ゆめうつつ
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あれから何事もなく日々が過ぎていき、学校とアルバイト先と家とを往復する、わたしにとってのルーティンをこなす生活を送っていた。二度あることは三度あるだろうと警戒していたのは最初だけで、存外すんなりと戻ってきた日常を過ごすうちにそんな気も失せた。それもそうだ。わたしは絵に描いたような『夢に向かって努力する学生』で、社会の役割を付け替えて生きる善良な市民なのだ。山あり谷ありの人生を望んでるわけじゃない。そりゃ楽しいことは好きだけど、非日常は非日常だからこそ楽しめる。非日常が日常になったらそれはもう非日常じゃないから。日常になった非日常に刺激ないから。何言ってるかわからなくなってきたけど、まぁ、つまりそういうことだ。
わたしは、今の人生に満足している。転生してまで変えたい何かもなく、ありのままの自分を受け入れて生きている。それ以上に望むことはなかった。
「やあ、今日は白くて甘いふわふわを空に詰めこんだような天気だね。こういう日は不吉なことが起きそうでわくわくしない?たとえば…おまえが悲惨な事件に巻き込まれるとか」
けど、こういう前振りがあるときは崩されるのがお約束だ。
「たった今事件に巻き込まれたよ」
「そうなの?」
「そうだよ」
「つまんない。惨めに泣き喚いてみっともなく僕に助けを求めろよ」
寄り道しないでまっすぐ帰ろうとした矢先に奴は現れた。当然のように声をかけられ、一方的に喋りながら隣に並び、一緒の方向に歩き出す。あまりのスムーズさに待ち合わせしてたんだっけと錯覚しそうになる。すぐにそんなわけないと思い直し、未だぺらぺらと饒舌に話すオーエンの横顔を盗み見た。
この人本当にアイドルやってるんだよね?実はニートだったりしないよね?だって普通に声かけてくるししょっちゅう会うし、いくらなんでも不用心すぎない?アイドルならなんかもっとこう、あるでしょ。わたしの疑念が届いたのか、オーエンは露骨に眉根を寄せた。
「言いたいことがあるならはっきり言えば?」
「…エンカウント率高いね」
「えんかうと?」
「よく会うよねってこと」
「うん。えんかうと高い」
「なんで高いの?」
「何でだろう?えんだから?」
「違う話になってない?」
「えんかうとの話じゃないの?」
「そうだけど何でよく会うのかって話をしてて」
「会ったら駄目?」
「駄目……じゃないよ?駄目じゃないけどさ、そうじゃなくて」
話がややこしい方向へ脱線しかけると、オーエンは「おまえの話難しい」「わからない」「嫌い」の三拍子でそっぽを向いてしまう。赤ちゃんか!いや赤ちゃんなら意味わかんなくても笑ってくれるよ!いないいないばあでウケるもん!渾身のノリツッコミはうるさいのひと言で一蹴されてしまった。
「あーもう!だからわたしが言いたいのはふらふら出歩いたり一般人にちょっかいかけたりして大丈夫かなってこと!要は心配なの!オーエンが!わかった!?」
街中の雑踏に負けじと響くわたしの声。行き交う車のエンジン音。きょとんとした顔のオーエン。しまったと思ったときにはもう遅くて、怪訝そうな顔でこちらを見る人と目が合った。
「……ふふ、僕が心配なんだ」
悪戯っぽく目を細めたオーエンに直感する、ここで割り込まなきゃ絶対に長くなるぞ。
「…っ、おい、引っぱるなよ」
そうと決まればやることはひとつ。すぐにオーエンの腕を掴んで人の合間を縫っていく。すれ違いざまに肩がぶつかったりオーエンがぶつくさ文句を言ったりしても、誰もわたしたちを気に留めることはなかった。何かがおかしいとは思いつつも、今さら後に引くこともできなくて夢中で足を動かした。
とにかく人通りの少ない場所へ、立ち止まっても邪魔にならない場所へ、SNSで拡散されない場所へ、そんな場所ないか。もうこの際目立たなければ何でもいい。
「わ、っと」
突然後ろからぐいっと引っぱられる感覚がして、気づけば路地に入り込んでいた。
「ここに来たかったんでしょ?」
押し込まれるようにしてやってきた先は、室外機とコンテナとゴミ箱が所せましと並ぶ場所だった。下水と油が混ざったような臭いに胸の奥がざわざわして落ち着かない。
「はは…どうしたの?そんな顔して」
どうして落ち着かないのか。胸のざわめきの正体は何なのか。何もわからないままオーエンを見た。
「ねえなまえ、本当は僕を利用して注目を浴びたかったんじゃないの?みんなに見てもらいたかったんじゃないの?」
「何の話…?」
「隠さなくていいよ。僕にはぜんぶお見通しだから。おまえの身勝手で卑しい気持ちを僕だけが受け止めてあげる」
は、と言いかけたものは、ずいとスマホを押し付けてきたオーエンに遮られる。
「ほら、遠慮しないで。特別に一緒に撮ってあげる。それとも僕だけを撮る?こういうのニオワセって言うんだろ、晶が言ってた。画像から匂いなんてしないのにみんな騒いでておかしいよね」
オーエンの顔がどんどん近くなって掴んでいた腕ごと体を押し返す。ぱっと腕を払われたかと思えば、今度はオーエンからわたしの手に指を絡ませてきた。するりと撫でつけられた指先が震えると、オーエンは満足そうに笑みを浮かべた。
細められた赤い瞳を見て、ああ、と心のどこかで思う。なんて寂しそうな目をしているんだろう。
「わたしはどこにも行かないよ」
「は?」
「こんなことしなくたって一緒にいるって、約束………する?」
「何で疑問形?」
「何でだろう?」
「僕の真似するなよ」
勝手に口から出てきた台詞はオーエンの機嫌を損ねたらしい。面白くなさそうに鼻を鳴らすと手を振りほどかれてしまった。結構恥ずかしいこと言っちゃったな、と若干の後悔に襲われながら、でも言っちゃったもんは戻らないし嘘を言ったわけでもないしまぁいいか、と胸の内で繰り返す。不思議なことにさっきまでのざわざわはなくなっていた。
胸のざわざわがおさまると、路地裏の景色はちょっと汚くて臭い場所くらいに思えた。拍子抜けするくらい気持ちが楽になったところで「オーエン!」と名前を呼ぶ大きな声が響く。
「そんなところで何してるんだ!」
声がしたほうに目を向けると、凛とした雰囲気の青年が立っていた。茶色の毛先が揺れると同時に蜂蜜色の瞳が覗く。その顔にあ、と思ったときにはオーエンとわたしのすぐそばまで来てしまっていた。
「どうやって僕を見つけたの?」
「お前が路地に入っていくのが見えたから追いかけてきたんだ。駄目じゃないか、打ち合わせをすっぽかしたりしたら。晶が困って……と、こちらの女性は?」
ばち、と視線が絡んだ瞬間、まさかと思っていたものが確信に変わる。
「失礼、人に名を尋ねるときは何とやらってな。俺はカイン、訳あってこいつを探してた」
紳士的な仕草で一礼すると、青年───カインは快活に笑った。数日前にスマホ越しに見た顔が目の前にいて、そういえばオーエンから聞いた外国人っぽい名前もこんな感じだったなぁと、差し出された手を握りながら思う。まさかアイドルのことだったなんて。いやアイドル以外で横文字の名前ないか。逆に。すぐに答えの出たそれには触れずにわたしは初めまして、と切り出した。
「わた、」
「晶が待ってるんでしょ。さっさと行くよ」
わたしとカインの間に割って入るなり、オーエンはこれ見よがしに悪態づいて見せた。完全に無視されたし邪魔された。そっちから絡んできたくせに。文句を言ってやろうとしたけれど、カインごと押して歩く背はどんどん遠のいていく。待ってと呼びかけたのとほぼ同時に、オーエンが振り向きざまに言った。
「…おまえの約束はアテにならない。だから、破ったら今度こそ僕が殺す。絶対どこにも行くなよ」
ぽつんと呟かれたそれは、押すな押すなと騒ぐカインの耳には届かなかったらしい。オーエンとカインはわたしの返事を待たずに表通りへと消えてしまった。残されたわたしはコンテナに座り、フォンフォン音を立てる室外機を眺め、浅く息を吸ってむせた。
この下水臭いところで待てと?
2025.2.24
