きみとふたり、夢の中で
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みんなと会話できるのに、どうして文字は読めないんだろう。
依頼書を流し見していたら、もう何度目かわからない疑問が浮かんできた。この世界に来てからずっと気になっていたけれど、賢者に選ばれたばかりの私は目の前のトラブルを解決するのに精一杯でそれどころじゃなかった。一時はどうなるかと思った叙任式を無事に終えて、魔法舎での生活にも慣れてきて、依頼書が目についたところで今に至る。
意味不明な文字列にじっと目を凝らしてみる。何度見ても読めそうにない。でも言葉が通じるんだから、文法を勉強すれば何とかなるかも。たとえばそう、誰かに教わるとか。真っ先に思い浮かんだのは、他国の魔法使いからも絶賛されている人物の顔。目深に被った帽子や色付きメガネのせいで表情が見えづらいけど、その奥にある瞳が優しい色をしていたのを私は知っている。…なんて本人に言ったらうるさい、ってつき離されちゃうだろうけど。
この世界のこともみんなのことも、もっともっと知りたい。文字が読めるようになれば、今より情報を集めやすくなるはず。厄災の傷のこと、賢者の役目のこと、それ以外でももっとみんなの力になれるかもしれない。
そう思い立った私の足は、自然とある場所に向かっていた。
「こんにちは、ファウスト」
「……………きみか」
図書館に入るなり、目的の人物を見つけた私は声をかける。黙々と筆を滑らせていたファウストは、帽子を上げて私と目を合わせてくれた。こういう律儀なところがファウストらしい。何か用と急かされる前に、私はすばやく頭を下げた。
「この世界の読み書きを教えてくれませんか?」
「は?どうして僕が」
「ファウストの教え方は丁寧でわかりやすいっていう噂を聞いたんです」
「くだらないな。僕はそこまで親切じゃないよ」
「でもその資料、次の授業で使うために作ってるんですよね」
「……そうだよ。見ての通り資料作りで忙しいんだ。他を当たってくれ」
帽子を深く被ったファウストはため息とともに手を払った。迷惑だ。そう言われてる気がして、賢者の書を持つ手に力が入る。さっきのやり取りなんてなかったみたいに作業を再開したファウストに食い下がろうとして、やめる。
いくら悪態づいてみせたって、ファウストは律儀で優しい人だ。私はその優しさに甘えて、自分の要求を通そうとしているだけ。ファウストにも予定があるんだから、私の都合ばかり押しつけるのはおかしい。
「そ、う…ですよね。すみません………手を止めさせてしまって」
みんなの力になりたいからって、迷惑をかけていたんじゃ元も子もない。申し訳ないやら情けないやらで胸がいっぱいで、ごめんなさい、と勝手に口が動く。鼻の奥がつんとしたあたりで、あ、今日はもうダメだな、と思った。このままじゃ泣く。泣いてもっと迷惑をかけることになる。それだけは避けたくて、最後にもう一度謝ろうとした私の声は「後ろ」という短いそれに遮られてしまった。
「え?」
「……きみの後ろ、上から三段目。前の賢者が、その…………参考書をまとめていた。何か残しているかもしれない。…それと、ちょうど休憩を挟もうと思っていたところだ。謝る必要はない」
それだけ。ぼそぼそ呟いたファウストの声が、静まりかえった室内にぽつんと浮かぶ。数秒の間、意味を理解した私は弾かれるように顔を上げた。
「はい!ありがとうございます、ファウスト!」
さっきよりも早く頭を下げてふり返る。結局ファウストに気をつかわせてしまったけれど、さりげない優しさがあたたかくて嬉しかった。ファウストの気遣いも、前の賢者様が残してくれたヒントも無駄にしたくない。その一心で手を伸ばした私は、後先考えずに本を引き抜いていた。
ぎゅうぎゅうの本棚から雪崩のように降ってくる本を、ただ、見ていた。
「おい!」
あ、ぶつかる。
「《サティルクナート・ムルクリード》」
咄嗟に目を閉じて身構える。こんなことをしても意味がないのに、避けた方がいいとわかっているのに、身体は全然動いてくれなかった。打撲できちゃうだろうなあ。顔にアザできたら恥ずかしいなあ。早く冷やせば大丈夫かな。とか、先のことに思考がそれていっても一向にやってこない痛み。おそるおそる目を開けると、今にもぶつかりそうなところで本が浮いていた。
「賢者、怪我は?」
すぐ横でファウストの声がしてはっとする。ファウストが魔法で守ってくれたんだ、と遅れて気がついた私は「だいじょうぶ、です」と返すことしかできなかった。
「次も僕がそばにいるとは限らない、もう少し用心して行動するように」
「はい…………」
ファウストが呪文を唱えると、落ちてきた本が本棚に戻っていく。前にも似たようなことがあって、その時言われたセリフもこんな感じだった気がする。今日だけじゃない、私はいつも助けられてばかりだ。いっそ何もしない方がみんなのためになるんじゃ。数秒前のやり取りをなかったことにしたい、今朝ミスラが暴れてあけた穴でいいから入りたい、今すぐフィガロにポッシデオされたい、と悪い方の想像が止まらなくて、引っこんだばかりの涙が滲みそうになる。
「ほら、これ」
「……………これは?」
「子供向けの教材のようなものだ。基礎から学んだ方が覚えやすいだろう」
ほとんど無意識に本を受け取った私は、ファウストの声で一気に現実に引き戻される。気遣われただけじゃない、魔法で守ってくれて、本を選んでくれた。私のために、ここまでしてくれた。
魔法使いを悪く言うひとはたくさんいる、もちろん本当に悪い魔法使いだっている。けど、私が知っているみんなは違う。本当に優しい彼らを支えたいなら、現実逃避してる場合じゃない。
「…ありがとうございますっ!」
邪念をはらうように頬をたたく。もう大丈夫。悩むのは後だ。自分に言い聞かせながらテーブルに向かった私は、さっそく賢者の書と手渡された本を広げてみる。ファウストの言っていたことが本当なら、前の賢者様が注釈的なものを残しているはず。そう思いながらページを捲ろうとして、けれど横から伸びてきた指先に止められてしまう。当然のように隣に座ったファウストは不思議そうな顔をしていて、それを見た私もたぶんおんなじ顔をしていたと思う。
「ファウスト?」
「どうした、勉強するんじゃなかったのか?」
「え?あ、はい」
「よし、授業を始めよう。まずは初歩的な言語からだ」
難しく考えなくていい。文字が違うだけでやることは同じだろう。とん、とん、とファウストの指先が紙を叩いて、心地よい声音が耳を撫でる。まさか、まさかとは思うけど教えてくれる、のかな。さっきは親切じゃないって言ってたのに。心の中でそんなことを呟いて、私はそっと笑う。やっぱりファウストは、ファウストって……、
『ファウストのこと最初はめっちゃ怖いし根暗いし近寄り難いと思ってた。けど、なんだかんだ気に掛けてくれるし意外と優しい奴なのかも』
ふと視線を落とすと、ちょうど開かれていたファウストのページが目に入る。すぐにペンを持った私は、前の賢者様が書いた文字の横にある言葉をつけ足した。
「…これは、きみの世界の言葉か?」
「そうです」
私の次、そのまた次、もっと先の賢者様にも伝わってほしい。そんな思いをこめて。
「へえ、何て書いたんだ?」
「前の賢者様が残した文章の横に『ファウストは親切で教え方も丁寧、容姿端麗で理想の先生』って書きました」
「僕は部屋に戻る勉強熱心なのも大概にしなさいじゃあな」
「わーー!待ってくださいファウストー!!消します!消しますから!」
立ち上がったファウストの手を掴んだときに見えた横顔。帽子の下に隠れたそこから僅かにのぞいた口元は、笑っていたような気がした。
依頼書を流し見していたら、もう何度目かわからない疑問が浮かんできた。この世界に来てからずっと気になっていたけれど、賢者に選ばれたばかりの私は目の前のトラブルを解決するのに精一杯でそれどころじゃなかった。一時はどうなるかと思った叙任式を無事に終えて、魔法舎での生活にも慣れてきて、依頼書が目についたところで今に至る。
意味不明な文字列にじっと目を凝らしてみる。何度見ても読めそうにない。でも言葉が通じるんだから、文法を勉強すれば何とかなるかも。たとえばそう、誰かに教わるとか。真っ先に思い浮かんだのは、他国の魔法使いからも絶賛されている人物の顔。目深に被った帽子や色付きメガネのせいで表情が見えづらいけど、その奥にある瞳が優しい色をしていたのを私は知っている。…なんて本人に言ったらうるさい、ってつき離されちゃうだろうけど。
この世界のこともみんなのことも、もっともっと知りたい。文字が読めるようになれば、今より情報を集めやすくなるはず。厄災の傷のこと、賢者の役目のこと、それ以外でももっとみんなの力になれるかもしれない。
そう思い立った私の足は、自然とある場所に向かっていた。
「こんにちは、ファウスト」
「……………きみか」
図書館に入るなり、目的の人物を見つけた私は声をかける。黙々と筆を滑らせていたファウストは、帽子を上げて私と目を合わせてくれた。こういう律儀なところがファウストらしい。何か用と急かされる前に、私はすばやく頭を下げた。
「この世界の読み書きを教えてくれませんか?」
「は?どうして僕が」
「ファウストの教え方は丁寧でわかりやすいっていう噂を聞いたんです」
「くだらないな。僕はそこまで親切じゃないよ」
「でもその資料、次の授業で使うために作ってるんですよね」
「……そうだよ。見ての通り資料作りで忙しいんだ。他を当たってくれ」
帽子を深く被ったファウストはため息とともに手を払った。迷惑だ。そう言われてる気がして、賢者の書を持つ手に力が入る。さっきのやり取りなんてなかったみたいに作業を再開したファウストに食い下がろうとして、やめる。
いくら悪態づいてみせたって、ファウストは律儀で優しい人だ。私はその優しさに甘えて、自分の要求を通そうとしているだけ。ファウストにも予定があるんだから、私の都合ばかり押しつけるのはおかしい。
「そ、う…ですよね。すみません………手を止めさせてしまって」
みんなの力になりたいからって、迷惑をかけていたんじゃ元も子もない。申し訳ないやら情けないやらで胸がいっぱいで、ごめんなさい、と勝手に口が動く。鼻の奥がつんとしたあたりで、あ、今日はもうダメだな、と思った。このままじゃ泣く。泣いてもっと迷惑をかけることになる。それだけは避けたくて、最後にもう一度謝ろうとした私の声は「後ろ」という短いそれに遮られてしまった。
「え?」
「……きみの後ろ、上から三段目。前の賢者が、その…………参考書をまとめていた。何か残しているかもしれない。…それと、ちょうど休憩を挟もうと思っていたところだ。謝る必要はない」
それだけ。ぼそぼそ呟いたファウストの声が、静まりかえった室内にぽつんと浮かぶ。数秒の間、意味を理解した私は弾かれるように顔を上げた。
「はい!ありがとうございます、ファウスト!」
さっきよりも早く頭を下げてふり返る。結局ファウストに気をつかわせてしまったけれど、さりげない優しさがあたたかくて嬉しかった。ファウストの気遣いも、前の賢者様が残してくれたヒントも無駄にしたくない。その一心で手を伸ばした私は、後先考えずに本を引き抜いていた。
ぎゅうぎゅうの本棚から雪崩のように降ってくる本を、ただ、見ていた。
「おい!」
あ、ぶつかる。
「《サティルクナート・ムルクリード》」
咄嗟に目を閉じて身構える。こんなことをしても意味がないのに、避けた方がいいとわかっているのに、身体は全然動いてくれなかった。打撲できちゃうだろうなあ。顔にアザできたら恥ずかしいなあ。早く冷やせば大丈夫かな。とか、先のことに思考がそれていっても一向にやってこない痛み。おそるおそる目を開けると、今にもぶつかりそうなところで本が浮いていた。
「賢者、怪我は?」
すぐ横でファウストの声がしてはっとする。ファウストが魔法で守ってくれたんだ、と遅れて気がついた私は「だいじょうぶ、です」と返すことしかできなかった。
「次も僕がそばにいるとは限らない、もう少し用心して行動するように」
「はい…………」
ファウストが呪文を唱えると、落ちてきた本が本棚に戻っていく。前にも似たようなことがあって、その時言われたセリフもこんな感じだった気がする。今日だけじゃない、私はいつも助けられてばかりだ。いっそ何もしない方がみんなのためになるんじゃ。数秒前のやり取りをなかったことにしたい、今朝ミスラが暴れてあけた穴でいいから入りたい、今すぐフィガロにポッシデオされたい、と悪い方の想像が止まらなくて、引っこんだばかりの涙が滲みそうになる。
「ほら、これ」
「……………これは?」
「子供向けの教材のようなものだ。基礎から学んだ方が覚えやすいだろう」
ほとんど無意識に本を受け取った私は、ファウストの声で一気に現実に引き戻される。気遣われただけじゃない、魔法で守ってくれて、本を選んでくれた。私のために、ここまでしてくれた。
魔法使いを悪く言うひとはたくさんいる、もちろん本当に悪い魔法使いだっている。けど、私が知っているみんなは違う。本当に優しい彼らを支えたいなら、現実逃避してる場合じゃない。
「…ありがとうございますっ!」
邪念をはらうように頬をたたく。もう大丈夫。悩むのは後だ。自分に言い聞かせながらテーブルに向かった私は、さっそく賢者の書と手渡された本を広げてみる。ファウストの言っていたことが本当なら、前の賢者様が注釈的なものを残しているはず。そう思いながらページを捲ろうとして、けれど横から伸びてきた指先に止められてしまう。当然のように隣に座ったファウストは不思議そうな顔をしていて、それを見た私もたぶんおんなじ顔をしていたと思う。
「ファウスト?」
「どうした、勉強するんじゃなかったのか?」
「え?あ、はい」
「よし、授業を始めよう。まずは初歩的な言語からだ」
難しく考えなくていい。文字が違うだけでやることは同じだろう。とん、とん、とファウストの指先が紙を叩いて、心地よい声音が耳を撫でる。まさか、まさかとは思うけど教えてくれる、のかな。さっきは親切じゃないって言ってたのに。心の中でそんなことを呟いて、私はそっと笑う。やっぱりファウストは、ファウストって……、
『ファウストのこと最初はめっちゃ怖いし根暗いし近寄り難いと思ってた。けど、なんだかんだ気に掛けてくれるし意外と優しい奴なのかも』
ふと視線を落とすと、ちょうど開かれていたファウストのページが目に入る。すぐにペンを持った私は、前の賢者様が書いた文字の横にある言葉をつけ足した。
「…これは、きみの世界の言葉か?」
「そうです」
私の次、そのまた次、もっと先の賢者様にも伝わってほしい。そんな思いをこめて。
「へえ、何て書いたんだ?」
「前の賢者様が残した文章の横に『ファウストは親切で教え方も丁寧、容姿端麗で理想の先生』って書きました」
「僕は部屋に戻る勉強熱心なのも大概にしなさいじゃあな」
「わーー!待ってくださいファウストー!!消します!消しますから!」
立ち上がったファウストの手を掴んだときに見えた横顔。帽子の下に隠れたそこから僅かにのぞいた口元は、笑っていたような気がした。
