ambivalence
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心地よい微睡みから這い出ると、最初にやってきたのはこれでもかというほどの倦怠感だった。途端に顔がぐしゃりと歪み、視界に広がる天井が白く霞んだ。何度か瞬きをしながら視線を泳がせてみる。部屋の中央に置かれた
「よく眠れたかい?悲劇の眠り姫」
わたしの記憶の中で『キザな言い回しをする男』に該当する人物は一人しかいない。
「太宰くん…」
返事の代わりに笑みを作り、太宰くんが無骨な椅子に腰掛ける。反射的に起こしかけた体は、すっと伸びてきた手に止められてしまった。
「此処に至るまでの経緯だけれど、説明はいる?」
本当はだいぶ、いや、かなり鮮明に思い出せているけど、わたしの断片的な記憶だけじゃ心許ない。何より横槍を入れるのは気が引けて「お願いします」と素直に頭を下げていた。そのまま布団に体を沈ませると太宰くんは満足そうに頷いた。
「首領の前で異能を披露した事は覚えているかい?」
「…わたし、結局上手くできなくて」
「
「判ってても、わたしたちを離す訳にはいかない。…組織に利益をもたらすから」
「その通り。此れからは思う存分君をこき使えるね。何しろ首領のお墨付きなのだから!」
芝居じみた口調の太宰くんが腕を広げる。あ、そうそう。正式に私の部下になったから、今後は私の指示で動いて貰うよ。明るい声で付け足された今更過ぎるそれに「いつもそうでしょ」と返すと、太宰くんはうふふと腹立つ顔で笑っていた。
全部が太宰くんの計画通りで、何もかも順調に進んでいる。進み過ぎている、と思った。太宰くんと居ればいつものことのはずなのに、ある一つの台詞が頭から離れてくれなかった。首領の右腕であるこの男に限って失言なんて有り得ない。故意に溢された言葉が何を意味するのか。考えたところで判るはずもなく、かといって見て見ぬ振りも出来なくて、気付けば勝手に口が動いていた。
「“以前から目をつけていた”って、どういう意味?」
笑みを絶やさずすっと細めた目から温度が消える。笑ってるけど笑ってない太宰くんから目が離せない。
「だってわたしたち、辺鄙な山で初めて会ったんだよ?あの日はいきなり家追い出されたし、行く宛てもなかった、し」
もしかして、わたしが追い出されたのはマフィアが──太宰くんが仕組んだ事なの?
続けるのが怖くなって飲み込んだ。偶然で片付けてしまえるけど、何処かずっと納得出来なかった部分。今になって浮き彫りになったそこに触れたら、その先を聞いてしまったら、二度と元の場所に戻れない気がした。
「なまえは今、こう思ったのだろう。私が君の人生を狂わせた元凶だと。反駁する迄もない、一秒で疑念を晴らしてあげよう」
…違う。多分最初からわたしが帰る場所なんて、ない。
「そうだよ。それがどうかした?」
あっさり肯定した太宰くんは、退屈そうに自分の指先を眺めていた。心の声を代弁するなら『だから何?』だろう。当たり前のことを聞かれて答えるのが億劫、明け透けにそんな態度を取ってみせた太宰くんが溜め息を吐く。一挙一動から伝わってくる嫌悪感は作り物のように出来すぎていた。太宰くんは感情を表に出す人じゃない。それを全面に押し出すということは隠したい何かがある、のかもしれない。
例えば、わたしの過去に関すること、とか。
「………なんてね。提出した報告書は勿論出鱈目、凡ては森さんを欺く為の虚言だよ。
どうだい迫真の演技だったろう。役者に転職しようかな。巫山戯た調子で太宰くんが笑う。先刻までのやり取りが無かったみたいに、太宰くんを纏う雰囲気ががらりと変わる。その瞬間に確信する。ああ、太宰くんはわたしに隠し事があって、踏み込ませまいと壁を作ったのだと。判って、しまった。
「わたしの人生を狂わせた元凶、のところは否定してくれないんだね」
太宰くん、と呼んだわたしの声は震えていた。絡んだ視線の先で、薄い唇が弧を描く。
「事実、私は君を殺さず牛馬のように働かせている。人生を狂わせたと云っても過言じゃあない」
「わたしより酷い扱い受けてる子がいるって聞いたよ」
「芥川君はなまえと違って伸び代の塊だからねえ。彼は孰れマフィアの柱となるだろう。その為の躾をしているまでだよ」
「文字通り太宰くんが芥川くんの人生を狂わせたってことだよね」
「……何が云いたいの?」
だから、太宰くんにとっての人生を狂わせたは、その芥川くんって子みたいに居場所を奪って、血と暴力の世界に生きる意味を与えることなんじゃないの?“太宰くんのモノ”なんて名目で気に掛けられて、首領公認で太宰くんの傍に居られるようになった。凡てが順調で、何不自由なく暮らすわたしの何処が狂わされてるの?本当に狂わせたのはそこじゃないんでしょ?
云いたかった諸々は太宰くんの目を見るなり引っ込んでしまう。冷酷な瞳に居座る影がわたしを拒むように揺れている。これ以上追及するな、そう云われている気がして、堪らず視線を逸らした。
ぴり、と空気が張り詰めたことも、太宰くんに拒絶されたことも、全部気のせいであってほしかった。
「だ、から…………だからっ、太宰くん……は」
片頬に添えられた手に上に向かされ、絞り出した言葉が途切れる。
すぐそこで太宰くんが息を吸う音がした。
「──なまえ、この下らない世界で
子供を諭す時のような、柔らかな声音で太宰くんが云う。ゆっくり頬を上下する指先も、伝わってくる温度も擽ったさも心地いい、のに。目の前にある太宰くんの瞳は冷たいままで、それが酷く対照的に映った。
息遣いが聞こえるほど近いのに、目の前にいるはずの太宰くんがどんどん遠退いていく。いつまで経っても手が届かなくて、やっと掴んだと思ったらまた離されて、やり場のないもどかしさが胸を占めていた。
「却説、私はそろそろ戻るよ。部下を残したまま来ちゃったからね。なまえはもう一眠りするといい。目を覚ます頃に連絡するよ」
「あ、────」
返事を待たずに立ち上がった太宰くんが一直線に扉に向かう。待って。行かないで。ちゃんと話してよ。不幸でも闇を彷徨ってでも、わたしは。どれも違う気がして、遠ざかる背に掛ける言葉が見つからない。中途半端に開けた口は役目を失い、紡ぐはずだった言葉の端が宙を舞った。
「佳い夢を」
バタン、と無機質な音を立てた扉は、わたしと太宰くんを隔てる壁のようだ。あと何枚壊せば太宰くんの元に辿り着くんだろう。もしもわたしが全部知ってしまったら太宰くんはどんな顔をするんだろう。わたしたちは、どうなるんだろう。
まだ温もりが残る椅子を見詰めながら、答えの出ない問答を繰り返した。
2023.12.02
