きみとふたり、夢の中で
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「…………晶」
「どうかしましたか?フィ……え、」
すがりつくように伸びてきた腕が、晶の腕を強く引く。ほとんど倒れこむように体勢を崩した晶は、フィガロの胸元に思いっきり頬をぶつけた。顔全体に広がる衝撃に痛っ、とつむった目を開くと、とろんとした瞳がすぐそこにあって血の気が引いていくのを感じた。
「晶」
「お酒臭っ」
ふにゃふにゃと気の抜けた笑みを浮かべるフィガロは、どこからどう見ても酔っぱらいそのものだった。
「離れてくださいフィガロ!」
「晶……」
「ちょっと聞いてますか!?」
「フィガロ先生、さっきから賢者様の名前ばっかり呼んでいたんですよ。ふふ、甘えん坊さんですね」
「ルチルー!ふふじゃないです!見てないで助けてください!」
「すごくお似合いだと思いますよ」
「でしょ~?やっぱりルチルはわかってるなあ。俺、ルチルのそういうところ好き」
「都合のいい部分だけ聞き取らないでもらえます?離れてくださいって言ってるじゃないですか」
腕の中から脱出しようと身動ぎするたびに、晶の身体を拘束する力は強くなっていく。ぎゅう、とさっきよりも強く引き寄せられて、晶とフィガロの間にあった僅かな隙間は埋められてしまった。密着した部分で交わる互いの熱。一定の感覚を刻む心臓の音。近すぎる距離と慣れない感覚が落ち着かなくて、晶はできるだけ身を縮ませて息を殺した。
「緊張してるの?」
「……みんなの前でこういうことできる方がおかしいんですよ。酔っぱらい」
「あはは。誰が酔ってるって?」
「フィガロです」
「俺は泣く子も黙る北の魔法使いだよ。この程度、酔ったうちに入らないさ」
「ん、…………?」
迷うことなく「北の魔法使い」と言い放ったフィガロに晶はぎょっとする。ミチルとルチルに頑なに隠していたくせに、へらへら笑いながら晶を引き寄せるフィガロは、当前のように「とぼけないでよ」「賢者様だって知ってるくせに」と続けた。
「北っ、て……」
目を丸くして言葉を詰まらせたルチルに、フィガロよりも晶の方が焦っていた。間違いなくフィガロは泥酔している。意識と口調こそはっきりしているけど、たぶん明日には何にも覚えちゃいないんだろう。全部忘れたフィガロがルチルとミチルに失望されている姿を想像しかけて……頭を振った。さすがに見たくない。というか見ていられない。どうにか誤魔化してうやむやにしてしまおう。と、晶はフィガロより先に口を開いた。
「あのルチル、これは…」
「まあ、フィガロ先生ったら。その冗談は前も聞きましたよ。さすがの私ももう騙されません」
「えー?本当なんだけどなあ。ね、賢者様」
「さ、さぁ………?」
ぷくっと頬を膨らませて怒ったフリをするルチルに、晶は内心だけで安堵の息をつく。酔った勢いで何を言われたところで本気にする人はいなかったんだろう。もしくはレノックスがフォローしてくれていたのかもしれないけど、生憎と今日は離れた席に座っている。いくら視線を送ったところで助け船は出してもらえそうにない。はぁ、と落胆から出た晶のため息を、くっついたままのフィガロが聞き逃してくれるわけがなかった。
「悩み事かい?きみのためなら、悩みの種から芽が出る前に、俺が根こそぎ踏み潰してきてあげるよ」
「あはは……、物騒ですね」
出た、フィガロ流口説き文句。不穏な気配は甘い台詞だけじゃ隠せていませんよ。と続けたかった台詞を飲みこみ、晶は向けられている視線から逃れるように目を閉じた。
事の発端は「ひと仕事終えた後は、みんなでゆっくり休みましょうよ」というルチルからの提案だった。ふたつ返事で賛成したフィガロに、酒を飲みたいだけでしょと小言をいうミチル。ふたりを見守りながら、静かに笑みを浮かべたレノックス。ルチルの誘いに異議を唱えるものはおらず、話はとんとん拍子に進んでいった。場所は南の国。できれば雲の街で。せっかくならみんなでパーティをしようと次第に話は大きくなり、晶まで加われば賢者の魔法使いご一行様になってしまうのだから、目立つなという方が無理がある。気がつけば町中の人々まで話が広がり、人も魔法使いも関係なく力を合わせ、文字通りの盛大なパーティを開くまでに至ってしまったのだ。テーブルには南の国の郷土料理が並び、そこかしこで沸き上がる喧騒は、思い思いの歌や躍りで満ちている。晶の世界の『お祭り』に近い賑わいに戸惑う半面、ひそかに胸を高鳴らせていたのも事実だった。懐かしいのももちろんあるけどそれだけじゃない。こういう時くらい、賢者の魔法使いの使命を忘れて、ゆっくり羽を伸ばせたらいいな。みんなが心から楽しめて、少しでも疲れを癒す手伝いができていたらいいなと、心からそう、思っていた。
「フィガロ先生、今度はその子がお気に入りなのかい」
「節操がないなあ。やっぱりうちの娘は紹介しなくて正解だったよ」
その言葉に悪意はなくて、軽口を叩けるくらい気の置けない間柄だということもわかっている。フィガロはチレッタより先に南の国に居着いていたみたいだし、町の人との交流はずいぶん長く続いているんだろう。何千年も生きているフィガロにとっては一瞬でも、人間からすれば一生そばにいる家族同然の存在だ。おまけに優しくて面倒見がよくて頼りになる。ふざけた調子でモテモテだと豪語していたけれど、フィガロに人望があるのも、まあ…納得できなくは、ない。
「誤解を招く言い方はやめてほしいな。俺はいつだって、誠実に対応してきたつもりだよ」
ない、けど。
「俺は、人間の味方で優しい魔法使いだよ」
その後に続く言葉はたしかこう。そういうことにして。世の中には知らなくてもいいことがたくさんある。いつだか自分に向けられた台詞はそんな感じだった。その言葉の意味も、フィガロのもうひとつの顔も知っているからこそ、晶は素直に頷けないでいた。
「晶」
「何ですか」
「きみは、俺たちの大切な賢者様だよ」
「……、………………」
みんなに悪気がないのはわかっているのに。ここにいるフィガロは穏やかで、少し世話の焼けるお兄さんのはずなのに。さっきの言葉がどうにも引っかかって、晶の心にずしんと鈍い痛みがのしかかる。
「でも、きみにとっての大切は誰だろう。妬けちゃうなあ………………」
顔は正面を見据えているのに、フィガロの瞳はどこか遠くを映している。その横顔を見上げている晶だけが、フィガロの小さな呟きを拾っていた。何が妬けちゃうなあ、だ。フィガロには大切な人がいっぱいいるくせに。誰よりも愛が好きなのに、自分の特別を作るのは怖いくせに。胸の内でもやもやとしていた感情たちが、行き場をなくして晶の胸を刺していく。そのたびにずしんと心が重くなって、吐いた息がどこまでも沈んでいくようだった。
「…………………フィガロ、ここで寝ないでください」
「ちょっと…、一時間だけ」
「一時間のどこがちょっとなんですか」
力の抜けきった身体を支えながら、「ダメです」「寝るなら布団に行きましょうよ」と小言を添える。全然聞いちゃいないフィガロはず、ず、と身体を傾けて、晶の膝の上で動きを止めた。腰に回された腕にぎゅうっとされた瞬間、晶の顔に熱っぽい感覚が広がっていく。風呂上がりのように火照る顔を俯かせながら、晶はぐっと奥歯を噛みしめた。
近づきすぎたら離れて、また近づいてをくり返す。ふらりとやってきては甘い台詞を吐いて、枝が折れる前に飛び去ってしまう。そんな人が癒される場所なんて本当にあるんだろうか。留まり方すら知らない枝に、あとどれくらい足を降ろしているんだろう。たとえば今、手を伸ばしたとして、フィガロはその手を握りかえしてくれるんだろうか。
「っ、…」
どこまでいってもフィガロの真意がわからないのがもどかしくて、膝の上の頭にそっと触れようとした、ときだった。
「≪ポッシデオ≫」
聞き覚えのある呪文とともに、晶の身体は浮遊感に襲われる。一瞬で消えた感覚にえ、と思ったときには、晶の視界は真っ黒に塗りつぶされてしまっていた。
[newpage]
真っ暗な空間の中に、意識だけがぽつんと浮かんでいる。身体は自分のじゃないみたいに動かなくて、気を抜けば深い闇の中に吸い込まれそうになる。この感覚には覚えがあって、少しでも気を抜けばまどろみの中にずんずん沈んでいきそうだった。いっそこのまま寝てしまおうか。うーん、でも賢者様は寝るなって言ってたしなあ。と、フィガロは晶の顔と小言を思い浮かべる。晶に怒られたい。第三者が聞いたら誤解しそうな欲望に突き動かされて、虚ろになりかけていた意識をかき集める。頭の中が鮮明になるにつれて、身体の自由もきくようになってきた。
目が、覚めそう。
ふわっとした感覚に引き寄せられるまま目を開く。と。
「フィガロ…ッ」
「ん……………………、?」
薄暗い部屋の中で、ぼんやりした人影が揺れ動く。次第に輪郭を帯びていく影は、晶をかたどって困惑の表情を浮かべてみせた。何度か瞬きをして目をこすってみても、視界に広がる光景は変わらない。徐々に戻ってきた感触と照らし合わせたけれど、フィガロの記憶に心当たりは見つからなかった。ついさっきまでパーティをしていたのに、晶と布団の上に寝転がっていること。中途半端に覚醒しているせいか、思うように身体が動かないこと。そして、目が覚めても暗闇の中にいること。
「晶…………………」
ここはまだ、夢の中だ。ひとつひとつの情報をまとめていくと、行きつく結論はそれしかないように思えた。
「…………ロ……、フィ……ロ、聞、………て、か?起き………!」
「聞こえてるよ」
だとしたら、やることは決まっている。フィガロは断片的に聞こえた声に返事をして、周囲に漂う気配を手繰り寄せた。心で支配をイメージしながら、すっかり馴染んでしまった呪文を唱える。
「≪ポッシデオ≫」
「え、あ………………、……」
やわらかい光が晶を包み込むと、ガラス玉のような瞳がきゅっと細くなる。何事か言いかけた唇は薄く開いたまま震えていた。
「私にとって、一番大切…なの、は、フィガロです」
おそるおそるといった風に動く唇から、歯切れ悪く紡がれた台詞。紛れもなく晶の声で紡がれたそれに、晶自身がひどく驚いたような顔をしていた。どうして。なんで。晶の顔から読み取れた困惑に、フィガロは大きく頷いて晶の肩を抱き寄せた。
「うんうん、いい子だね。俺もきみが大切だよ」
そのまま晶の首筋に顔を埋めて息を吸う。魔法使い特有の気配はなくて、穏やかで優しい香りに包まれる。くすぐったいのか晶が身を捩るたびに、彼女の長い茶髪が流れていく。その隙間からちょこんと顔を覗かせた赤い耳に、フィガロはくすりと笑みをこぼした。
夢の中はすべてが思いどおりになる。望んだシチュエーション、望んだ台詞、望んだ表情。敷かれたレールの上を走る列車と一緒で、脱線してどこかに行ってしまうこともない、もっとも傷つかずに幸せになれる手段だ。いちいち魔法を使わなくていいとわかっていても、晶の戸惑っている顔が見たい、という出来心でついやってしまった。魔法で人の心を操って思いどおりになんてしたくない。大事にしたい人ならなおさらそうだ。力も魔法も使わない、心からつながる愛がほしい。…だけどたまに、本当にたまにだけどずるしたくなる時も、ある。こんなところ、絶対に見せられないなあ。フィガロが苦笑い混じりにそう思った時、腕の中の肩が小刻みに震えていることに気がつく。
「どうしたの?」
「………嘘つき」
「え」
「魔法を使ったら、偽物になっちゃうっていってた、のに」
その言葉が、鋭利なナイフになって心臓に突き刺さった。ような気がした。本当に胸元が赤く染まるはずもなく、身体を起こして晶をじっと見つめてみる。悲しそうに瞼を伏せた晶に、フィガロはがしがしと頭をかいてため息をついた。
…夢じゃなかった。現実の晶にやってしまったのだ。覚醒しきった脳みそが言い訳を探してくれるわけもなく、かわりに出てきたのは「あーあ、」といういつものぼやきだった。
「バレちゃったかあ…」
存外軽くなってしまった声音に自分でも驚いていた。誤解されそうなそれをもちろん悪く受け取ったらしい晶は、ごちゃごちゃした気持ちを抑えつけたみたいな顔をしていた。
「バレちゃったって、…………どうして、そんなひどいこと」
「違うよ。俺が言いたいのはそうじゃなくて」
「簡単に妬けるとか大切とか言って、…誰にも縛られてくれないくせに。私は、フィガロ、……が」
「あー…………………」
まあいいか。言ってしまえ。半ば投げやりのようにそう思いながら、フィガロは「聞いてくれる?賢者様」にっこり微笑んだ。
「魔法を使ってずるしたくなっちゃうくらいきみが好きってこと、バレちゃったなあ………って思ったんだよ」
ごめんね。きみを籠絡してから伝えたかったんだけど、我慢できなかった。晶の耳元で囁いて頬を寄せると、ぴったりくっついた部分から熱が伝わってくる。少し顔をずらすと晶の真っ赤な頬がそこにあって、同じく赤い唇を開けたり閉じたりさせているのが見えた。怒りと悲しみと、それから微かな羞恥。これもこれで、悪くないな。目まぐるしくかわる晶の表情を眺めながら、フィガロはぷくっとした唇に自分のそこを重ね合わせた。
