焼けぼっくい全焼事件
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誰にでも消し去りたい過去のひとつやふたつある。一度も悔いのない選択ができるほど、人は完璧な存在じゃない。常日頃気に留めているわけじゃないにしたって、何かの拍子にふっと頭を過ったら最後。あの時ああしていればだのと不毛な後悔を繰り返す羽目になる。私のそれは後悔というより未練に近い。どちらにせよきっかけひとつで心がとらわれてしまうのだから、過去なんて捨てるに越したことはないのだろう。
「なまえ、江戸に興味はねェか」
紫紺の着流しに身を包んだ目の前の男だってそう。男がふぅ、と息を吐くと、咥えた煙管から紫煙が立ちのぼる。天井まで届くよりも先に、空気と混ざりあって溶けていく。追っていた視線を下に戻すと、男はいつものようにニヒルな笑みを浮かべていた。彼も例外なく絶賛過去に縛られたままの囚人だ。いや、亡霊のほうが正しいかもしれない。生きながら空虚を映す瞳の奥で、黒い何かが渦巻いている。あの日を境に、私の知っている彼は死んでしまった。
「どうしたの、急に」
「婚期に愛想尽かされたお前が哀れで見てられねー。地球人と見合いでもするか」
「やかましいわ」
…はずだった。
私と会話するときだけ昔の調子に戻るこの男──高杉晋助は、毎度毎度飽きもせず私の見合い相手を見繕ってくる。意味がわからない。あんたは私のお父さんか。余計なお世話にもほどがある。そのままぶつけた日に返ってきた言葉は「俺が父親なら無粋な真似はしねェ」だった。こいつ結局私で遊んでるだけじゃねーか。
「この前晋助が連れてきた天人、ゴリラと豚のハーフだったじゃん。あり得ないじゃんどう考えても」
「なまえよォ…人は見かけによらねェもんだぜ。髪型はお前の嗜好に沿ってたはずだ」
「バリバリ見かけに命懸けてるじゃん。別に好みじゃないし」
「天の邪鬼な女は可愛げも何もあったもんじゃねーな」
「ツンデレとかじゃなくてマジで無理なだけだから」
灰皿へ火種を投げ捨てた晋助はやれやれとでも言いたげに肩を竦めた。百歩譲って髪型が好みだったとしてもデメリットがでかすぎる。前回はゴリラと豚のハーフ。その前はパーマネント星の王子。両者とも頭髪は天パを通り越して凄まじいことになっていた。いつ接点があったのか知らないし知りたくもないし、故意にやっているとしか思えない。
涼しい顔で火種をつまむ仕草すら癪に障り、煙管に入る直前でそれを取り上げた。
「オイ」
「……天パが好きだったわけじゃないから」
「ほォ、そいつは誰の話だ」
にぃ、と口の端を吊り上げてみせた晋助に確信する。やっぱりわざとじゃん。言葉に詰まる私から火種を引ったくるなり、晋助は楽しげに目を細めた。
「あの時、あの場でお前と再会したのが俺でさぞ落胆したことだろうよ。なァなまえ」
「……馬鹿言わないで。晋助にだって会いたかった。みんな、……大事な仲間だよ」
切れ長の目を鋭くさせた晋助は、喉の奥で小さく笑った。仲間ねェ。ぼやくように告げられた台詞に、じくじくとした痛みが胸に広がる。時おり垣間見える晋助の闇は、他者を拒絶するように蠢いている。私なんかじゃ立ち入れないほどの、暗闇。宙ぶらりんになった手をぎゅっと握りこむと、何もかも見透かすみたいにして笑う晋助から腕が伸びてきた。乱暴やがさつとはちょっと違う、戸惑ったような手つき。頭上でゆるゆると往復するそれに手のひらから力が抜けていく。
再び紫煙を燻らせる晋助は、それきり何も言わなかった。
この世界をぶっ壊す。
数年前、戦場で再会した晋助は開口一番そう言った。艶やかな黒髪から覗く見慣れない包帯と、狂気を宿した強い瞳。物々しい雰囲気を纏っている彼は、私の記憶の中の人物とかけ離れてしまっていた。二言目には腸まで届け乳酸菌と呟きヤクルトを飲んでいた男が、世界を壊滅させようと目論んでいる、なんて。信じたくなくてヤクルトを手渡すと、わりとガチで喜んでいやがったので少しだけ安心した。ところが事の顛末を問いただすと口をへの字に曲げてしまうものだから、聞き出すのも一苦労だった。
ぽつりぽつりと話し始めた晋助の口から思いもよらぬ真実が語られた。松陽先生が亡くなったこと。戦の目的を見失い、散り散りになってしまったこと。そして──松陽先生の首を切断した人物。全部聞き間違いであってほしいと願ったところで現実が覆るわけもなく、天人に蹂躙された事実だけがそこにあった。私たちのやってきたことは水泡に帰してしまい、残ったのは幕府からの逃亡生活のみである。これが国のために戦った侍の末路だなんて、笑えない。認められるわけがなかった。
救護班に所属していた私は最前線からはぐれてしまい、残兵たちと野営地に留まり続けていた。負傷兵は増える一方で、倒れていく仲間たちを救うこともできず、虚無感を募らせていく日々。次は私の番だと覚悟を決めた時にかけられた懐かしい声。まだ生きてやがったか。しぶてー女だ。軽口を叩いてみせた彼の左目は光を失っていた。それでも残る片目に灯された復讐心は、真っ直ぐ前だけを見つめていた。自暴自棄になっていた私に飛び火するのは言うまでもない。
だから、晋助の手を取った。自分の意思でその手を取ったのに落胆する理由がない。例えばあの場で再会したのがあいつだったら、なんて考えるだけ時間の無駄だ。過去は変えられない。晋助が差し伸べてくれた手を、私が取った。ただそれだけ。
「まァ、今回の見合いは冗談だ。聞き流せ」
「……前回までは本気だったってこと?マジでナメくさってんね」
「誰がナメック星人だ」
「もうやだこの人。メンドくさい」
何度目かの煙を吐き出して静寂が打ち破られる。回想していた意識を戻すと、灰皿の吸殻が増えていた。きっと晋助の死因は肺炎だ。幕吏に捕縛されるよりも先に肺が限界を迎えるだろう。懲りずに新たな火種をつまみあげる晋助を尻目に、私は灰皿へ手を伸ばした。
「オイ、置いとけ」
「置いといたら放置するでしょーが。私がこういうの見てられないタイプだって知ってんでしょ」
「なまえ、お前アレだな。長期間ダメ男の面倒見すぎた後遺症が出てるぞ」
「だって私がやらないと誰もやらないし」
「やめとけ。その生き方は男をダメにする。女は寄りかかるくらいがちょうどいいのさ」
「じゃあ晋助いつこれ片付けんのよ」
「………気が向いたらな」
「ハァイ没収~」
すっと灰皿を取り上げると瞬時に掴まれる腕。いいから置いとけそこ。俺が言うまで持っていくな。だそうだ。どこぞの頑固オヤジよろしく関白宣言か。私も侍の端くれ、晋助に恩義を感じていなければここまでしない。だから別にあいつのせいで世話焼きになったわけじゃないと強めの主張をしておく。一気に興味が失せたのか晋助には無視された。今すぐ末期の肺がん患ってしまえばいいのに。
「本題に入る。お前を密偵として江戸に送り出す」
唐突に切り出された話題に、私は緩みかけていた気を引き締め直した。ついでに浮かした腰を下ろすと灰皿を奪われた。
「密偵ってどこに?正直あんまり自信ないよ」
「面割れてないお前なら多少しくじっても問題あるめーよ」
「だから場所は」
「そーさな………宇宙一バカな野郎の本拠地、と言ったところかねェ」
勿体ぶって間を開けた晋助は、皮肉めいた笑みをひっさげてそう呟いた。
だからどこの誰のところだよ。名詞を言え名詞を。至極真っ当であろうツッコミは、意味ありげなドヤ顔に流されてしまう。それを見た心優しい私は、晋助の部屋にある火種を全て回収することで許してあげた。自室に戻ろうとする私を止めることなく、晋助はひらりと手を振っていた。
始終ふざけた調子の晋助が気になるものの、江戸に行くなら支度を済ませる必要がある。密偵ともなれば、それなりの日数を地球で過ごすことになるだろうし、生半可な覚悟で挑めば攘夷浪士だとバレる可能性だってある。肝心の「どこの」「誰」が見当もつかないけれど、晋助直々の命令だから用心するに越したことはない。はず。私からすればただのお節介ヤクルト包帯男だけども。
…で、だ。
当日。上空を漂う戦艦の甲板で、荷物を抱えた私はみんなに囲まれていた。
「なまえ先輩ィィ~~!!私実は晋助様に馴れ馴れしいアンタのことそんなに好きじゃなかったッス!江戸でもどうかお元気で!」
いや、
「なまえさん、お洋服を何着か用意しておきましたよ。何でも江戸で流行しているおーばーさいずなるものだとか。いいですか、私はロリコンじゃないフェミニ」
いやいや、
「ふむ、では拙者からはこれを渡そう。達者でななまえ。向こうでもいずれ相見えることになろう。その時はよろしく頼むでござる」
いやいやいや、
何この送別会みたいなノリ。密偵行くだけじゃなかったの?渡された洋服にお通ちゃんのCD、あとなんか諸々を両手に持つ私の顔はさぞひきつっていることだろう。徐々に下降していく船は目的地に到着してしまったらしい。この状況を生み出した張本人は視線を動かしてみても見当たらず、こく一刻と下船の時が迫っていた。
「ちょちょちょ、あのさ晋助は?」
「晋助殿なら見送りには来ないと言っていましたよ」
「あの野郎…マジで一回ぶん殴ってやろうかな」
「代わりにこれを渡せと頼まれたでござる」
手に余るほどの荷物を持ちかえ、万斉から紙切れを受け取る。丁寧に折り畳まれたそれを広げていくと、真っ白な紙の中心にちんまりと筆文字が並んでいた。
『なまえ、この数年間世話になったな。お前さんならどこでだって活躍できるに違いねェさ。健闘を祈る。PS.ところで俺のヤクルトが一本ないんだが、お前昨日飲んだだろ。月一でヤクルト仕送りしやがれ』
読み終えると同時にくしゃくしゃと丸めた紙くずを天空に向けてスパーキング。また子が全速力で追いかけていく様子を一瞥し、私は大きく息を吸った。
「この船馬鹿しか乗ってねー!!!」
2020.11.17
2025.3.1
加筆修正
「なまえ、江戸に興味はねェか」
紫紺の着流しに身を包んだ目の前の男だってそう。男がふぅ、と息を吐くと、咥えた煙管から紫煙が立ちのぼる。天井まで届くよりも先に、空気と混ざりあって溶けていく。追っていた視線を下に戻すと、男はいつものようにニヒルな笑みを浮かべていた。彼も例外なく絶賛過去に縛られたままの囚人だ。いや、亡霊のほうが正しいかもしれない。生きながら空虚を映す瞳の奥で、黒い何かが渦巻いている。あの日を境に、私の知っている彼は死んでしまった。
「どうしたの、急に」
「婚期に愛想尽かされたお前が哀れで見てられねー。地球人と見合いでもするか」
「やかましいわ」
…はずだった。
私と会話するときだけ昔の調子に戻るこの男──高杉晋助は、毎度毎度飽きもせず私の見合い相手を見繕ってくる。意味がわからない。あんたは私のお父さんか。余計なお世話にもほどがある。そのままぶつけた日に返ってきた言葉は「俺が父親なら無粋な真似はしねェ」だった。こいつ結局私で遊んでるだけじゃねーか。
「この前晋助が連れてきた天人、ゴリラと豚のハーフだったじゃん。あり得ないじゃんどう考えても」
「なまえよォ…人は見かけによらねェもんだぜ。髪型はお前の嗜好に沿ってたはずだ」
「バリバリ見かけに命懸けてるじゃん。別に好みじゃないし」
「天の邪鬼な女は可愛げも何もあったもんじゃねーな」
「ツンデレとかじゃなくてマジで無理なだけだから」
灰皿へ火種を投げ捨てた晋助はやれやれとでも言いたげに肩を竦めた。百歩譲って髪型が好みだったとしてもデメリットがでかすぎる。前回はゴリラと豚のハーフ。その前はパーマネント星の王子。両者とも頭髪は天パを通り越して凄まじいことになっていた。いつ接点があったのか知らないし知りたくもないし、故意にやっているとしか思えない。
涼しい顔で火種をつまむ仕草すら癪に障り、煙管に入る直前でそれを取り上げた。
「オイ」
「……天パが好きだったわけじゃないから」
「ほォ、そいつは誰の話だ」
にぃ、と口の端を吊り上げてみせた晋助に確信する。やっぱりわざとじゃん。言葉に詰まる私から火種を引ったくるなり、晋助は楽しげに目を細めた。
「あの時、あの場でお前と再会したのが俺でさぞ落胆したことだろうよ。なァなまえ」
「……馬鹿言わないで。晋助にだって会いたかった。みんな、……大事な仲間だよ」
切れ長の目を鋭くさせた晋助は、喉の奥で小さく笑った。仲間ねェ。ぼやくように告げられた台詞に、じくじくとした痛みが胸に広がる。時おり垣間見える晋助の闇は、他者を拒絶するように蠢いている。私なんかじゃ立ち入れないほどの、暗闇。宙ぶらりんになった手をぎゅっと握りこむと、何もかも見透かすみたいにして笑う晋助から腕が伸びてきた。乱暴やがさつとはちょっと違う、戸惑ったような手つき。頭上でゆるゆると往復するそれに手のひらから力が抜けていく。
再び紫煙を燻らせる晋助は、それきり何も言わなかった。
この世界をぶっ壊す。
数年前、戦場で再会した晋助は開口一番そう言った。艶やかな黒髪から覗く見慣れない包帯と、狂気を宿した強い瞳。物々しい雰囲気を纏っている彼は、私の記憶の中の人物とかけ離れてしまっていた。二言目には腸まで届け乳酸菌と呟きヤクルトを飲んでいた男が、世界を壊滅させようと目論んでいる、なんて。信じたくなくてヤクルトを手渡すと、わりとガチで喜んでいやがったので少しだけ安心した。ところが事の顛末を問いただすと口をへの字に曲げてしまうものだから、聞き出すのも一苦労だった。
ぽつりぽつりと話し始めた晋助の口から思いもよらぬ真実が語られた。松陽先生が亡くなったこと。戦の目的を見失い、散り散りになってしまったこと。そして──松陽先生の首を切断した人物。全部聞き間違いであってほしいと願ったところで現実が覆るわけもなく、天人に蹂躙された事実だけがそこにあった。私たちのやってきたことは水泡に帰してしまい、残ったのは幕府からの逃亡生活のみである。これが国のために戦った侍の末路だなんて、笑えない。認められるわけがなかった。
救護班に所属していた私は最前線からはぐれてしまい、残兵たちと野営地に留まり続けていた。負傷兵は増える一方で、倒れていく仲間たちを救うこともできず、虚無感を募らせていく日々。次は私の番だと覚悟を決めた時にかけられた懐かしい声。まだ生きてやがったか。しぶてー女だ。軽口を叩いてみせた彼の左目は光を失っていた。それでも残る片目に灯された復讐心は、真っ直ぐ前だけを見つめていた。自暴自棄になっていた私に飛び火するのは言うまでもない。
だから、晋助の手を取った。自分の意思でその手を取ったのに落胆する理由がない。例えばあの場で再会したのがあいつだったら、なんて考えるだけ時間の無駄だ。過去は変えられない。晋助が差し伸べてくれた手を、私が取った。ただそれだけ。
「まァ、今回の見合いは冗談だ。聞き流せ」
「……前回までは本気だったってこと?マジでナメくさってんね」
「誰がナメック星人だ」
「もうやだこの人。メンドくさい」
何度目かの煙を吐き出して静寂が打ち破られる。回想していた意識を戻すと、灰皿の吸殻が増えていた。きっと晋助の死因は肺炎だ。幕吏に捕縛されるよりも先に肺が限界を迎えるだろう。懲りずに新たな火種をつまみあげる晋助を尻目に、私は灰皿へ手を伸ばした。
「オイ、置いとけ」
「置いといたら放置するでしょーが。私がこういうの見てられないタイプだって知ってんでしょ」
「なまえ、お前アレだな。長期間ダメ男の面倒見すぎた後遺症が出てるぞ」
「だって私がやらないと誰もやらないし」
「やめとけ。その生き方は男をダメにする。女は寄りかかるくらいがちょうどいいのさ」
「じゃあ晋助いつこれ片付けんのよ」
「………気が向いたらな」
「ハァイ没収~」
すっと灰皿を取り上げると瞬時に掴まれる腕。いいから置いとけそこ。俺が言うまで持っていくな。だそうだ。どこぞの頑固オヤジよろしく関白宣言か。私も侍の端くれ、晋助に恩義を感じていなければここまでしない。だから別にあいつのせいで世話焼きになったわけじゃないと強めの主張をしておく。一気に興味が失せたのか晋助には無視された。今すぐ末期の肺がん患ってしまえばいいのに。
「本題に入る。お前を密偵として江戸に送り出す」
唐突に切り出された話題に、私は緩みかけていた気を引き締め直した。ついでに浮かした腰を下ろすと灰皿を奪われた。
「密偵ってどこに?正直あんまり自信ないよ」
「面割れてないお前なら多少しくじっても問題あるめーよ」
「だから場所は」
「そーさな………宇宙一バカな野郎の本拠地、と言ったところかねェ」
勿体ぶって間を開けた晋助は、皮肉めいた笑みをひっさげてそう呟いた。
だからどこの誰のところだよ。名詞を言え名詞を。至極真っ当であろうツッコミは、意味ありげなドヤ顔に流されてしまう。それを見た心優しい私は、晋助の部屋にある火種を全て回収することで許してあげた。自室に戻ろうとする私を止めることなく、晋助はひらりと手を振っていた。
始終ふざけた調子の晋助が気になるものの、江戸に行くなら支度を済ませる必要がある。密偵ともなれば、それなりの日数を地球で過ごすことになるだろうし、生半可な覚悟で挑めば攘夷浪士だとバレる可能性だってある。肝心の「どこの」「誰」が見当もつかないけれど、晋助直々の命令だから用心するに越したことはない。はず。私からすればただのお節介ヤクルト包帯男だけども。
…で、だ。
当日。上空を漂う戦艦の甲板で、荷物を抱えた私はみんなに囲まれていた。
「なまえ先輩ィィ~~!!私実は晋助様に馴れ馴れしいアンタのことそんなに好きじゃなかったッス!江戸でもどうかお元気で!」
いや、
「なまえさん、お洋服を何着か用意しておきましたよ。何でも江戸で流行しているおーばーさいずなるものだとか。いいですか、私はロリコンじゃないフェミニ」
いやいや、
「ふむ、では拙者からはこれを渡そう。達者でななまえ。向こうでもいずれ相見えることになろう。その時はよろしく頼むでござる」
いやいやいや、
何この送別会みたいなノリ。密偵行くだけじゃなかったの?渡された洋服にお通ちゃんのCD、あとなんか諸々を両手に持つ私の顔はさぞひきつっていることだろう。徐々に下降していく船は目的地に到着してしまったらしい。この状況を生み出した張本人は視線を動かしてみても見当たらず、こく一刻と下船の時が迫っていた。
「ちょちょちょ、あのさ晋助は?」
「晋助殿なら見送りには来ないと言っていましたよ」
「あの野郎…マジで一回ぶん殴ってやろうかな」
「代わりにこれを渡せと頼まれたでござる」
手に余るほどの荷物を持ちかえ、万斉から紙切れを受け取る。丁寧に折り畳まれたそれを広げていくと、真っ白な紙の中心にちんまりと筆文字が並んでいた。
『なまえ、この数年間世話になったな。お前さんならどこでだって活躍できるに違いねェさ。健闘を祈る。PS.ところで俺のヤクルトが一本ないんだが、お前昨日飲んだだろ。月一でヤクルト仕送りしやがれ』
読み終えると同時にくしゃくしゃと丸めた紙くずを天空に向けてスパーキング。また子が全速力で追いかけていく様子を一瞥し、私は大きく息を吸った。
「この船馬鹿しか乗ってねー!!!」
2020.11.17
2025.3.1
加筆修正
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