ambivalence
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「見て見てなまえ!ついに忌々しい世界の軛から解放される日がきたのだッ」
声高に叫ぶ太宰の手には試験管がふたつ握られていた。太宰が腕を振り回すたびに、禍々しい色の液体が波打っている。見るからに毒だ。いつもの発作だ。太宰から離れて
「なにそれ」
「薬品の調合に悪戦苦闘した末に完成した試作品1号だよ」
「その薬品、
「心配無用。森さんには許可を取ってある。留守中に」
「意味ないから」
「なまえは真面目だねぇ。そんなことじゃマフィアでやっていけないよ」
軽やかな足取りの太宰がくるりと回ると、肩に下げた黒い外套が円を描いた。鼻歌まじりにやってきた太宰はやけに機嫌がいい、ように見える。おそらく太宰を知らない人物にはそう見えているだろう。その瞳の奥に居座る漆黒は、詰まらなそうになまえを捉えていた。
「まァいっか。どうせ今日死ぬんだから」
コルクが引き抜かれた試験管がポン、と小気味のいい音を立てる。
「もちろんなまえも」
薬品の匂いが部屋中に広がっていく。途端になまえの前身に広がる緊張が「この薬品は危険だ」と告げていた。
太宰には自殺癖がある。最初こそ驚いたけれど、太宰の何者も映していない瞳を見ればすぐに察しがついた。
太宰は人生に退屈していて、世界に絶望している。なまえとは違う意味で、世界に対して諦めている。
半面、未だ手に入らない『何か』を探している。
本当にそうなのか、太宰の真意は何なのか──何故、退屈でくだらない世界で自分が選ばれたのか。何もわからないけれど、何となくなまえはそう、思った。
「…まだ死ねない。マフィアに拾ってもらった分の恩を返さなきゃ」
「忘れたの?君を救ったのは僕だよ」
「太宰くんだってマフィアに拾われた身でしょ」
「だから僕は森さんに恐喝されてるの!謂わば被害者なの!」
「まだ云ってる」
「兎に角君は僕のモノなんだから拒否権はない」
ずいと試験管を突き出す太宰はわざとらしく膨れていた。実際わざとなんだろうことぐらい付き合いの短いなまえにも判っていた。太宰が本気で飲ませる気なら、今ごろ得意の口八丁で丸め込まれているはずだ。それをしないということは、太宰が突き出していた手を引っ込めたということは、つまり。
「僕が死ぬまで邪魔が入らないように見張ってて」
ひとつ、またひとつと太宰の喉に液体が押し流されていく。ほどなくして太宰の顔が苦痛に歪み、荒い呼吸が部屋に響いた。最後の呼吸が途切れると、太宰は床に突っ伏したまま動かなくなった。
一連の流れを眺めていたなまえは、鉛のように重い足で太宰に近づいた。脱力した太宰の肩を抱き起こすと、首領にもらったらしい外套が滑り落ちる。触れた肌はまだ暖かいのに、包帯から覗く瞼は閉じられたままぴくりとも動かなかった。
「え、うそ、マジで死んだの?」
咄嗟に太宰の胸に耳を押し当てると、微かに心音が聞こえた気がした。まだ生きてる。ほっとしたのもつかの間、太宰の小さな鼓動が止んだ、
───瞬間、なまえの視界が黒で塗り潰された。
“生きるなんて行為に何か価値があると本気で思ってるの?”
雪崩のように押し寄せてきた記憶と誰かの声。這いずる絶望に引き裂かれ、四方八方から引っ張られて潰される。滅茶苦茶な感覚が過ぎると、なまえは底のない沼に沈んでいた。形を失った姿はそれでも尚、消えることを許されない。何度死を望んでも、形のない身体は動いてくれない。
死にたい。生きている限りこの悪夢は終わらない。居場所も生きる意味も価値もない。底無しの絶望を抱える自分の理解者はいない。
判るとしたら、きっと。
「なまえ?」
太宰の声と同時に視界が切り替わる。
「あ、っ………………」
次に瞬きをすると見慣れた部屋が広がっていて、消えたはずのなまえの身体が元に戻っていた。すぐそこで一定の
「いき、てる」
「……残念ながらね。ちぇっ、また失敗しちゃった。一瞬死ねたと思ったんだけどなぁ」
惜しい。やっぱり首領に調合してもらわないと、でも首領は嘘ばかりつくし、どうせ死ねないし、と口を尖らせる太宰は、何事もなかったかのように起き上がった。
「なまえ?」
けど、何もなかったはずがない。今なまえが見たのは、紛れもなく誰かの記憶と感情だ。もしあのまま太宰が起きなかったら、太宰の異能『人間失格』で打ち消されなかったら、なまえの意識は取り込まれていたかもしれない。自我を打ち消すほどの凄まじい闇、途方もない絶望と孤独。これらを抱えて生きる人間は、なまえの知る限りひとりしかいなかった。
「…………何か『見えた』の?」
その一瞬、太宰の瞳に希望がちらついたのをなまえは見逃さなかった。
「………………なにも」
「なまえの異能って肝心な時に役立たないよねぇ」
「太宰くんの異能が無効化するからだよ」
「そう、そこだよ。君は異能を
「八つ当たりやめて」
無駄に苦しんだし、死ねないし、なまえは役立たずだし、せっかくの自殺日和が台無しだよ。悪態をつく太宰はいつもの調子に戻っていた。光を失った瞳は、相変わらず詰まらなそうになまえを捉えている。
この闇を晴らすのは、きっとわたしじゃない。
太宰くんの闇を見たくせに、嘘をついて見てみぬ振りをしたくせに、何を勝手なことを。
なまえの頭の中にそんな言葉が浮かんだ。
「そうだなまえ、僕の首絞めてよ。瀕死なら異能が消えて何か見えるかもしれないし」
「やだ」
「連れないねぇ」
ぐい、と太宰に腕を引っ張られる。無理やり首元に這わされた手で包帯越しの肌に触れた。なまえは太宰の首を締める自分を想像して、すぐにそれを打ち消した。
太宰に殺されることがあったとしても、自分が太宰を手にかけることはない。もし本気で心中をしようものなら、きっと自分は死ぬのだろう。予感に近い感覚に、すっかり太宰のモノになったな、となまえは自嘲気味に笑った。
「何笑ってるの?」
「なんでもない」
だからせめて、太宰が光を見つけるまではそばにいよう。怪訝そうな太宰の顔を見つめながら、そんなことを思った。
2023.10.10
太宰の口調が迷子
