。
せめて気丈であろうとした分だけ、心が擦りきれていくようだ。疲労を感じない身体から目を逸らしたくて、自分の膝へと顔を埋める。
ある、感覚が。わたしにはあって、だけど周囲の人間に干渉することはできないそれが。歪な世界が気持ち悪くて仕方ないのに、歪んだのは他ならないわたし自身。考えれば考えるほど出口が見えなくなって、思考を投げ出してしまいたかった。
「………こんなところにいたのか」
目の前の男性からそう聞こえてきた。膝の隙間からじっとりと睨みつけながら、わたしはもう一度顔を埋めた。
みんなはいいよね。探して見つけてもらえてさ。金輪際ブチ公前で待ち合わせしたやつ、みんなタンスの角に足の小指ぶつけろ。ささいな不幸にちょっぴり嫌な気持ちになれ。
陰気な呪いをかけていると、バシ、と小気味いい音とともに痛覚が走った。すぐさま顔を上げた。
今、だって今、頭。
「今でしょ!?」
「ふっる……」
「間違えた。今頭に触ったでしょ!?」
「どう間違えるんだよ、それを」
呆れたように首を振った男性と目が合う。
間違いない、このひとはわたしが見えている。わたしの頭に触れた左腕を逃すまいとしがみつく。彼の眉間の皺が寄った気がした。今のわたしに彼を気遣う余裕なんか残っていなくて、ありったけの不安をぶちまけようと口を開いた。
「よか、った。わたし、こんなになって……心細くて……」
「そう思うなら競技場から離れないでほしかったんだけど」
「……競技場?」
「そうだよ。競技場建設予定地、今は丸喜が主として君臨するパレスに成り下がったけどね」
「パレス……?何いってんの」
「とぼけるのも大概にしなよ。なまえの捜索へ割いた分だけそばにいることもできただろ」
「あのオニーサン……なぜわたしの名前をご存知で?」
「はぁ?」
面白くなさそうに目を細めて、笑えないんだけど、と尖った声で彼は言った。冗談を言っているとは思えない様子に、しかしこちらも負けじと主張をする。
気がついたらここにいたこと。今に至るまでの記憶がないこと。誰にも認知されない恐怖に押し潰されてしまいそうだったこと。最後のものはつい口を滑らせてしまったし、目頭がじんわりと熱くなるものだから、わたしの声も尻すぼみになっていたと思う。
彼は口を挟まず耳を傾けていてくれて、今度は鼻の奥がつんとした。やばい、泣く。視界が潤んでしまう前に、ぱたぱたと手で扇いでおいた。けれど、仕草を目で追っていた彼にはお見通しだったのだろう。しがみついたままの腕を引き剥がされて、抗議をするよりも先に頭を撫でられる。その優しい手つきに、また泣きそうになった。
「悪かったよ。……と言いたいところだけど、本当に何も思い出せないの?」
「全然、全く、微塵も」
「海馬機能もイカれるのか。興味深いね」
「カイバ?滅びのバーストストリームの人?」
「記憶のことだよ」
華麗に無視を決め込む彼に、腕を掴まれる。引かれるがままブチ公から飛び降りた──のだけど、重量を感じない身体はふわりと空中に浮いてしまう。それを気にかけるでもなく、彼に強引に引き寄せられる。周囲にはどう映ってるんだろう、と視線を泳がせているうちに、たやすく抱きとめられていた。
そして気づいてしまった。引き寄せる彼もまた、同じように浮遊していることに。
「お化けに引力……!」
「お互いさまだろ」
伸びてきた手が、わたしの両頬をぎゅっと持ち上げる。
引きつった笑みのまま痛いと訴えると、変な顔、と嘲笑混じりに貶された。じたばたと暴れて彼の腕から逃れようともがいていると、強い力で押さえこまれてぎょっとする。
抱きしめられてる、と認識した。とき。
瞬く間に縮められた距離に、眼前に迫る顔を見た瞬間、ぴり、とこめかみに痺れが広がった。ちかちかと明滅する視界の中、ぼんやり浮かび上がった輪郭と、目の前の彼が重なった。
「ねぇなまえ」
わたしは、この声を知っている。頬にかかる長めの髪も。愛おしそうに細められた鳶色も。見るのは、初めてじゃ、ない。
「どうしてこうなったか、知りたい?」
悪戯に口の端を上げた顔に、びりびりと脳が痺れて仕方ない、のに。記憶の蓋は開いてくれなくて、もどかしさばかり募っていく。
何か、とんでもなく大きなことを忘れている。早く思い出さなきゃいけない。胸騒ぎに急かされるようにして、わたしはゆっくりと頷いた。
「そうだね、どこから話そうか。…………あぁ、これが先か。僕の名前は───」
その声が鼓膜に届くよりも先に、全身に電撃が駆けめぐった。靄が晴れていくと、わずかに開いた隙間からどっと記憶が押し寄せてくる。散り散りになってしまったそれらを組み合わせていく。
ぐちゃぐちゃになった最後のページのひとつ前。庇うように伸びてきた腕の中にわたしがいる。次に瞬きをすると、わたしの視界は鮮血で埋め尽くされていた。その様子をただ、見ていた。
生あたたかさの残る腕の中で、震える唇を噛み締めて、わたしは彼の名前を呼んだ。
「明智く、ん………」
彼とほぼ同時に名前を口にすると、ふ、と可笑しそうに笑っていた。
▽
正直なところ、わたしはどちらでもよかったのだと思う。みんなが背負っているような後ろめたい過去も、消し去ってしまいたい記憶もない。唯一の共通点は“片親”の一点。たしかにろくでもない父親はいたけれど、物心つく前に離婚していたから顔も朧気だ。人となりなんてなおさら覚えていない。母親から聞いた断片的な情報として、浮気を繰り返す人だった、とだけ。だからわたしはこう認識した。
“どうやら酷い男が父親らしい”
父親に恨みを感じることも、劣等感を抱くことも、わたしにはできなかった。いないものに期待しても仕方ない。わたしがお母さんを支えればいい。お母さんが苦しんで我慢した分を、わたしが半分肩代わりすればいい。ただ、それだけだった。
心配させまいと努力をして、努力に見合った結果を得て自信をつける。めそめそしている時間が無駄だと感じるわたしには、前方に広がる道しか見えていなかった。
唐突に目覚めたこの力も、何かの間違いだとずっと思っていた。我慢が当たり前で、それを苦しいと思ったことなんてなかった。無理をしているわけじゃなくて、わたしにとっての常識がそうだっただけ。あの日聞こえたペルソナの声も、たしかにそう告げていた。
だから、どちらでもよかった。この世界がどう転ぼうが、変わらず頑張ればいいと思っていたから。それを裏付けるように、年始もわたしの環境に変化はなかった。お母さんもわたしも今の生活を望んでいる。みんなが望む幸福を実現させた世界だって、わたしにとっては紙一重の差に過ぎない。けれど目覚めてしまった力を持て余すのもどうかと葛藤して、最後はみんなの意見に賛同した。
どちらでもいいけど、ともに難局を乗り越えてきた仲間たちのためになるのなら、それに越したことはない。
本当に、それだけだった。
「おい!ボサッとするな!」
黒い仮面をつけた人物から、容赦ない怒号が飛んでくる。今に始まったことじゃない。戦闘中に限らず、彼は決まってわたしにいちゃもんをつけてきた。一時的に仲間として振る舞っていたときだってそう。目の敵のように粗を探しては、ああでもないこうでもないと理詰めに責め立てられる。どれも的を得ていてうるさい!と一蹴できないのだから、まぁ腹が立つ。
利害が一致しているとはいえ、正直なところ彼、明智くんが苦手でしょうがなかった。みんなの同情の色を帯びた目がなおさら気を重くさせた。どうせまた始まる。モルガナに嫁姑みたいだなと揶揄されたあれが。
丸喜先生を改心させるために、明智くんと一緒にパレスを攻略する。仕方ないことだと割りきっていたけれど、いざ戦闘が始まると同時に怒号が飛びかえば、嫌でも気持ちは憂鬱になっていく。
殲滅し終えたシャドウの消滅を見送るなり、わたしに近寄ってくる黒い影。仮面を外し、栗色の髪が露になって、形のいい唇から飛び出すであろう毒舌に身構える。
くるぞ、嫌味が。よくもまぁ毎回そんなに見つかるもんですね。あなたは仲間じゃないんですよ。仲間面しないでもらえます?無意識に睨みを効かせるわたしを余所に、明智くんは髪を撫でつけながら、薄く笑みを浮かべた。
「大丈夫?」
「…………ん、え?はい」
「そう、君が無事でよかったよ」
緩く細められた瞳も、安堵したような表情も、やけに優しい声音も。初めて向けられた毒気のない笑顔に、ワンテンポ遅れてうん、と返した。
不可解なことに、新年を迎えてから今日までずっと、明智くんの態度は優しかった。目の敵から、我が子を慈しむ表情へ様変わり、……は言いすぎだけど、とにかくそれくらい変化した。別の意味で苦手意識が芽生えるのも自然なこと、だと思う。嫌われているんだと思っていた明智くんに、慈愛に満ちた目を向けられたら動揺するなって方が無理がある。
何となく気まずくて距離を置くと「どうかした?」と詰められる。おまけに「離れると危険だから」とわざわざ明智くんからわたしのそばに寄ってきた。
あからさまに向けられる好意にかき乱されるのが、悔しかった。
そんな状態で集中できるわけもなく、注意散漫のまま迎えた戦闘で、シャドウに隙をつかれたのは言うまでもない。
あ、と思ったときには手遅れで、鋭利なそれが眼前まで迫っていた。脳内がいつかの記憶で溢れかえって、走馬灯のようなものが駆け巡る。今さらペルソナの召喚なんて間に合うわけもなく、覚悟を決めてぎゅっと瞼を閉じた。ぽつぽつと浮かんで消える記憶の中で、困ったように笑うお母さんに向かって手を伸ばす。
置いていって、親不孝で、ごめんなさい。
届くはずもない謝罪を繰り返していると「なまえ!!」わたしを呼ぶ声がした。
「……………あ、」
誰かに庇うように抱きしめられた瞬間、鋭利な刃が身体を貫いていた。噴き出した鮮血が、視界を覆い尽くしていく。
ほぼ同時にわたしのこめかみに当てられた拳銃は、迷いなく引き金を引いていた。
▽
突然ですが、わたしは死にました。
いきなり何言ってんだとお思いでしょう。実はわたし自身も先ほど思い出した次第でして。ただ死んだわけじゃなくて、殺されたんですよ、わたし。立派な殺人事件ですね。………え?どうやってって?庇われたあとに、庇ってくれた人に殺された、んですよ。たぶん。
わたしだってもう、何が何だかわからないんですよ。
「………っ!」
「おっと」
どん、と明智くんを突き飛ばすと、ふよふよと力なく後退していった。目の前の幽霊と、記憶の中で気味悪い笑みを浮かべながら引き金を引いたそれが、重なる。
間違いない、わたしはこいつに殺された。
「は、はぁ……?何考えてんの、あんた。意味、わかんないんだけど」
「思い出してくれた?」
「ずっと意味わかんないって思ってたけど、今回のはさすがにこたえる。そんなにわたしが憎かったわけ」
「まさか、逆だよ。僕が興味ないやつを庇ったりするわけがないだろ?」
「……や、そんな『だよね?』みたいな顔されてもわかんないから」
「本当はあの時、獅童のパレスで殺してあげたかったんだけどね。力量及ばずってやつだ。結果的に叶ったから良しとしよう」
「いや、ちょっと待って。黙ってて整理させて」
理解不能な言葉が次々とやってきた眩暈がした。前提として、殺してほしいと頼んだ覚えはない。何をどう曲解して受け取ったのか知らないけど、前からわたしを殺害する魂胆はあったらしい。そうじゃなくても命懸けで庇った人物を殺す、なんて発想に至るわけがないけども。
そもそも、だ。双葉がイカれてると称した男が、まともな神経をしていると思うほうが笑止千万。片腹痛いわ。そのまま目の前のこいつにぶつけたところで効力はないのだろうから、余計に苛立ちが募っていく。
にこにことした笑みを絶やさず、わたしが思考している様子を眺めている彼は、初めから狂っていたのだ。そう捉えたほうが辻褄が合う。
それでも。
「明智くん。いくつか質問させて」
「構わないよ」
結論を出す前に、一縷の望みをかけて対話を図ろうとするわたしは、世界一無駄な時間を過ごしているかもしれない。
「質問1、わたしを目の敵にしてた理由は?」
「目の敵?」
「ほら、前モルガナに言われたでしょ。小姑かって」
「あぁ。僕と境遇が酷似しているなまえの、芯の強さに惹かれたんだよ」
「答えになってない。質問2、どうして庇ったの?」
「好きな人に死んでほしくないから」
「……………質問3、だったらなんで、わたしを殺したの」
「僕が死んだ後ものうのうと生きるなまえなんて考えたくもない。この手で人生の幕を引いてやろうと思ってね。あぁ、引いたのは引き金もだね。ハハッ」
「サ、」
サイコパス~~~~~!!!!!おまわりさ~~~~~ん!!!!!
と、叫んでしまいたいところだったけど、あいにく死後の世界を取り締まる存在はどこにもいない。
おかしいでしょ、絶対。フィクションなら死神くらい降臨してきてもいい状況なのに、残念ながら渋谷の上空で浮遊しているわたしたち以外に人影はない。当たり前だ。そもそも人は空を飛ばないのだから。
今の返答をまとめると、明智くんはわたしのことが好き。僕が死ぬならなまえも殺しちゃえ!の激ヤバ思想を抱えながら、涼しい顔して怪盗団と行動をともにしていた、ということになる。
散々頭を悩ませて行きついたのは、明智くんはやっぱりただの狂者だったというわかりきったものだった。誰かに好意を向けられて嫌な気持ちになるなんて。身を挺して守って、自身の死を悟って、殺しちゃえって。あ、駄目だ。頭が痛くなるやつだ。
「………質問は以上ですお疲れさまでしたそれじゃあ」
これ以上考えたくもなかった。彼の思考回路は常人には理解できないんだろう。年始に明智くんと取り引きをしたときも、今に至るまでの経緯について一切口を割ることはなかった。思うところがあるんだろうと詮索はしなかったけれど、どうせロクでもない理由があるんだろう。干渉しなくて正解だった。
生前の記憶を思い出せただけでも充分だ。宙に身を預けながら、くるりと反転して前進のイメージを浮かべる。アテなんてないけど、このままクレイジー明智くんと会話するより遥かにマシだ。
「なまえ」
「なに」
「本当は、僕の人生はとっくに終わってるんだよ」
声色を真剣なものに変えた明智くんにつられて、浮かべていたイメージを消した。急に壮絶な話を持ち出してきたねえ、なんて茶化せるような雰囲気じゃない。渋々気を引き締めて、遠くを見据える明智くんに目を向けた。
「年明けから君たちと行動していた僕は、獅童のパレスで決着をつけた僕じゃない」
「なにそれ。どういう意味」
「僕は、丸喜の認知が生み出した紛い物に過ぎない。もっとも、所持している記憶は生前と寸分違わぬものだから、僕が勝手にそう思ってるだけかもしれないけどね」
何言ってるんだと突っぱねるべく口を開くと、遮るように言葉が続く。
「あんな世界で望まぬ復活を遂げて心底イライラしたよ。あの日の選択に後悔はない。成し遂げられなかった思いに未練もなかった。………けどさ、自分と同一の存在が甦って、手離した未練を思い出させてくれて、好機だと捉えた僕自身が何よりも馬鹿げてるよ。結局僕は、未練を断ち切ることができなくて、こうして君を道連れにしたんだからさ。それだけは本当にすまないと思ってる。謝って許されないことも理解してるつもりだ。だけど、………ごめん」
もう一度ごめんとつけ足して、それきり明智くんは口をつぐんでしまった。
実体がないわたしたちは、上空でも風の抵抗を受けることはない。ただそこにあるがままだ。少しだけ強い風が吹いても、それに髪が靡いたりはしない。……にもかかわらず、わたしの胸がずき、と痛んだのは、きっと気のせいなんかじゃない。
死んだ後も心は生き続けるんだとしたら、なんて厄介な置き土産を残していくんだろう。と、場違いなことを考えてしまうほど、わたしは明智くんに情が湧いてしまっていた。それも情なんて一言で片付けられるものじゃなくて、もっと。
「もういいよ。それこそ終わったこと、でしょ」
余計な感情が顔を覗かしかける。誤魔化すように出した言葉は、明智くんの罪を許すものだった。到底許されることじゃない、それはわかってる。でも、明智くんが庇ってくれなかったらどのみち待っていたのは死だ。救われて、救ってくれた存在に殺されて。経緯はどうであれ、端からゴールはひとつしかなかった。それを許すわたしも、大概狂っているんだろう。けど、幽霊に常識は通用しないんだから、それもまた一興かもしれない。そう、思えた。
「………ありがとう。ところで提案なんだけど、どうやら肉体が死んでも気持ちはそのままみたいなんだ。なまえのことが好きなのは本当。大事にするから今後も仲良くやろうよ」
「切り替え早すぎるでしょ」
「なまえの実家に行きたいな。母親に挨拶させてよ」
「僕が娘さんを殺しましたハハッって?」
「せっかく永遠の身体を手に入れたことだし、ついでに永遠の愛も誓います。……なんて、ね。ハハッて」
「ハハッじゃねーんだよイカれ野郎」
「冗談だよ。なまえの未練、お母さんだろ?一緒に行こうよ。成仏できなかったら、そのときまた考えよう」
しんみり雰囲気をぶち壊してくれたクレイジーくんは、頭のネジを現世に落としてきちゃったんだろう。もしくは丸喜先生が作ったのは明智吾郎を模した粗大ゴミで、再生成に失敗してしまったのかもしれない。わたしが知ってる明智くんとはかけ離れたそれを、しかし無下にすることもできなくて。こんなやつに絆されることほど親不孝なことはないのに、差し伸べられた手を振り払う選択肢は、どういうわけか消えてしまった。
「勝手に決めないでよ。みんなのことだって心配だから」
「怪盗団か。仕方ない、他ならぬなまえのためならつき合うよ」
歯の浮くような台詞を堂々と言ってのけた明智くんに向けて、大きくため息をつく。素知らぬ顔で指の間へ滑りこまされたそれを、強く握り返した。
2020.8.25
セェコパスすぎてオラびっくりしたぞ
2023.10.27
加筆修正
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