ambivalence
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あの太宰くんが幹部になった。首領から頼りにされ、作戦会議となれば太宰くんが主導権を握り、古巣のマフィアたちをはね除ける勢いで実績を上げていたのだから何ら不思議じゃない。むしろなるべくしてなったとも云える。
功績を残すにつれて、太宰くんに畏敬の念を抱く者も増えていった。太宰くんも太宰くんで生傷が絶えないし、前より何を考えているか判らなくなったのが拍車をかけて不気味だ。それでも幹部になった今、太宰くんと気安く話そうものなら直属の部下たちにそれはそれは激しく非難されるんだろう。最下級構成員ごときが太宰さんになんて口聞いてんだ。名前を呼ぶのも恐ろしい。幹部にお目通し願いたいならまずは下に話を通せ。たぶんこんなところだ。
そしてそれは、“太宰くんのモノ”であるわたしも例外じゃない。
「なまえ、携帯鳴ってるぞ」
「ホントだ」
隣に座る織田作から真っ当な指摘を受ける。渋々携帯を取り出したわたしは、画面に映し出された名前にため息をついた。何度目かわからない『これ』は今日に始まったことじゃない。暇そうで羨ましい、こっちは毎日忙しくて構ってられる余裕ないっつの。躊躇う間もなく画面を暗転させて
「出なくていいのか」
「いいのいいの」
「相手は太宰だろう」
「太宰く、……幹部様がこんな末端に興味あるわけないじゃん」
「末端が幹部直々の連絡を無視するわけないか。万が一幹部の側近共に知れたら命がいくつあっても足りん」
「もしもし!遅くなってすみませんみょうじです!」
思わず立ち上がり、誰もいない空間に向かって礼をする。素早く耳につけた携帯からは虚しい電子音が聞こえてきた。切れている、そう理解した途端、全身から血の気が引いていく感覚がした。…マフィアに消される。顎壊されて三発撃たれる。そんでもって海に流される。容易に想像できる未来の自分に身震いしていたら、織田作が肩を揺らして笑っているのが見えた。
嵌められた。
「織田作!!」
「悪かった。面白かったからつい」
「こっちは何も面白くないのですが」
乱雑に椅子へ座り直すと、織田作はもう一度「悪かった」と心にもない謝罪を繰り返した。それを咎めようとして、ふわりとやってきた芳ばしい香りに気が削がれてやめる。狙ったかのようなタイミングで現れた店主から皿を受け取ると、待ってましたと言わんばかりに腹が鳴った。派手な音だ、と呟いた織田作の言葉は勿論無視した。こっちは雑用ばかり押し付けられて疲れてるの。そりゃあお腹だって空くでしょ。文句を云う時間が惜しくて堪えると、織田作も同じだったのか匙を手に取っていた。
いただきます。両手を合わせて挨拶をする──と同時に来客を報せるベルが鳴る。何気なく入り口に目を向けたわたしは、そこにいる人物に絶句した。
「やァ、織田作。此処にいると思ったよ」
男がひらりと手を振ると、肩に下げた黒い外套が揺れた。こつこつと足音を鳴らして近づいてくる男から目を逸らし、織田作に隠れるように身を縮こまらせた。
最悪だ。たった今連絡を無視した相手が現れるなんて誰が予想できるか。なんだってこんなところで鉢合わせるんだ。無視するから余計ややこしいことになるんでしょうが。でも立場上馴れ馴れしくできないし、かといって無視する訳にもいかないし、と数分前の自分に恨みを募らせながら携帯を睨む。
「どうした太宰」
「いやね、猫探しをしていたのだけれど、これがなかなか捕まらなくてね。逃げ足の早さに辟易していたところさ。そこでピンときた。探し物と云えば織田作だろう?」
「俺か?」
「そう、君だよ」
太宰くんが云い終えるのとほぼ同時に卓子上の携帯が鳴る。しまった、と思った時にはもう遅い。織田作とわたしの間に割って入った影が、わたしたちを分断するように卓子に手をついた。
「恩知らずのドラ猫を手懐けてしまえるのだから。そうだろう?なまえ」
恐る恐る包帯だらけの手を辿っていくと、にっこり微笑む悪魔と目が合った。悪魔──元い太宰くんのもう片方の手には着信画面を映し出している携帯があって、勿論その通話相手はわたしだった。
ずい、と距離を詰められて、痛々しく包帯が巻かれた顔が近くなる。普段なら空虚を映している瞳が、やけに爛々として見えたのは気のせいであってほしかった。その願いも虚しく、わたしの腕を引っ張った太宰くんは『立て』と目で訴えてきた。
「よく判らんが猫は見つかったのか?」
「勿論!たった今見つけたよ。さすがは織田作」
「そうか。よかったな」
当然織田作がツッコミを入れたり助け船を出したりしてくれるわけもなく、わたしは泣く泣く腰を上げた。さらば
「食べないのか」
「食べたいのは山々なんですが…」
隣の悪魔が許してくれなくて、とは続けずに目配せしてみる。太宰くんと目が合った。ふ、と口元を緩めた太宰くんは、穏やかな微笑を浮かべるだけで何も云わなかった。要するに無視された。
「行儀の悪いドラ猫に代わって謝罪するよ。私が責任を持って食べさせるから大目に見てくれまいか」
──わけじゃなかった。
「何云ってんの、太宰……さん」
「言葉通りだよ。早く着席し給え」
どん、と太宰くんに突き飛ばされる。腑に落ちないまま織田作からひとつ離れた席に座ると、同じように太宰くんも着席していた。後から来た太宰くんが端に行けばいいのに。とは勿論云えずに、太宰くんの前に残してきた咖喱飯へ手を伸ばした。
「これは私のだよ」
ぺし、と当たり前のように払われて、伸ばした手の行き場がなくなる。
「いやわたしが頼んだんですけど」
「君の物は私のもの、私の意志は君の意志。本来なら発言権すらないのだから寛大さに感謝してほしいものだねえ」
耳を塞ぎたくなるような暴論に目眩がした。よくもまァこの短時間で人を不愉快にさせられるもんだ。会話すら億劫になって太宰くんから目を逸らすと、真横で皿と匙がぶつかる音がした。行儀悪いのはどっちだか。わたしから奪ったんだからせめて綺麗に食べてよ。ため息と共に不満を吐き出すと「なまえ」太宰くんからお声がかかった。
「なに」
「はい、あーん」
「キモッ!」
猫撫で声の太宰くんに、反射的に握った拳をお見舞いする。太宰くんの顔面を掠めた拳から空を切る音がして、案の定避けられたのだと悟った。咄嗟に出た舌打ちを遮るように、わざとらしい悲鳴が重なる。
「なまえこわーい。すぐ暴力に走るー。それじゃあ中也と変わらないよ」
「太宰…さんが揶揄うからでしょ。普段の中也はいい人だから」
「あの中也が佳い人なら私の方が百倍善行を積んでいる自信がある!」
「幹部になるほど実績ある太宰さんには敵いませんよハハハ」
「それ中也が聞いたら怒るよ」
確かに。そう云いかけた瞬間、口内に異物が捩じ込まれる。それが匙だと理解した途端、頭の中に大量の感情が押し寄せてきた。太宰くんに食べさせてもらうなんて屈辱すぎる。でも咖喱に罪はない。とりあえず一発殴らせてほしい。矢っ張りここの咖喱は美味しい。何とも形容し難い感情に蓋をして、無心で咀嚼を続けた。その様子を静観していた太宰くんが満足気に微笑する。
「美味しいかい?」
「………」
「よく食べられるね。此処の咖喱辛いだろう?」
「疲れた身体に沁みるの」
「そういうものかねえ」
もう一度咖喱を掬った太宰くんは、今度は自分の口に運んでいた。辛っ。相変わらず辛い。辛すぎる。ひとしきり騒いだ太宰くんはコップの水を一気飲みしていた。その隙に太宰くんから皿と匙を奪い取って手元に置く。太宰くんの気が逸れている内に咖喱を口に運ぶと、絶妙な刺激とコクが口内に広がって、芯から温まるような感覚がした。これよこれ。これの為に生きてんのよ。全身で幸福を噛み締めていると、太宰くんを挟んで反対側に座る織田作が立ち上がった。
「今日も旨かった、親爺」
「はいよ」
会計を済ませた織田作が入り口に向かっていくのを見るなり「織田作!」と呼び止めていた。
「待ってよ置いてく気?」
「置いていくも何もお前の新しい任務はそっちだろう」
視線だけで“そっち”を指した織田作は、薄情者!と叫んだわたしの捨て台詞を背にさっさと行ってしまった。途端に店内が静まり返って居心地が悪くなる。そろりと視線を“そっち”に向けると、腹が立つほど満面の笑みを湛えていた。
「うふふ。ふたりきりだね」
「店主がいるでしょーが」
「おじさんならたった今買い出しに出掛けてしまったよ」
そんな莫迦な、と視線を右往左往させてみても店主の姿は見当たらない。どうやら本当に赤の他人を残して店を開けてしまったらしい。信じがたい店主の行動に唖然として、匙を握る手から力が抜けそうになる。それを見逃していなかったらしい太宰くんにまた匙を奪われた。
「おじさんが帰ってくるまで店番をしつつ、キツいお仕置きをしなくちゃね」
咖喱を掬った太宰くんが嗤う。愉しげに細められた瞳に陰はなかった。
「何も悪いことしてません」
「呼んだら三秒で来いって云ったよね」
「お言葉ですが太宰…さんとわたしは立場が違いすぎるのです。わたしへの干渉を控えてもらえませんか」
「先刻から気になっていたのだけど、その『太宰…さん』ってやつ止めない?悪寒がする」
「話を聞け」
華麗に無視してくれた太宰くんは、せっせせっせとわたしの咖喱を口に運んでいた。咖喱だけに華麗、なんちゃって。やかましいわ。
「そもそも君には人権すらないのだから立場なんて関係ないよ」
「じゃあ人権くらい返してよ」
「駄目。絶対返さない」
「話が一
結局わたしの咖喱は太宰くんがあらかた食べ尽くしてしまった。額に滲む汗が辛さを物語っていて、無理して食べなきゃいいのにって呆れそうになる。いい気味だって小突いてやろうとした手はコップを掴んでいて、空になったそこへ水を注いでいた。当たり前のように太宰くんに手渡していて、健気な自分に涙が出そうになる。非常に不本意だけども、手酷く扱われようがどうせわたしは太宰くんを無下にできないのだ。素直にコップを受け取った太宰くんは、滝のように喉の奥に流し込んでいた。その様子に何となく達成感を覚えてる自分がいる、なんて認めたくない。
そんなわたしの心情など露知らず、太宰くんは咖喱の残った部分をかき集めてわたしに差し出してきた。
「マァ、麒麟よりも首を長くして待ってい給え。直にその心配は杞憂だったと気付くさ」
杞憂どころか後悔するのでは。最初に思ったことは言葉にならず、はぁ、と気の抜けた返事が漏れる。見計らったかのように匙がやってきて、すんでのところでそれを避けた。今度は捩じ込まれなかったそれを睨むこと数秒間、わたしの中で何かがぽきっと折れる音がして、気付けば太宰くんの腕を掴んでいた。
「最初に衣食住の心配する必要ないって云ったよね」
「嗚呼、云ったとも」
「もしも杞憂で終わってくれなかったら太宰くんの自殺手伝ってあげないから。逐一首領にチクるから」
「えーー!そりゃあないよなまえ!」
「なら約束して」
「…うふふ、当然だろう?君の生活は私が保証する、男に二言はないよ」
約束。そう呟いた太宰くんの手を引き寄せて、持っている匙を口に運ぶ。すっかり冷めきってしまったそれは、先刻より甘くなっていた気がした。
2023.10.31
距離感ガバガバ
