ゆめうつつ
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「おまえ、みょうじなまえだろ」
一瞬、何を言われたのかわからなかった。口を開いては閉じるをくり返すオーエンは、物言いたげにわたしをじっと見ている。聞き間違いだと思いたくて掴まれてないほうの手で頬をつねってみる。痛い。頬の痛みが『これは夢じゃない』と告げていて、逃げられない現実がすぐそこまで迫ってきているのを痛感させられた。
オーエンは、わたしを知っている。今朝、初めて会ったと思い込んでいたのはわたしだけで、オーエンはわたしのことを知
「ここに書いてあった」
───ってるわけがなかった。
わたしの学生証を指先で弄ぶオーエンは、何食わぬ顔でそう言った。
「……いつの間に取ったんですか」
「せっかく拾ってやったのに、僕を泥棒扱いだなんていい度胸してるよな」
「冗談ですよ、ありがとうございます」
「ふん」
全身の緊張を解きたくてはぁーっと息を吐き出してみる。強ばっていた肩やら顔やらの力を抜くと「いちいち大袈裟で嘘くさい」待ってましたと言わんばかりにやってくる罵倒。無視して学生証を受け取ろうとしたら面白い顔、とも言いやがったのですぐに奪い取った。
「ねえ、ひょっとして僕と君が知り合いだとでも思った?純粋で素直ななまえ、僕に騙されてどんな気持ち?悲しい?それとも悔しい?」
「うるさいな!どうもこうもないよ!」
「穴があったら…………えっと、生き埋めにしてほしい?」
「入りたいだよ!」
どうやらオーエンはわたしを困らせたり怒らせたりするのが好きらしい。声を荒らげるわたしを見て、鼻歌交じりにガトーショコラを取り出すのだから性格が悪い。やっぱり学生証を拾ったのも嘘なんじゃ、なんて疑おうものなら全力で被害者ムーブされるんだろう。どう転んだって最悪だ。
「それじゃお気をつけて!」
これ以上つきあってられるか。退散だ退散。今後もアイドル活動を頑張って世界に名を轟かせればいい。そんで他の店でケーキを買うときに恥をかけばいいんだ。怒りに突き動かされるまま背を向ける。と、回り込んできたオーエンに行く手を塞がれた。次のわたしの行動は見透かされたのか、容赦なく革靴で踏まれて動けなくなる。満員電車とうっかり以外で足を踏まれるのは初めてかもしれない。
「ほふほふひはっへほ」
ケーキを意味不明なワードで例えたり、立ち食いしたり、故意に足を踏んだりする人は初めてだ。オーエンに会ってから初めての連続で新鮮なことばかりされる。どうやらわたしはそれらを面白いと感じる性分らしい──もっとも、素の状態のオーエンとわたしの間で起きることに限るけど──面白いことは楽しいから好きだ。じんじんと広がる足の痛みに耐えながら、そんなことを思った。
「ほふほふひはっへっへは」
ぜんぜん関係ないことに思考を伸ばしているとオーエンはまだほふほふ言っていた。
「食べてから喋りなよ」
「へーへーふふは」
「だからわからんてば」
器用にフォークで切り分け、最後のひと口を頬張る様子を眺める。立ち食いとは思えないほどスマートな所作に意地悪な性格。整った顔立ちに不釣り合いな毒舌のオンパレード。どこまでもちぐはぐで面白い人だなあ、と誰に向けるでもない感想が浮かぶ。
最後の咀嚼を終えたオーエンは、ごく、と喉を鳴らした。
「…、…………僕に命令するなよ」
やっとまともに喋ったと思ったら、漫画やアニメでしか聞かないような台詞が飛び出てきた。
「足どかしてよ、重いし」
「だから命令するなって言ってるだろ」
「痛いから足を動かしてほしいな……?」
「そう言われると動かしたくなくなるな」
「小学生か」
ず、ず、と足を引き抜こうとすれば、比例するようにのしかかる体重が増えた。痛いような痛くないような、我慢しようとすればできるギリギリのラインで踏まれていて、抵抗するだけ無駄だとすぐに諦めた。オーエンは一部始終をにやにやしながら見守っていた。ムカつく。
困らせて怒らせて、逃げようとすれば邪魔をして、諦めたかけたところをつついて嘲笑う。さっきからこの調子で、いまいちオーエンの意図を掴みきれなかった。一体オーエンは何がしたいんだろう。用事って何のことだろう。まさかわたしで遊びたいだけだったりして。その疑問の答えは、すぐにオーエンの口から聞くことになる。
「ねえ、僕と付き合ってよ」
聞いたからって理解できるわけじゃなかった。
「付き合ってって、どこまで?」
「どこだろう?」
「どこか行きたいんじゃないの?」
「行きたくない」
「じゃあ……………付き合いたいって意味?」
「たぶん?」
「わたしもわかんないよ!」
バラエティ番組よろしくビシッと肩を叩いてみる。当の本人は不思議そうに首を傾げるだけで弁解する気はなさそうだ。もちろんわたしがオーエンの真意を汲み取れるわけもなく、同じように首を傾げるしかなかった。
「………嘘つき。こうすればいいって言ったのに」
やや間があって、オーエンは忌々しげにそう呟いた。そのひと言からわかったのは、誰かの助言でオーエンがあの台詞を言ったことと、助言した誰かの信頼が消えたこと。何にせよ、事情を知らないわたしにはどうすることもできないんだから、さっさと突き放して立ち去ればいい。今ならそれができたはずだ。そのはずなのに、性懲りもなく「あのさ」と声をかけたわたしはバカなのかもしれない。
「嘘つきってどういうこと?」
「一緒にいたいときはそうするって言われた」
「誰に?」
「騎……、カイン」
「カイン?外国の人?」
「ガイコツならミスラが持ってるよ」
「待って待ってストップ。わけわからなくなってきたから一旦整理しよ」
「嫌。疲れたから帰る」
そう言うや否や、オーエンはわたしの体を押しのけ、人通りの多い道へ進んでいく。残されたわたしは、華奢な背中が雑踏に紛れるのをただ見ていた。あれじゃすぐにファンに見つかってSNSで拡散されるだろうに。まぁでももう関係ないか。二度と会わないだろうし、と徐々に思考が現実に戻るにつれて、忘れかけていた空腹も復活する。
今度こそどこかに寄って食べよう。そんで今日は早く帰ろう。
静かに決意したそのとき、
行き交う人の肩がぶつかった。咄嗟に謝ったわたしを見て、今気付きましたとでも言いたげな、ひどく驚いた顔をしていた。
2025.2.19
