ゆめうつつ
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お先に失礼しまーす。おつかれー。いつものように挨拶をかわし、先輩と手を振りあって踵を返す。
たった今入店してきた客とすれ違いざまに思う。きっとこの人にはわたしも客に見えるんだろう。私服に着替えてしまえばアルバイトと客の区別はつかない。一歩外に出れば『店員』から解放されて『お客様』に戻るのだ。人はそうやって社会での役割をとっかえひっかえしてるんだなぁ。オチのないそれは、店外へと足を踏み出すと実感に変わる。
時刻は正午を少し過ぎたころ。快晴で風も心地よい。最高のお散歩びよりだ。はれて『お客様』に戻ったから、労働による空腹を満たすためにカフェに寄ることもできる。その後ちょっとぶらついたって夕方前には家に帰れるとみた。やっぱり労働は午前中に限る。働いたあとの飯は美味い。あとなんか働いた感があっていい。謎の優越感に浸りながら、ポケットに突っ込んでいたスマホを取り出した。検索バーに『ここから一番近いカフェ』と入力すると、一度に大量の情報が飛び込んでくる。自分の腹と相談しながらゆっくりスクロールしていった。
ふと、視界の端に何かが見えた気がした。いやありえない。見間違いだとスマホに視線を戻しても、チラチラと入りこむ何か。観念して顔をそちらに向けると、わたしのそばでショートケーキを貪り食う男がいた。
言うまでもなく銀髪のあいつだった。
「やぁ、お疲れさま。ずっとずっと君を待ってたんだ」
「どうも…」
口端に生クリームをつけながら、それはそれはとびきりの笑みを貼りつけた男が言う。ファッション雑誌にある特集の一ページのように、見るものを釘付けにする顔立ちだ。生クリームを舐めとる仕草もサマになるのだからまぁ腹立たしい。屈しない!私はCENTRAL箱推し!と大騒ぎする先輩が目に浮かんだ。
それにしても店から数歩先のところでスマホをイジるわたしと、ケーキを立ち食いしている男、どこからどう見たってシュールだ。
「……おいしいですか?」
「あげないよ」
「いらないです」
ひょいとケーキ箱を持ち上げ、わたしの頭の上でゆらゆら揺すった。取ってみろと言わんばかりに揺れる腕が鬱陶しい。だからいらないってば。頭上の腕を払いのけようとして、やや高い位置にある男と目が合った。
あれ、この顔。そう思ったとき、頭の中につい数時間前の記憶が再生された。
「最近はみんなカッコいいですよねぇ」
「特にCENTRALはレベチだから見てみ」
「あ、ひとり知ってますよ!えーっとぉ、なんかドラマ出てましたよね……ミスラだ!」
「それCENTRALじゃなくてNORTH、あとドラマじゃなくて映画」
「ありゃ」
そうだ。たしかこんな感じだった。先輩がこっそりスマホで見せてくれたCENTRALのメンバーは、堂々とした表情に明朗快活な雰囲気、ひと言で言ってしまえば主人公のような印象を受けた。ひとりだけ魔王っぽい人がいたけど。
「でさ、さっきの人に似てたのがこれ」
先輩が画面をスワイプする。入れ替わるようにやってきたNORTHのジャケット写真。どれどれ、と先輩のスマホを手に取ると、最初に飛び込んできたのは黒と白のメッシュ、次に長身で赤髪の男、最後は──蠱惑的な笑みを浮かべ、舌を突き出す男の姿。
舌。おかしい。何か紋章があったはず。…紋章って何?訳のわからない疑問を押しのけ、今朝の人物と画面の男、そして今、目の前にいる男を重ねて見る。
ぴたりと特徴が一致した。NORTHのメンバーのひとり、この男の名前は。
「オー、エン」
「……僕を知ってるの?」
驚くわたしに負けないくらい、オーエンは大きく目を見開いた。信じられない、とでも言いたげに揺れる瞳に、期待と怒りが入り交じった何かが見えた。そこにこめられた意味なんてぜんぜんわからない。わからないのになぜだか胸が締めつけられた。とにかく何か言わなくちゃ。その一心で首を縦に振った。
「あったりまえじゃん!アイドルのオーエンでしょ!」
「…そうだよ」
「あのオーエンでしょ!?NORTHのメンバーの!」
「うるさいな。だからそうだって言ってるだろ」
期待、怒り、落胆と目まぐるしく色を変え、最後は呆れたように「やっぱりおまえ馬鹿だろ」と吐き捨てられた。ふいと顔を背けてしまったから、オーエンの表情はわからなくなる。でも、今は見えないくらいがちょうどよかった。
ほっと内心で息を吐いて、あらためて目の前の男を見る。黒のスウェットにパーカー、服装を除けば画像のオーエンそのものだった。逆に言えば、服装以外はオーエン以外の何者でもなかった。
「今さらなんですけど変装とかしなくて大丈夫ですか?結構騒いじゃったし…」
おそるおそる周囲に目を向けてみる。ところがどっこい、誰ひとりとしてわたしたちに注目するものはいなかった。
「自意識過剰。誰もおまえに興味ないよ」
「あなたの心配してるんですよ」
「心配…?ふふ、殺されたいの?」
「なんでェ!?」
うるさい。次大きな声を出したら殺すよ。もう一度物騒なワードを並べると、オーエンは口をへの字に曲げてしまった。心配されて脅迫するとか情緒どうなってんだ。アイドルのキャラづけだとしても嫌だよ。そこまで考えてからはっとする。
そうだ、この男はアイドルだ。わたしには縁もゆかりもない、華々しくてたぶんどろっとした世界に生きているのだ。週刊何とかにアレされてアレがそうなって彼の人生を台無しにしたら…考えるだけで背筋が冷えた。今の時代、どこで誰が見てるかわかったもんじゃない。加工アプリを使えばチョチョイのチョイで真実をねじ曲げることだってできる、そうなれば一巻の終わりだ。
「へへ、じゃわたしはこれで……」
わたしには明確な夢はない。だけどなんかやりたいと思った道はある。そのために学生、店員、お客様と色んな役割をこなしてきた。きっとこれから先もそうだ。それ以外の難しいことは考えたくない。楽しいことを追求していきたい。だから今、わたしがこなさきゃいけない役割は『一般人』だ。
「僕の用事は終わってない」
ぐい、と腕が引っぱられる感覚がして、群衆へ踏み出しかけた足が止まる。
「酷いなあ…従順な獣みたいに君を待ってたのに、また僕を置いていくつもり?」
ふり向けば悲しげに俯くオーエンがいた。わざとらしく眉まで下げて、いかにも自分は被害者ですとでも言いたげだ。
「またって…人間違いですよ。誰かを待たせた覚えなんてないし」
すぐにその手を振り払おうとした。振り払って雑踏に紛れれば役割をまっとうできたはずだった。
けど、それは叶わなかった。
「おまえ、みょうじなまえだろ」
オーエンに名前を呼ばれたから。
2025.2.13
