きみとふたり、夢の中で
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「僕、賢者様、大好き」
「えっ」
ついに耳でも呪われたのかと聞き返したけれど、ぱちぱちと瞬きをしたオーエンは「大好き」当然のように同じ台詞を呟いた。もしかしなくても傷のオーエンが出てる?そんな疑問が頭を掠めて身構えると、えっとねと言い淀むような声が続いた。
「賢者様と一緒にいると、この辺がぽかぽかする」
胸に手を当てたオーエンは、ゆるゆると頬を緩めて満面の笑みを浮かべていた。舌足らずな口調にまとっている雰囲気、普段のオーエンとかけ離れているそれが不気味だけど既視感があって、私の口角も自然と上がっていた。
「エヴァの綾波みたいですね」
「レバー?」
「あはは、エヴァが臓物に…」
懐かしくなって国民的アニメを口にした私は、きょとんとしているオーエンに苦笑いを返す。
こんな風に話題を共有できなかったり、読み取れない文字列を目にした瞬間に、ああ、異世界に来ちゃったんだって痛感する。それにちょっぴり寂しくなるときもあるけど「臓物、怖い……」と言って眉をひそめるオーエンを見ていたらふふ、と笑みがこぼれていた。
「私がいた世界にアニメっていうのがあったんです」
「アニメ?」
「簡単に言えば動く絵です」
「動く絵………。絵の中にいるスノウとホワイトもアニメなの?」
「それは3D映画……いや、4DXかもしれません」
「すりーでぃー?ふぉーでぃー?」
オーエンは言葉を覚えたばかりの子供のように、私が教えた単語をくり返していた。今度は眉間にしわを寄せてうんうん唸り始めたオーエンがおかしくて、こみ上げてきた笑いが止まらなくなる。
たとえ生きてきた世界が違っても、今を見て、聞いて、感じて、同じ瞬間を共有できる相手がいる。だから私はちっとも寂しくなかった。
「賢者様、笑ってる」
「ふ、ふふ………ごめ、なさい」
「僕、賢者様の笑ってる顔も好き。お日様をたくさん浴びた花びらみたいに、きらきらでふわふわでやわらかくて、さっきと同じところがあたたかくなる」
だから、好き。そう言って微笑んだオーエンにつられて、私の表情もふにゃふにゃとだらしないものになる。相手の気持ちを試したり弄んだりするオーエンとは違う、ストレートで悪意を感じない好意。真っすぐ向けられた愛情に答えるために、私もオーエンのことが好きです、とそのままの気持ちを伝える。えへへって嬉しそうに笑うオーエンと一緒になって、笑い混じりの息を重ねた。…のは、いいけど。
ふと、自分の手がドアノブを握ったままだったことに気付く。ドアノブを握っていただけじゃない、中途半端に開けた扉の向こう側にいるオーエンと、その内側に立っている私。どう考えたってシュールな光景だったことを思い出し、短く咳払いをした。
「……あの、ところでオーエン、私に用事があったんじゃないですか?」
「そうなの?」
「えっ……と?だから私の部屋まで来たんじゃないんですか?」
「どうだろう?」
「えええ……」
私の部屋に向かう途中で傷のオーエンになったのか、部屋の前でたまたま傷のオーエンが出てきたのかわからないけれど、容易に想像できる未来に浮かべていた笑みがひきつった。
これは怒られるやつだ、私が。立ち話もなんだから部屋にどうぞ、と招けば戻ったときに「最悪」と罵られる。じゃあ私はこれでと扉を閉めれば、傷の方のオーエンに捨てられた子犬のような目で見られる。どっちにしたって私が悪者扱いされるんだろう。だからといってこのまま突っ立っているわけにもいかないし、ぼちぼち寝る時間に差し掛かりそうだった。
頭の中でどちらがマシかの天秤にかけていた私は、廊下の曲がり角に一瞬だけ見えた人影に息をのむ。長身、赤髪、ふたつのキーワードが当てはまるのは"ヤツ"しかいない。
「オーエン、とりあえず中へどうぞ!」
「わっ………」
瞬時に最適解を叩き出し、オーエンの腕を引っ張っていた。
扉の開閉音で気付かれないようにゆっくりドアノブを引く。かた、と小さく音を立てた扉の前で、息をひそめて聞き耳を立てた。革靴がこつこつと床を打つ音が近づくにつれて、私の心臓の音も大きくなる。はらはらしながら扉のドアノブあたりを見つめていると、足音は何事もなかったように遠ざかっていった。
よかった、ミスラに見られていなかったらしい。ほっと息を吐いた私は、掴んでいたオーエンの腕をもう一度引いた。
完全にノープランで行動しちゃったけど、適当に部屋で過ごしてオーエンが元に戻るのを待とう。
そう、思っていた。
「…………賢者様、僕と一緒に寝てくれるの?」
「へ?いや、ちが」
「だめ……?」
期待に満ちあふれた眼差しに戸惑いの言葉が漏れる。みるみるうちに表情を曇らせたオーエンに、私が出せる答えはひとつしかなかった。
「だ、…………………め、じゃない、です」
「本当?ひとりぼっちは寂しいから、嬉しい!」
我先にと私のベッドへ向かっていくオーエンに、やってしまったと後悔したところでもう遅い。上着と靴を脱ぎ捨ててベッドに上がりこんだオーエンは、人ひとり分のスペースをあけて待っていた。早く早く。オーエンの顔にそう書いてあるのが見えてはぁぁとため息をついた。行くしかない。間違いなく元に戻ったオーエンに怒られるだろうけど、今のオーエンを悲しませたくない。
覚悟を決め、オーエンの隣に腰をおろして足を上げた。
「お邪魔します………」
「賢者様、こっち」
伸びてきたオーエンの腕が私の腰に回ってくる。ぐいと勢いよく引き寄せられて、傾いた身体ごとオーエンの腕の中に倒れこんでいった。
「うわ、わ…………っ、!」
魔法舎の中では華奢なはずのオーエンは、あっさり私の身体を抱きとめて笑っている。どこにそんな力があるのとか、やっぱり私は床で寝ますとか、諸々の言いたかったことは声になってくれなかった。
「……………賢者様」
小さな声も聞き取れるくらい近い距離に、喉からひゅ、と息だけが漏れる。何にも言えないでいたけれど、オーエンがほんの少しだけ悪戯っぽい瞳をしたのを見逃さなかった。え、と思ったときにはもう消えていて、眠たげにゆるんだ目元がそこにあった。
「おやすみなさい、オーエン」
オーエンから返事はなくて、少しだけ迷ってからオーエンの髪を撫でる。すぐにすうすうと寝息を立てたオーエンに、無意識に入っていた肩の力を抜く。
たぶんさっきのは気のせいだったんだろう。いつものオーエンに見慣れているせいだ。心地よい微睡みの中でそう思いながら、私は意識を手離した。
▽
ぴた、と足を止めて振りかえると、ひょこひょこ後をついてきていたオーエンも立ち止まった。
「賢者様?」
怪訝そうに首を傾げるオーエンの目はきらきらしていた。それはもう磨いたばかりの宝石みたいにきらっきらしていた。目に映るすべてのものが新鮮、とでも言いたげに輝くそこに濁りはなくて、私の中の疑問が確信に変わり始める。
長い、傷のオーエンが出ている時間が長すぎる。普段ならとっくに戻っていてもおかしくないし、日を跨いでまで症状が出たことなんてなかったはず。やっぱり何かがおかしい。オーエンの身に何かあったのかも。誰かに相談したいところだけど、オーエンは厄災の傷を知られたくないだろうから頼る相手は限られてしまう。博識でオーエンの傷事情も知っていて、なおかつオーエンも従う人物。となると、おのずと浮上してくるのはスノウとホワイトだけだった。
「あのオーエン、少しでいいので待っていてもらえますか」
「どうして?賢者様は僕が邪魔……?」
「うっ…………。そうじゃないんです」
「じゃあ、何?」
ふたりを探しに行きたいのは山々だけど、オーエンはずっとこの調子で私の後についてくる。悲しげに瞼を伏せたオーエンが「迷惑かけないようにするから」なんて呟くものだから、つい「迷惑だと思ったことないです!一緒にいましょう!」と手を繋いでしまっていた。状況は悪化しかしてないし、このままじゃ他の魔法使いたちに見つかるのも時間の問題だ。
とりあえず私にできることから試してみよう。その結論に行きつき、あいていた方の手のひらをオーエンの額に押し当てた。
「え、……」
指先から伝わってきたのは温かくも冷たくもない温度。オーエンの平熱がどれくらいかわからないけど、おおよその人間が持つ体温からかけ離れているとも思えなかった。びく、と肩を揺らして身構えたオーエンは、まん丸の目をぱちぱちさせて私を見つめている。大袈裟に反応したオーエンを不思議に思いつつも、特に咎めずに手を引っ込めた。
「熱はなさそうですね」
「…………………………」
「何かこう、具合が悪いとか身体が痛むとかありますか?」
「……ない」
「そうですか」
そのまま目の前のオーエンをじっと観察する。白い肌に黒いシャツ、銀髪の隙間で揺らぐ暖色の瞳。あどけない仕草と柔らかい声音を除けばいつものオーエンにしか見えなかった。
ダメだ、こういうのは素人が見たってわからない。フィガロの方が詳しそうだけど、傷の内容を知られたくない魔法使いランキングトップ3に入ってそうだし、うーん。と次の対処法を練っていた私は、額に手を当てるオーエンに気づいて思考を止める。
オーエンは私が触れた部分をなぞるみたいに、神妙な顔をしてゆっくり手を上下させていた。
「賢者様はいつも僕に触ったりするの?」
「え?」
「さっき、ここ、触った」
「それは体温を計りたくてやったんですけど……嫌でしたか?」
「……………別に」
別に。何となくその言葉が引っかかって、頭の中でもう一度浮かべてみる。別に。相槌としては冷たいほうだけど、特段何がおかしいとかはない──いつものオーエンだったら。
「あの、オーエン」
ひょっとして、傷のオーエンは出ていないんじゃないですか?
「何?」
「…………なんでもないです」
なんて確証もないのに聞けるわけがなくて、私は会話を打ち切ろうと首を振った。
仮に傷のオーエンが出ていなかったとして、わざわざ傷のオーエンを演じていた、ということになる。そんなことをしてメリットがあるとは思えない。むしろ他の魔法使いに厄災の傷がバレたり、傷のオーエンを知ってるメンツに弄られたりとリスクの方が大きいはず。シノやヒースクリフに限ってそれはないと思いたいけど、オーエンにとってデメリットのほうが多いことに変わりはない。つまるところ私のあてずっぽうでそう感じた、というだけのこと。
「本当に、具合が悪いところはないんですね?」
「うん」
とはいえオーエンもこう言ってるんだから、私の杞憂に過ぎないんだろう。仕方ない、とため息をついてオーエンの手を引いた。
「オーエン、今からスノウとホワイトのところへ行きます」
「どうして?」
「どうしてって、もうひとりのオーエンが心配だからです」
「僕はひとりしかいないよ?」
「えーっと。実はもうひとりいて」
「僕がふたりいるの?」
「いや、なんていうかこう…オーエンの半身というか」
「わからない」
「ですよね!」
噛み合わない会話にどう説明したもんかと頭を悩ませていると、私の答えを待っていたオーエンが口を開いた。
「……………賢者様は、僕を心配してるってこと?」
「そう、です」
「目の前にいる僕よりも?」
「それを言われると頭が混乱してくるんですけど……。ええっと、私にとってはどっちのオーエンもオーエンです。どっちも私にとって大切な存在です。でも、今は……もうひとりのオーエンが心配です。できることなら早く原因を突き止めて、会って話がしたい。…です。だから、行きましょう」
色の違う両眼を見つめながら、繋いだ手のひらにきゅっと力をこめた。どちらともなく口をつぐんで、私たちの間に穏やかな沈黙が降りる。時間にしたら数秒もない沈黙に、庭先で飛び回る鳥の鳴き声が重なる。それを耳にしたとたん、オーエンは私の手を振り払って帽子のひさしをぐいと下げた。表情を隠すように俯いたオーエンは、微かに口端を上げてこう言った。
「………………ふうん。なら、いい」
くるり。踵を返したオーエンの背中がどんどん遠ざかっていく。残された私は、オーエンが残していったひとりごとのようなものを反芻する。
なら、いい。なら、いい。
「いいって、何が…………?」
「お、賢者様。どこにいるんだ?姿が見えないとぶつかりそうだし、ちょっと触ってくれないか」
片腕を上げてハイタッチを求めるカインは、私がこぼしたぼやきまで拾っていなかったらしい。きょろきょろと辺りを見渡すカインは、私に尻を向けたまま「おーい賢者様?」「前の賢者様がいってたイナイイナイバアってやつか?」と虚空に話しかけて笑っていた。左右に揺れる茶髪をひと睨みし、膨らみだした疑問やら推測やらに押されるように腕を振り上げる。肺いっぱいに深く息を吸い込んで、ありったけの力を腹部に集中させて、大きく足を踏み込んで、そして。
「結局なんだったのーー!?」
「いったぁ!?」
「オーエンはオーエンでオーエンだったってことーー!?」」
「おい!いくらなんでもそんなところ叩かなくたっていいだろ!」
力任せにカインの尻めがけて平手打ちを叩きこむ。ふいを突かれたカインと私の叫び声が、魔法舎の廊下を抜けて反響していた。何事かとやってきた人だかりから「ほほほ、青春じゃの」「ほほほ、アオハルじゃの」と笑う声がしたけれど、私はもう、何も聞く気になれなかった。
「えっ」
ついに耳でも呪われたのかと聞き返したけれど、ぱちぱちと瞬きをしたオーエンは「大好き」当然のように同じ台詞を呟いた。もしかしなくても傷のオーエンが出てる?そんな疑問が頭を掠めて身構えると、えっとねと言い淀むような声が続いた。
「賢者様と一緒にいると、この辺がぽかぽかする」
胸に手を当てたオーエンは、ゆるゆると頬を緩めて満面の笑みを浮かべていた。舌足らずな口調にまとっている雰囲気、普段のオーエンとかけ離れているそれが不気味だけど既視感があって、私の口角も自然と上がっていた。
「エヴァの綾波みたいですね」
「レバー?」
「あはは、エヴァが臓物に…」
懐かしくなって国民的アニメを口にした私は、きょとんとしているオーエンに苦笑いを返す。
こんな風に話題を共有できなかったり、読み取れない文字列を目にした瞬間に、ああ、異世界に来ちゃったんだって痛感する。それにちょっぴり寂しくなるときもあるけど「臓物、怖い……」と言って眉をひそめるオーエンを見ていたらふふ、と笑みがこぼれていた。
「私がいた世界にアニメっていうのがあったんです」
「アニメ?」
「簡単に言えば動く絵です」
「動く絵………。絵の中にいるスノウとホワイトもアニメなの?」
「それは3D映画……いや、4DXかもしれません」
「すりーでぃー?ふぉーでぃー?」
オーエンは言葉を覚えたばかりの子供のように、私が教えた単語をくり返していた。今度は眉間にしわを寄せてうんうん唸り始めたオーエンがおかしくて、こみ上げてきた笑いが止まらなくなる。
たとえ生きてきた世界が違っても、今を見て、聞いて、感じて、同じ瞬間を共有できる相手がいる。だから私はちっとも寂しくなかった。
「賢者様、笑ってる」
「ふ、ふふ………ごめ、なさい」
「僕、賢者様の笑ってる顔も好き。お日様をたくさん浴びた花びらみたいに、きらきらでふわふわでやわらかくて、さっきと同じところがあたたかくなる」
だから、好き。そう言って微笑んだオーエンにつられて、私の表情もふにゃふにゃとだらしないものになる。相手の気持ちを試したり弄んだりするオーエンとは違う、ストレートで悪意を感じない好意。真っすぐ向けられた愛情に答えるために、私もオーエンのことが好きです、とそのままの気持ちを伝える。えへへって嬉しそうに笑うオーエンと一緒になって、笑い混じりの息を重ねた。…のは、いいけど。
ふと、自分の手がドアノブを握ったままだったことに気付く。ドアノブを握っていただけじゃない、中途半端に開けた扉の向こう側にいるオーエンと、その内側に立っている私。どう考えたってシュールな光景だったことを思い出し、短く咳払いをした。
「……あの、ところでオーエン、私に用事があったんじゃないですか?」
「そうなの?」
「えっ……と?だから私の部屋まで来たんじゃないんですか?」
「どうだろう?」
「えええ……」
私の部屋に向かう途中で傷のオーエンになったのか、部屋の前でたまたま傷のオーエンが出てきたのかわからないけれど、容易に想像できる未来に浮かべていた笑みがひきつった。
これは怒られるやつだ、私が。立ち話もなんだから部屋にどうぞ、と招けば戻ったときに「最悪」と罵られる。じゃあ私はこれでと扉を閉めれば、傷の方のオーエンに捨てられた子犬のような目で見られる。どっちにしたって私が悪者扱いされるんだろう。だからといってこのまま突っ立っているわけにもいかないし、ぼちぼち寝る時間に差し掛かりそうだった。
頭の中でどちらがマシかの天秤にかけていた私は、廊下の曲がり角に一瞬だけ見えた人影に息をのむ。長身、赤髪、ふたつのキーワードが当てはまるのは"ヤツ"しかいない。
「オーエン、とりあえず中へどうぞ!」
「わっ………」
瞬時に最適解を叩き出し、オーエンの腕を引っ張っていた。
扉の開閉音で気付かれないようにゆっくりドアノブを引く。かた、と小さく音を立てた扉の前で、息をひそめて聞き耳を立てた。革靴がこつこつと床を打つ音が近づくにつれて、私の心臓の音も大きくなる。はらはらしながら扉のドアノブあたりを見つめていると、足音は何事もなかったように遠ざかっていった。
よかった、ミスラに見られていなかったらしい。ほっと息を吐いた私は、掴んでいたオーエンの腕をもう一度引いた。
完全にノープランで行動しちゃったけど、適当に部屋で過ごしてオーエンが元に戻るのを待とう。
そう、思っていた。
「…………賢者様、僕と一緒に寝てくれるの?」
「へ?いや、ちが」
「だめ……?」
期待に満ちあふれた眼差しに戸惑いの言葉が漏れる。みるみるうちに表情を曇らせたオーエンに、私が出せる答えはひとつしかなかった。
「だ、…………………め、じゃない、です」
「本当?ひとりぼっちは寂しいから、嬉しい!」
我先にと私のベッドへ向かっていくオーエンに、やってしまったと後悔したところでもう遅い。上着と靴を脱ぎ捨ててベッドに上がりこんだオーエンは、人ひとり分のスペースをあけて待っていた。早く早く。オーエンの顔にそう書いてあるのが見えてはぁぁとため息をついた。行くしかない。間違いなく元に戻ったオーエンに怒られるだろうけど、今のオーエンを悲しませたくない。
覚悟を決め、オーエンの隣に腰をおろして足を上げた。
「お邪魔します………」
「賢者様、こっち」
伸びてきたオーエンの腕が私の腰に回ってくる。ぐいと勢いよく引き寄せられて、傾いた身体ごとオーエンの腕の中に倒れこんでいった。
「うわ、わ…………っ、!」
魔法舎の中では華奢なはずのオーエンは、あっさり私の身体を抱きとめて笑っている。どこにそんな力があるのとか、やっぱり私は床で寝ますとか、諸々の言いたかったことは声になってくれなかった。
「……………賢者様」
小さな声も聞き取れるくらい近い距離に、喉からひゅ、と息だけが漏れる。何にも言えないでいたけれど、オーエンがほんの少しだけ悪戯っぽい瞳をしたのを見逃さなかった。え、と思ったときにはもう消えていて、眠たげにゆるんだ目元がそこにあった。
「おやすみなさい、オーエン」
オーエンから返事はなくて、少しだけ迷ってからオーエンの髪を撫でる。すぐにすうすうと寝息を立てたオーエンに、無意識に入っていた肩の力を抜く。
たぶんさっきのは気のせいだったんだろう。いつものオーエンに見慣れているせいだ。心地よい微睡みの中でそう思いながら、私は意識を手離した。
▽
ぴた、と足を止めて振りかえると、ひょこひょこ後をついてきていたオーエンも立ち止まった。
「賢者様?」
怪訝そうに首を傾げるオーエンの目はきらきらしていた。それはもう磨いたばかりの宝石みたいにきらっきらしていた。目に映るすべてのものが新鮮、とでも言いたげに輝くそこに濁りはなくて、私の中の疑問が確信に変わり始める。
長い、傷のオーエンが出ている時間が長すぎる。普段ならとっくに戻っていてもおかしくないし、日を跨いでまで症状が出たことなんてなかったはず。やっぱり何かがおかしい。オーエンの身に何かあったのかも。誰かに相談したいところだけど、オーエンは厄災の傷を知られたくないだろうから頼る相手は限られてしまう。博識でオーエンの傷事情も知っていて、なおかつオーエンも従う人物。となると、おのずと浮上してくるのはスノウとホワイトだけだった。
「あのオーエン、少しでいいので待っていてもらえますか」
「どうして?賢者様は僕が邪魔……?」
「うっ…………。そうじゃないんです」
「じゃあ、何?」
ふたりを探しに行きたいのは山々だけど、オーエンはずっとこの調子で私の後についてくる。悲しげに瞼を伏せたオーエンが「迷惑かけないようにするから」なんて呟くものだから、つい「迷惑だと思ったことないです!一緒にいましょう!」と手を繋いでしまっていた。状況は悪化しかしてないし、このままじゃ他の魔法使いたちに見つかるのも時間の問題だ。
とりあえず私にできることから試してみよう。その結論に行きつき、あいていた方の手のひらをオーエンの額に押し当てた。
「え、……」
指先から伝わってきたのは温かくも冷たくもない温度。オーエンの平熱がどれくらいかわからないけど、おおよその人間が持つ体温からかけ離れているとも思えなかった。びく、と肩を揺らして身構えたオーエンは、まん丸の目をぱちぱちさせて私を見つめている。大袈裟に反応したオーエンを不思議に思いつつも、特に咎めずに手を引っ込めた。
「熱はなさそうですね」
「…………………………」
「何かこう、具合が悪いとか身体が痛むとかありますか?」
「……ない」
「そうですか」
そのまま目の前のオーエンをじっと観察する。白い肌に黒いシャツ、銀髪の隙間で揺らぐ暖色の瞳。あどけない仕草と柔らかい声音を除けばいつものオーエンにしか見えなかった。
ダメだ、こういうのは素人が見たってわからない。フィガロの方が詳しそうだけど、傷の内容を知られたくない魔法使いランキングトップ3に入ってそうだし、うーん。と次の対処法を練っていた私は、額に手を当てるオーエンに気づいて思考を止める。
オーエンは私が触れた部分をなぞるみたいに、神妙な顔をしてゆっくり手を上下させていた。
「賢者様はいつも僕に触ったりするの?」
「え?」
「さっき、ここ、触った」
「それは体温を計りたくてやったんですけど……嫌でしたか?」
「……………別に」
別に。何となくその言葉が引っかかって、頭の中でもう一度浮かべてみる。別に。相槌としては冷たいほうだけど、特段何がおかしいとかはない──いつものオーエンだったら。
「あの、オーエン」
ひょっとして、傷のオーエンは出ていないんじゃないですか?
「何?」
「…………なんでもないです」
なんて確証もないのに聞けるわけがなくて、私は会話を打ち切ろうと首を振った。
仮に傷のオーエンが出ていなかったとして、わざわざ傷のオーエンを演じていた、ということになる。そんなことをしてメリットがあるとは思えない。むしろ他の魔法使いに厄災の傷がバレたり、傷のオーエンを知ってるメンツに弄られたりとリスクの方が大きいはず。シノやヒースクリフに限ってそれはないと思いたいけど、オーエンにとってデメリットのほうが多いことに変わりはない。つまるところ私のあてずっぽうでそう感じた、というだけのこと。
「本当に、具合が悪いところはないんですね?」
「うん」
とはいえオーエンもこう言ってるんだから、私の杞憂に過ぎないんだろう。仕方ない、とため息をついてオーエンの手を引いた。
「オーエン、今からスノウとホワイトのところへ行きます」
「どうして?」
「どうしてって、もうひとりのオーエンが心配だからです」
「僕はひとりしかいないよ?」
「えーっと。実はもうひとりいて」
「僕がふたりいるの?」
「いや、なんていうかこう…オーエンの半身というか」
「わからない」
「ですよね!」
噛み合わない会話にどう説明したもんかと頭を悩ませていると、私の答えを待っていたオーエンが口を開いた。
「……………賢者様は、僕を心配してるってこと?」
「そう、です」
「目の前にいる僕よりも?」
「それを言われると頭が混乱してくるんですけど……。ええっと、私にとってはどっちのオーエンもオーエンです。どっちも私にとって大切な存在です。でも、今は……もうひとりのオーエンが心配です。できることなら早く原因を突き止めて、会って話がしたい。…です。だから、行きましょう」
色の違う両眼を見つめながら、繋いだ手のひらにきゅっと力をこめた。どちらともなく口をつぐんで、私たちの間に穏やかな沈黙が降りる。時間にしたら数秒もない沈黙に、庭先で飛び回る鳥の鳴き声が重なる。それを耳にしたとたん、オーエンは私の手を振り払って帽子のひさしをぐいと下げた。表情を隠すように俯いたオーエンは、微かに口端を上げてこう言った。
「………………ふうん。なら、いい」
くるり。踵を返したオーエンの背中がどんどん遠ざかっていく。残された私は、オーエンが残していったひとりごとのようなものを反芻する。
なら、いい。なら、いい。
「いいって、何が…………?」
「お、賢者様。どこにいるんだ?姿が見えないとぶつかりそうだし、ちょっと触ってくれないか」
片腕を上げてハイタッチを求めるカインは、私がこぼしたぼやきまで拾っていなかったらしい。きょろきょろと辺りを見渡すカインは、私に尻を向けたまま「おーい賢者様?」「前の賢者様がいってたイナイイナイバアってやつか?」と虚空に話しかけて笑っていた。左右に揺れる茶髪をひと睨みし、膨らみだした疑問やら推測やらに押されるように腕を振り上げる。肺いっぱいに深く息を吸い込んで、ありったけの力を腹部に集中させて、大きく足を踏み込んで、そして。
「結局なんだったのーー!?」
「いったぁ!?」
「オーエンはオーエンでオーエンだったってことーー!?」」
「おい!いくらなんでもそんなところ叩かなくたっていいだろ!」
力任せにカインの尻めがけて平手打ちを叩きこむ。ふいを突かれたカインと私の叫び声が、魔法舎の廊下を抜けて反響していた。何事かとやってきた人だかりから「ほほほ、青春じゃの」「ほほほ、アオハルじゃの」と笑う声がしたけれど、私はもう、何も聞く気になれなかった。
