Persona
name change
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まず一人目は道端で、
「明智くん!テレビ見てるよ!」
二人目は学校の廊下で、
「明智くんおはよー!」
そうして三人目、四人目と次々に切り抜けた明智は、シャツの襟元を引っ張って息を吐いた。メディア露出が増えてからこの調子で、出先で声をかけられない日はなかった。表道路から外れた道も、通学時間を避けて乗った電車も、喧騒であふれる街中も、周囲の目は確実に明智を捉えていた。それらを鬱陶しいと思ったことはない。会釈をして、微笑んで、颯爽と立ち去る。イメージ通りの自分を演じられるのは心地よかった。望み通りの名声と賛辞を受けて、すべては明智の計画通りに進んでいる。
…ように見えていた、ついさっきまでは。
『ごめんおくれる』
絵文字も顔文字もない、シンプルで端的なメッセージは明智のスケジュールを乱すには充分すぎるものだった。つい数ヶ月前の自分なら律儀に嫌味を並べ立て、次はないよと釘を刺していただろう。それが今や、遅れることも込でスケジュールを組んでいるのだから腹立たしい。知ってる、と胸の内で呟いた明智は、既読をつけたメッセージ画面のタブを消した。
メッセージ画面を確認する女が目に浮かぶ。電車を飛び出し、慌てて駆け出す様子は想像にかたくない。自分のために必死に足掻く姿は悪くないな、なんて頭の片隅で思う。すぐに気色が悪いと振り払い、雑念に背を向けるように歩を進めた。
「こんばんは。後からもうひとり来ます」
「珍しいね。明智くんがひとりじゃないなんて」
「たまにはこういうのもいいかと思って」
軽い世間話を交わし、予約していたテーブル席へ向かう。薄暗い店内を進むにつれて、心なしか明智の足取りも軽くなる。いつもの席に腰掛け、ふと周りを見渡してみる。まばらに埋まる席から無遠慮な視線はやってこない。我先にと声をかけてくる人物もいない。目を閉じればゆったりとしたジャズだけが流れている。まるで世界から切り離されたようで、今だけは自分をやめられる気がした。そんな時間が明智は好きだった。
深く息を吸って、吐く。何度か繰り返しているうちに頭のモヤが晴れていく。
明日の予定、今後の計画、次のターゲット。より正確で、完璧で、合理的な手段はないか。静かに思考を巡らせていると、バタバタと似つかわしくない騒音が近付いてきた。
目を開かなくたって誰が来たかわかる。
「はぁ……、…ッ、ごめ、おくれた!」
「知ってるよ」
今度は口に出してそう言うと、明智はゆっくり目を開けた。
「そろそろ来るだろうと思って注文は済ませてある」
「……さすがごろーくん、さすごろ」
「くだらないこと言ってないでさっさと座りなよ」
「はーい」
肩を上下させていた女──なまえは「どっこいしょ」の掛け声とともに腰を下ろした。額の汗を拭い、手で自身を扇ぐなまえと先日の記憶が重なる。あの日は勝手に家に押しかけてきて、勝手に熱中症になりかけていた。事前に予定を組んでもこれなのだから、なまえの辞書に計画性はないらしい。普段の言動を見れば明らかなそれに、まぁそれはそうかと自己完結した。
「それで?一応言い訳を聞いておこうか」
「実はメメンでトスってきまして」
「なるほど、改心依頼を片付けるのに手こずったわけか」
「ごろーくんどんどんわたしの解像度上がってくね」
「不本意ながらね」
ひどーい。これでも頑張ってきたの。クタクタなの。ずるずると腰を沈ませたなまえが文句を垂れる。これのどこが社長令嬢なんだ。庶民どころかただのだらしない人間だろ。何度思ったか知れないそれは口にせず、明智はなまえから視線を外した。
相変わらず自分たちに注目する者は誰もいない。万が一に備えて尾行や盗聴に気を配っているのが馬鹿らしくなるくらい、人々は自分たちの用事に夢中だ。当然と言えば当然だけれど、表舞台に立つ明智にとっては貴重な時間だった。特になまえと接触するときは、獅童たちに不信感を与えないよう細心の注意を払っていた。たった一度の間違いでこれまでの計画がすべて台無しになるのだから、警戒するに越したことはない。
「あ、きたきた。ブルーハワイ頼んだんだね」
テーブルの上に揃いのグラスが並ぶ。南国の海を連想させる透き通った青と、グラスを撫でる雫が幻想的で綺麗だ。などと思いを馳せることなくなまえはグラスに手を伸ばした。
「君には情緒がないのかい?」
「いやー、喉乾いちゃって」
「感受性に乏しいのか、あるいは現実的なのか」
「ごろーくんも人のこと言えないでしょ」
「なまえと違って理解することはできるよ」
「風情は頭で理解するものじゃなくて心で感じるものでしょーが」
「違いないね」
ね、ね、乾杯しよ。会話を打ち消すようになまえが手を叩く。姿勢を正したなまえはいつものようにだらしない笑みを浮かべていた。その笑顔に、張りつめていた意識が解かれる気がして明智は首を振る。
「断る。祝杯をあげるには早すぎるからね」
「そうでもないよ」
手元のバッグを漁ったなまえは小箱を取り出した。
「今年はずっとバタバタしてて渡せなかったから」
そう言って差し出された包みを反射的に受け取る。黒い化粧箱には箔押しがされ、透明感のあるグラシン紙が巻かれていた。一言で表すなら高級そうな箱、だった。
「驚いたな。君にプレゼントのセンスがあったなんて」
「あれ?馬鹿にされてる?」
「毎年チロルチョコ一択だった人に、お世辞にもセンスがあるとは言えないだろ」
「それには深い訳がありまして」
「そうかい。それじゃあ飲もうか」
「聞いてよ!」
身を乗り出したなまえがテーブルを叩く。ばん、と音を立てて、グラスに注がれた液体が揺れた。行儀悪いよ。意地悪するからでしょ。反射的にしたやり取りにどちらともなく笑みをこぼす。普段ならくだらない、時間の無駄、と突っぱねていただろうに、どういうわけか今日はそんな気にならなかった。
「ごろーくんて貸し借りとか損得とかで生きてるとこあるじゃん」
「まぁ、否定はしないよ」
「チロルチョコなら気軽に受け取ってもらえるかなーっていうわたしなりの配慮だったのです」
「へぇ。ならどういう心変わりでこれを?」
うーん、と首を傾げたなまえが少しの間をあける。とっくに結露したグラスから水滴が滑り落ち、薄いコースターを湿らせていく。水分を含んだコースターは、まもなく使いものにならなくなるだろう。あふれた水のやり場はどこにもない。零れたからにはもう戻れない。目的もなく広がってテーブルを覆いつくしていくだけだ。内側で広がり続ける闇とそれを重ね、明智は自嘲気味に笑う。
「言ったでしょ、あなたのために生きるって」
ふいになまえが呟いた。静寂が落ちたように、なまえの声だけが聞こえていた。
「わたしたちの関係は損得勘定で割り切らせない。そのためのけじめだよ」
なまえがグラスを掴みあげると、ぽた、ぽた、と水滴が滑り落ちた。
あふれた水のやり場ない。もう戻れない。ならいっそもっと零れてしまえばいい。溶けて混ざりあった先で、くたばるまで足掻くだけだ。それもなまえとなら悪くない、そう思わせる何かがなまえにはあった。
「……信じるよ」
傾けあったグラスがキン、と軽快な音を立てた。
2024.8.8
たまにはこういうのもね
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