きみとふたり、夢の中で
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あーあ。可哀想に。
賢者の魔法使いとして召喚されたときに見た、混乱と不安をないまぜにしたような人間の顔に、俺が最初に抱いた感想はそれだった。
もちろん前の賢者のことは欠片も知らない、南の国の魔法使いフィガロ先生には縁のない話だったから。けれど、残念ながら今は違う。何の因果か今さら賢者の魔法使いに選ばれちゃったから、年に一度厄災と戦わなくちゃいけなくなった。まったく、ひどい話もあったもんだ。でもルチルとミチルにレノックス、三人だけ選ばれたら心優しい俺は放っておけなかっただろうから、これはこれで良かったと思ってる。最近は。
「さあ、お手をどうぞ」
パレード後のパーティで、会場内を眺めている賢者様に俺から声をかけた。びくっと肩を震わせて、警戒心たっぷりの眼差しを向けてきた賢者様は、それでも黙って俺に手を差し出してきた。怖いもの見たさか短絡的なのか、どちらにしたって俺にとっては都合が良かった。
理想の世界のために俺に恋をさせて手懐けて、人間と魔法使いの橋渡しをしてもらう。人間の賢者様にとっても悪い話じゃない、だって俺たちはもっと上手くやっていけるはずだから。
「何か不安なことがあったら俺に相談にくること」
まずは心を開かせることから始めよう。それが俺が立てた計画の一段階目。初手ではりきりすぎちゃったせいで警戒されてるだろうし、相談を促した方が無難だろう。
「俺の前では肩の力を抜いて、何も考えなくていいからさ」
人間と魔法使いが共存していくために、賢者の存在は不可欠になる。本当は手元に置いて監視したいところだけど、そんなことしたらスノウ様たちが黙っちゃいないだろう。仕方ないから、さりげなく気にかけているくらいに留めておく。
「優しいフィガロ先生にもっと甘えなさい。ね?」
廊下をフラフラ歩いていた賢者様を呼び止めて、診察の名目で心の隙をついて、別れ際に俺はそんな言葉を投げかけた。なるべく優しく、警戒を解いてリラックスしてもらえるように、甘く囁いてやる。
──ありがとうございます、フィガロ。
ほっとしたような困惑したような顔。感謝の言葉を述べた賢者様は、そそくさと部屋から立ち去ってしまった。見間違いじゃなければ、彼女の大きな瞳に涙が浮かんでいた気がする。そういえば拳もちょっとだけ震えていたし、薄く噛んだ唇はきっと赤くなっていたんだろう。人前で泣くまいと我慢して、弱った姿を隠そうと気丈に振る舞っていた。ようにしか見えなかった。少なくとも俺には。
「…………………健気だなあ」
別に嫌味でも何でもなく、本心からそう思った。突然異世界に飛ばされて、家族や友人に別れを告げる暇もなくて、拒否権なんかあってないような事態に巻き込まれて、気が付けば"賢者様"として扱われている。誰かに頼りたくても頼れない、自分以外は信じられないような状況で心を開けだなんて、それこそ無理な話なんだろう。だから少しでも落ち着けるように、こちらの世界にも居場所を作る手伝いをしてやりたいと思った。きっとこれも、俺の本心。なんたって俺は平和を求める魔法使いだから。
誰かを頼って頼られて、助けて助けられて、感謝して感謝されて。そうして互いに望み望まれて心からつながり合ったとき、愛が生まれる。それってとっても素敵なことだと思うし、どんな人にも求めて受け取る権利があるはずだ。愛が欲しければ与えて、おんなじだけの愛を受け取りたい。
ただ、それだけのことだった。
「フィガロ、いますか」
扉をノックする音と控えめな声。すぐに声の主に気付いた俺は、まとめていた資料を放り投げて扉を開けた。
「こんな時間にどうしたの、賢者様」
「あの………、その」
「……ああ、そうだ。ルチルにもらったハーブティーがすごくおいしかったんだ。ちょうどもう一杯飲もうと思ってたんだけど、よかったら賢者様もどう?」
「いいんですか?」
「もちろん。………夜の逢瀬を重ねる賢者様とフィガロ先生、うーんいい響き」
「フィガロ!」
「はいはい」
声を荒らげた賢者様に背を向けて、さっきまで俺が使っていたイスを引く。どうぞ。イス、あたためておいたよ。ぽんぽんと叩いて着席を促してやれば 、少しだけ考える素振りを見せた賢者様は、おずおずといった様子でイスに腰かけた。素直でかわいいねってからかったら「白衣ぐしゃぐしゃになりますよ」と小言が返ってくる。あー忘れてたーってわざとらしく嘆いた俺を見て、賢者様はようやく顔を綻ばせてくれた。その顔に、胸の奥がじんわりとする。ああ、いいことしたなって思わせてくれるこの瞬間が、たまらなく心地いい。
「聞かないんですか」
「ん?何を?」
「私がここに来た理由とか」
「聞いてほしいの?」
「………………」
「なら聞かないよ、話したくなったらいつでも話して。ここには俺ときみしかいないんだから」
本当は、わかってた。おそらく彼女は不安なんだろう。幾分か表情は晴れてきたけど、どこかぼんやりしているし顔色が悪い。何となく不安で眠れなくて、誰かにそばにいてほしい反面、相手の時間を占領することに抵抗がある。それでも甘えてしまいたいくらい辛かった。その誰かに選ばれたのはもちろん、優しい優しいフィガロ先生でした。雑だけどこんなところだろう。俺は自己完結しながら、ポットとティーカップを魔法で浮かせる。ふわふわと宙を舞うポットを手に取り、魔法で中の水だけ沸騰させた。それをティーカップに注ぎながら、もう一度呪文を唱えて温度を調節する。
こんな風に今すぐにでも魔法をかけてやれば、一瞬で楽にしてやることもできる。賢者様が望むなら、俺もそれに答えるだろう。でもきっと、彼女の望みはそうじゃない。誰かと心で繋がったときのぬくもりや心地よさは、魔法で再現するには限界がある。そのことは、俺自身が一番理解しているつもりだ。
ついと魔法でティーカップを渡すと、賢者様は大事そうに受け取ってくれた。
「………………ありがとう、ございます」
それが何も聞かなかったことに対してか、ハーブティーへの礼かはわからなかったけれど、俺の胸にまた、じわじわと熱が広がっていくのを感じた。
そうやって賢者様の世話を焼いているうちに、変わったことがいくつかある。
「フィガロ?」
「………やあ、賢者様か」
「やあじゃないです。……なに、してたんですか」
「んー、お昼寝?」
「昼寝って、中庭で?もう夜ですよ」
「………………本当だ。ああ、心配しないで。またぼーっとしてただけだから」
「……フィガロ」
「参ったなあ……。そんな顔させたかったわけじゃないんだけど」
弱くて何もできなかった賢者様に、世話を焼かれて心配されるようになった。最近だとこうして中庭でぼーっとしていたりすると、彼女の方から俺を構いに来てくれたりする。風邪引きますよ。部屋に帰ってから寝てください。とか、小言を言いつつも「ほら立ってください」って手を引っ張って、部屋までついてきてくれる。けど、今回はそのどちらでもないらしい。フィガロ、と俺を呼んだ賢者様の表情は暗いままだ。
「ひとりで行かないでくださいって、言ったじゃないですか」
絞り出したように震えた声で、賢者様はそう言った。いつかみたいに俺の手を握ってくれた賢者様は、ぐしゃりと顔を歪ませて唇を噛んでいる。まさかそこまで心配してくれるなんて想定外で、俺は内心だけで苦笑いをこぼす。
俺が北出身だって知ってるくせに、馬鹿みたいに心配して、無防備に手を握ったりして、優しくてチョロくてぬるい賢者様が好きだなあ、って思わせられる。
「行かないよ。きみの声が聞こえるうちは。だから、さ───」
あの日と同じ台詞を返した俺は、その甘さにつけこんでみたくなった。
「試してみる?」
両腕を広げてみせた俺に、賢者様は目を丸くした。おいで。子供に言い聞かせるように優しく声をかける。ほどなくして俺の意図に気付いたのか、それとも無意識だったのか、ゆっくり屈んだ賢者様から腕が伸びてくる。すぐにそれを引き寄せて、俺の胸にすっぽりおさまった賢者様をぎゅうっとした。そろそろと背に回ってきた腕に、同じようにぎゅうってされる。
「ね?ちゃんといるでしょ、俺」
「あったかいですね」
「賢者様もあたたかくて柔らかいよ」
「セクハラで訴えますよ」
「なあにそれ。楽しくないこと?」
「楽しいんじゃないですか、やる側は」
「うーん。どっちかっていうと幸せだからなあ、今」
「もっと最低です」
「えー?」
賢者様の世界の言葉は独特すぎてよくわからない。当然セクハラの意味もわからないけど、悪口に近いだろうことを雰囲気から察した俺は、酷いなあって傷つく素振りを見せておく。ついでに腕の中の賢者様をぎゅうぎゅう抱きしめてやると、背中に回された腕からおんなじだけのぎゅうぎゅうがかえってきた。そのたびに胸の奥がじんわりして心地よくて、俺の中にある器が満たされていくのを感じる。
「ねぇ、賢者様」
「何ですか?」
でも同時に、どこかくすぐったい感覚がして落ち着かなくなる。懐かしいようなそうでないような、遠い昔に体験したことがあるようでないような。どうにも靄がかかっていて思い出せない部分は、たぶん前者なんだろうってことしかわからない。
「すんなり身体を預けてくれちゃったけど、俺以外ともこんなことしてるの?」
「…しませんよ。するわけないじゃないですか」
「じゃあ、俺は賢者様の特別、って勘違いしちゃってもいいのかな?」
「…………………」
「冗談。フィガロ先生は真面目で紳士だから、ムードで押しきっちゃおうなんて企んでないよ」
「わざわざ暴露してくれてありがとうございます」
「おっと。口が滑った」
わかりやすくへそを曲げた賢者様は、それでも俺にくっついて離れようとはしなかった。魔法を使えば彼女の真意を暴けるだろうけど、そんなことをしたらつまらないし愛がない。魔法なんか使わなくたって、手っ取り早く確かめる方法ならいくらでもある。たとえば今のぎゅう、ってするのもそうだ。俺は賢者様を求めて、賢者様は俺を拒絶しなかった。そこにきっと、俺が欲しくてたまらない愛があったに違いない。たった今得られた満足感が何よりの証拠だろう。
「……………?」
そう思っていたのに、くすぐったい感覚にちくちくとした痛みが混じったとき、満たされたはずの器が『違う』と言っていた気がした。
だけど変わってしまったものは戻らない。
この日から賢者様は、気分が落ちこんだり俺を心配してくれたりするたびにくっついてくるようになった。ぎゅうっとして、ぎゅうっとされて、互いの首筋に顔を埋めて、存在を確かめあって、時には戯れのようなキスをしたこともある。
頬にかかる髪を耳にかけてやり、俺を見上げてくる大きな瞳を見つめかえす。物言いたげに揺れていたそこが閉じたとき、迷わず俺は口づけを落としてやった。
「……フィガロのすけこまし」
「えー!?賢者様だって案外乗り気だったじゃない」
たしかその時の会話はこんな感じだった。ぷいとそっぽを向いた賢者様に、俺もふて腐れたフリをして対抗する。こうすれば優しい賢者様は折れてくれると思ったから。狙いどおり賢者様はちょっと怒った風に「もお……」って呟いて、俺のわがままを受け止めてくれた。「ありがとう、俺を甘やかしてくれて嬉しいよ」なんて、全部わかった上で甘やかされにいってるんだから、我ながらどうしようもないなと思ってはいる。なおす気はさらさらないんだけど。
「嫌だった?」
わざと俺からそう聞いた。本気で嫌なら今すぐ俺を突き飛ばして、他の魔法使いたちに助けを求めてしまえばいい。でも賢者様はそれをしなかった。できなかった、の方が正しいかもしれない。逃げられないように出口を塞いで、彼女から俺を求めるように仕向けたんだからそうでなくちゃ困る。誰かが魔法使いはいい加減で嘘つきと言ったけど、そこにずるいを加えたのが俺なんだろう。と、他人事のように思った。
「……………、……フィガロ」
返事のかわりに目を瞑った賢者様が、小さく消え入りそうな声で俺を呼ぶ。それを合図に賢者様の頬に手を添えて、引き結ばれた唇に自分のそこを重ね合わせる。ほんの一瞬柔らかい感触を確かめあう、子供じみたキス。じっと受け入れた賢者様が目を開く前に、俺は緩みきった口元を引き締めなおした。
『きみを籠絡したいからさ』
あの日、俺から告げたそれが、現実になろうとしている。何もかも俺の描いたシナリオ通りで最高に気分が良かった。ちょうどミチルやルチルに怒られたときみたいな、心地よくて落ち着く気持ち。何かと俺を頼ってくる賢者様の瞳からも、警戒の色はすっかり消え失せていた。そこに滲んでいた感情も検討がついているし、俺に心を預け渡すのも時間の問題だろう。あとは焦らずゆっくりと、つかず離れずの関係を保って協力していくだけ。南の国で培った処世術があれば造作もない、
はずだった。のに。
その日はやけに天気が良くて、せっかくならみんなで出かけようと南の国まで足を伸ばしていた。賢者様に声をかけたらふたつ返事で了承してくれたけど、ミチルが自分の箒に乗れと張りきりすぎていた。格好いいところを見せたいんだろうミチルを「まだ危ないだろう」「もっと上手くなって、紳士的にエスコートしよう」と諭し、賢者様はしれっと俺の後ろに乗せた。遠慮がちに回された腕にぎゅってされたとき、ミチルにはまだ譲れない、と俺の大人げない部分が言っていた。
南の魔法使いは魔力が強くない。俺もその設定で通しているから、みんなが消耗してきた頃合いを見計らって休憩を促す。疲れたーって情けない声を上げながら芝生に寝転んだ俺は、近付いてくる足音と気配に神経を向ける。隣に腰かけてきた人物が誰なのか、確信を得たくて目を開くと、茶色の長い毛先が揺れているのが見えた。賢者様、って俺が声をかけるよりも先に「フィガロ、私の名前覚えてますか?」唐突すぎる問いかけが降ってくる。
「もちろん。真木晶ちゃん、でしょ」
「ちゃん付けやめてください」
「えー?……晶」
「はい、晶です。フィガロ」
「どうしたの、急に」
「フィガロのことが好きです」
「………、……………」
「いつ元の世界に帰ってもいいように、今の気持ちを伝えておきたくて。私のことを忘れてしまっても、あなたを想う人がいた事実は忘れないでください」
小さく笑みを作った賢者様は、血色のいい唇から残酷な台詞を吐き出した。背筋に冷や汗が伝っていって、無意識に握った俺の拳は小刻みに震えていた。
また、置いていかれる。そうやってみんな、平気な顔をして俺を置いていくんだ。俺はいつもひとりぼっち。誰も知らない寂れた場所で、冷たく石になっていくんだ。内側からどろどろ溢れだした感情は、喉のずっと奥でつっかえていた。
「…寂しいこと言わないでよ。賢者様」
賢者様のお願いでも頷けるわけがなくてゆるく首を振った。だってどうせ忘れるから。顔も名前も思い出せなくなって、少しずつ記憶の中からも消えていく。何千年と繰り返してきた俺の中に残ったのは、僅かな面影と孤独感だけだった。そして遠くない未来に、俺の存在も消えてしまうんだろう。
「どっちの意味で好きだと思いますか?」
「こら。大人を困らせないの」
「じゃあ内緒です。フィガロには教えません。気付いているでしょうから」
「………………」
「たとえ元の世界に帰ってしまっても、フィガロのことは忘れません。約束です」
つくづく残酷な女だ、と思った。人間は魔法使いと違って、約束を破ったところで代償を負うことはない。何度でも約束をして、いとも簡単に破ってしまえる。けど、魔法使いの俺たちはそうはいかない。一度でも破れば魔力を失い、二度と元に戻ることもない、その代償を身をもって知ることになる。約束に対する重みが、違う。人間がする口約束に縋るほど、俺は単純にできていない。
「だからフィガロも、今日の私を忘れないでください」
「…あれ、さっきは忘れてしまってもって言ってなかった?」
「気が変わりました。フィガロのが移ったっぽいです」
「やれやれ。困ったお嬢さんだ」
「お嬢さんはやめてください」
「………………」
手離すことには慣れてる。なんてことはない。いつもみたいにあーあ、って呟けばいいだけ。
「フィガロ」
その瞬間、すべてがどうでも良くなって、仕方ないねって諦めがつく。今までだって散々そうしてきたし、寂しい気持ちも雪崩のように押し流されていく。
「フィガロ」
いつかの話なんてやめてよ。暗いことなんか考えないで明るい未来を想像しよう。今度ふたりきりで、中央の街に出かけようか。きっと楽しいよ。茶化すために用意した台詞は、何ひとつ言葉になってくれなかった。喉に石を詰めこんだように声が出なくて、心臓は鷲掴みされたみたいな痛みが走る。とにかく苦しくて苦しくて、咄嗟に胸元をおさえつけた俺は、訳がわからないまま息を吸った。いよいよ死期が近付いたのかと錯覚するほど息苦しくて仕方ない。
「珍しいですね、フィガロがそんな顔をするなんて」
「………………っ、俺」
「ねえ、フィガロ─────、──────」
続けられたその言葉に弾かれたように飛び起きた。みるみるうちに赤く染まる頬を見た瞬間、頭に鈍い痛みと閃光が走る。とたんに靄が晴れていった頭の中に、古びた記憶がどっと押し寄せてきた。この苦しいって思う気持ちの名前を、俺は知っている。知っていたはずなのに、蓋をして耳を塞ぎ、ずっと目を背け続けていた。
そうか、そうか俺は。
「俺、は。……………きみ、晶に、」
執着していたのだと、気づいてしまった。
