焼けぼっくい全焼事件
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欲望の街。眠らない街。この街を形容する言葉のとおり、夜が深まるにつれて活気づく街並み。店先から伸びる光に惹かれるみたいにして足を運ぶ人々。その姿は大空を舞う鳥のようで、街灯に群がる虫にもよく似ていた。月明かりを求めて闇夜をさ迷い、偽りの光に身を焦がす蛾。そんな蛾を誘いこむように闇を照らす月。そわそわと落ち着かない気持ちを抱えた私は月と蛾のどっちなんだろう。なんて詩的なフレーズが浮かんじゃうくらいには、店の入口と時計を交互に見てしまっていた。今日も来るのかな。いつもならこの時間帯にって把握しちゃったりなんかもして、仕事しに来たんじゃないのって呆れそうになる。年相応に奥ゆかしい女性でありたいものだけど、今のところ淑女でも月でも蛾でもなく、強いていうならただの女子中学生だった。
「ウーッス」
そしてもうひとり。
「またアンタかィ、銀時」
「イイ加減見飽キテキマシタヨ」
紳士でも月でも蛾でもない、まるでダメなオッサンがここにいた。
「見飽きたはこっちのセリフだ。誰がオメーの谷底みてーに深いほうれい線眺めながら酒なんか飲みてーかよ」
「人生グラフ谷底ノヤツニ何モ言ワレタクネーンダヨ」
「人生山あり谷ありっていうだろ、そら一度くらい落っこっちまう時だってあらァ。老化っつー断崖絶壁から転落したわけじゃねーんだよ」
「ジジイニナル前ニソノ首落トシテヤロウカ」
「生憎この店は酒とエロしか扱ってないよ。喧嘩なら他所でやっとくれ」
入店早々いがみ合うふたりに、お登勢さんの声音が怒気を含んだものに変わる。ふぅっと煙を吐き出すお登勢さんに、すかさず銀時の「どの辺がエロ?エロっつーかグロだろ」というツッコミが炸裂した。「テメーの顔面がゲロ」即座に戻ってくる罵倒。飲食店でゲロ言うな。何となく口を挟まなかった私は、横目でお登勢さんの表情を確認してみる。こめかみに浮かんだ青筋にこっちの怒りも炸裂寸前だ、なんて上手くもないことを思った。
「客に向かって何だその態度は。雀の涙ほどの売上に貢献してやってんだぞ、感謝しやがれ」
「酒飲む金があるなら家賃払えんじゃないのかい」
「バカヤロー、俺が一括で六万も出せるわけねーだろ殺すぞババア」
「殺されてーのかオメーは」
ぶつくさ文句を垂れて歩きだした銀時からちらっとやってくる視線。気だるげに細められたそれと目が合って、ぽんぽんと頭に浮かぶ自分の声。
気まずいから無視しちゃおう。いやでも店員だし形だけでも挨拶しとく?とりあえず笑っとけば誤魔化せるかも。絶対いらないシンキングタイムに苦笑いして、私は前者ふたつを切り捨てた。
「こんばんは、そろそろかなって思ってたところでしたよー」
「…………おー」
営業スマイルを貼りつけて、本心と社交辞令を織りまぜたセリフを投げかける。まぁ大人なんでね、仕事に私情を持ち込んだりしませんよ。余裕ですよこのくらい。誰に言うでもない自画自賛は、銀時の表情を見るなり引っこんでいった。半端に逸らされた視線と、何とも形容しがたい微妙な面持ち。横目で私を見る銀時から笑みは消えていて、そのまま奥のカウンター席に向かってしまった。
…え、何か変だった?声が上擦ってた、わけじゃないしちゃんと笑えてたはず。接客業なんだから身だしなみチェックも怠ってない。ということはまさか言葉のチョイス、来る前提みたいな言い方がキモかっ──じゃなくて不審感を持ったとか。もしくは普通に嫌われ──じゃなくて怪しまれてるのかも。どっと押し寄せてきた不安と後悔の念に、だから中学生か!と渾身のノリツッコミを入れる。一挙一動にそわそわモジモジ、しかも銀時相手とか笑えない。そんな初々しい関係じゃなかったじゃん。もっと大人の深みあったじゃん、たぶん。よみがえってきた淡い記憶は、鮮明に思い出しちゃう前にぶんぶんと振り払っておいた。
「澪」
「はい、っ」
銀時の着席を見届けたお登勢さんから声がかかる。ほとんど脊髄で反応したはいいものの、声は裏返ったしキャサリンさんに鼻で笑われた。なるべく平静でいようとそれには触れずに、お登勢さんが指定した徳利と盃を手に取った。銀時にはコレを出しておけばいい、と雑に教えてもらったものだからアルコール度数や味はわからないけど、文句言わずに飲んでるあたり嫌いじゃないのだと思う。態度で嘘をつけないのはとっくに見抜かれていて、得意の憎まれ口もお登勢さんには通用しないらしい。銀時以上に嘘が下手な自覚はあるし、私も言動には注意しよう。ボロ出そうだけど。てきぱきと作業を進めるお登勢さんにそう思いながら、くるっと向きを反転させた。
ていうかさしあたっての問題はそっちじゃない。
「ここ、置いておきますね」
「おー」
さっきから生返事ばかりしているこの男だ。
「ひゃいっ」
「え?」
「澪のマネ」
「やめて」
手元に置いた徳利をちらっと見て、銀時はふいと視線を逸らした。生返事するくせにさっきのアレは聞き逃していなかったらしい。何気なく言ったであろうそれに「全然似てないから」ってつまらない意地を張っちゃう私も大概だ。だから銀時に似てきたとか言われるんだってば。さっそく出てきたボロを隠そうとして、正面の銀時に向かって笑みを浮かべる、と。
明後日を泳いでいた死んだ魚は、じっとこちらを見つめていた。
「……………」
「何ですか」
「………………別に」
この何とも思ってませんみたいな、冷たくあしらった態度の裏にあるもの。つんけんつんけんして相手を突き放すくせに、ちょっかいかけたり気にかけてみたりして、絶妙な距離感を保ってくるコレ。いつもの饒舌っぷりは消え失せて、途端に口数が減る銀時はものスッゴイ見覚えがある。あるっていうか、心当たりはひとつしかなかった。
「今日は元気ないんですね」
「あ?」
「また大負けしたんですか?」
「またってなんだよ。打ってねーし、つーか金欠だっつってんだろ」
「なら何しに来たんですか」
「飲みに来た以外に何があんだよ」
「お金ないのに。このままじゃ財布も喉も潤せませんよ」
「上手くねーんだよコノヤロー」
ふて腐れたように口を尖らせた銀時が、いつかの記憶と重なる。そっぽを向いたかと思えばまた目があって、他愛ない話をして、
「そんなモン潤しに来たわけじゃねー」
「じゃあ…………何ですか」
だらしなく下がりきっていた眉をつり上げて、ガラにもなく真剣な顔まで作ってみせて、それで。
「心を、潤しにきた」
「キ
ッッッッショ」
「チェェェンジ!店長チェンジで!!俺この姉ちゃんに相手されたら身が持たねェ!もっと優しい子にしてくれェッ!板チョコ並に単純でわかりやすい甘さがイイ!」
「高クツキマスヨ」
「いつ誰がお呼びしたってんだァ!天下のゴディバ様に遠く及ばない老舗の甘味処がでしゃばってくんじゃねー!」
「ここは甘味処でも風俗店でもないよ。他あたりな」
綺麗に重なっていた情景は、銀時が声を張り上げたことでばらばら崩れていった。口説き文句のクオリティは下がってた気がしなくもないし、私もこんな返しはしていない。今のはつい言っちゃったけど、繊細な銀時には効果抜群だったらしい。わかりやすくへそを曲げて、黙々と酒を飲み干していた。
「冗談ですよ」
「冗談で人を傷付けるのは三流のやり方だ。ユーモアとジョークは似て非なるもの。みんなが楽しむためのスパイス、それがお笑いってモンだろーが」
「あんたがそれを言うんだ」
すっかり調子を取り戻したらしい銀時が笑いの文化について語りだす。周りの空気もゆるくてふわっとしたものに変わって、ホッしたような寂しいような気持ちになる。寂しいっていうかアレだから。何かこう、アレだから。別に期待してたわけじゃないから。
「オイ、聞いてんのか澪」
「聞いてますよ」
「それは聞いてるじゃねー、聞き流してるっつーんだよォ」
「聞いてる聞いてる」
「ちょっお前……座れここ、隣。今から大事な話すっから」
「仕事中だから無理です」
隣、ここ、座れ。真っ赤な顔でイスを叩く銀時は、早くも鬱陶しい酔っぱらいと化していた。接待を要求されたら文句言えって忠告したのあんたでしょ。酒強くないくせに畳みかけるな。そもそも金ないでしょって、言ってやりたかったことはたくさんある。さっきのやり取りだってそう。たとえば茶化さずに答えていたら。ここに来た理由を話したら。私がなまえだと打ち明けたら、銀時はどうするつもりなんだろう。とか、考えたってどうしようもないことばかり浮かんでは消えた。
晋助の手助けをしたい。死んでいった同志を弔いたい。それだけが生きる目的だったのに。そのはずだった、のに。ずっと私の心に居座り続けるコレが、何十年かけても手離せなかった想いが、あの日掴めなかった未来を望んでいる。それに気づいてしまった私から、全てを隠したまま鬼兵隊に戻る、という選択肢は消えていた。
「やる前に無理とか言ってんじゃねェ。一杯くらい奢ってやっからよォ」
「いやだから仕事だってば」
でも、まだいっか。このままでも。
盃を掴んだ銀時がつれねーのってまた口を尖らせる。このアホヅラを眺めるのも悪くないかなって頷くと、じゃあさァ~たとえばさァ~と舌足らずな声が続く。
「仕事じゃなきゃいいわけ」
「まぁ、そりゃね」
「飲みいこうぜ。今度、ふたりで、俺と」
「いいよ。今度ね」
「いったな。ぜってーいくからな」
「ハイハイ。奢ってね」
「ったりめーよォ……」
ふたつ分の小さいそれは、がやがやと騒がしい店内に溶けていった。
2021.4.20
2025.3.2
加筆修正
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