ambivalence
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裏社会で生きる以上、常に死と隣り合わせになる。今日も今日とて顔も名前も知らない構成員が弾除けにされているんだろう。それがポートマフィアに属した者の運命であり、裏切りはそのまま死を意味する。組織のために生きて組織のために死ぬ、とっくにその覚悟はできていた。
「あ、そうだなまえ。首領が呼んでるよ」
はずだった。
そう太宰くんからお声が掛かったのが数秒前。一縷の望みにかけて「何?」と聞き返したら「首領が呼んでるよ」とまったく同じ返答をされた。首領が呼んでいる、即ち絶対命令だ。用済み、排棄、幹部への態度、身分不相応、咄嗟に思い浮かんだいくつかの単語に頭を抱えた。心当たりがありすぎて絞れない。絞ったところで行き着く先は死だ。
とうとうこの日が来てしまった。判っていたはずなのに、太宰くんとの約束を真に受けて油断してしまった。本来なら太宰くんを頼ることはおろか会話すらままならない関係だ。それがどうだ。立場が違うと云いながら、いざ太宰くんから手を差し伸べられたらこの体たらく。誰かに頼りきりで生きられるほどマフィアは甘くない、わたしのような一介の構成員は特にそうだ。
ばち、と両頬を叩いて雑念を消す。過去を悔やむのは非合理的、首領が尤も嫌う行為だ。今わたしがやらなきゃいけないのは後悔でも自省でもない。
「あれ?もう行くの?」
「勿論。首領を待たせる訳にはいかない」
「丁度私も首領に用がある。部下に運転させよう」
「結構です。自分で行きます」
「私と行った方が早いよ」
「気合いで追い抜きます」
「なまえって時々強情だよね」
首領の居場所は横浜の一等地、確かに太宰くんと行った方が早く着くだろう。合理性を追求するなら太宰くんに従うべきだ。けど、それじゃあ今までと何も変わらない。万が一今日死ぬとしても、最後くらいマフィアらしく振る舞って死ぬ。今のわたしに出来ることはそれくらいだ。
内衣嚢に突っ込んだ手を往復させる。指先に車の鍵が当たって、直ぐにそれを取り出した。これも太宰くんからの貰い物、まともに運転したのは数回しかないけどなるようになれ、だ。
ぐっと握りしめて踵を返すと、扉に寄りかかる太宰くんと目が合った。薄く笑みを浮かべた太宰くんはわたしを通す気がないらしい。押し退けようと伸ばした手は、骨張った指に絡め取られてしまった。
「では云い方を変えよう。なまえの異能について私から首領に進言したのだよ。その件で私達は首領に呼ばれている。詰まり、一緒に行った方が合理的だろう?」
ほんの一瞬、時が止まったような間ができる。いつの間にか鍵は太宰くんに奪われていて、指先で弄ぶように回されていた。円を描く様子を眺めながら太宰くんの台詞を反復する。
首領に呼ばれる原因を作ったのは太宰くんで、太宰くんの用事はわたしと同じで、詰まるところ太宰くんの指示に従った方が合理的。
ぱちぱちとパズルのピースが埋まっていくにつれて沸き上がる怒り。それを見て嗤う太宰くん。全部を理解した頃には太宰くんの手を振り払っていた。
「しんッ…………じられない!なんで先に云わないの!?」
「なまえの必死な顔が面白いから」
勢い任せに振り上げた拳が空を切る。軽々と避けた太宰くんは、取り出した携帯でわたしを撮影するなり「最ッ高!」と大笑いしていた。その様子がいつかの光景と重なる。確か数日前もこんなことがあった。その時の標的は中也で、太宰くんにおちょくられて
「ふ、ふふふ、ふふふふふ。ねえ待ち受けにしていい?」
「絶対やめて」
「見て見て凄くいいよこれ!携帯開く度になまえが真面目な顔してこっち見てる!ぷっくくく」
「太宰くん死にたいんだっけ?今すぐ殺そうか?」
「本当に!?刺殺?絞殺?変化球で毒殺かな?孰れにせよ苦しくない方法で頼むよ!…嗚呼、ついにこの日が来たんだね。どれだけ待ち焦がれたか」
きらきらと目を輝かせた太宰くんが譫言のように呟く。その顔に浮かぶのは子供のように無邪気で純粋な笑みだった。死を連想させる言葉はこの男を喜ばせる材料でしかない。判っていても口をついて出てしまったそれに、遅れてやってきた後悔の念が相手にするなと叫んでいた。
はぁぁ、と溜め息をついて首を振る。それが出来たら苦労しないし、誰も太宰くんに弄ばれちゃいない。まんまと引っ掛かった自分を慰めながら、そわそわしている莫迦に指で作った拳銃を向けた。
「バーン。ざんねーん太宰くんは死ねませんでしたー」
呆けた顔の太宰くんを今度はわたしの携帯で撮影する。そのまま太宰くんを押し退けたわたしが部屋を出るまで一秒、太宰くんが我に返るまで〇・一秒、勝率はかなり低いけどやるしかない。
ドアノブに手をかけたと同時に「嘘吐き!」隣から不満そうな声が上がる。すかさず先に嘘吐いたのはそっちでしょ、と切り返したら「私は嘘は吐いてない!」「純情を弄んだ!」「女狐!」と負け惜しみのようなものが続く。太宰くんにしては珍しくキレがない悪態を背に、わたしは部屋を出た。
──勝った。
✕ ✕ ✕
硝子張りの
隣に並ぶ太宰くんは先刻から一言も喋らず前を見据えている。その瞳は包帯に隠されていて、心情を伺い知ることは出来そうにない。元より太宰くんの内面は誰にも判らないし、マフィアの人間を詮索するのは野暮だ。わたしだって云いたくないことくらいある。直ぐに太宰くんから目を逸らすと、タイミングよく昇降機が止まった。
最上階に着いたらしい。
太宰くんが一歩踏み出し「私だよ」と告げる。たった一言で微動だにしなかった見張りが連なって頭を下げた。事務所に入ってから今に至るまで太宰くんは「私だよ」しか云ってない。ほぼ顔パス状態で首領の場所まで進めるのは、太宰くんが五大幹部のひとりで、ポートマフィアにとって不可欠な存在だからだ。今更ながら太宰くんの偉大さに戦慄する。つい先刻太宰くんの間抜けな顔を撮影したのが最下級構成員だとは誰も思うまい。というかバレたら絶対殺される。後でバックアップ取って消しておこう。静かに決意して太宰くんの後に続いた。
黒い背広の見張りに太宰くんが目配せする。
ゆっくり振り返った首領と目が合う。
硬く引き結ばれていた口許に微笑が浮かんだ。
「君がみょうじ君かね」
はい、と云おうとした言葉が詰まる。声が出ない。中途半端に開いた口は役目を失い、震える唇を噛み締めることしかできなかった。
──怖い。人殺しの目だ。本能がそう訴えていた。
「そうです首領。彼女が以前から目をつけていた異能力者のみょうじなまえです」
不自然に出来た間を太宰くんが埋める。首領は気に留める様子もなく、太宰くんの返答に頷いた。
「数年前、太宰君が拾ってきたそうじゃあないか。珍しいね、君が誰かを気に掛けるなんて」
「それだけ彼女の異能が魅力的という事ですよ」
「如何にも。報告内容が事実なら、彼女の異能はマフィアの為にあると云っても過言ではないからね」
硬直しながら耳を傾けていると、不意に二つ分の視線を感じた。品定めをするような目を、太宰くんの物云いたげな目を、指一本動かせないまま見詰め返した。
わたしは試されている。今、この場で、わたしの価値を証明出来なければ立場が無くなる。けど、もしもそれが出来たとしたら、最下級構成員から組織の
だからこそ今回の件を、今の今まで黙ってくれちゃっていた太宰くんを恨んだ。先に一言云ってくれれば博打にならずに済んだのに、予行練習することだって出来たのに、この危機的状況を無策のまま切り抜けなきゃいけなくなったのだ。怒りやら不安やらを込めて太宰くんを睨むと案の定無視された。
「実演した方が早い。丁度、我々を嗅ぎ回る不躾な輩を捕縛したばかりなのだよ」
パチン、と首領が指を打ち鳴らすと同時に扉が開く。奥で待機していた黒服の男達は、入ってくるなり抱えていた麻袋をわたしの足元に放り投げた。鈍い音がして、拘束された人物が微かに声をあげる。
「では、お手並み拝見といこうか」
その声を合図に麻袋が剥ぎ取られ、中にいた人物の顔が露になった。
短髪の男性。全身を拘束されて自由を奪われ、猿轡を噛まされた口では満足に喋ることも出来ない。
怯えるように躰を震わせた男と目が、合う。
「なまえ、何時も通りにやればいい」
太宰くんの間延びした声が続く。
「ほらほら深呼吸。彼らの拠点を突き止めたら大金星だよ。君もマフィアの端くれなら気概を見せ給え」
大丈夫。私がついてるよ。付け足すように耳元で囁かれた言葉。
こういう時ばっかり狡いとか、待ち受け画面変えろとか、云ってやりたいことは山ほどある。でもこの場を乗り越えなきゃ軽口すら叩けなくなるかもしれない、それだけは何としても避けたかった。
賭けに出た太宰くんと自分自身の為に、わたしはわたしの異能で証明する。
「失礼します」
男の額に手を当てて目を瞑る。程なくして大量の情報が頭の中に押し寄せてきた。男の記憶、情景、感情、凡てが自分の事だと錯覚しそうになるのを必死に耐える。此処で呑み込まれたら何も成せないまま終わってしまう。わたしはマフィアの一員で、この男じゃない。言い聞かせるように唱えて奥歯を噛み締めた。
「──男の名前は大島
「拷問の余地もなく情報を読み取る異能、実に素晴らしい」
首領の声が、遠退く。
「い、嫌だッ……死にたくない!俺、違う、わたし、は……ただ命令に従っただけで……こんな事になるなら手なんか出さなかった……ちが、ちがうわたしは」
「なまえ……!」
太宰くんの手が肩に触れる。ぐい、と後方に引っ張られた身体ごと意識を引き戻され、全身から力が抜けた。
「御覧の通りです。彼女の異能は郡を抜いている。半面、際限なく己に取り込んでしまい、自我を喪失する弱点も抱えています。誰かが抑制してやれば、拷問の手間が省けて素早く情報が手に入る、貴方が溺愛する合理そのものだ」
「その適任者が自分だと云いたいのだね、太宰君」
重い沈黙が降りる。わたしを支える太宰くんは無言のまま首領を見詰めていた。沈思黙考していた首領は、やや間を開けて頷いた。
「いいだろう、彼女の処遇は君に一任するよ。好きに使い給え」
「感謝します」
その言葉を聞き届けるなり、目の前が真っ暗になった。
2023.11.15
